第二十七話:豊田鉱山その七
富士宮防衛線で奮闘している一花のもとに、豊田鉱山から早馬が届いていた。
急きょ中村が伝令に送った発掘師である。
本来は豊田鉱山の守備隊から出るはずの伝令だったが、妖魔の奇襲を受けた守備隊に早馬を出す余裕がなかったための応急策だ。
伝令として駆けつけた若手の発掘師は、両側から寄り添うように兵士に監視された状態で、恐々としながら一花の前へと連れてこられた。
その発掘師を先導していた兵士が、一花の前に跪く。
発掘師と監視役の兵士もその後ろに跪いた。
「一花様に申しあげます。豊田鉱山から伝令の者が参っております」
「豊田には守備隊が配置されていたと思いますが…… 何かあったのですか? 発掘師の方、顔を上げてください」
恐る恐る顔を上げた発掘師は、一瞬一花の顔に見惚れてしまうが、質問されたことを思い出して、一刻も早く伝えなければならないことを話しはじめた。
その話を聞くにつれ、一花の表情に焦りの色が見えはじめる。
そしてその焦りの表情は、苦虫を噛み潰したような険しいものへと変わっていった。
「――現在残った守備隊の方々と発掘師が総出で対応しております」
なんとか伝令を終えることができた発掘師は、中村に命じられた役目を無事果たせてホッとしたと思ったのも束の間、報告を聞き終えて険しい顔をしている一花に、その顔を青ざめさせた。
しかし、
「よく伝えてくださりました。貴方と貴方のクランにはあとで褒賞を贈りましょう」
青ざめている発掘師を見てハッとした一花は、無理やり表情を緩めて笑顔を作った。
そんな一花だったが、その内心は到底穏やかなものではなかった。
一花は知っている。
豊田鉱山には今、空が滞在しているということを。
報告が真実だとすれば、鉱山を襲った妖魔のなかにはカテゴリー四が三体含まれている。
今の時代に復活して間もない空が、カテゴリー四の妖魔と渡り合えるとは、彼女にはどうしても考えられなかった。
妖魔の強さはカテゴリー三から跳ね上がり、それが四になると、たとえ一体であろうと、戦闘が専門ではない発掘師には絶望的な脅威となるのだから。
たとえ特級発掘師が束になったとしても、妖魔専用武器が無いかぎり絶望的な戦いにしかならないのだから。
今の一花は、たとえカテゴリー五の妖魔であろうと単独で渡り合えるだけの、自信と実力を身につけている。
しかし、そこまでの実力を簡単に身につけたわけではなかった。
幼少のころから続けてきた血のにじむような訓練と、対妖魔用の、しかも最上級の装備、そして数知れない実戦があったからこそ、彼女は今の強さを得るに至ったのだ。
対して今の空は、シェルターから出てまだ一年も経っておらず、妖魔との実戦経験など皆無に等しいはずだ。
さらに、空は軍人でも貴族でもないため、対妖魔用の装備など持っているはずがない。
駆けつけてくれた若い発掘師から報告を受け、即座にそう思い至った一花は、何もかもかかなぐり捨てるようにその場を飛び出していた。
そしてその表情は、絶望的なまでに焦燥の色を呈していた。
「やれやれ、確かに空君のことは心配だが…… 藤崎侯」
一花のあまりの焦りように、即座に彼女を追おうとした藤崎を陽一が呼び止めた。
我が子にせめてもの手向けを届けさせるために。
我が子と空の無事をすこしでも確実なものにするために。
「前線の指揮は私が引き継ぐ。貴殿の指揮する遊撃隊を連れて行け。速度は落ちるだろうが必要になるはずだ。そのほかの増援も直ちに送らせる。まったく、指示も出さずに飛び出すとは一花にも困ったもんだ」
陽一としても空のことが心配で急ぎ駆けつけたかったが、今も妖魔が襲い来る富士宮防衛線を空けるわけにはいかなかった。
本来、富士大公国のトップである陽一が前線に赴いていることでさえ異常事態である。
それほどまでに高ランクの妖魔が出現し続けているのだ。
いざというときに防衛線に始祖がいなければ、多大な犠牲が出ることは想像に難くない。
陽一はもう見たくなかった。
かつて経験したようなじり貧の戦いを。
無残に死んでいく兵士たちを。
◇◆◇◆◇◆◇◆
妖魔化した巨熊三体を、動き回って攻撃を回避しつつ嫌というほどツルハシで、それはもう何十回何百回と殴りつづけて何とか倒せた。
