番外編 エリート研究員の恋人-3
まさか回想中に話数をまたぐことになるとは・・・。
その冬の日、アリー・クラスタントは人生でかつてないほどに緊張していた。
彼女の田舎には歳の近い友人はおらず、田舎から出てきた彼女は猛勉強の末、親に頼み込み入学の叶った学園ではほとんど先生としか会話せずに卒業するという離れ業を意図せずして成功させてしまったのだ。
つまり、今日のように友人と待ち合わせて遊びに出かけるという経験は、彼女にとって未知のことである。
アリーはドキドキしながら白い息で手を温め、待ち合わせ場所である広場近くの時計を見上げた。
午前9時まであと一時間である。
寒空の下、イザベル・メニルは走っていた。
(たぶんもうだいぶ待たせてるわよね・・・)
イザベルとてアリーとは半年近くの付き合いであるため、その性格は把握しているつもりである。
生真面目な彼女のことだから、また馬鹿みたいに早く待ち合わせ場所に着いているに違いない。
それが分かっているからこそ、イザベルは自宅から5分でたどり着けるはずの場所をわざわざ待ち合わせ場所として指名したのだ。
したの、だが・・・。
(なんで遅刻寸前になってるのよ〜!!)
そう。イザベルが走りながら先程見上げた時計の針はすでに待ち合わせまであと3分を指していた。
(とにかく急がなきゃ!ああ、もう!こんなことならもっと走りやすい服装で来れば良かったわ!)
いかに天才のイザベルといえど、友達とお祭りに行くのに全力疾走する可能性は考慮していなかったようだ。
イザベルがこのような状況に陥るまでには数日遡る。
彼女は現在、魔素を用いた摩擦力の最小化についての研究を行っている。
もしこの研究の論文が学会で認められれば、魔道機工は初めて技術的に実用が可能な域まで昇華する。
それは即ち、イザベルの研究する分野である魔道工学がほかの分野に並べるようになることを意味した。
そのため、並みの研究者であれば泡を吹くような重たい作業を日々イザベルはこなしていた。
ともあれそんな日々も落ち着き、もはやイザベルのすることは部下から運ばれてくる実験結果のデータを確認しながら指示を出し、その整理をしながら論文の内容に調整を加えることのみとなった。
ここまで来れば数日自分がいなくても大丈夫だと判断したイザベルは、上司である研究所長官に休暇届を提出し、翌日の昼食の時間にアリーと祭りに行く約束を取り付けた。
しかし、その翌朝事態は急変した。
休暇届が突き返されたのである。
わざわざイザベルの研究室までやって来た長官が言うには、今現在イザベルが行っている研究は研究所の総力を挙げて取り組んでいるものであるから、国際的な学会の近い今日、その責任者であり、唯一研究の全容を把握している(正確には出来ている)イザベルが現場を離れるのは認められないというのだ。
抗議することも考えたが、研究の内容を一番理解している彼女であるからこそ今行っている様々な実験の数々の繊細さを理解できたし、責任者が現場を離れるのは好ましくないと判断できてしまう。
結局イザベルは休暇の取りやめを渋々了承した。
そして、了承したからにはそのことをアリーに伝えなくてはならない。
仕事が休めず祭りには行けそうも無い、と。
自分から誘ったことであるからとてつもなく言いにくいが、彼女のことだから分かってくれるはずだ、とイザベルはその日、いつも通りに中庭でアリーを待つことにした。
やがてアリーがやってきて、いつものように二人での昼食が始まる。
さて、いつ話を切り出したものか、とタイミングを計るイザベルだったが、やがて幸いなことにその話の流れは自然と祭りについてのものに移って行った。
しかし、なぜかいつも思ったことははっきりと言えるはずの彼女にしては、なかなか言い出せない。
それどころか本当に楽しそうにどこを見て回りたいだとか、あの店の出店が楽しみだなどと話すアリーを見ていると、本当に自分と祭りに行くのを楽しみにしてくれていることが容易にくみ取れてしまって、ますますイザベルは思ったことが口に出せなくなってゆく。
だが、祭りに行けないことを話せばアリーを悲しませてしまうだろうが、そのことを伝えるのを後回しにすればするほど、伝えた時、さらに彼女を悲しませてしまう。
だから今、伝えなくてはならない。
だが、そう思えば思うほどにイザベルの頭の中に別の想いも浮かんでくる。
今までも親しい友人は確かにいた。
いたが、ここまで自分と話していて楽しそうにしてくれる相手はいただろうか?
