クラス委員
いよいよ受験も大詰めになってきました。
翌日リアーヌはジュリエッタと一緒に早めに登校し、イザベル先生の研究室に行った。
朝早くに尋ねて行った為か、まだ眠そうにしている先生にクラス委員に立候補したい旨を伝えると、冷や汗を垂らすジュリエッタの方をちらりと見た後に、にやりと微笑み、リアーヌの肩に手を置いて一言。
「任せたわね」
そう言って、大きなあくびをしながら引っ込んで言ってしまった。
そんなわけで、リアーヌのクラス委員としての生活が始まったのだった。
とはいえ、クラス委員の平時の仕事は多くない。
そもそも隣に座っているのはジュリエッタ、つまりは学園の生徒会長であるのだからクラスをまとめるのも自然と彼女がやってくれる為、リアーヌの出る幕は無い。
必然的に、リアーヌの仕事は専らイザベル先生に″おつかい″を頼まれた時くらいしか発生しないのだ。
それでも、イザベル先生に促されて、クラス委員としてクラス全員に挨拶をした初日以来のリアーヌの(アンヌとジュリエッタ以外の)クラスでの呼び名は委員長になってしまったが・・・
「どこの世界でも、あだ名なんて単純なものね・・・」
そんな数少ない仕事であるイザベル先生のパシリ、もとい、おつかいを放課後にしていた時のことだった。
「?・・・世界、ですか?」
「う、ううん!なんでもないわ!」
知らぬ間に口から出ていた独り言を、隣で資料の半分を持ってくれているアンヌに聞かれていたらしい。
「それより、ごめんね?私が頼まれたことだったのに・・・」
「いえ、実家の手伝いもしていましたし、こう見えて力持ちなんです。それに、こんな重いものリアーヌには持たせられません!」
「・・・ありがとう。そういえば・・・」
生まれ直してこの方、ずっとお嬢様ぐらしだったせいか、乙女にしても貧弱な体であることは自覚していた為、悪意無きアンヌの一言にもぐさりと胸を貫かれるリアーヌであったが、気を取り直して話題を変えることにする。
「あの日持ってきてくれたアンヌの実家のパン、美味しかったわ。マリナったら気に入っちゃって、あれから毎晩パンはあなたの実家で買ってるみたいなの」
「え、そうだったんですか?ありがとうございます!今後ともご贔屓にお願いします!」
「ええ、でもそれはマリナに伝えてね・・・っと、着いたわ」
リアーヌの見上げた先につるしてあるのは学園長室の文字が書かれた札だった。
「今年のクラス全員分の名簿なんて、クラス委員とはいえ生徒に運ばせていいものなのかしらね・・・」
「それだけイザベル先生がリアーヌを信用しているんですよ」
自らの運んできたものを見ながらそういうリアーヌに、アンヌがにこやかにそう言った。
まだ入学後少ししか経っていないが、毎日ほぼ学園にいる間は一緒にいるおかげか、最初は話かけてくる時もどこかおずおずとしていたアンヌも、最近はすっかり打ち解けてくれている。
「資料を渡すだけとはいえ、学園長に会うんですね・・・緊張してきました」
「別にアンヌが会う必要性は無いのよ?ここまできたら私に渡してくれれば」
「いえ。こういう時こそ年上である私を頼ってください」
「・・・そうね。頼りにしてるわ」
この娘はこういう時に謎のお姉さん感を出そうとするな、とリアーヌ(12歳)は思いながらドアをノックした。
すると中から「入りなさい」と言う声が聞こえてくる。
ドアを開けると、始業式の時にも見た野性味あふれる学園長が、簡素でありながら決して質素ではないことが素人のリアーヌが見てもわかる机に肘を立て、これまた高級そうな椅子に座っていた。
「所属と名前、用事の内容を言いたまえ。・・・っと、君は」
何か書類を処理していたらしい手を止め、こちらを見た学園長の目がアンヌの顔を見て、さらに視線をリアーヌのところまで動かしたところで止まった。
「失礼します!イザベル・メニル教授の使いで来ました。リアーヌといいます!特待生クラスのクラス委員長をしています!」
その様子を見て、そういえば意図してのことではないとはいえ自分は裏口っぽい入学方法をとっているのだった、と焦ったリアーヌは慌てて自己紹介をし、学園長の会話をさえぎることにした。
