第三十話:戦いの後で
巨大カマキリの頭は俺の”気”で吹き飛んだ。
当然その命は尽きたわけで、気がついてみれば俺の体はカマキリの血肉でベトベトだった。
それはもう真っ黒々で、タールの沼に飛び込んだようなありさまで、華麗に戦って汚れひとつない一花とはえらい違いだ。
「空お兄ちゃん、ヒドイ格好だよ」
そう言って微笑んだ一花の笑顔は輝いていた。
その笑顔についつい見惚れてしまう。
そうだ返さなきゃ、と思って小刀を見たら俺と同じでヒドイありさまだった。
「ははは、もろに被っちまったからな。ちょっとスッキリしてくるよ」
そう言って俺は堀へと走った。
ぬるぬるで気持ち悪いし、何よりツンと鼻を刺すような刺激臭が不快極まりない。
宿屋街から橋を渡ったところに軍人さんらしき集団が見えたが、気にすることなく俺は堀に飛び込んだ。
戦いのさなかに飛び込んだときは興奮していて分からなかったが、けっこう冷たい。
そして少し匂う。
それでもカマキリ野郎の血肉よりはよっぽどマシで、汚れが取れて気持ちいいくらいだった。
俺はしばらく、水の中で髪の毛や服に付いた血肉を洗い流し、そして地上に上がろうとしたとき、さりげなく一花が手を差し伸べてくれた。
その手を取って地上に上がる。
「ありがとう一花。それとコレ」
一花に小刀を渡すと、彼女は一振りして刀身についた水を払い、鞘におさめた。
一花の後ろにはさっき見た軍人さんたち五十人くらいが整列しており、その中の偉そうな軍服を着た男が彼女の後背に跪く。
その男の顔に俺は見覚えがあった。
藤崎さんだ。
「一花様、お努めご苦労様でした。斑大カマキリ相手に見事な戦いぶり、この藤崎感服いたしました」
「藤崎、楽になさい。それから、私は空様のお手伝いをさせてもらったに過ぎません。この戦功は全て空さまに在ります」
そう言われて立ち上がった藤崎さんは、
「承知しております一花様」
と穏やかな顔で肯定すると、俺の目を見て、
「空殿の戦いざま、この藤崎とくとこの目に焼き付けてございます。一花様に勝るとも劣らぬ戦いぶりは称賛に値しましょう。私には到底まねのできぬことにございます」
と、俺を称賛してくれたが、こうも仰々しくされると、むず痒く感じてしまうのはなぜだろうか。
本来俺はホメられて伸びるタイプだと自覚しているが、それはもっとこうフランクにというか、なれなれしく「よくやったな、すげーじゃねぇか」みたいに言ってくれるとありがたいのだが。
しかし、この言い方が藤崎さんの地なのだろう。
よどみなく一花や俺を賛辞する様は、まさに様になっているというか、不自然さがないというか、堂に入っていた。
しかも、媚びているように見えないし実に堂々としている。
きっと、人間的にものすごくいい人なのだろう。
こういう人を怒らせてはいけない。
さておき、場所を宿屋街の守備隊詰所に移し、藤崎さんを交えて一花とこれからのことを話し合った。
その結論を言えば、一花と藤崎さんは宿屋街を拠点としてしばらく近辺調査することになった。
安全が確認されるまで豊田鉱山は仮閉山となり、基本的に大公国軍関係者以外立ち入り禁止になる。
俺はといえば、足もないことだしと一花たちの調査に同行を申し出たのだが、
「空殿はもう十分すぎるほどの貢献を大公国に対してなされた。たしかに空殿の戦闘力は一花様に匹敵していると私は考えるが、軍籍にない一般人である空殿にこれ以上負担を強いるわけにはいかない。一花様もそう仰っておられる」
と、同行を許してもらえなかった。
最初一花は少し寂しそうにしていたが、
「空様、一度首都へお戻りくださいませ。遥さんやお仲間の方も心配しておられるでしょう。私のことは心配いりません。こう見えても大公国一の武将と言われておりますから」
と言って最後には笑みを見せてくれた。
どうやら一花は公の場では俺を様づけで呼び、プライベートではお兄ちゃんと呼ぶようだ。
そういうことなら俺の呼び方を改めてもらう必要もないか、とも思ったが、いつまでもお兄ちゃん呼ばわりされるのも少し違和感というか恥ずかしさを感じた。
だってもう一花のほうが年上なんだし。
見かけ上は俺のほうが歳食ってるように見えるけど。
さておき、俺も同行を無理強いするつもりはなかったので、一花がそこまで言うならと、遥たちのもとへと戻ることにした。