アリーは、才女として学園を過去でも稀な幼さで卒業したイザベルからすると初めてできた年の極めて近い友人だった。
彼女は友人が少ない、というかいままでいなかったらしいから、そのせいかもしれないが、だからこそ今回の祭りを本当に楽しみにしてくれていることがよく見て取れる。
そんな彼女のがっかりした顔は見たくないという思いが、言葉を交わすごとに強くなっていく。
だけど、それでも、私は研究員で、結果次第でこの国の行く末が変わるような研究をしているのだ。
私情をはさむわけにはいかないし、現場を離れて祭りに行くなんて論外だ。
イザベルの脳裏で責任感とアリーとの友情とが押し合い圧し合いし始める。
アリーと話していてもしどろもどろに相槌をうつことしかできなくなってくる。
途中、話の切れたタイミングでついにイザベルは黙ってうつむいてしまった。
そんなイザベルの様子がどうもおかしいと(やっと)気づいたアリーが心配そうにのぞきこんでくる。
「イザベル、どうかしましたか?顔色が優れませんが、体調が優れないようでしたら早退したほうがよいのでは?」
「・・・いいえ、体調は大丈夫よ」
「しかし・・・」
心配そうになおもイザベルの顔をアリーは覗き込む。
「ほ、本当に大丈夫だってば!今日のお弁当のおかずに嫌いなニンジンが入ってたから飲み込むのに苦労していただけよ」
そんなアリーの顔をみて、つい口から出まかせを言ってしまった。
「なんだ、そうだったんですか。好き嫌いしてはいけませんよ」
それを聞いて、本当に安心した様な顔をした後に、ころころとおかしそうに笑うアリーを見て、イザベルはあることを決意した。
祭りまでに論文を完成させてしまえばいいのだ、と。
しかし、論文をまとめるだけならともかく、現在イザベルが行っている研究は、ほとんど大量の細かい実験を繰り返してデータを取っていくだけの次元にあり、それゆえに日程の短縮にあたって生じる問題はイザベルの天才的頭脳で解決できるものだけではなかった。
次の日の朝、さっそくイザベルは研究室前の廊下に出勤したばかりの自身の統括する研究チームを集めて、日程を詰めて欲しいと頼み込んだ。
「私も実験作業に参加するし、皆の仕事を増やしたはしないわ!だからお願い!日程を詰めて欲しいの!」
はじめ、突然のことに面食らった様な顔をしていた部下や同僚たちだったが、顔を見合わせると次第にその表情が困惑に染まってゆく。
「あの、イザベル女史?」
その中の一人の研究員がおずおずと手を上げた。
「いきなり言われても理解が追い付かないのですが・・・せめて理由をお聞かせ願えますか?」
その周りの研究員たちも口には出さないが、彼の言うことに皆同意見であるとでもいうように、じっとイザベルの顔を見つめる。
「り、理由・・・」
イザベルは考える。
素直に言ってしまえば、理由は″友達と遊びに行きたいから″だ。
しかし、それでは皆の理解は得られないであろうことは火を見るよりも明らかであるし、それに、なんだかイザベル自身それだけではない気がした。
アリーと昼食を食べた際、イザベルは心苦しかったもののきちんと断ろうと思っていたのだ。
実際いままでのイザベルなら祭りには行けなくなったとはっきりと言えたし、何より研究より優先したいと思う物など無かったのだから。
それなのに、楽しそうに自分と祭りに行く話をしているアリーの顔を見ているとなんだか胸が締め付けられるような気がしてなにも言えなくなった。
今はアリーが自分にとってどれほどの存在で、自分はどうしたいのかはイザベルには分からなかった。
でも、今考えてみて一つだけ分かったことがある。
(今アリーは、少なくとも私にとって、一番の友達で・・・それはつまり)
「わ、私にとって、とても大切な人と約束があるの!みんなには関係のない事だっていうのは分かってる!だけどお願い!協力して!・・・ください!」
イザベルは精一杯の自分の想いを込めて、頭を下げて頼みこんだ。
頭上で息をのむ声が聞こえる。
シン・・・と静まり返った空気がなんだか自分ことをを刺している様な気さえする。
そりゃああれほど無愛想に振る舞っていた自分が頭を下げた挙句、いきなり無茶なわがままを言い出したらこんな空気にもなる、とイザベルはこれまでの自身の職場での振る舞い方を深く反省し、後悔した。
だが、今は後悔よりもするべき、いや、しなくてはならないことがある。
今回のことはイザベル個人の都合であって研究所の皆には関わりのないことであり、いくら権限があるからといっても、強制はできない。
いざとなれば自分ひとりで研究日程を調節してその分の実験をやらなければならないのだ。
「と、とにかく・・・協力をお願いします・・・もし、協力していただけるのであれば、私のデスクに来てください。日程の調節と・・・あと、個人的に謝礼くらいは出しますので・・・」
イザベルはそう言い残して、未だ静寂に包まれる廊下から逃げるように研究室の扉を開けてまっすぐに自分の机に向かった。
イザベルが去った後の廊下は少しの間ざわざわとしていたが、そのうちにぽつり、またぽつりと研究員たちが気まずそうに扉を開けて入ってくる。
とはいったものの、王立研究所の職員、特に研究員達は城下で暮らす一般の人々とはくらべものにならないほどの給料をもらえる。
一応は今回の研究にあたって、研究所からの支援なども多めに出てはいるのだが、彼らの肥えた目を満足させられるような額のお金は工面できそうもない。
思わず溜息をつきたくなるのを押さえ、目線を書類から上げると、未だ言葉少なながらにいつも通りに仕事をしている同僚たちが見えた。
しかし明らかにその目が意図的にこちらを見ようとしていないのが見て取れる。
これは望み薄かな・・・と、イザベルはまた溜息をつきそうになる。
案の定、その日イザベルの机にやって来た者はいなかった。
受験が無事終了しました。
地元を離れて一人暮らしを始めたバタバタで未だ落ち着きませんが、ぼちぼち書き進めていきますので、見守り下されば幸いです。
熊本の震災で犠牲になられた方々のご冥福をお祈りするとともに、被災地の一刻も早い復興を心より願っております。




