第三話 俺と幼馴染の「御崎」さん。
俺は渋々元来た道を引き返す。
「よかったんですか?ロードを使えばもう一度やり直せますよ?」
「仕方ないだろ、セーブしてなかったんだ(使ったことないけど……)。今ロードしたら始めから、かなりのタイムロスになる。それに、こう言う無駄っぽい選択肢も意外と重要だったりするんだよ……ゲームだと」
「そーゆうもんなんですかね~まぁ私が最後(死ぬとき)を見届けてあげマスよー」
アリーナは、そう言うと俺に向かってナムナムと手を合わせる。
「怖いこと言うな!!」
そんなやり取りをしているうちに、俺達は自宅のすぐ近くまで来ていた。
そして、家の前で立ち尽くしている少女を見つける。
「あれって……」
そこにいたのは、うちの学校のアイドル「御崎香奈」だった。
彼女は家のインターホンを押そうとし、止め、押そうとし……を繰り返し「はぁ~」とため息をつく。
「ごほんっ……おはよう、恭弥。あんたのことだから、どうせ寝坊してるだろうと思って、迎えに来てあげたわよ。なんか違うな~……おはよう、隣のよしみで起にきてあげただけ何だからね……違う、違う!!はぁ~」
あの人は何をやっているのだろう……。
俺は彼女の後ろまで歩き、「よしっ」と言って、もう一度インターホンを鳴らそうとした御崎の肩に手を置いた。
「俺に用?」
「きゃっ……きょ、きょうや……?」
彼女はビクリと肩を揺らし、ゆっくりとこちらを振り向くと、顔を真っ赤に染め上げ、パクパクと口を開け閉めする。
――ピーン……ポーン……。
インターホンが押され、家の中で母親が走る音が聞こえる。
香奈はワナワナと震えるとグッと拳を握りしめる。
「おは、おはおは……おはようバカーーーーーーー!!」
「――へ……?」
――ごほぉっ!!
な……一体、何が…………。
一瞬の出来事で何が起こったのか理解できない。
それでも俺の体は、宙で複雑怪奇に踊ると、3、4m程先の塀に激突した。
「はーい……あら、香菜ちゃん大きくなってぇ~それと恭弥、あんたはそんな所で何をやってるの?」
ガチャリと音を立てて玄関が開かれる。母親は、玄関から顔を出し、御崎に挨拶すると、寝転がっている俺を冷めた目で見た。
「俺にも……何が何だか……それよりもお母様……そこの暴力女と俺はどのようなご関係で……?」
地べたに俯きで倒れながら、死にそうな声で答える……。
「忘れちゃったの?香菜ちゃんよ~!小学校3年生まで一緒だったじゃない」
「は、ははは……ツンデレ幼馴染きた~…………」
力なく笑いながら、体を起こし、俺を殴り飛ばした女を見る。
セミロングの肩に掛かる綺麗な黒髪。澄んだ瞳、透き通った肌……そして、男一人をぶっ飛ばしたとは思えない華奢な体。
――美少女は確かにそこにいた。
「……その……恭弥…………」
シュンとして俯く彼女をみていると、心のどこかがざわめく。
俺の中の恭弥が何かを伝えようとしているのだろうか?
ふとそんな事を考えていたとき、
ブルブル……ブルブル……。
携帯がバイブレーションで通知を伝える。
「こんなときに……」
俺は小さく舌打ちして、ポケットから取り出した銀色の携帯を開く。
そのとき、ピタッ―――周りの音が消え、静寂が空間を支配する。
御崎香菜は俯き、今にも泣きそうな顔でスカートの裾を掴み止まっている。
「青春ね~」とか言いながら呑気に傍観を決め込んでいた母親も、手を顔に当てた状態でピクリとも動かない。
「どうなってるんだ……?」
「あれれ?まだ説明してなかったデすっけ??選択肢を選ぶときは、一時的に時間は止まるんデす。勿論、選択リミットと空間時計は通常通り働いていますので、気を緩めてはいけないデすけど」
「だから、そういうことは早く…………は~まぁいい。でも、これは使えるな。会話中に選択肢が送られてきたらどうしようって思ってたけど、これなら怪しまれずに落ち着いて考えられるって訳か……。それで、今回の選択肢は……」
……は?
目の前に現れる文字列を見て、固まる。
――1 私はあなたの犬です!!っと言って三回くらい回ってワンと鳴く。
――2 上半身裸になって昔話をする。
――3 「これで勘弁してくれ」と言って、自分が履いてるパンツを手渡す。
ヤバイ……落ち着いて考えても、正解を導き出せない……。
どうする……どうする、どうするんだ、俺!!
