最終話 夜の遊園地と想い石
あれから一週間ほど経った。そして今日は日曜日、香奈との初デートの日……と言っても、これは香奈の男性恐怖症を治療するというのが目的で、デートと呼んでいいのかは不明慮だ。しかしここは、デートだということにしておいて欲しい。
香奈に砕かれたとばかり思っていた肋骨は、奇跡的に無傷で、その後も俺は元気に学校に通った。香奈には凄く謝られたが、笑って誤魔化した。どうやら俺は、主人公補正なるプロテクトが施されているらしく、女に強く抱きしめられたくらいでは死なないらしい。「もっと早く言えよ!!」と、アリーナに怒鳴り散らしたい所だが、今の俺は香奈とのデートで頭いっぱい、胸いっぱいの有頂天、そこは笑顔で許してやった。アリーナは、そんな俺を冷めた目で見ていたが、気にならない。この一週間、二、三度香奈に殺されかけた事実は存在しなかったことにしておこう。
そして今、俺は遼に頼んでおいた遊園地のチケットを片手に、待ち合わせ場所である駅前のスターダックス、通称「スタダー」で、待ち合わせ時間までの三十分もの時間を、抹茶ラテ一杯で潰そうとしていた。
余談だが、遼はかなりのボンボンである。父親が大手建設会社の社長で、このチケットも、遼の父親のコネでタダで手に入れたものだ。しかし、香奈と話すきっかけを作るために頼んだチケットが、まさかこんな形で役に立つは……。
「……恭弥?」
窓の外を緩み切った顔で眺めていると、不意に声を掛けられた。ビクリと肩を揺らし、声の方を振り向くと、白いワンピースを身に纏った香奈が、俺を不思議そうに見つめていた。いつもとは違う、大人びた彼女の姿に、俺は一瞬意識をもっていかれそうになるも、踏みとどまり、平常心を装う。しかし香奈は、そんな俺の心を読み取ったのか、クスリと笑うと、手に持ったアイスコーヒーを置いて、俺の前の椅子に腰かけた。香奈は俺に「まだ二十分前だよ~」とか言って茶化してきたが、「お前も同じだろ」と返すと、顔を真っ赤にし、「馬鹿っ」と言ってコーヒーを啜った。そんな彼女が可愛くて、俺の心臓は静まることを知らない。
時刻は午前十一時、日曜日のディズイーシーは込み合っていた。友人同士、家族連れ、カップルなどの大衆に押し流されながらも、香奈とはぐれない様に、彼女の手を掴む。香奈は、男性が近づくたびにビクビクと震え、繋いだ俺の手を、凄まじい腕力で握りしめた。既にこの痛みに快感すら覚え始めている俺は、違う世界の住民になりかけているのではないかと、少し心配になる。
最初の難関であったチケット売り場を通り抜けると、ネズミやら犬やらの着ぐるみ達が、陽気に俺達を迎え入れてくれた。香奈は着ぐるみ達に手を振りながら、楽しそうに笑い「早く、早く~」と俺の手を引っぱる。それに苦笑を浮かべながら、俺は彼女と共に、夢の国へと入っていった。
何個かのアトラクションを回り、俺はベンチに座って香奈を待つ。彼女は園内で売られているクレープを買うために、長蛇の行に並んでいる。時々彼女は、こちらに振り向くと、笑顔で手を振って来る。俺はそれに微笑みながら、手を振り返し、今の幸せすぎる時間を噛みしめていた。
「なんか、いい感じデすねぇマスター」
ひょっこりと現れたアリーナが不機嫌そうにぼやく。どうやら俺が生意気に彼氏面しているのが気に食わないらしい。本当にこいつは……。クリアに導く気なんかさらさらないだろ、と思えて仕方ない。
「たく、何がガイドインターフェースだ、ガイドなんかされた試しがねぇよ……」
「失礼ですねぇ~。これでも私だって頑張ってるんデすよ~。それより、いいんですか~?あんな危険な子を一人で並ばせて?」
「いいんだよ、並んでるの、女ばっかりだし、ここから見えるからな」
「ふ~ん、まぁいいんデすけど……でもあれ、大丈夫デすか?」
ふと、アリーナが香奈の方を指さす。俺は、ん?と疑問符を浮かべながら香奈の方を振り向くと、香奈の後ろに並ぶ女性に男性が近づいて行くのが見えた。そして、女性は男性に手を振る。
あれ絶対、彼氏だよね?はは……死亡フラグきたぁ~……。
その時、ポケットの中の携帯がバイブレーションで通知を知らせる。俺は心の中で「オープン」と呟き、目の前に選択肢を表示させる。
――1 まだ死にたくないので、見て見ぬフリをする。しかし、結局巻き込まれて死亡。
――2 死んでも構わないから彼女の元へ走り、彼女を後ろから抱きしめる。
なんて選択肢だ、死亡フラグしかねぇ……。
俺の中のデンジャーランプが点灯する。嫌な汗を全身から滲ませながら、俺は現れた選択肢に手を伸ばすことが出来ない。
「アリーナ……何なんだ、この選択肢」
つか、結局巻き込まれて死亡ってなんだ!!俺を殺す気満々じゃねぇーか!!
