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第二十九話:豊田鉱山その九


 カマキリ野郎の足二本を、やっとの思いでたたき折ったところまでは良かったが、最悪の事態が俺を襲った。

 もう不運としか言いようがなかった。

 

 ツルハシの柄が折れないように細心の注意を払っていたつもりだった。

 その甲斐あって柄はまだ健在だ。

 が、まさか金属部分が折れるとは露とも思っていなかった。

 たしかに巨熊のときより強めに振りまわしていたが、それはそうしないとカマキリにダメージを負わせられないからだった。


「しかし、こんなところから折れるか? 普通……」


 ツルハシの金属部分が、柄とのつなぎ目の部分でポッキリと二つに分かれている。

 金属疲労でも起こしたのだろうか?

 いや、今はそんなことを考えている場合じゃない。

 起こってしまったことは覆すことなどできないからだ。


 後の祭り、覆水盆に返らず、熱力学第二法則すなわちエントロピー増大の法則。

 言い方はいろいろあるが、そんなことはどうでもいい。

 もはやまともに歩くことができないカマキリは、たとえ放置して俺が逃げたとしても、ここから人が住む場所までたどり着くことはできないだろう。

 ならば倒すのを諦めて逃げ出すか?


 いや、そんなことはできなかった。

 なぜか?

 それはたった今、俺の予想を裏切ってカマキリが歩き出したからだ。

 折れた足の代わりにカマを器用に使って、俺のほうに向かってきている。

 考えが甘すぎた。

 これが闘争本能というやつだろうか?

 それとも、妖魔の本質なのだろうか?

