番外編 エリート研究員の恋人-4
翌日、イザベルはいつもより一時間以上も早く家を出た。
理由はもちろん、たとえ少しでも研究を進めることである。
しかし、研究所に着いたイザベルが眠い眼をこすりながらドアを開けようとすると、ふと中から人の話し声が聞こえた。
(こんなに早くに誰かしら・・・)
再三語ってきたことだが、イザベルの所属する王立研究所はシャルレアン王国における各研究機関の最高峰であり、そこにある資料や研究成果は重大な国家機密に相当するほどの貴重なものばかりだ。
中でも現在イザベルの進める研究は国の、いや世界の今後を左右しかねないものであり、その価値はそこらの宝石や金銀財宝では量ることさえできないものである。
当然研究員たちには研究に関することを口外することは固く禁じられ、もし外部にそれらを漏らしたことが知れれば、軽くて禁固刑、重大なものになれば見せしめの上死刑となる。
その為、研究員として王宮で働いている間と退職後数年は、手続きと護衛(という名目の見張り役)なしで国外に出ることは許されなくなり、ほかの民間の企業や会社に入ることも許されなくなる。
研究員となることは多額の給料と名誉を得ることができる代わりに、多くの代償を払うということでもあるのだ。
とにかく、そんな重大機密の宝庫である研究所、しかも自分の研究室に侵入者が入っているとすれば一大事だ。
眠気の吹っ飛んだイザベルは、守衛を呼びにいくため音を立てずにドアを離れようとした、その時である。
「あっ、ロッカーに忘れ物を・・・取ってまいりますわね」
中から声がしたかと思うと、ドアまで近づいてきたのだ。
これはまずい、とイザベルはとりあえず身を隠そうとするも、あたふたすることしかできない。
研究所の入り口からイザベルの研究室までは、無駄に長く遮蔽物の一切無い廊下が続いており、研究所の門までいくと守衛室、研究所の真隣には軍の王宮駐屯基地がある。
身を隠せるような場所がないのだ。
そして、イザベルは学問一本で王都から一歩も出ずに生きてきた自分の運動神経の無さを自覚していた。
全力で走ったところで、守衛の目を盗んで研究室までたどり着けるような侵入者から逃げ切れる気がしない。
つまり、守衛室までの距離を考えるに今の状況でイザベルは侵入者から身を守る術も隠す方法も持ち合わせていないのだ。
侵入者の足音が近づいてくる。
イザベルは学問一筋で体格も大きくはない。
今武器も見当たらない状態で襲われては、自分が勝つ未来が全く見えなかった。
しかしそんなイザベルをあざ笑うかのように、ドアはためらいもなく開け放たれた。
完全に固まっていたイザベルと侵入者の目が合う。
「あら?ええと、あなたは・・・」
「メ、メニル室長!?お、おはようございます。ええっと、その・・・私の顔に何かついていますかしら?」
しかし、そこに立っていたのは凶悪な侵入者の姿などではなかった。
イザベルの”秘密の逢瀬”の噂をなぜか積極的に流していた女性研究員、セリア・ポリニである。
よく考えれば、ドア越しに聞こえてきた声は誰かまではわからずともどう考えても乱暴者の声ではなかった、と今頃になって自分の狼狽っぷりを思い返し、顔が羞恥で赤くなるのを感じながらも、我に返ったイザベルはとりあえず出ていこうとしていたセリアを押し戻して研究室に入る。
中には他にも2人の女性研究員がいた。
イザベルは3人にとりあえず手近な椅子をすすめ、自らも自分の椅子に腰かける。
「それで、あなたたちはこんなに朝早くから何をしていたんですか?監督である私抜きで研究をすることは許可されていないはずでしょう?」
昨日研究室の皆に協力を頼んだ際に言葉遣いが崩れていたことは後になって気づいていたものの、3人の行動が室長として見過ごすことのできないことは確かであるため、イザベルはあえて冷淡に聞こえるようにそう言った。
その効果あってか少しひるんだような顔をしたセリアは、しかし他の3人と顔を見合わせてうなずき合うと、意を決したように立ち上がった。
「私たち、メニル室長に確認したいことがあって、こうして朝はやくにいらっしゃるであろう室長をお待ちいていましたの!」
「え、ええ、何かしら?」
予想していなかったセリアの動きに今度は自分がひるむはめになったイザベルは、室長としてここでビビッてはいけない、と平生を装い答えたつもりだが、数秒前に意識したばかりであるはずの言葉使いは崩れ素が出てしまっていていた。
「実は・・・」
「じ、実は?」