おかげで、息はあがるし手にまめができてつぶれるしで、もう精根尽き果てたって感じだ。
けれども、倒したと同時にあがった大気を揺さぶるような勝鬨が、俺の自尊心をくすぐって何だか心地いい。
それはいいとして、倒し方がスマートじゃなかったと俺は思う。
こんな疲れる戦闘はもうこりごりだ。
しかしこの時代に生きている限り、これからもさっきみたいな硬い敵と戦うことになるだろう。
もっと楽にとまではいかないにしろ、余裕をもって勝てるようなスマートな戦い方を身につける必要があるなと、このとき俺は強く思った。
今の俺では、さっきみたいなかなり強引な方法しか戦い方が思いつかなかった。
おかげで、最後の一体にとどめを刺したとき、とうとうツルハシの柄が折れてしまった。
柄は交換すればそれで済む話だが、こんなギリギリの戦いは二度とゴメンだ。
ともあれ、勝つことは勝ったことだし、と思って街に戻ろうと振り向いたら、駆けてきた遥に抱きつかれてしまった。
戦いに勝って気を抜いていたせいもあるが、勝鬨が大きすぎて遥の接近に気づかなかった。
「ゴメンね、ゴメンね空。一緒に戦えなくて」
俺は一瞬事態が飲みこめなかった。
こんな遥を見たことがなかったからだ。
今の遥には普段彼女が見せる勝気なところも、少し達観したような冷静さも、なれなれしい図々しさも、全くと言っていいほど見ることができない。
山小屋で山猿と戦ったときは今日より強引な戦い方をしたというのに、あのときの遥はどちらかといえば、俺にあきれていた感じだった。
それなのに今の彼女は、か弱い少女そのものだ。
「遥が謝ることないよ。それに、勝ったんだから少しはホメてくれないかな」
「うん。スゴかったよ空」
遥は素直に俺をホメてくれた。
スゴイとまで言ってくれた。
薄らと涙を浮かべ、俺の首筋に両手を掛けたままはにかんで見あげてくる遥が、このときほど可愛いと思えたことはなかった。
宿屋街のほうからは冷やかしのヤジが聞こえてくるが、もうそんなことはどうでもいいとさえ思えた。
そして俺は遥を抱き返していた。
これは役得だ。
俺だけの役得だ。
大勢が見ている前で恥ずかしいが、今は遥を抱きしめるこの至福感を誰にも奪われたくはない。
滴る汗が彼女の革製の装備を蒸らし、独特な甘い女の匂いをあたりに漂わせているが、全く不快だとは思わなかった。
むしろずっとこの香りをかいでいたい。
そうとさえ思えたほどだ。
しかし、そう思ったのがいけなかったというわけではないだろうが、俺のこの至福の時間を邪魔する奴が現れやがった。
遥もそれに気がついたようだ。
そして、彼女の顔が絶望の色に染められていった。
どうしてこんな時に、と、悪態をつきたくなるが、俺のレーダーに引っかかる”妖気”がそんな感情を吹き飛ばしてしまう。
ヤバいなんてもんじゃない。
カテゴリー四の妖魔?
そんなものは駄々をこねる幼児のパンチと何ら変わらない。
そう思えるほどに圧倒的で絶望的な”妖気”。
それが遠くから近づいてきている。
「遥、こんなことしてる場合じゃなくなったみたいだ。街にいるみんなを連れて遠くへ逃げてくれ」
俺の腕の中で遥はガタガタと震えている。
特級発掘師の中でも随一と言われるほどの猛者である遥が、恐怖におののき震えている。
俺の言葉など今の彼女には届いていない。
「遥! 頼むから俺の言うことを聞いて逃げてくれ」
俺は遥の怯えを断ち切るかのように叫んでいた。
「空も一緒に逃げて」
「ダメだ。あんな奴を放っておいたら何人死ぬか分からない」
「でもっ!」
遥は懇願するように、そしてすがるように俺を離そうとしなかった。
妖魔は生物の”気”に引きつけられる。
人の”気”が多く集まる鉱山。
その鉱山をたどっていけばやがて首都へとたどり着くはずだ。
その前になんとかしなければ。
この場所でなんとかしなければ。
そして今、なんとかできそうなのは俺だけだ。
その思いが俺を突き動かす。
「俺が時間を稼ぐしかないだろ? なに、俺も馬鹿じゃない。時間を稼ぐだけだし必ず生きて戻る。だからお願いされてくれないか、遥。みんなを連れて逃げてくれ。そして援軍を俺に届けてくれ」
押し黙ってしまった遥の震えはおさまっていない。
しかし、彼女は振り絞るように笑顔を作って応えてくれた。
