第六話:下山、その道中にて
季節は秋になり、山小屋の周りは見惚れるほどの紅葉に覆われていた。
夜の冷え込みも日増しに厳しくなり、最近では布団から出るのに勇気を振り絞らなければならない。
あの山猿襲撃事件があってから、それ以降の襲撃はなく、山小屋での生活は今までどおりの平穏な毎日に戻った。
俺はといえば、盗まれた干物の穴埋めをするために釣りを優先し、結局狩りには行かずじまいだったのが悔やまれるところだ。
俺と遥の関係も、服を洗ってくれる以外は今までどおりに戻ってしまったのがもどかしい。
遥にパンツを洗ってもらおう計画は、脳内だけの妄想になってしまった。
いざというときはそうでもないと思いたいが、どうにも俺は恋愛ということに向いていないらしい。
よく言えば奥手な性格であり、実のところは甲斐性がないだけなのだが。
そして、”気”の修行の成果は?
といえば、嬉しいことに遥曰く一般人と遜色なしだそうだ。
実をいうと、俺は遥やヒカル爺に隠れてあることの特訓をしていた。
完璧に操れるようになるまで、言うつもりはないその特訓とは。
ズバリ、”気”を使った飛行訓練である。
今の段階では、自由に飛行することはできない。
しかし、どうにかこうにか体を浮かせることはできるようになった。
聞いたわけではないが、遥もヒカル爺も”気”で空を飛べるなんてことは一言も口にしなかった。
おそらくだが、一般的に人は飛べないのだろう。
そうなると、自由自在に空を飛べるようになれば、二人を驚かすには十分なことだと俺は思うのだ。
だからこの訓練は、今はまだ秘密にしておこうと思っている。
寝起きの運動がてらに、遥とともに山を下りる準備を終えたばかりの肌寒い朝。
朝食の準備をはじめた彼女を横目に、ヒカル爺が聞いてきた。
「荷車の準備はできとるか?」
「完璧っす。さっき積み込みも終わったし」
狩りで蓄えた獲物の肉と毛皮、ツノ、俺がせっせと作った干物、それに、遥やヒカル爺が暇を見つけては集めていた干し薬草や干しキノコを、荷車で街まで運ばなければならない。
いつもは遥が先に山を下り、助っ人を二、三人呼んで荷車を引いているらしいが、身寄りのない俺を世話してくれたお礼ということで、荷車の牽引を買って出たのだ。
遥曰く扱いが一般人レベルまで上達したという、有り余る”気”を使えば、荷車を街まで引いていくことなど、俺一人でできるはずだ。
朝に積み込みを終えた今日一日は、知っておいた方がいいこの時代の常識とやらを、遥を講師に学ぶことになった。
というか、俺からお願いして学ばせてもらった。
そして分かったことは。
富士大公国には厳しい身分制度があるということ。
これは俺が厳しいと感じたのであって、遥が厳しいと表現したわけではない。
遥曰く、他国に比べれば身分格差は小さいらしいが、話しを聞いた限りでは厳しく思えたのだ。
文明レベルは、聞いたかぎり明治の後半程度で、電気はあるが一般家庭へは普及していないということ。
乗り物も車やバイクが使われているが、それは貴族や軍、富豪しか所有しておらず、ほとんどは馬や馬車だということ。
まあ、馬や馬車にしても、所有している家庭は少ないらしいが。
さらに。
「いい? 軍人とか貴族に逆らっちゃだめだからね。特に貴族には注意して」
命の危機に瀕したとき以外は、貴族や軍人には逆らわないこと。
貴族の見分けは、服装が豪華なのもそうだが、一番は帯剣しているかどうかで、軍人も帯剣しているが、彼らは軍服を着ているのですぐに分かるらしい。
平民というか一般人の帯剣は法律で禁止されているそうだ。
ということだった。
遥のありがたい講義が終わり、山小屋での今年最後の豪華な夕食を食べたあと、ヒカル爺が懐からもぞもぞと、あるものを取り出した。
「手持ちがないと心もとないじゃろ」
そう言って渡してきたのは、アラビア数字が浮き彫りにされたアルミと銅、それに銀の小板だった。
厚さ一~二ミリで二センチ×三センチくらいの長方形をした小板には、数字の上に五ミリ角の小穴が開いていて、その穴にヒモを通してまとめてある。
「これ、お金っすか?」
「まぁ、そんなもんじゃ。小遣いだと思えばいい」
数字を合計した金額は、千二百円。
この時代に来る前の金額に換算すれば約一万二千円だった。
多すぎず少なすぎず、小遣いとしては妥当な金額だろう。
しかし。
「何もしていないのに、お金なんて貰えないよ」
