第三十九話:宝玉採掘その六
空が新鮮な刺身を食べたいがためにモリを片手に海に飛びこみ魚群を追っていたころの話。
その北西に位置する山間の深い谷を越えた先に広がる大平野の中心部には、一つの都が、堀に囲まれた大きな石と漆喰のみごとな城を中心に栄えていた。
名を福井城というその城の一室。
そこでは険しい顔をした四人の男がテーブルを囲んでいた。
「では東の谷に増援を送る余裕はないと言うのだな。木原」
「はっ、北の魔の物どもが活性化しておりますゆえ、それを防ぐだけで手いっぱいにございます。陛下」
陛下と呼ばれた男、大洗善之助は、ギリリと奥歯をかみしめた。
善之助が治める福井の国は、周囲を険しい山と海に囲まれた小さな国だ。
国の北部と東部には魔の物と呼ばれる怪異、すなわち空たちが妖魔と呼ぶ存在が湧き出る巣が存在してる。
そこから定期的に湧き出してくる妖魔に対処するため、国の兵力を都の守備隊とそれぞれの巣に対する防衛線として三隊に分けていた。
例年はそれで問題なかったのだが、今年は湧き出してくる妖魔の数が多く、その対処に苦戦を強いられている状況なのだ。
例年ならば梅雨の季節までにカタがついていたが、今年に限って夏を過ぎても妖魔の勢いは衰えない。
兵たちは疲弊し、じり貧に陥っていた。
「ならば仕方あるまい。東の谷には余が出向くことにする。谷の魔の物など蹴散らしてくれるわ」
「なりません陛下! 陛下はいざというときの都の守り。それに、谷に入り込みすぎてヌシが出張ってきたらいかがなさいますか」
ヒョロリと背が高く、病的なまでに白い顔を振るわせて男が唾を飛ばした。
善之助は一瞬考え込むそぶりを見せたが、迷いを振り切るように両の手でテーブルを叩き立ち上がる。
「ぬぅ…… ヌシが出てくれば引けばよかろう。奴の足は遅い。それまでの間に溢れた魔の物など容易く蹴散らせるわ。それに、都には寧々がおれば守りには事かかぬ」
「されど……」
善之助の勢いに押されながらも、色白の男は困惑顔で反論を試みようとしたが……
「ええい、しつこい。文官は黙っておれ。今は国の一大事ぞ! 木原、余とともに参れ」
「はっ」
「高木は寧々と共に都の守りを固めておけ」
「承知」
善之助は、彼の次に武の立つ高木を娘寧々の護衛として城に残し、もう一人の懐刀である木原と近衛数名をひきつれ、城を飛び出したのだった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
モリを片手に飛び込んだ海中は恐ろしく澄んでいた。
海底は底が見えないほどは深くないが、少なくとも二十メートルはあるように感じた。
”気”をある程度使えるようになった今の俺では、万が一にも溺れることはないだろうが、それでも潜水に慣れているわけではない。
海底近くには岩や海藻、その間を泳ぐ大きな魚影も見えるが、そこまで潜ってモリを自在に突くことは難しそうに思えた。
いや、実際に潜ろうとしてみたが、潜れることは潜れても浮こうとする体をうまく操ることができなかったのだ。
実際、俺以外に飛び込んだ兵たちも、底に潜るだけで精いっぱいのようだった。
しかし、しかしである。
――見つけた!