 妖魔は動物が垂れ流している”気”を目指して襲いかかるという。

 ならば、このまま放置しておけば必ず誰かが犠牲になるだろう。


 幸いなことに今、カマキリの歩みは鈍い。

 本気で走れば余裕で引き離すことができる。

 宿屋街まで走って戻れば、武器の一つや二つ落ちているだろう。

 それを拾ってくるだけの時間は必ず作り出せる。

 そうするしかない。

 そう考えて宿屋街に向かって数十メートル走った時だった。


 ついに俺にも幸運が舞い込んできた。

 ここまで粘りとおした頑張りが報われる時が来た。

 そう、宿屋街の方から一組の人馬が、それはもうものすごい勢いで俺の方に向かってきたのだ。

 大公国軍の援軍が来たのだ。

 そう思って目を凝らすと、それは見覚えがある人物だった。

 白い将官服に長い黒髪をたなびかせるその人物を、俺が見誤るはずがない。

 待ちに待った援軍は、どんなに遠かろうと絶対に見誤らない人物だった。


 一花だ。


 最強との誉れ高い一花が駆けつけてくれた。

 こんなに嬉しいことはない。

 そんな想いを胸に、俺は彼女を待ち受けた。

 ものすごい速度で馬をかっ飛ばして近づいてきた一花は、その馬から飛び降りるなり俺の胸へと飛び込んできた。

 そういえば一花が小さかった頃も、高科家に遊びに行くと今みたいに飛び付かれたもんだ。

 なんてことを思い出しながらも、俺は一花を受けとめていた。


「よかった。本当に無事でよかった……」


 一花は今もよたよたと近づいてきているカマキリなど、気にとめることもなく、開口一番そう言って笑顔を見せる。

 その笑顔は、言葉どおりに心の底からほっとしているのだろうと、彼女を見ている俺を納得させるだけのものがあった。

 これだけの良い女にこうまでも心配されるとは、嬉しいやら恥ずかしいやら複雑な気分だ。


「うん。でも一花ちゃん、たった一人で来たのかい?」

「空お兄ちゃんがここにいるって知ってたから。それで、強い妖魔が出たって聞いたからつい」

「そっか、心配かけてゴメンね。でも、今はアイツを何とかしなきゃ」


 そう言って俺は、今も近づいている背後のカマキリを、振り向き見据えた。

 一花も俺から離れた。

 そして刀を抜く音が聞こえてきた。


「空お兄ちゃん凄い! あの妖魔はカテゴリー五の斑大カマキリよ。空お兄ちゃん、ろくな武器も持ってないはずなのに足が二本も折れてる」


 一花の声は嬉しそうだったが、驚愕の色も含まれていた。

 その反応に、俺まで嬉しくなってくる。

 頑張って攻撃し続けた甲斐があったというものだ。

 俺の努力は報われたんだ。


「一花にそう言ってもらえると俺も嬉しいよ。でもその代償でこうなっちゃんだけどな」


 俺は手に持っていた柄だけになったツルハシ、というかツルハシの柄を一花に見せた。

 カマキリの後方には折れたツルハシの半分、平たいほうが転がっている。

 尖った方は今もカマキリの右前脚の折れた部分に突き刺さっていた。


「よくそんな武器で……」

「コレのおかげだよ、一花ちゃん」


 ツルハシの柄を手放し、俺は一緒に握りこんでいた紫水晶を、カマキリに視線を固定したまま驚いている一花に見せた。

 一花が横目でちらりとそれを見る様子が視界の隅に映る。


「それでも凄いことなんだよ空お兄ちゃん。私知らなかった。空お兄ちゃんがこんなに強くなってたなんて」


 そう言った一花の声は少し寂しそうだったが、俺があのカマキリと対等に戦えるということをさとったのだろう、小刀を抜いて手渡してきた。


「これを使って。攻撃は私がするから空お兄ちゃんは陽動を。でも、行けるって思ったら遠慮せずに攻撃してね」

「でもこれって俺みたいな一般人は持っちゃいけないんだろ?」

「うふふ、自分のものとして所有しちゃダメだけど、一時的に借りるぶんには何の問題もないわ。それに、空お兄ちゃんは一般人じゃないわ」


 俺は小刀を横目で確認し、ありがたく受け取ることにした。

 一花がいかに強いか、並ぶものなど皆無だということは、いろんな人から聞かされていた。

 それはもう嫌というほど。

 いや、彼女が活躍した話を聞くのは、俺としても嬉しかったから”嫌”じゃなかったのだが。


 そんなこともあって俺は一花の提案に反対などしなかった。

 男としては戦いの主導権を握りたいところではあるし、彼女にカッコいいところを見せつけたい。

 しかし、俺は刀で戦ったことがないし、どう切ればこの小刀が威力を発揮するのか分かっていない。

 今回だけは実績がある一花に花を持たせることにしよう。

 今は意地を張っている場合ではないのだ。


「ありがとう助かったよ。けど一花ちゃん、絶対に無理するんじゃないぞ」

「空お兄ちゃんもね」


 一花にそう言った俺は、さっそくカマキリに向かって駆け出した。

 いままでみたいにカマキリの攻撃を待ったりはしない。

 アグレッシブに俺の方から動き、カマを躱してすれ違いざまにこの小刀で切りつける。

 奴の気を引くだけでいいからダメージが入るかどうかなんて気にする必要がない。


 今までと違うのは俺一人で戦うのではなく、一花と連携して戦うということ。

 二本の足が折れたカマキリの動きが相当に制限されているということ。

 俺の武器がツルハシから小刀に変わったということ。

 の三点だ。

 これだけ状況が好転すれば、負けることなどあり得ないだろうし、戦い方が変わってくるのは当然のなりゆきだ。


 しかしアグレッシブに行動するといっても、俺の担当は陽動だ。

 したがって狙う場所は残った二本の足。

 今までと違うのは、さっきも言ったとおり武器が一花が使っている小刀だということだ。

 俺や遥のツルハシとはモノが違う。

 いや、違いすぎる。

 こうして手に持っただけで、その違いがひしひしと伝わってくる。

 これなら全力で切りつけても、折れるなんてことはあり得ないだろう。

 仮に攻撃が通ったとしても、ツルハシみたいに食い込んで引っかかることもありえない。

 安心して振りぬける。


 その安心感が、俺の体から固さと重さを奪い去った。

 さっきまで走り続けてヘトヘトだったというのに、なんという体の軽さだ。

 羽が生えたように軽い体でカマキリに急接近した俺は、振り下ろされた右カマを潜り抜けるように躱し、体を伸ばしながら右前足の付け根付近を思いきり小刀で切りつける。

 もちろん、目いっぱい練り込んだ”気”を注ぎ込みながらだ。


 小刀の刃がザクリと外骨格に食い込んだ。

 そのまま強引に振りぬく!

 すると嬉しいことに、ザシュッと心地よい音と感覚が両手に走り、切りつけたところから体液があふれ出してきた。

 なんという切れ味だ。

 ツルハシなんかとはモノが違いすぎる。

 折れることはないだろうとは思っていたが、ここまでの切れ味だとは思ってもみなかった。

 予想のはるか上を行く強度と切れ味。

 もちろん刃こぼれひとつおこしていない。


 安心して全力で小刀を振りぬける喜びそのままに、俺は脇を駆け抜けて振り返った。

 カマキリはまだカマを振り下ろした位置を見ていて、一花が目を丸くしていたのがわかった。

 おそらく一花は俺がここまでの攻撃力を発揮するとは思っていなかったのだろう。

 一拍おいてカマキリはのそりと俺のほうに顔を向けてくる。

 その後、もたつきながらも体を俺の方に向けなおした。

 やはり二本の足を折られて動きが鈍くなっている。

 一花も気合いを入れなおしたようだ。

 