俺一人徒歩で帰すわけにはいかないと、一花が部下の軍人さんと馬を用意してくれたのは嬉しかった。
当然俺はまだ一人で馬に乗れないので、馬上で軍人さんに抱きついて帰路を共にしたのだが、軍人さんはもちろん野郎だったわけで、絶対乗馬できるようになってやると決意を新たにしたことは言うまでもない。
ということで夕方になって鴻江食堂へ戻ってきたわけだが、そこには遥をはじめ、鈴音ちゃんと阿古川哲也が揃っていた。
で、あまりにも早く、そして五体満足で何事もなかったかのように帰ってきた俺に、ポカンとした顔を並べた三人だったが、遥がいちはやくその表情を崩し、泣き付かれてしまった。
なぜだか鈴音ちゃんや阿古川哲也までウルウルしていた。
遥がおちつくのを待って話を聞いてみると、三人は一旦発掘師協会に寄って事態を報告し、一時間ほど前に戻ったということだった。
俺は豊田で一泊し、早朝に出発したのだが、遥たちは野宿してほぼ最短距離を集団で移動してきたらしい。
そして三人で夕メシを食っているところに、俺が戻ったということだ。
「それで空、あの妖魔はどうなったの?」
「あの妖魔っていうとカテゴリー五の斑大カマキリですか? 遥先輩」
「ええそうよ、鈴音ちゃん。で、空」
三人とも期待感いっぱいのキラキラした瞳ではやく話せと訴えている。
正直、自分のことを話すのはあまり得意じゃないので、脚色は入れず事実のみをかいつまんで説明した。
もちろん遥に借りたツルハシが壊れてピンチになって、一花が駆けつけてくれて救われたことも正直に話した。
「空もスゲーけど、やっぱ一花様だよな」
「そうよね、憧れるわー一花様。でも空さんだってあの状況で一人だけ残ってしかも倒しちゃうなんて。逃げだしたって誰も非難しないのに」
「そうね、確かに誰も非難なんかしない。でも空は残った。わたしは……」
思いつめたように口をつぐんでしまった遥が何を言おうとしたのか、俺には分からないし無理に聞こうとも思わないが、彼女のこんな顔は二度とみたくないと思った。
そしてその原因はたぶん、いや間違いなく俺にある。
これからはもっとよく遥のことを見ておこう。
そう俺は思ったのだった。
結局この日はこの後すこし話をしてお開きになり、明日、豊田の儲けを換金して分け合うことになった。
遥たちは避難のしんがりを買って出たそうで、自分たちの荷物を宿に取りに行く時間があったといことだった。
で、換金の結果はというと、車の部品が五十万弱、腕時計十四個で二百二十万強、合わせて二百七十万ほどになった。
ひとりあたり約六十四万円である。
二十一世紀のレートに換算して約六百五十万。
これをたったの四日で稼ぎ出したのだ。
腕時計十四個の換金額が、苦労して掘って必死になって分解分別した車の部品のほぼ四倍という幸運が重なったのが大きいが、遥が言っていたように一山当てることさえできれば、なるほど発掘師とは美味しい商売である。
これがあるからトレジャーハンティングはヤメられないのだ。
なんて考えていたのはいい思い出になってしまった。
豊田の妖魔襲撃事件から四か月、季節は夏真っ盛りの今日この頃。
一花たちの豊田周辺調査は半月ほど行われたが、異常は発見されず、豊田鉱山の立ち入り禁止はその後解除された。
そしてこの四か月弱の間、俺たち四人は都合七回、数か所の鉱山に発掘に出かけたのだが、この七回合計で儲けはひとりあたり十万円にも届かなかった。
雨の降りしきる梅雨の時期、びしょ濡れの泥だらけになりながら掘り出したお宝が、今の時代ではゴミにしかならないテレビとかパソコンとかの電子機器の山だったり、そのさらに地下に埋まっている金属反応を心のよりどころにして掘り下げてみたら、埋まっていたのはただの鉄くずで、全部売っても千円ちょっと、ひとりあたり二百五十円だったときには涙が出てきた。
こんなこともあった。
凄い金属反応を見つけたと思ったらそれはパチンコ屋で、出てきたのは銀玉の山と欲に駆られてここで人生の終焉を迎えたおびただしい数の遺体。
駐車場の車が残っていたらとも考えたがいくら探しても見つからなかったし、換金用の特殊景品にはたしか純金が使われているとおじさんが言っていたのを思い出し、必死コイて探したが見つからなかったし、大量のお金もでてきたが今の時代ではただの紙屑とか金属くずだし、最終的にはせめてものお宝ということで、パチンコ台から真鍮製の釘を必死こいてそれはもう何万本も抜いたのはいい思い出だ。
