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第五十六話:妖魔討伐作戦その五


 御堂虎次郎は出現した妖魔の圧倒的存在感に、絶望感を通り越して思考停止に陥っていた。

 カテゴリー四の大爪熊が小さなおもちゃのように持ち上げられ、まるでおしゃぶりをしゃぶるかのごとく”妖気”を吸い取られていくさまは、そのヒルを思わせる妖魔の巨大さとグロテスクさも併せて、異次元の存在を思わせるものだった。

 虎次郎はこの絶望的状況から逃げ出そうということも、大爪熊にえぐられた腹の傷からの止血もわすれ、ただその圧倒的存在から目が離せないでいた。

 そしてそれが、彼の運命を決定づけることになった。


 虎次郎は気づけなかった。

 尻餅をつく形で触れているその大地が、ヒル型の妖魔からにじみでた妖しく禍々しい超高濃度の”妖気”で覆われていたことを。

 超高濃度の”妖気”は、虎次郎の体に徐々に、しかし確実に浸透していった。

 腹の激痛さえ忘れさせる妖魔の圧倒的存在感は、彼が内包する”気”が”妖気”よってかき消されていく感覚さえも奪い去っていた。


 失血で土気色をしていた虎次郎の顔が次第にどす黒い紫へと変色していった。

 同時に、彼が持っていた人としての感情や感覚もかき消されていった。

 腹の激痛は消え去り、”妖気”を求める欲求が芽生えていた。

 そう、虎次郎は気づけないままに妖魔化してしまったのだ。


 高かったプライドは消え去り、本能に従って虎次郎は動いた。

 妖魔化してしまった彼にとって、今一番の脅威は眼前にそびえる巨大な妖魔だった。

 虎次郎は本能に従い、脅威の前から逃亡することを選んだ。


 妖魔は、”気”をもつ存在に対しては自らの命を顧みずに攻撃行動にでるが、格上の同族に対しては逃げるか付き従う。

 彼にとって、眼前の妖魔は圧倒的な格上であり、逃げるべき脅威だった。

 むくりと立ち上がり、脱兎のごとく西、つまり富士山跡地の中心部へと走り去った虎次郎の人としての人生は、この時代に人々にとって最も忌み嫌われる、みじめな形で終焉を迎えたのだった。