「年寄りの施しは受け取っておくもんじゃ。それに小遣いと言ったろう。小遣いは対価とは別じゃよ」
「そうよ、空。貰えるものは貰っときなさい」
こうまで言われたら、断るのはかえって失礼なのだろう。
そう考え、俺はヒカル爺の善意を受けとることにした。
「分かった、貰っておくよ。ありがとうヒカル爺。大切に使わせてもらうよ」
こうして、ヒカル爺から小遣いをもらった俺は、山小屋最後となる眠りに落ちたのだった。
明けて翌朝。
俺たち三人は、食材と身のまわりのものを満載した荷車を引いて山小屋を後にした。
紅葉に埋め尽くされた木々を両脇に見て、見たことも無いような大きさの荷車を俺は引いている。
四トントラックの荷台ほどはあるだろうか。
積んでいる重量はそれよりも多く、ヒカル爺曰く七、八トンはあるだろうということだった。
それほどの重量があるにもかかわらず、今の俺は余裕で荷車を引けているのだ。
路面は舗装されていないむき出しの泥道だが、重いとも感じないし、歩きにくくもない。
ただし、山道はほとんどが下りなので、正確に言うと引いているというより、支えていると言った方がいいのかもしれない。
そして、俺が感じている重さは、旅行に行くときのトランクケースを引いているような感覚だった。
”気”の力おそるべしということだろう。
ひとつ驚いたことといえば、荷車の荷台や車輪は木製だが、車輪の軸受けに鉄のベアリングが使われていたことくらいだ。
ベアリングを造る技術がこの時代にあるとは驚きだった。
回転を支える鉄球に真球度は、ミクロン単位だった気がする。
そんな技術が今の時代にあるのだろうか?
さらに面白いことに、”気”が存在するこの時代では、金属製の道具よりも、木製の道具の方が強度が出る場合があるらしい。
今俺が引いている荷車がまさにそれであり、これほどの重量を積載しても大丈夫なのだそうだ。
「ところで空、やりたい仕事は決まったの?」
俺の横を歩く遥が問いかけてきた。
ヒカル爺は、年寄りに歩かせるつもりか、と、荷車の後ろに座ってゆっくりと流れゆく紅葉を満喫している。
別に気にはならないが、いいご身分なことだ。
「まだ決めてないんだよね。街に着いて落ち着いたら考えるつもりだけど」
「そういえば、どんな仕事があるか何も聞いてこなかったもんね」
「今更なんだけどさ、俺でもできそうな仕事って、何かある?」
しばらく考えていた遥がポツポツと話しだした。
「そうねぇ、とりあえずは、あぶれることがない土木工事みたいな力仕事かな。あとは…… 木こりとか発掘師くらい?」
「発掘師?」
聞きなれない言葉に、俺はオウム返しで聞き返していた。
「ディガーとも言うわ。坑道を掘って地下に潜って神話の時代の遺物を掘り起こすの」
「遺物?」
「お金に使われるアルミとか銅、神話の時代に使われていた機械部品とかガラスとか鉄とかかな。ギャンブル性高いけど、一発当てれば大金持ちよ。当てれればだけど……」
「そんな仕事があるんだ」
「そうね…… この荷車の軸受けも発掘品よ」
このときすでに、俺の耳には遥の声が届いてはいなかった。
それは、遺物の発掘という、まさに俺好みの宝探し的な天職のごとき仕事があることが分かったからだ。
言うまでもないが、宝探しは男のロマンだ。
この話を聞いた瞬間に、俺のやりたい仕事は決まった。
即断即決である。
「やりたい! 遥、その発掘師に俺はなるぞ」
「………… 好きにすればいいわ。お勧めはしないけど」
遥が少し渋そうな顔をしているが気にしない。
地下に眠る財宝を探し当てる。
しかもそのヒントになる当時の情報を、俺は持っているのだ。
お宝はアルミや銅、機械部品などで、金銀財宝ではないが、この時代では価値あるものだ。
豊田市が鉱山だということも納得できた。
あそこには自動車の工場や、その部品を製造する関連施設が、いたる所にあったのだから。
それに、工場じゃなくとも大きな施設があった場所は覚えているし、豊田だけではない。
東京の位置を割り出せれば、そこには計り知れない財宝が眠っているはずだ。
トレジャーハンティングとして考えれば、どこに何があったかある程度覚えている豊田よりは、東京のほうが断然ロマンがあるだろう。
というか、東京に眠る宝を探さずして何が男か。
と、声を大にして叫びたいほどだ。
少ないヒントをもとに、財宝を掘り当てるという醍醐味をあじわうことはできないかもしれない。