動きの速い魚を深い海底で突くことは今の俺には難しいが、あの獲物なら手で掴むことが出来そうだ。
そう考えて一度浮上し、息を整えてから勢いよく海底まで潜る。
そしてモリではなく素手で獲物を素早くつかんだ。
捕まえた獲物は全長四十センチくらいある赤黒い巨大エビ。
そう、イセエビだ。
背中の部分をむんずとつかんだ瞬間、巨大イセエビは勢いよく何度も尾を丸め込み、凄まじい力で手から逃れようとするが、強化された俺の握力に逆らえるはずもなかった。
俺はロープでイセエビの胴と尾の境目を結んで逃げられないようにすると、岩肌に何匹もくっ付いているイセエビを捕獲していった。
そして、五匹ほど捕まえたのち、空気を求めて陽光がキラキラと射しこんでくる海面を目指した。
と、そこで俺は絶好の獲物をまぶたに焼き付ける。
距離は結構あるが、強化された俺の視力は海面下数メートルに群れる魚の群れを捕えていた。
あれだけ浅い位置に群れているのなら、下からこっそりモリで突けば群れを散らすことなく魚を捕獲できるはずだ。
俺は一旦浮上し、海底の伊勢海老の群れを漁にてこずっている兵士に任せることにした。
捕獲したイセエビを一匹掲げて叫ぶ。
「この下に大きなエビの群れがいるぞ!」
海面に顔を出していた何人かの兵士が即座に反応し、こっちに向かって泳ぎ出した。
それを見届けた俺は、振り返って見えた魚群のおおよその位置を海面から確認する。
水の中では正確な距離感がつかめていないような気がしたからだ。
魚群は磯のようにゴツゴツした岩が陸地から跳びだしている先にいるようだ。
それだけ確認した俺は、一旦海岸沿いに磯に近づき、大きく息を吸い込んで斜めに潜りながら魚群の下方へと移動した。
コレが地上なら気配を殺して息をひそめるところだが、どのみち海中なので空気を吸い込むことはできない。
だから俺は心の中で息をひそめ、肺に溜まった空気の浮力に任せてジワリと浮上していく。
右手に握りしめたモリの長さは二メートル強。
腕の長さを考えれば射程は三メートルほどだ。
どうやら魚群は塩の潮流が交わるところに集まった小エビを捕食しているらしく、俺が目測で三メートルくらい下につけても逃げ出そうとしない。
潮の乱れに体が流されそうになるが、体の周りに張り巡らせた”気”を操ってその場にとどまることができた。
その間にも群れの一匹に狙いをつける。
そして迷わずに肩を伸ばしてモリを突きあげた。
――グッ!
モリの先端は見事に標的の白い腹を捕え、暴れるように突進しようとしたが、俺の腕力に逆らえるはずもなく、群れから下方に引き離される。
少しだけ海中に血が舞うが、素早く引き寄せたられた魚はすでに俺の顔の位置にあった。
五十センチオーバーの大物である。
とれた魚は体高が高く、木の葉のような形をしていてグレーのうろこに覆われている。
たぶんメジナだろう。
まだ端のほうにイセエビが結び付けられているロープを、捕えた魚を口からエラへと通す。
そして再びモリを構えて上を見た。
――よし、まだ散っていない。
もくろみ通りだった。
できるだけ気づかれないように深い位置から群れの底を泳いでいる魚を狙い、モリで刺したら暴れられる前に素早く引き寄せる。
そうすれば群れが散ることはないはずだ。
その考えが見事にハマった。
あとは息が続くかぎりくり返すだけだ。
結局、五匹をしとめたところで息が続かなくなり、群れを避けるようにして海面に顔を出した。
刺身で考えるならこれだけあれば十分だとも思ったが、塩焼も食いたい。
そう考えてもう一度俺は海に潜ったのだった。
「遥、一花!」
海から上がって調理とテントの準備をしていた遥たちに駆け寄った俺は、得意満面の顔で漁の成果を彼女らにみせつけた。
「スゴイ! さすが空様」
「ホント、空は美味しい食べ物がかかると凄いんだから」
「ほう、これはまた見事なエビですな。魚も食べ甲斐がありそうだ」
「ほほほほ、これで久しぶりの刺身にありつけるのう」
結局、俺の成果はイセエビが五匹とメジナが十二匹。
これだけあれば今日の夕げは豪華な海の幸を存分に味わえる。
それに、仲間たちからの喝さいを受けてサイコウに気分がいい。
まだ陽は高いが、さっそく調理に取りかかることにしよう。
そう思って魚をロープから外していると。
「調理はワタクシたちにお任せ下さい」
そう言って三人の女兵士が俺のところにやってきた。
もちろんいつも調理を担当している兵士のほうが俺より適任のはずだ。
が、しかし、俺が海に入りたがったのは新鮮な刺身が食いたかったからだ。
獲物すべてを煮物や焼き物にされたらたまったもんじゃない。
「魚の刺身が食べたいんだけど大丈夫?」
俺が心配そうにそう告げると。
中年というにはまだ早い。
そう思える一人の女兵士が柔らかな、まるで聖母のような笑みを浮かべた。