そんな思い出したくもない思い出を、なぜだか俺は屋根のない豪華な白い馬車の上で、白いモーニングにスカーフタイという慣れない貴族貴族した姿で、芝居がかった盛大な作り笑いを浮かべ、満面の笑みの一花の横で沿道の観衆に手を振りながら思い出していた。
チヤホヤされるのは大好きだが、これはちょっとやりすぎだと思ってしまうのは俺が小市民たるゆえんなのだろうか。
なんでこんなことになってしまったかといえば、カテゴリー四とカテゴリー五の妖魔をほとんど一人で倒し、何千人かの命を救った英雄ということに仕立て上げられてしまったからだ。
遥や鈴音ちゃん、それに阿古川哲也と、もう一人中村さんというクランのリーダーも妖魔討伐や避難時の功績が評価されて俺の後ろの同じような馬車に集団で乗車している。
一花から聞いた話では、妖魔の異常出現は梅雨明けとほぼ時を同じくして終息し、八月になってようやく戦功をたたえる叙勲式典が執り行われることになったらしい。
この式典は本来春に執り行われるものらしいが、妖魔の異常出現という非常事態が起こったことで延び延びになっていたそうだ。
本来この戦功を称える式典は、戦闘に参加して戦功をあげた軍人さんや、志願して戦闘に参加し、同じく戦功を自らあげた貴族やその私兵のために執り行われるのが慣例というか常識らしいが、たまに俺たちのように襲撃してきた妖魔を撃退もしくは殲滅し、人命を救った発掘師も叙勲されるらしい。
で、俺たちは沿道の観衆に手を振りながらどこに向かっているかといえば、それは一花の実家がある大公宮であり、そこで叙勲式が執り行われるそうである。
通例では、今回のようなパレードが行われることはなく、粛々と式だけがとりおこなわれるそうだが、今年はカテゴリー五の妖魔を倒した者が現れた――つまり俺と一花のことだが――ため、大公国中に俺が一花の婚約予定者であることを知らしめることと併せて、盛大に執り行われることになったらしい。
実はコレ、すべて一花の発案らしいのだが、パレードの一週間前に高科邸に呼び出されたときに、希美花さんからコッソリ耳打ちされたことなので、俺がことの成り行きを知っているということは一花には内緒だ。
さらにもう少しだけ内情を話すと、じつはこの一件、遥も絡んでいるらしい。
これも希美花さんがコッソリ教えてくれたことであるが、なんでも俺に余計な虫がつかないように、一花と遥がなにやらゴニョゴニョと作戦会議をしていたそうである。
そして、一花にはもう一つ狙いがあるらしく、それは国内外問わず多数の王侯貴族や有力軍属家から寄せられている、彼女への縁談を有耶無耶にするための既成事実を作ろうとしているということだった。
希美花さんの地獄耳、恐るべしである。
彼女に隠し事はしないようにしようと、このとき俺は心に誓った。
さらにさらに、一花は俺が多くの嫁さんを娶ることを当然の義務のように肯定していたが、実はコレ、建前だった可能性が高い。
希美花さんによると、俺の嫁候補に名乗りをあげるのなら、それ相応の覚悟、つまり正妻が一花であることを知ったうえで名乗りを上げろと、暗に脅しをかけているということだ。
貴族の有力家にはあまり通用しないが、一般人や発掘師、軍人さんなどには効果てき面だろうということらしい。
だからさも当然のように、一花が俺の隣にまるで新妻のように座っていることに説明がついたような気がしている。
叙勲式後のパーティーで、一花と遥が俺の同伴者役になっていることも、このためなのだろう。
俺が今身につけている衣装は、一花が必要だと強く押し付けるようにプレゼントしてきたものだし、彼女の服装にしたってそうだ。
一花は本来軍籍のトップであり、式典用の軍服を着用しているはずだったのだが、今日に限って純白のドレス姿なのだだから。
これにヴェールかティアラでもかぶってブーケでも持たせたら、結婚式の新郎新婦と何ら変わりないじゃないか。
そんなことを考えている内に大公宮が見えてきた。
観衆は大公宮正門の近くまでびっしり並んで歓声を上げてくれている。
そんな中、俺たちの馬車を先頭に、叙勲者たちは大公宮へとその列を進めたのだった。