「私はシッリマセーン」
相変わらず適当なアリーナにイラつきながらも、俺は二つの選択肢を焦りながら確認する。――駄目だ……どっちを選んでも流血沙汰は免れない。死ぬのが俺だけか、あのハンサムの兄ちゃんを巻き込んで二人になるかの違いだ……。
俺はゴクリと唾を飲み込み、2番の選択肢を選択した。
他人を巻き込む訳にはいかねぇよな……。
あとは俺の主人公プロテクトに賭けるのみ……。
止まっていた時間が、動きを取り戻し、女性の傍に彼氏と思われる男性が近づいていく。香奈もそれに気が付いたのか、見るからに緊張した表情を浮かべている。俺は勢いよく走り出し、香奈の元へと向かう。そして、ワナワナと震えだした香奈を、後ろから抱きしめた。
「え……恭弥!?」
香奈は声を上げ、顔を赤く染め上げる。しかし、力が発現している様子はない。
香奈もそれに気が付いたらしく、かなり驚いた表情を浮かべている。
これはどういうことだ?
「まぁ普通に考えて、マスターには力は働かないってことなんじゃないデすか?」
突然現れたアリーナは、平然とそう言ってのける。
「――そんな馬鹿な!!だって俺、香奈に何度もボコされてんだぞ!?」
「でも、死んでないじゃないデすか?」
「――それはプロテクトが……」
「マスター、何か勘違いしていませんか?確かにプロテクトは存在します。でもそれは、あくまで回復力が通常の人より高いってくらいの話デーす。御崎香奈のあの筋力が、力によるものなのは確かですが、少なくともマスターにだけは、意識的にしても、無意識的にしても、力をセーブしていたのは確かデしょう。」
「――そう……なのか?」
「そうなのデーす。そうじゃなかったら、金属をマッチ棒のようにへし折る御崎香奈の攻撃を食らって、普通に生きてる筈がないのデーす」
アリーナの言葉を自分なりにまとめようとするが、謎は深まるばかりだ。
……あの力がセーブされていた物だったとして、どうして俺にだけそんなことが出来る?いや、俺だからこそ、なのか……?
俺が物思いにふけていると、香奈が俺の腕をポンポンと叩いた。
「恭弥、その……そろそろ、恥ずかしいんだけど……」
香奈に言われて、俺は周囲に目を向ける。そこにはどこから湧いて出たのか、沢山のギャラリーが俺らを取り囲み、「いいぞー」とか「熱いねぇ」とか言って俺らを冷かしていた。中には俺らに感化されてイチャつき始めるカップルまでいる。段々と恥ずかしさが込み上げてきて、俺はパッと香奈を離す。つか、そこのハゲ、写メってんじゃねぇ!!