しかし、ほとんどがハズレな宝探しと違って、東京にしろ豊田にしろ、確かにそこにあったという情報というか記憶が俺にはある。
これは絶大なアドバンテージなのではなかろうか。
俺ほどこの時代の宝探しに向いている者はいない。
そうとしか考えられなかった。。
「遥、その発掘師になるにはどうすればいいんだ?」
「街に発掘師協会の事務所があるから、連れてってあげるわ。詳しいことはそこで聞いてね」
「ありがとう、ありがとう遥」
あまりに嬉しそうにはしゃぐ俺に、遥はほだされてしまったのだろう、「目標が見つかってよかったね」と、笑顔を向けてくれた。
休憩を挟んで延々と山道を歩き続け、辺りが暗くなりはじめた。
さすがに一日荷車を引いて歩き続ければ息は上がるが、そのおかげで、冷え込みはじめた空気が心地よく感じられる。
「もうすぐ着くわ。頑張って、空」
道中、遥に聞いたところ、街までは一泊二日の距離らしい。
要するに今夜は野宿だ。
そして、野宿する場所が近いと遥は言っているのだ。
「大丈夫、まだまだ平気さ」
と、荒い息づかいで強がってみたが、さすがにそろそろ休みたい。
そう思っていたところに、森が開けている場所が見えてきた。
右側は森だが、道の左側が開けており、その向こうは崖のようだ。
これで休める。
そう思ったときにヒカル爺が荷台から降りてきた。
「一人でよう頑張ったの。野営の準備はワシと遥でやるから、お前さんは休んどれ」
「ふぅ、そうさせてもらいます。夕食は俺の干物を使ってください」
荷車を開けた場所にとめ、労いの言葉をかけてきたヒカル爺と遥にあとをまかせた。
俺は息をととのえながら広場の端、崖のふちまで行って壮大な景色を堪能する。
眼下数十メートルに見える切り立った崖のふもとから、正面の遠い山肌にかけて紅葉した木々が覆いつくし、沈みゆく夕陽に赤々と燃えていた。
「ふんっ、んーっ!」
重い荷車を引き続け、綿のように力が入らなくなった両腕を天に向けて盛大な伸びをする。
明日は筋肉痛かな。
そんなことを考えながら、暗くなるまで景色を堪能した俺は、後ろから聴こえてきたパチパチと薪が燃える音と、香ばしい干物の焼ける匂いに誘われるように遥たちのもとへと戻った。
「もう少し待ってね。もうすぐ焼けるから」
陽はとうに沈み、煌々と炎に照らされた干物からは、ジリジリと焼けていく音とともに油がしたたっていた。
それが燃えることでさらにいい匂いが漂い、否が応でも食欲を掻きたてていく。
ついさっきまで、疲れて食欲なんてなかったはずなのに、干物の焼けるこの香ばしい匂いを嗅ぐと、なぜだか俄然食欲がわいてくるのだ。
火にかけられた鉄なべからも、食欲をそそる匂いが漂ってくる。
なべの中身は、移動の途中で遥が集めた山菜と、大鹿肉の味噌スープだ。
味噌汁ともいう。
「もういいかな」
そう言って遥が味噌汁をお椀に取り分け、竹の皮に包まれたおにぎりと共に渡してくれた。
「はい、熱いから火傷しないでね。こっちはお爺ちゃん」
色あいよく焼けた干物をハフハフとほお張り、おにぎりにかぶりついては味噌汁をすする。
その美味さといったら、たとえようのない絶品さだった。
普段山小屋で食べる食事も美味いが、それよりも段違いに美味い。
「こういうところで食べる夕飯は、格段に美味いっすね」
「それはお前さんが荷車を引いてきたからじゃろ。季節とこの肌寒さも関係しとるかもしれん」
「お爺ちゃんは美味しくないの?」
「いやぁ、美味い。美味いぞぉ、遥」
少し怒気を含んだその問いかけに、ヒカル爺は慌てたように取り繕っていた。
和気あいあいとした夕食も終わり、充実した満腹感を満喫するかのように会話が弾む。
しかし、その会話もいつしか途切れ、夜風のささやきがほてった体を優しく包み込んでいった。
「そろそろ寝ましょう。襲われないように空は”気”を解放してくれるかな? それとこれ」
「うん、ありがとう」
遥に言われたとおり、獣除けの”気”を解放する。
渡された厚手の布を体にまとい、その上から毛皮をかけ、荷車に背を預けて座り込んだ。
満天の星空を見上げながら、そのなかに見つけたWの文字、カシオペア座を見るにつれ、ここが日本であることを俺は再認識する。
まだ、山の中しか知らないが、遥の話を聞くかぎり、ここは俺の知る日本ではあるまい。
明日街に出れば、それを実感することになるのだろう。
そんな大きな期待と少しの不安を胸に、俺は眠りに落ちた。