「マスターここは男らしく腹をくくりましょう!!」
「おまっ……他人事だと思って……」
携帯とアリーナを交互に見ながら項垂れる。
でも、こうしていても埒があかないのも確かだ。
残り時間もあと30秒を切っている。
ここは……。
「……よし……セーブしよう」
俺は携帯のメニュー画面を開き、セーブを押す。
――データをセーブしています……データをセーブしています……データを
――セーブが完了しました。
「ふーこれで安心だ~」
「マスター、セーブは出来てもまだ選択は出来てませんよ!選択しないとゲームオーバー、お忘れですか!?」
――そ、そうだった……。
残り時間は……2秒!?
ヤバい、ヤバイ、ヤバい――!!
「もう、なんでもいい!!」
適当な選択肢に触れ、空中に表示された決定キー押す。
――3「これで勘弁してくれ」と言って、履いてるパンツを手渡す。
あっ……ヤバイ。
一番あり得ない選択肢を選んでしまった……。
「恭弥……私のこと……忘れちゃった?ねぇ何か言ってよ……」
時間が動き出し御崎が顔を上げて俺に問う。
どうする……やるのか……本当に?
いや、いや、いや、流石に無いだろ、ここは、ロードしてやり直しを……。
ん……?
俺は右手で携帯を操作し、メニュー画面を開く。そして、ロードの所にカーソルを持っていこうとするが、そこをスル―して、その下のセーブにカーソルが動く。よく見てみると、ロードの文字が灰色で表示されていた。
「駄目でスよマスター。一度選択したら、それを実行するまで、ロードは使えません」
……マジすか。
「本当デス」
な――どんな罰ゲームだ……。
冷や汗をダラダラと孜々たらせながら、強張った表情を御崎に向ける。
「恭弥、どうしたの?顔色も悪いし、変な汗掻いてる……まさか、さっき殴っちゃったから!?」
彼女は心配そうに俺に迫ると、ポケットからハンカチを取り出し、俺の額の汗を拭う。
「ごめん……だい、じょうぶだよ……それよりさ……」
覚悟を決めろ俺!!
「すみません、君のこと全く覚えていません!!だから……これで勘弁してください!!」
バサッと腰から下の装備を脱ぎ払い、俺の男の子が世にさらされる。空気が凍り付き、目の前にいる御崎がワナワナと震えだす。
――そしてその後、俺がどうなったのかは、誰も知らない……。
――ゲームデータをロードします。
――Now Loading…………。
――Now Loading……。
――ロードが完了しました。
視界が開けていく。神々しい光が眼球を刺激し、俺は目を細める。
光の中に、誰かのシルエットを見た。頭の上にリング、背中に翼……まるで……。
「神です」
「……へ?」
「だから神なのです」
光が弱まり、シルエットの人物が鮮明に視界に映し出される。
頭にリング、布を纏い、背に付いた翼で宙を浮くその人物は――幼女だった。
ついでに、纏っている布から、ウサギ柄のパンツが見え隠れしているのは、仕様なのだろうか?いや、今はそれよりも……。
「君、迷子?どこの保育園の子?」
ナチュラルに頭に浮かんだ言葉を口にする。
「な……!!神に向かって無礼じゃないかー!!これだから人間は嫌いなのです!!」
幼女は顔を真っ赤にして怒る。しかしその姿は、どっかどう見ても幼女だった。
「ごめん、ごめん。君があまりに幼女だったからさ……それで、お母さんと、お父さんはどこ?お兄ちゃんが連れてってあげるよ」
この言葉、文章で書くとどうしてこんなに犯罪チックなんだろうか?