 カマキリが左カマを振り上げた。

 その瞬間、一花が目にもとまらぬような速度でカマキリの背中を駆けあがった。

 そして振り上げた左カマに一閃。

 カマの半ばまでを切り裂いた。

 なんという斬撃だろうか。

 俺にはほとんど見えなかった。

 しかも、あと一撃でカマを切り落とせそうなところまで刃が食い込んでいたようだ。

 体液が吹き出す様子がそれを裏付けている。

 一花はそのまま着地すると、横へと跳び退いた。

 次は俺の番だ。


 自慢のカマを切りつけられたカマキリが、許せないとばかりにその犯人に体を向けなおした。

 今だ。

 俺は振り上げられた右カマに構うことなく、再度右前足の体液が噴き出ている位置を切りつけ、すぐさま後ろへと跳び退った。

 右前足から吹き出す体液の勢いが増している。

 こちらもあと何回か切りつければ切断できそうだ。


 カマキリが俺のほうに向きなおって左カマを振り上げた。

 その瞬間、一花が再度カマキリの背を駆けあがる。

 そして傷に向かって一閃。

 バシュッと大量の体液が閃光とともにカマから吹き出し、それに押されるように左カマが地に落ちた。

 たったの二撃。

 足よりもはるかに硬そうなあのカマを、たったの二撃で切り落としてしまった。

 なるほど一花が最強と皆が噂するはずだ。

 俺でもそう思ってしまうだけの説得力が彼女の斬撃には確かにあった。


 自慢のカマを一花に切り落とされた哀れなカマキリが、怒りに任せて右カマを振り上げ、ようとしてバランスを崩し、頭から地に突っ伏した。

 当然だ。

 右カマを地から持ち上げれば、体を支える手足が足りないのだから。

 今がチャンスだ。

 俺はカマキリに猛然と駆け寄り、右前脚の傷に渾身の力で小刀を振り下ろす。

 ザシュッという心地いい感覚とともに、どす黒い体液を吹き出しながら右前脚が切り落とされた。


 これでもうカマキリは立ち上がることすらできないだろう。

 一花もそう考えたらしい。

 地に伏せたカマキリの頭部に駆け寄って一閃。

 左目を切り裂いた。

 一花の”気”と、カマキリの”妖気”がぶつかり合って発生する火花が今までよりはるかに大きい。

 斬撃の際、一花は大量の”気”を流しこんだのだろう。


 もう少しだ。

 もう少しでコイツを倒せる。

 それにもう陽動は必要ないだろう。

 そう考えた俺は、一花が切りつけた頭部に狙いを定めた。

 そして走りだそうとした瞬間。


「しぶとい」


 しかし、カマキリも粘りを見せる。

 今度はその巨大な羽を広げたのだ。

 そしてその羽が、不気味な振動音を奏ではじめた。

 羽ばたいて逃げるつもりなのか、あるいは飛んで俺たちを襲おうとしているのだろうか。

 しかし、そのカマキリの思いがどうであったか判明するまでもなく、一花が走り寄って天高く跳びあがった。

 そしてカマキリの羽根の付け根へ着地を決める寸前、一花が手にしていた刀が、その腕ごとまさに消失したかのように見えなくなった。

 同時に強烈な光が一花を包み込む。

 おそらく、恐るべき速度で二閃三閃と刀を振りぬいたのだろう。

 その予測を証明するがごとく、カマキリの羽根がばさりと地上に落ちた。

 そしてその直後、羽の付け根に着地を決めた一花がカマキリから飛び降り、そして距離を取った。


「空お兄ちゃん、今よ!」


 一花が言うとおり、この隙を逃してはならない。

 畳みかけるなら今だ。

 一花の期待に応えるのは今しかない。

 ここはひとつ、とどめを譲ってくれようとしている一花に応え、最高にカッコいいところを見せつけてやろうじゃないか。


 そう考えた俺は全力でカマキリに駆け寄り、背を走るのではなく、一花に倣ってその場で天高く跳びあがった。

 狙うのは頭だ。

 両足に”気”を流しこみ、大地に反発させた俺の体は、地に伏したカマキリの頭上十メートルを軽く超えて舞い上がった。

 そして、落下の勢いに小刀を突き下ろす勢いと、俺の全体重を重ね合わせて気合いと共にカマキリの脳天深く小刀を突き刺した。

 ほとんど抵抗感もなく、つばの部分まで深々と突き刺さった小刀に、最高に濃縮した俺の”気”を、想いを込めて全力で流しこむ。

 

「くたばりやがれぇえ!」


 次の瞬間、カマキリの頭部が膨張したかと思うと、眩いばかりの閃光をともない、その頭部は爆散したのだった。

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