 ◇◆◇◆◇◆◇◆



 一花たちのもとから飛びたった俺は、南西へと飛びつつ”気”のレーダー網を広げて取り残されたりケガをした兵士がいないか探ってみた。

 結果、何人かの兵士が岩陰に隠れていたり、ケガをして動けなくなっていたのを確認するに至った。

 予備役兵たちに誘い出された妖魔の集団は、分散して前線に向かっているようだったから大公国軍の正規兵がなんとかしてくれるだろう。

 一花にそのことだけを報告し、俺はケガ人の救出に向かうことにした。

 その途中、西の方に強力な”妖気”を察知したが、反応はほとんど動いていないし、今はケガ人を救出する方が先だろう。


「立てるか?」


 青ざめた顔で両手を地について上体だけを起こし、ガタガタと震えている兵士が顔を上げた。

 空中から突然話しかけられたからだろうか、兵士はポカンと口を開けて固まってしまった。


「もう一度聞く。立てるか?」

「……こ、腰が抜けて立てません」

「じゃあケガをしてるわけじゃないんだな?」

「は、はい」

「このへんにもう妖魔はいないから向うに一人で逃げろ。俺はケガ人を運ばなけりゃならん」

「そ、そんな……」


 ケガをして動けなくなっていると思って声をかけてみたら、腰が抜けているだけだった。

 紛らわしいことこの上ないが、若い予備役兵だということは、強い妖魔との戦闘経験などなかったのだろう。

 腰が抜けるのも不思議なことじゃないのかもしれない。

 が、五体満足な者にこれ以上構っている暇はない。

 すこしかわいそうな気もするが、自力で帰還してもらうことにしよう。


 絶望的な顔で追いすがるように片手を空に伸ばした予備役兵を置き去りにして、俺は再び空へと舞い上がった。

 ”気”を頼りに生きている兵士を空中から識別し、生きていれば鎧をつかんで安全な場所に運ぶこと十数回にしてようやくケガ人の救助が終わりを告げた。

 一度に二人までしか運べないから効率が悪いが、俺の手は二本しかないのだから非効率なのも仕方がなかった。

 救助の途中、岩陰に隠れている者たちへは安全なルートだけを示し、明らかに死んでいる者はおおよその位置を記憶にとどめておくだけにした。

 遺体の回収は軍に任せればいいだろう。


 最後のけが人を運び終えた俺は、本陣へと向かうことにした。

 一花たちはとっくに妖魔を倒していたようだったから、本陣へと戻っているはずだ。

 そう思って本陣があった場所に飛んでみると、戦線が一キロほど後退しているのが遠目に見えた。

 探ってみれば、一花と遥はその後方にいるようだった。

 ”気”のレーダーを使う俺が、彼女たちを見失うことはない。


「負傷兵の回収ご苦労様です」

「うん。でも、けっこう戦死している人がいたけど、そっちの回収は良いの?」

「ええ、すでに遊撃小隊の者たちが回収に出ています。彼らは新たな妖魔を刺激するようなヘマをしませんから」

「一花ちゃんがそこまで言うなら任せることにするよ」


 正直なところを言えば、遺体回収をしたいとは思わなかった。

 もちろん、遺族の心情は理解できるし、遺体を回収すべきだとは思う。

 けれども、日ごろから死に接することが少ない二十一世紀の学生だった俺には、遺体回収の任は精神的にキツすぎるのだ。

 綺麗な遺体ならまだ何とかなるかもしれないが、中にはかなり損傷の激しい遺体もあった。

 上空から見ただけでも吐きそうになったし、言い方は悪いが、あんなグロいものを持ち運ぶのは俺には無理だ。


 さておき、今後のことを聞いてみれば、一花曰く戦線が例年の位置まで後退したことで、当分妖魔の襲撃はなくなるだろうということだった。

 逃げ帰ったり助け出された予備役兵たちは、一か所に集められて尋問を受けているそうだ。


 軍規違反の首謀者が捕まっていないが、回収された遺体の中に見つからなければ、賞金をかけたうえで、生死不明の指名手配されるということだった。

 もし生きて捕まれば、重大な軍規違反を犯した罪で極刑に相当する永久強制労働刑が待っているらしい。

 首謀者の名は御堂虎次郎というらしく、今回の作戦を発案推進した者であり、俺も一度嫌みを言われたことがあって今でも顔は覚えていた。

 御堂虎次郎は鈴音ちゃんの腹違いの兄でもあるが、今となっては鈴音ちゃん母娘が御堂家から追放されたことが幸いした形になったのは、なんとも皮肉な結果で、他人の不幸を喜ぶわけではないが、胸がすく思いがしたのも事実だった。


 ともあれ、不祥事が起こったことで妖魔討伐作戦は今日をもって中止になったわけだが、これ以上不測の事態があってはマズいので、兵の半数は前線に残し、防衛線を維持するらしい。

 そうなると当然ではあるが、最高責任者の一花は防衛線に残ることになるわけで、引き上げる半数の兵士たちとともに俺が帰るわけには心情的にいかなくなった。

 もちろん一花は帰宅してもいいと言ってくれたが、可愛い婚約者を残してのこのこ帰ることなんてできるわけがない。

 そんなことをすれば、男がすたるというものだろう。

 まぁ俺が残ると言えば、遥も残りたがるのは予想どおりだったが、帰れと無理強いすることもはばかられたので彼女の好きにさせることにした。


 一花が防衛線に残る期間は、明日から一週間程度らしい。

 その間に何ごともなければ、一旦帰投して休暇をとり、その後溜まった事務仕事をかたづけて再び防衛戦に赴くということだった。

 休める期間は少ないが、最近働き詰めの彼女が少しでも休めるということに、俺は少しだけだが安心することができた。

 去年を思い起こせば、妖魔の襲撃は梅雨の時期まで続いたということだったから、一花が防衛線で指揮を執る期間は四月から三か月程度になるはずだ。

 今年は宝玉をたくさん用意できたことだし、彼女の仕事も少しは楽になるだろう。

 そんなことを考えながら俺は就寝までの時間を過ごした。

 ここ最近寝る前はエロいことばかり妄想してしまい、なかなか寝付けなかったが、飛びまわった疲れもあってか、今日は横になると落ちるように寝入ってしまった。


 しかし、朝の目覚めは最悪だった。

 かつて聞いた火事の時に鳴るような鐘の音で跳び起きる羽目になってしまったわけだが、それは敵襲を告げる警戒音だったのだ。

 昨日の話では敵襲は当分ないだろうということだったのに、一体何がどうなったのだろうか?