「幼女言うなです!!それに、神に親などいないのです!!」
「神ねぇ~最近はそういうのが流行ってるんだ~」
微笑ましく目の前の幼女を観察しながら、頬を緩めている俺は、傍から見たらかなりヤバイ奴に映っていることだろう。
「全く話が進まないのです……愛唯は何でこんな男の為に……」
幼女はふて腐れた顔をしてボソリと呟く。
「何か言った?」
「何でもないのです!!それより、時間がないので本題に入るのですよ。」
幼女は疲れた顔でふぅと深呼吸をすると、こう続けた。
「こちらの不手際で、あなたと片瀬恭弥の記憶のリンクが不十分なことが分かりました。
なので、これからあなたに、片瀬恭弥の記憶を送信します。少し痛みがありますが、我慢してくださいね~」
幼女は小さな指を俺の額に乗せる。すると、バチッと静電気のような電流が走り、脳に痛みが走った。情報が流れ込む。瀬藤恭弥という人物の過去のメモリーがグルグルと渦を巻き、俺の中に吸収されていくのが分かる。その中に、御崎香奈との記憶があった。そして、全てがリンクしたとき、俺の中に、幼い頃の恭弥と香奈の思い出が鮮明に映し出された。
――あれは5年前の事だ。
太陽の日差しが燦々と照り付ける夏の午後、泣き止まない蝉の声を聴きながら、公園のブランコで一人寂しく遊んでいた。
この頃、片瀬恭弥という少年に、友達と呼べる人間は一人もおらず、近所で仲良く遊ぶ同年代の子供たちを、どこか羨まし気に眺めているような、そんな暗い子供だった。そして、そんな毎日に虚無感の様なものを感じていた今日この頃。
――俺はあの子に出会った。
「ねぇ、一人で何してるの?」
少女は俺と同い年くらいで、長い黒髪を二つに縛っていた。紫外線で焼かれた小麦色の肌は、活発的な彼女を深く印象付けた。
「……ブランコ」
「ふーん、楽しい?」
「割と……」
「ねぇ、一緒に遊ぼうよ!!」
そう言って俺の手を引く彼女の手は暖かく、俺は自然と笑顔になれた。
彼女との思い出は次第に増えて、彼女という存在は俺にとって、掛け替えの無いものになっていった。
――そんなある日。
俺はいつもの様に、香奈が待つ公園へと向かっていた。そして――あの事件は起こる。
「――止めて!!」
公園の方から、香奈の悲鳴が聞こえる。急いで声の方に走ると、柄の悪い高校生くらいの男達に、香奈が囲まれていた。どうやら、一人でボール遊びをしていて、男の一人にボールを当ててしまったらしい。近くには血の付いた野球の硬球が転がっていた。
「てめぇマジでムカつくな!!ぶっ殺すぞ!!」
男は、大人げなく香奈に怒鳴りつける。そしてその手には、物騒なナイフが握られていた。俺は急いで香奈の元まで走り、彼女の手を掴んで逃げた。だけど、高校生の足に小学生が敵う筈もなく、俺達は捕まった。
――それからのことは、よく覚えていない。
気が付くと俺は、ベッドの上で寝かされていた。全身を包帯でグルグルと巻かれ、まるでミイラのようになっている自分に笑った。そして、香奈がボールをぶつけてしまった男達は、少年院から出てきたばかりの、ここらで有名な不良グループだったらしく、この事件で、再度少年院へと送られたそうだ。何よりの幸運は、怪我をしたのが俺一人で、香奈は無事だったということだ。俺は、彼女を守ることが出来た。それが……とても嬉しかった。
それから三ヵ月、俺は病院で過ごした。けれど、御崎香奈が病院を居訪れることは、一度もなかった……。
そして退院の日、俺は母から告げられる。
「――恭弥、由美。急なんだけど、お父さんの仕事の都合で都内の方に引っ越す事になったのよ……友達と離れることになって寂しくなると思うけど、我慢してね」
本当に急なことだった。引っ越しは一週間後。時間は早々と過ぎ、彼女に別れを言う間もなく、引っ越しの日はやってきた。俺は彼女を探して走った。林を抜け、いつもの公園にたどり着く。だけどそこに、御崎香奈の姿はなかった。あったのは、破損したブランコだけ……。
あれから5年の月日が経つのは早かった。父の仕事の都合でまたあの街に引っ越すことが決まり、俺は内心舞い上がっていた。だけど、現実はそんなに甘くはない。彼女は変わってしまっていた。きめ細かな白く輝く肌、すらりとしたスタイルの良いシルエット、顔立も整っていて、本当の美少女になっていた。そんな彼女を見て、俺は立ち竦む事しか出来なかった。彼女も、俺に何かを言おうとするが、押し黙ってしまう。そんな彼女に、何も言うことが出来ない、そんな自分が……本当に嫌で……。
「神様……どうか俺と香奈を、昔の関係に――戻して下さい。」
だから俺は、神に祈った――。
イメージはそこで終わった。
俺はゆっくりと目を開き、自称「神」の幼女を見据える。
「どうでしたか?少しはあなたのやるべきことが分かったのではないですか?」
「あぁ」
「そうですか、ならもう言うことは何もないのです。行きなさい、そしてこのゲームを終わらせるのです」
「最後に一ついいか?」
「何ですか?」
「その服、子供パンツが丸見えだぞ」
「なっ!!」
俺はキーキー騒ぎ立てる幼女に背を向け、扉を開いた。視界が暗転し、俺の意識が元の場所へと帰還する。そして、自称「神」とのやり取りは、俺の記憶から完全に消失した。
視界が開け、俺の目の前には御崎香奈の姿があった。
どうやらロードは成功したようだ。
だけど、何だろう……さっきまでと違い、風峰啓太としての自分が、酷く遠く感じた。
「……その……きょうや…………」
先ほどと同じセリフを彼女が呟く。
そんな彼女を見ていると、心が騒めく。でもさっきまでとは違う、これは正真正銘……俺の気持ちだ。ポケットの中の携帯がバイブレーションで通知する。俺は携帯を開き、目の前に表示された選択肢を見て、不思議な気分になった。
「どうしたんですか、マスター?」
「いや……何て言うか……分かるんだ。こいつの……恭弥のことが……」
そう、前回とは違い、この選択肢に違和感を感じない。寧ろ、当たり前のようにも感じる……何が起こったんだ?