ずいぶん溜めるな、とイザベルは思ったが、よほど重要なことを言うのだろう、研究の根幹に関わることに違いない、と思い直し、ゴクリと唾を飲んだ。
「室長がおっしゃってらした大切な方というのは・・・」
「私の言っていた大切な・・・って、ん?」
おや?なにやら思っていたものと雲行きが違うぞ、とイザベルは戸惑う。
そんなイザベルにセリアは興奮気味に詰め寄る。
「例の花園の君のことですわよね!?」
「え、え?」
「どうか答えてくださいまし!」
「えっと・・・」
なんと答えればよいものか、とイザベルは思ったが、とにかく研究に関わることではないようだと分かり、さらにセリアたちの謎の早朝出勤もあやしい理由ではあるもののスパイなどのためでないと分かったため、とりあえず部屋に入ってからずっと無意識に入れていたらしい肩の力を抜いて溜息をついた。
「はぁ・・・まぁ、あなたの言う花園の君っていう人が私の考えている人と同一人物なら合ってるわよ」
「やっぱり!そうでしたのね!」
「えぇ。でも、他の人には内緒よ?恥ずかしいし」
「恥ずかしいことなどありませんわよ!・・・でも、そうですわね。秘密の恋というのも燃えますものね!」
だから恋なんかじゃないんだけどなぁ、と思いつつも、イザベルはこれ以上は余計な藪をつついてしまう気がしたため、この話題については何も言わないことにした。
「・・・それで、ポリ二さん?わざわざこんな早くに出勤した理由はそれだけなの?」
「はい!」
元気いっぱいに答えるセリアにイザベルは、(なぜここの研究員になる人というのは、どこか普通と違うのかしら・・・)などと、失礼かつブーメランなことを心の中で考えつつ、セリア達の行動に特に問題がないと分かった以上はおしゃべりしている暇はないとばかりに早速研究に取り掛かることにした。
時計を見ると早朝出勤で稼いだ時間も半分を消費してしまっている。
「あなたたちも、もういいから自分の席に戻りなさいな」
「ええ!室長と花園の君のデートのためにも、早く研究を終わらせないとですものね!」
頑張りましょう!と言いながらうなづきあう三人を横目で見送りつつイザベルは自分の手元に視線を戻す。
「って、ちょっとまって!?」
「はい?まだなにか?」
足を止めて振り返り、不思議そうに聞き返す三人を自分の机まで手招きで呼び戻し、先ほどの発言について聞き返す。
「今、なんて言ったかしら?」
「はい?まだなにか?と」
「その前よ!」
「ええと、室長と花園の君のデートのためにも、早く研究を終わらせないと、と言いました」
その言葉を自分の中でかみ砕き、意味を理解するのに2、3秒を費やしたイザベルは、ようやっと理解したその内容を反駁する。
「・・・それは、研究を早く終わらせるのを手伝ってくれるってこと?」
「ええ、もちろんですわ」
「ええ!?ほ、ホントに!?」
「はい!さぁ、時間がありませんよ!」
「え、ええ!そうね!」
セリアに言われて慌てて席についたイザベルは手は素早く動かしながらも、良い方向に展開が転がり始めたことに内心喜んだ。
(アリーのことを私の恋人だって勘違いしてるポリニさんたちを騙すようで悪いけれど、出かける相手を偽っているわけではないものね!それよりも三人も協力してくれることを喜ぶべきだわ!)
ちらりと見るとセリア達は真剣に作業に取り組んでいる。
(・・・でも、謝礼とは別に何かお礼をするべきかもしれないわね)
ともあれ、一人では無謀な量の作業でも、四人でかかれば希望が見えてくる。
アリーとの約束を違えることなく果たせるかもしれない、とイザベルは安堵した。
その日から、イザベル達四人の日の出と同時の出勤と深夜まで居残りでの作業生活が始まった。
無論精密作業であるため、徹夜で行うわけにはいかないが、起きている時間のほぼすべてをつぎ込んで実験をしては記録をしていく(昼食も簡単なもので済ませて、アリーにもしばらく庭園にはいけないと伝えようと思っていたのだが、その時間だけは削ってはいけないとセリア達に断固として止められた)。
そんなイザベル達の様子をみて、他の職員や研究員たちも一人、また一人と協力してくれるようになる。
責任者にあたる自分が遅くまで残って作業しているのに早く帰るのがいたたまれなくなって協力してくれていることが分かっていたため、とても申し訳なく感じたが、埋め合わせは後ですることにして、イザベルは黙々と作業を続けた。
そんな日々を数日過ごし、精霊祭の前日の日の沈む頃、イザベルの研究は完成を迎えた。