「リアーヌ!?ええと、私は同じく特待生クラスの生徒で、アンヌと言います。リアーヌさんの手伝いで来ました」
リアーヌが学園長の話をさえぎって話をはじめたことに戸惑いながらも、アンヌも所属と名前、用事を言う。
「アンヌ君に、ふむ、リアーヌ君か。メニル女史から話は聞いているよ。書類をこちらへ」
言葉の続きをさえぎられた学園長は、苦笑しつつも二人の抱える書類を指さし、自分の机まで持って来るようジェスチャーで指示をした。
不自然な会話の止め方をしたことについて指摘されなかったことに内心安堵しながら、リアーヌはアンヌから目配せで書類を受け取り、学園長の机まで運んだ。
「ふむ・・・大丈夫だ。書類は確認しておくよ。ご苦労さま」
そう言って学園長は、また書類に目を落としたまま顔を上げなくなったので、リアーヌはアンヌを促して退出することにした。
アンヌが先に外に出たので、それに習ってリアーヌがドアを閉めながら、聞いているかは分からないが、一応の礼儀として、失礼しました、と言おうと学園長を振り返るも、やはり彼は顔を上げはしなかった。
しかしリアーヌにはなぜか、下を向いたままの学園長がニヤリと笑った気がしたのだった。
「どうかしましたか?」
ドアが閉まってもその向こうを怪訝な顔で見つめるリアーヌに、アンヌが不思議そうに話しかける。
「・・・ううん。なんでもない。私、一応イザベル先生のところに報告に行ってくるから。アンヌは先に帰っておいて」
「そんな。私もいっしょに行きますよ」
「いいえ。クラス委員一人で行かないといけないの」
イザベル先生は研究室の場所をなぜか隠したがっていた。
いかにアンヌと言えど、断りもなしに連れて行くのは避けるべきだとリアーヌは判断したのだ。
アンヌは残念そうな顔をしたが、基本的に他人のことを拒絶しないリアーヌが言外にはっきりついてこないように言ったからか、引き下がってくれた。
「そうですか・・・でしたら、教室で待ってます。一緒に帰るのはいいのでしょう?」
「うん。分かったわ。ありがとう」
アンヌと別れたリアーヌは、一人でイザベル先生のラボの埋まっている離れまでやってきた。
丁度バラ園と、生徒会室などの入っている校舎をはさんだ反対側にある空き地に見える土地である。
植物にはあまり明るくないリアーヌでも知っている雑草たちに顔を近づけ、取っ手を探していると、それを見つけ出す前に重々しい音を立てて地面がせり上がってきた。
先生が出てきたのかな?と見守っていると、階段を上がって来たのはジュリエッタだった。
「あら、リアーヌじゃない。先生に御用かしら?」
縦ロールを辞めたジュリエッタの髪型は、ウェーブがかかっていて、上品でとてもよく似合っている。
「ジュリ先輩、こんにちは。はい、先生に頼まれごとをされていまして。先輩は?」
「私は・・・まあ、その、一応弟子にしてもらったしね」
ジュリエッタが何やら言いよどむのを見て、先生への弟子入りはリアーヌをクラス委員にすることとの交換条件で叶ったことをリアーヌは思い出した。
思えばジュリエッタが縦ロールをやめて今の髪型になったのも、先生の研究室に放課後すぐに行くようになってからだ。
リアーヌはジュリエッタの髪型は、似合ってはいるが前を歩かれると多少鬱陶しいなと思っていたので、おそらくは同じことを思った先生が遠慮せずに直接言ったのだろうな、とあたりを付けた。
「そうでしたね。おめでとうございます」
「うん・・・ありがとう。ごめんね?頼まれごとっていうのも、クラス委員の仕事だったんでしょ?これからは、先に言ってくれたら私も手伝うわ」
「ああ、いえ、気にしないでください。今日はアンヌが手伝ってくれましたし。・・・それに私、クラス委員になったこと自体は後悔していませんし、むしろ、背中を押してくれた先輩には感謝もしてるんです」
「え?そ、そう?それなら良かったわ・・・うん、よかった」
リアーヌは生まれ直す際のあの女との約束である、″なにか大きなことを成す″という目的のために、クラス委員になることはプラスになると考え始めていた。