「……まったく、空はそうやっていつも無理するんだから。でも、絶対に死なないってもう一回約束して」
「ああ、絶対に死なない。ほら、もう時間がないから」
「……うん、これ使って。空の折れちゃったでしょ」
「ありがたく使わせてもらうよ」
差し出された遥のツルハシを受けとると、名残惜しむようにためらったあと、彼女は俺のもとを離れていった。
その後ろ姿をしばらく目で追った俺は、これ以上ない絶好のシチュエーションでの、遥とのイチャラブタイムを邪魔してくれやがった諸悪の根源へと意識を向ける。
方向は北東に見える森の中。
いまだ姿は見えないが、その凶悪な”妖気”が、俺の”気”のレーダーにビシビシ反応しやがる。
距離は百メートル強。
もうすぐ姿を現すはずだ。
そう思った刹那、森の終わりがワサワサと揺れた。
「でけぇ」
あり得ないほどに濃密な”妖気”を垂れ流しながら現れたのは、どう見てもカマキリだった。
ただし、その大きさが尋常ではない。
地上から逆三角形の頭部までどう見ても十メートル近くある。
体長は二十メートルほどだろうか。
体を支えている四本の足もぶっとい丸太のようだ。
一辺一メートルを超える逆三角形の下には、五十センチはあろうかという牙のような大あごがあり、体全体から紫がかったどす黒い”妖気”を滝のように垂れ流していた。
ふつうの発掘師があの”妖気”を浴びてしまったら、果たして生きていられるのだろうか?
そう思えるほどに濃密でまがまがしい”妖気”をとめどなくその体から垂れ流している。
そしてその凶悪なカマキリの体色は、黒をベースにした赤のまだら模様。
まさにグロテスクを絵にかいたような存在だった。
ついさっき戦った巨熊なんてコイツと比べれば、象に噛みつこうとする三匹のアリ以下だ。
そう思えるほどに現れたカマキリは凶悪な存在感と巨大さを誇っていた。
カマキリとの距離はまだ百メートルくらいあるが、奴の意識も俺をとらえているようだ。
森から出たとたん俺に視線を固定し、決してはずそうとしない。
そしてその視線は、死線とも死閃とも表現できそうなほどに凶悪で鋭かった。
遥にはカッコつけてあんなことを言ってしまったが、今すぐ尻尾を巻いて逃げ出してしまいたくなるほどの存在感だ。
しかし、そんなマネができるわけがない。
できるわけがないが、まともに戦うことなどもっとできそうもなかった。
どうする。
どうする空。
俺は自問を重ねる。
武器は遥が貸してくれたツルハシのみ。
俺が使っていたものより高級品だから簡単に折れるようなことはないだろうが、ダメージを与えられる気が全くしない。
なにか有効な攻撃手段はないか?
冷静になれ、焦っちゃだめだ。
考えろ、考えろ、考えろ。
俺は高速で自問し続けた。
しかし、そう簡単に答えなんか出るはずがない。
そんな俺をあざ笑うかのように、カマキリは近づいてくる。
のそりのそりと近づいてくる。
近づいてくるにつれ、その巨大さ、凶悪さ、グロテスクさを否応なく理解させられる。
カマキリと俺の距離が五十メートルを切った。
しかしまだ時間はある。
……そうだ時間だ。
俺はみんなが逃げるために、そして援軍を間に合わせるための時間を何とかしてひねり出すためにここに残ったんだ。
戦って勝とうなんて、そんなおこがましいことを考えなければいい。
いや、考えちゃいけない。
”気”をぶつけて注意をひきつけ避けに徹すれば、最悪でもみんなが逃げ出せる時間ぐらいは稼げるはずだ。
一時間、いや、運よく二時間稼げれば援軍が間に合うかもしれない。
カテゴリー五の妖魔を倒したことがあるという一花や、軍の精鋭たちが大挙して駆けつけてくれるかもしれない。
ようやく方針を決めることができた。
そう考えて俺はツルハシを背負い、カマキリを待ち受けた。
こいつはいざというときに使わせてもらおう。
避けに徹するなら手に持っていては邪魔だ。
カマキリは容赦なく近づいてくる。
三十メートル、二十メートル、十メートル。
奴の垂れ流す恐ろしいまでに濃密な”妖気”が、俺の”気”とせめぎあって、周囲でチリチリと紫電を発生させはじめた。
そろそろ奴の間合いだろう。
そう思ったとき、カマキリは二本のカマを振り上げて立ちどまったのだった。