「あぁ、それは記憶の同期が行われたからデすよ」
「記憶の同期?」
「はい。そういえば、あそこでの記憶は消されてしまうのデしたね。説明すると、マスターと体の持ち主、恭弥さんの記憶を統合、つまり、恭弥さんの記憶をマスターの中に移植したんデすよ」
「統合?移植?じゃぁ、つまり……」
「はい、今のマスターは風峰啓太である前に、片瀬恭弥でもあるということデす」
――色々ぶっ飛んでやがる。
俺は苦笑を浮かべ、選択肢に向き直る。
「さぁマスター、ちゃちゃっと終わらせちゃって下サい」
俺は「ファイト~」と煽ってくるアリーナに背を向け、選択肢に手を伸ばす。
分かる――俺の選ぶべき選択肢は……。
――2 上半身裸になって昔話をする。
……これだ。
2番を選び、決定キーを押す。停止していた時間が進み出し、止まっていた御崎が動きを取り戻す。
「御崎……いや、香奈。これを見てくれ……」
俺はYシャツのボタンを外していき、バサリと脱ぎ払う。そして香奈に、自身の背中を見せた。そこには、無数の傷と、肩甲骨から腰まで伸びた、抉られたような大きな傷が刻まれていた。香奈は目を丸くすると、表情を曇らせる。
「恭弥……それ」
「あぁ、五年前の……あの時の傷だ」
「ごめんなさい……ごめんなさい……ごめんなさい」
香奈はわなわなと震え、その場に崩れる。
「香奈……聞いてくれ、俺は――嬉しかったんだ」
「……え?」
顔を上げ、香奈は涙を溜めた目で俺を見る。
「あの頃の俺は、弱くて、臆病で、香奈と出会うまで、ずっと一人だった……」
「そんなこと……ないよ……」
「いや、そうなんだ……俺は香奈に救われた……だから俺、嬉しかったんだ。香奈に守られるだけの存在じゃなく……香奈を守れる存在になれたことが」
「きょうや……」
二人の視線が交じり合い、胸が高まる。そして自然に、互いの顔が近づいていく。母親は、あらあら~と嬉しそうな顔をし、「邪魔者は退散、退散~」と楽しそうに呟きながら、家の中へ入っていった。というか、お母さん。まだ居たんですね……。
「――やっぱり駄目!!」
香奈は俺の顔をグイッと押すと、横を向く。そして、ガクガクと震える肩を抱えた。
「ど、どうしたんだよ……なんで震えて……」
俺は、おどおどと彼女に歩み寄る。しかし彼女は「嫌っ!!」と小さく悲鳴を上げると、俺から離れ、立ち上がる。そして「ごめんなさい」と小さな一言を残し、背を向けて走り去った。
「……え?」
「あ~あ、マスターがあんなに強引に迫るからデすよ~」
アリーナが、ひょっこり俺の肩から顔を出す。そして、肩に座ると、ツンツンと俺の頬を突いた。
「うるせぇな……でも、そうなのかな……」
「まぁ~まだまだチャンスはありますって!!張り切っていきましょ~~」
能天気に拳を掲げながら、アリナーナは俺を励ます。でも、俺はさっきの香奈とのやり取りに、違和感の様なものを感じていた。
「とりあえず、俺も学校行くか……」
時刻は8時30分、今からだとギリギリ遅刻するか、しないかの瀬戸際だ。俺はもやもやとした気持ちを抱えたまま、学校へ続く道を歩き始めた。
―― 1 学校へ行く。