「ご、ごめん香奈……もう、行こうか?」
「う、うん……そうだね」
俺が照れ隠しに頬を掻きながらそういうと、香奈は真っ赤な顔で、コクリと頷く。そして二人は、気恥ずかしさを残して、早々と退散した。
日は大きく西に傾き、徐々に遊園地全体が闇に包まれていく。様々な色の電飾が煌々と輝き、園内を色鮮やかに彩る。一日の最後を飾るパレードが始まり、二人は海の傍のベンチに腰掛ける。派手な花火や、着ぐるみ達の軽快な踊りを見ながら、自然と笑みをこぼす香奈。そんな彼女を横目で見ながら、俺もほっと微笑む。……本当に来てよかった。そして、最後の花火が打ちあがった。
「終わっちゃったね、パレード」
「あぁ、そうだな……そろそろ帰るか」
「……うん」
二人は自然に互いの手を握り合うと、ベンチから立ち上がる。そして、ふと近くのお土産の屋台に目が止まった。
「香奈、ちょっとここで待ってて?」
「どうかしたの?」
「ちょっと……な」
俺は、「直ぐに戻るから」と香奈に告げると、店に駆け込む。そして、レジの傍に置かれたペアルックのキーホルダーを掴み取る。実はこの店、入園時に香奈と二人で入っていた店だった。そのとき、香奈がこのキーホルダーを欲しそうに見ていたので、買って喜ばせたいなと思っていたのだ。俺は少し浮かれ気味に、店を出ると、購入したキーホルダーを片手に、香奈いる場所へ戻る。しかし、そこに彼女の姿が見当たらない。近くを探すが、やはり彼女の姿はない。
「まさか……!!」
嫌な予感を感じ、俺は走り出す。店を回り、彼女の姿を探す。時刻は午後二十一時を過ぎた頃、あと一時間もしないうちに、ここは閉園になる。俺はアトラクションの方に場所を移し、香奈の名を呼んで探し回る。そして、橋の上で数人の男達に囲まれている彼女を見つけた。
***
走り去る恭弥の背中に手を伸ばし、私は「まったく」、とため息をつく。彼の入っていった店は、入園時に最初に入ったお店だった。
……もしかして。
思い当たる節があり、私は小さく笑みをこぼす。
――その時、「ドスンッ」と、肩に男性がぶつかった。
「痛ってぇ」
男はよろめくと、私をすごい形相で睨み付ける。そして、私の腕を掴み上げたのだ。
――「トクンッ」、心臓が大きく振動する。
――ダメッ!!
「てめぇ、何とか言えよ!!」
男は尚も私を怒鳴りつけ、掴む力を強める。
「なぁ、この女結構イケてね?」
「イケてるイケてる~」
左右のチャラチャラした男二人が、私を嘗め回すように見てくる。昔の記憶がフラッシュバックし、目の前が真っ白に染まる。
――「香奈」
直後、恭弥の顔が頭を過る。はっと意識が戻り、私は男を睨み付ける。
「放して!!」
凄まじい力で男の手を振り払い、私は男達に背を向けて走り出す。
運動部の私は、男達との距離を、どんどん離していく。しかし、男達はしつこく私を追いかける。
……怖い。
恐怖で体が縮こまる。呼吸が乱れ、視界が霞む。
五年前のあの日以来、私は同じ夢をよく見る。三人の男に囲まれ、髪を掴み上げられる私。そんな私を助けに、恭弥が来る。そして、幼い恭弥は、目の前で男達に嬲られボロボロになっていくのだ。それを私は、ただ見つめている。男達は消え、血だらけの恭弥がポツリと転がっている。近づこうとすると、恭弥はむくりと起き上がり、冷たい目で私を見る。そして、「香奈と出会わなければよかった」、という一言をのこし、私から離れていくのだ。そんな彼に手を伸ばし、走り去る彼の背中を追おうとする所で、私はいつも目を覚ます。膝を抱えて泣くことしか出来ない私。そして、この夢を変える為に、今度は私が恭弥を守るんだ、そう決意したのだ。
今考えると、私に奇妙な力が備わったのは、その時だったと思う。この夢を変えたい、恭弥に守られるのではなく、恭弥を守れる力が欲しい。そんな私の願いが、この強靭的な力を生んだのかもしれない。
その結果、恭弥との距離を離してしまうことになるなんて、本当……馬鹿だな、私。
「きゃっ!!」
足元の段差に躓き、そのまま倒れ込む。黒節の辺りを痛めたらしく、上手く立ち上がることができない。男達が追いつき、私を囲む。
***
「香奈!!」
俺は香奈の名を叫ぶ。すると、男の一人が額に血管を浮き上がらせ、俺の方を向いた。しかし俺は怯まず、香奈の元へ駆け寄る。
「香奈、大丈夫か……?」
「うん……でも、大丈夫だよ……」