 うだうだ考えても仕方がないので、というか考え事をしてるる場合じゃないので、俺は速攻で着替え、刀を持ってテントから飛びだした。

 向かった先はもちろん一花のところだ。


「何があった!」


 と、一花の顔を見るなり叫んでしまったが、聞くまでもなく答えは敵襲だった。


「恐ろしく強力な妖魔が出現したわ」

「空、一花様が答えるまでもなくあの鐘の音は敵襲だって教わったでしょ?」


 ひどく冷静に答えてくれた一花に対し、俺より先に駆けつけていた遥のそれはツッコミだった。

 しかし、冷静なツッコミを入れられるようになったということは、遥の精神状態も安定してきたんだな、と、考える余裕が俺にはできていた。

 そんな余裕ができたのも、一花も遥も少しも慌てていないからだった。

 そして余裕が出てきたおかげで、昨日感じた強力な”妖気”の反応を思いだした。

 救助に忙殺されて一花に報告し忘れたのは俺のあいらかなミスだろう。


「ごめん一花ちゃん。実は昨日強力な”妖気”を察知はしていたんだ。でも、ほとんど動いていなかったから報告するのを忘れてた。で、恐ろしく強力な妖魔って?」

「空様は救助に飛びまわって忙しかったのですから気に病まれることはありませんよ。それで、偵察の報告によると、巨大な軟体動物。おそらく中心地で見たアレだと思うのです」

「アレっていうと、あのヒルみたいなやつ?」

「そうだとしか考えられないわ」

「で、どうしてそんなに落ち着いてるわけ?」

「それは私が説明しましょう――」


 俺の問いかけに応えてくれたのは藤崎さんだった。

 なぜ責任者ではない彼が説明してくれたのかと言えば、偵察からの報告を直接受けたかららしい。

 まあ俺としては誰に説明してもらっても、状況さえわかればそれでよかったわけだが。

 さておき、藤崎さんによれば、皆が冷静でいられる理由は妖魔の移動速度が極端に遅いから、ということだった。

 妖魔が発見されたのは今の前線から二キロほど先で、その移動速度は時速に換算して一キロ未満という恐ろしくノロいものだったらしい。


「――ただし、”妖気”の強さから判断すれば、その強さは間違いなくカテゴリー五でしょう」

「もういいわ藤崎、説明ありがとう。私と空様は、上空からですがその妖魔を一度見ています。そしてその異様なまでの強さを肌で感じ取りました」

「うん、アレのヤバさは一花ちゃんが言うとおり今までにないものだった」

「カテゴリー五の妖魔を簡単に倒してしまわれる一花様と空殿がそこまで仰られるとは……」


 俺たちの会話に混ざってきた男は、と言ってしまえば軍議に割り込んだのは俺の方だから語弊があるだろうが、三枝さんという中年にさしかかった将官だった。

 三枝さんは筋骨隆々で体が大きく、真面目そうな、いかにも武人そのままの人だ。


「へぇー、大公国最強のお二人が勝てないと仰るレベルの強さ」


 少しおチャラけた口調のこの細身の中年将官は、菅井さんという人らしい。

 が、彼が言うように勝てない相手か? と、問われれば、それは俺にも分からなかった。

 それに、アイツのヤバさは物理的な強さよりもっとほかのところにあように思えた。


「いや、戦ってみないと分からないけど、アレが出す”妖気”は人が近づいていいレベルのヤバさじゃなかったよ」

「その通りです。同じカテゴリー五の鬼ムカデや斑大カマキリと比べても別格でしたから。あの”妖気”に触れれば三枝中将でも人生終わりますよ」

「おーコワイコワイ。にしても、新種…… なんすよね? なんで今まで現れなかったんだろ……」

「今はそんなことを考えている場合ではありません」

「そうですな。早急に対策を考えましょう」


 会話の流れを変えたというか、軍議に戻したのは凛さんだった。

 そして藤崎さんの言うとおり、問題はこのあとどうするのか? ということだった。

 幸いなことに、俺たちにはまだ議論する時間が残されている。

 報告を信じるならば、あの妖魔が防衛線までたどり着くのにまだ二時間はかかるからだ。


「私がひと当てしてみようと思います。その反応を見て次の手を考えましょう」

「いやいやいや、ちょっと待ってよ一花ちゃん。あの”妖気”は一花ちゃんでもヤバいかもしれない。俺が空中でひと当てしてみるよ」


 報告をわすれていた負い目もあるし、ということで、戦闘役を買って出ることにした。


「そうですな。次期国主たる一花様にもしものことがあってはなりません。軍人でもない空殿にお願いするのは恥ずかしいかぎりですが、飛行できる空殿をおいて、他に適任者はおりますまい」

「藤崎! 空様はどうなってもいいと貴方は言うのですか?」

「いえっ、決してそのようなことは……」

「まぁまぁ、一花ちゃん落ち着いて。藤崎さんが言ってることは尤もなことだよ。俺も一花ちゃんにもしものことがあったら悲しいし、それにほら、空中戦ならヤツの”妖気”に触れることもほとんどないから。それに、いい考えがあるんだ」


 興奮してしまった一花をなだめた俺は、とっさに思いついた作戦を皆に説明した。

 空気より重い”妖気”は上空の離れたところにいる俺には届かない。

 それが作戦の要でもあり、俺が適任者な一番の理由でもある。

 納得顔にはほど遠い一花だったが、作戦自体には賛成してくれて、とりあえずその作戦が実行されることになったのだった。

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