無論、クラス委員になった程度では″大きなこと″とは言えないとリアーヌも分かっているが、約束をして生まれ変わってから12年、特にこれと言った行動に移せていなかったことに焦り始めていた彼女にとって、これは精神的に大きいことであった。
あの約束の通りなら、リアーヌが頑張れば、妹のことで便宜を図ってくれるはずなのだから。
「じゃあ、私もう行くわね。あんまり遅いとキアラに怒られちゃう」
「これから生徒会の仕事ですか。お疲れさまです」
「ええ、ありがとう。生徒会室には私とキアラしか基本的にはいないから、来たかったらいつでも来てもいいわ。でも、あの校舎は他の教室には生徒は絶対に入っちゃいけないから、気をつけてね」
「はい、わかりました。とはいえ、ジュリ先輩は教室で会えますから、伺うのは基本的にはキアラ先輩に用事がある時だけになりそうですが」
笑いながらそう言うと、ジュリエッタも「そうね」といって笑ってくれた。
階段を下りながらリアーヌが、ここにライトか、せめてろうそくがあればどれほど安全に先生に会えるだろうなどと考えていると、比較的明るい廊下に出る。ここまでくれば、先生のラボはもうすぐである。
つきあたりの部屋のドアをノックして少し待つが、返事がない。
どうしたことだろうか、と思っていると、不意に後ろから呼びかけられた。
「あら、リアーヌじゃないの。なにか用かしら」
何も悪いことをしていないのに、驚きすぎて冷や汗が出たリアーヌが振り返ると、部屋着になった先生がいた。
「先生にホームルームの後に言われた仕事が終わったので、報告しようかと・・・着替えてらっしゃったんですね」
「ええ。私、スーツってあんまり着ないのよ。着てる人を見る分には好きなんだけどね」
″着てる人を見るのが好き″なんて、不思議な言い方だなとリアーヌは思ったが、そういえばアリー先生は基本的にスーツを着ていた気がする。
「それより、ありがとうね。これからはわざわざ言いに来なくても大丈夫だから、勝手に帰ってくれて大丈夫よ」
「そうですか?わかりました。これからはそうします」
せっかく来たのだからお茶くらい入れるという先生に、友人を待たせているので、と断り研究室を出て行こうとした時、リアーヌの脳裏にふと浮かんだことがあった。
「・・・私の前にジュリ先輩がいらっしゃいましたよね?」
「え?ええ、そうね。ジュリならいたけど。どうかしたの?」
「いえ、弟子の割には、その・・・」
リアーヌはそこまでで言葉を切ったが、その目は言外に「弟子の割にはあまりそれらしくは接していないのではないか」と語っていた。
リアーヌはまだジュリエッタが弟子としてそれらしい活動をしているところに出くわしていない。
事実、リアーヌはジュリエッタが先生に弟子入りしたことを忘れていたほどだ。
今日だって、リアーヌが空き地に到着し、丁度ラボから出てきたジュリエッタに会った時点で、リアーヌは学園長室まで行っただけであるから帰りのホームルームから大して時間もたっていないはずだ。
生徒会長の仕事もあるとはいえ、わざわざ一年生からやり直してまで追っかけてきた先生の弟子にやっとなれたというのに、これはすこし冷たいのではないか、と思ったのだ。
「そうね・・・」
リアーヌの言葉にイザベル先生はショックを受けたような顔をすると、自嘲ぎみに少し微笑み、リアーヌに背を向けて一言そう言った。
「少し、考えないといけないわよね・・・」
リアーヌはまさか先生がここまで悲しそうな顔をするとは思わず、なにか自分はあろうことか恩人にひどいことを言ってしまったのではないか、と心配になったが、先生がそれっきりこちらを向いてくれないので、「失礼しました」と一言いって研究室を出た。
明日も授業があるのでそのあとに明日も研究室を訪ねてもいいか聞き、改めてそこでお話ししたほうがいいと考えたのだ。
足元に気を付けながら階段を上がったところで、そういえばアンヌを待たせていることに気が付いて、外ならいいだろうと駆けだしたものの、体力のないリアーヌはすぐにバテテしまい、結局歩いて校舎まで戻った。
しかし、翌日、朝のホームルームの時間になっても先生は来なかった。
追伸:話の都合上次は番外編になるかと思われます。