香奈は冷や汗を滲ませながら、無理に笑顔を作る。そんな香奈の視線は、痛めた右足に向けられる。
「……足、痛めたのか?」
「……うん、でも少し捻っただけだから……」
香奈は俺に心配させまいと平然を装う為に立ち上がる。しかし、やはり足が痛むのか、直ぐに座り込んでしまった。
「てめぇら、香奈に何しやがった」
俺は怒りを露わにし、男を睨み付ける。
「まだ何もしちゃいないよ、まだな」
男は身長180センチはあろう長身で俺を見下ろすと、にやりと不気味な笑みを浮かべる。そして、――ドスッ。
男のボディーブローが腹部を抉る。呼吸が出来ず、その場に蹲る。
「恭弥!!」
香奈は恭弥に駆け寄り、涙を浮かべる。そして、ぐっと拳を握ると、男を睨み付けた。
「なんだ、やる気か女ぁ?」
男は凄まじい形相で香奈を睨む。そんな男に、香奈は拳を突き上げる。
「やめろ、香奈!!」
俺は香奈の腕を掴むと、ふらふらと香奈の前に立つ。
「はっはっ、カッコいいねぇ~彼氏さん。ほら……構えろよ」
パンチングポーズを取りながら、男は俺を煽る。俺は「ぺっ」と唾を吐き出すと、男に向かい合う。
「……恭弥」
「下がっててくれ、香奈……」
俺はギロリと男を睨み付け、拳を振りかざす。しかし、俺の攻撃は虚しく空を切り、男のワンツーが顔面にヒットする。口内が切れ、口の中一杯に鉄の味が広がる。俺はフラフラと後退さるも、踏みとどまり、もう一度男に殴りかかる。しかし又もや攻撃は当らず、男の強烈な一撃が頬を貫く。血を吹き出し、その場に倒れ込む。
「――恭弥……恭弥!!」
香奈の声が聞こえる。
――守らないと。
――ブー、ブー……。
ポケットの中が振動する。
ポケットに手を入れ、携帯を掴み上げると、口元に付いた血を拭い、立ち上がる。
「ほぉ、まだ立つか、中々根性があるじゃないか、だが、これで終わりだぁぁぁあ!!」
「……オープン」
時間が止まり、男の拳が目の前で停止する。そして、目の前に3つの選択肢が表示された。
――1 右に避け、カウンター
――2 左に体を捻ってボディーブロー
――3 攻撃を華麗に躱してラリアット
「たく、ホント無茶ばかりするマスターデす」
「……ほっとけ」
「……まぁそこが良い所でもありマすけど(ボソッ)」
「何か言ったか?」
「何でもねーデすよ。それより、選択肢は決まりましたか?あと10秒デす」
「あぁ……決まってるよ」
俺は不敵に笑って選択する。
時間は元の動きを取り戻し、男の拳が迫る。
「死ねぇぇぇぇぇえ!!」
男の勝ち誇った雄叫びに、ニヤリと口元を吊り上げ、俺はバックステップを踏む。そして、攻撃を紙一重で避けると、その隙だらけの顔面に、容赦なく右腕を叩きつけてやった。
ドスッ――グべチッ…………。
男の巨体は後方へ倒れ、ぴくぴくと痙攣する。子分のチャラ男二人は、「あっくん!!」と男の名を叫び、「おぼえてろよ~」とか、いかにも小物臭いセリフを残して男を担いでこの場を去った。
――一瞬の沈黙。
俺は、はぁはぁと肩で息をすると、香奈の方を振り向き、ニッと笑ってピースする。
「きょうや……きょうやぁぁぁ!!」
香奈は俺の腕の中に飛び込む。そして、「怖かった、怖かったよぉ」と涙で濁った声を俺の胸に吐き出す。俺はそんな香奈の頭を優しく撫でながら、片方の手で香奈の肩を抱いた。
赤や青、黄色や紫など、色とりどりの電飾が二人を包み込む。
――そして、この物語は終わりを迎えようとしていた。
俺は香奈の膝の腕に頭を置き、満点の星空が煌めく夜空を見上げていた。
「やっと分かった……香奈の力の本当の意味……」
「……え?」
香奈は夜空から視線を外し、俺を見る。
「香奈の力、それは――「勇気」だ。誰かを守りたい、勇気を出して、誰かに何かを伝えたい。そんな思いが集まって、「力」という形で体現したんだ……」
「勇気……?」
「そう……。そして香奈は、力を克服しかけてた」
「克服……しかけてた?」
「あぁ。俺はこの一週間、香奈と一緒に過ごした。そして、何度も何度も……ボコされた」
俺は過酷な日々を思い出し、少し苦い顔をする。そんな俺を見て、香奈は申し訳なさそうに頭を下げる。
「だけど、俺は死んでいない。セーブ出来てたんだよ、力を。」
「……え?」
「それはつまり、香奈自身がもう力に頼らなくてもいいくらい、勇気を持てるようになっていたってことだ」
「私が……勇気を……」
「そうだよ……香奈は強い。俺よりも、誰よりも……昔からそうだった。香奈は皆の中心で、俺はそんな香奈をどこか遠くに思ってた」