「もちろん大丈夫ですよ。実はわたし、和国にいたころに食堂の娘として育ったんです。調理の手伝いもしていましたから。刺身も大丈夫ですよ。空様」
「へぇー、それは心強いな。調理は任せるから美味い刺身を頼むよ」
「お任せ下さい空様。薬味になりそうな食材も集めてありますから美味しい刺身を期待してくださいね」
そんなやり取りをしている内に、海に入っていた兵士たちも続々と上陸してきた。
得意そうにしている彼らの持つロープには、イセエビや大きなサザエがくくりつけられている。
新鮮な刺身に塩焼、殻ごと焼いたイセエビ、サザエのつぼ焼き。
この時代に来て初めて味わう新鮮な海の幸。
しかも極上この上ないラインナップに、思わずニヤけてしまった。
「嬉しそうだね」
「ん、ああ遥か。そりゃぁ嬉しいよ。これは俺にとってスゴク懐かしい味なんだ」
「そう、よかったね。はいコレ、はやく体拭いた方が良いよ」
「ああ、ありがとう」
遥に渡された手ぬぐいで頭と全身を拭いたわけだが、乾いた手拭いで拭いただけでは体のべとつき感が取れなかった。
髪の毛なんてベタベタのゴワゴワで気持ち悪い。
「ダメみたい。ベタベタが取れないよ」
髪をつまんでおどけて見せたら、遥はすこし考え込んだ。
「ちょっと待ってて」
すこし失敗したような表情で、遥はそう言って走っていった。
そして、間をおかずに戻ってくる。
その手には樽が持たれていた。
「これで手ぬぐいを湿らせればいいんじゃない?」
遥が持ってきたものは真水が入った樽だった。
川を渡ったばかりなので真水にはまだ余裕がある。
「ありがとう。大事に使わせてもらうよ」
余裕があると言っても、無駄遣いすることはできない。
俺は樽からヒシャクで水を救い上げ手ぬぐいを湿らせた。
そして入念に体を拭いていく。
もちろん髪の毛も湿らせた手ぬぐいで念入りに拭いた。
「ふぅ、だいぶスッキリできたよ。ありがとう遥」
「どういたしまして」
体のベトつきもなくなったことだし、調理は女兵士たちに任せたことだし、どうしようか?
なんてことを考えていたら、一花と藤崎さんがテントの陰でなにやら覗き込むようにして深刻な顔をしていた。
三浦の爺さんは涎を垂らして調理を眺めている。
「どうしたの、一花ちゃん」
困り顔で俺を見あげた一花は、広げていた地図を指さす。
「予定ではこのルート目指すのですよね?」
「そうだけど、なにか問題が?」
「ええ」
そう言って一花が指さした先は北の方角だった。
そして一花が指さすその先を見渡した俺は、彼女が何を言いたいのかを即座に理解した。
予定では琵琶湖をかすめて福井を通り、石川を目指すのだが、今は海となった琵琶湖の海岸線を北上することはどうしてもできそうにない。
「確かに、これじゃぁ通れないな」
一花の指さす先。
そこには切り立った崖が海岸線をつくり、その東は高い山々が連なっていたのだ。
この山はとてもじゃないが全員を連れては越えられそうにない。
俺は広げられた地図を見ながら思案する。
”気”力の高いメンバーを選抜して山を越えるか。
それとも東に迂回して直接石川を目指すか。
他にいい案は…………
「うーん、とりあえずココをめざしてみないか?」
俺は地図の一点を指さしてそう提案した。
地図と現在の地形を見比べた感じでは、福井辺りが隆起してその東の方が少し沈んでいるように思えた。
俺が指さした先は、かつての大野市にあたる盆地だ。
「全体的に隆起しているとすればこの盆地から福井に入れるだろ?」
「たしかに空様のおっしゃるとおりですね。藤崎、少し遠回りになりますがこのルートに変更しましょう」
「そうするのが賢明なようですな」
一花がなぞって見せた大野市までのルートに、藤崎さんはゆっくりと頷いたのだった。
そして、ようやく陽がかげりはじめてきたころ、夕げの準備ができたと声がかかった。
辺りには魚やエビが焼ける香ばしい匂いが漂っている。
その匂いをかいだだけで少し落ち込んでいた気分は一気に吹き飛んでしまった。
「うわぁ、お刺身がこんなにおいしいなんて。わずかな甘みがあって歯ごたえも最高だわ。それにこの大きなエビもこの巻貝も想像を絶する美味よ」
興奮気味にまくしたてる遥を横目に、俺は久しぶりの刺身に舌鼓をうつ。
しっかりとした歯ごたえの後にやってくるほんのりとした甘みが最高に旨い。
イセエビの焼き物もサザエのつぼ焼きもサイコウだった。
一花や藤崎さん、三浦の爺さんも兵士たちも夢中になって海の幸を味わっている。
これだけ海の幸が喜ばれるならここに小さな漁村を造るのもいいかもしれない。
帰ったら陽一さんに相談してみようと、俺は心のメモ帳に掻き込んでおいた。
「な、俺の言ったとおりだろ。新鮮な海の幸は旨いんだ」
少し得意顔でそう言った俺に、一花は満面の笑みでうなずいたのだった。
「ええ、こんなに美味しい料理ははじめてです。空様がこだわった理由がわかりました」