「そんなこと……ないよ」
「うんん。そうなんだよ……俺は、ずっと逃げてきた。香奈からも、友達からも、自分じゃない他人から、ずっと、ずっと逃げてきたんだ……。――だから、今度は俺の番だ。」
俺は体を起こし、香奈の肩に手を置く。そして、決意の眼差しで香奈を見据えると、こう続けた。
「俺はもっと強くなる……香奈を守れるように……香奈にもう、涙を流させないために……だからもう、俺を守ろうとか考えなくていい……。俺にお前を、守らせてくれ」
俺は最後まで言い切り、香奈を優しく抱く。
香奈は涙と共に、うんうんと頷くと、ごしごしと涙を拭う。そして、こう言った。
「……ずっと、ずっと信じてた……。初めてあなたと出会った、あの日から……恭弥のことが、ずっと……好きだったよ」
香奈は、自身の顔を近づける。
そして――二人の唇は……交わった。
――ブワァァァァア。
香奈の体から、青白い光が立ち込める。そしてそれは、空中で集まり、球体の形を作っていく。二人の唇が離れ、互いの額を合わせて少し照れ笑い。そして、存在を確かめあうように、二人は手を絡ませる様に握り合う。光を纏った球体は、そんな二人の横をゆっくりと降下していき、二人の顔を照らした。
「……きれい」
香奈はうっとりと球体を見つめる。
「それは「想い石」、誰もが持っている想いの力。そして、マスターが手に入れなければならないものデす」
アリーナの声が聞こえる。しかし、姿は見当たらない。
「――どういうことだ……?」
「さぁマスター、選んでください。」
時間が止まり、目の前に選択肢が表示される。
――1 風峰啓太だったときの記憶を失い、片瀬恭弥として、この物語を続ける。
――2 想い石を掴み、この物語を終了する。
「なんだよ……これ」
俺は目の前の選択肢に、戸惑いの声を上げる。
「書いてある通りデす」
アリーナが現れ、俺を見据える。そして、こう続けた。
「マスターには選択権がありマす。片瀬恭弥として生きていくか、風峰啓太として生きるか……選ぶのは、マスターデす」
アリーナの言葉に、俺の心が揺らぐ。正直、今の俺には分からなくなっていた。自分が、風峰啓太なのか、それとも、片瀬恭弥なのか……。俺の意思とは無関係に、制限時間は、刻一刻と迫る。俺は一度目を瞑り、震える指で一番を押そうとする。そのとき――ふと、頭に「雪本愛唯」の姿が思い浮かんだ。
――気が付いたとき、俺は二番を選択していた。
時間が動きを取り戻し、俺は香奈の手を離す。名残惜しさを感じながら、ポケットに手を入れる。
「香奈……これ」
俺は購入したハート型のペアルックキーホルダーを取り出すと、二つに分かれるハートの片方を、香奈に手渡した。
「これから、大変なことも沢山あると思う。だけど、二人ならきっと乗り越えられると思うから……」
「恭弥……うん」
香奈は涙を浮かべ、うんうんと頷く。そんな香奈を、もう一度強く抱きしめると、香奈を離して一歩下がる。そして右手に持った携帯の空間時計に目を向けると、時計の針がクルクルと狂ったように回っていた。そして針は、ピタリと十二時を指し示す。
「……そろそろ時間みたいだ」
「恭弥……?」
「……香奈――君に会えてよかった」
視界がプツリと途切れ、一面が黒で塗り固められた。
―― GAME CLEAR ――
テロップが表示され、俺の意識が元の体へ帰還する。
これでやっと生き返ることが出来る。平凡な日常が戻ってくる……。
……のウザったいマチキャラとも、もうおさらば。
……あれ?何か泣けてきた……。
俺は感慨深い何かを感じながら、新しい未来に大きな期待を抱きながら、ゆっくりと目を開く。そしてそこには、いつもの日常が広がっている……はずだった。
なのに、そこには……。
「おはようございます。マスター」
アリーナがいた……。
「何故まだお前がいる」
「何言ってんデすか、マスター?」
「何って…………は?」
俺は、壁に吊り下がっている鏡を見て静止する。
いや……そんな……まさか……。
ペタペタと自分の顔を触りながら、さーと血の気が引いて行くのを感じる。そして、鏡に映る、見ず知らずの男は、俺と同じ行動をとっていた……。
「さぁマスター、次も張り切って攻略してきましょ~!!」
「嘘だぁぁぁぁぁぁぁぁぁあ!!」
――どうやらこの非日常は、まだまだ終わってはくれないらしい。