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第十話:さらに急転、そして再会

 今朝の目覚めは最悪だった。

 いつもは遥の元気な声か、琴音さんの優しい声で起きているのに、いきなり猫田に冷水を浴びせかけられたのだから。

 防寒対策で”気”を巡らせていたからよかったものの、そうでなければ風邪っぴき確定だろう。

 バケツ片手に嫌らしい笑みを浮かべている猫田が、憎たらしいことこの上ない。


 そして今、俺は猫田に放り込まれた牢屋の奥で木製のチープなイスに座らされ、その背もたれごしにずぶ濡れの状態で後ろ手に縛られている。

 こんなロープなら少し力を入れれば、簡単に引きちぎることもできるが、この状況になっても俺は遥の言いつけをかたくなに守っていた。

 それすなわち、軍人には逆らわないこと。


 凍てつくような冷たさの牢屋の石の床で明かした一夜。

 とは言っても”気”を循環させて体を温めていたので体調は悪くない。

 そんななかで俺は、睡魔に襲われ意識が遠のくまで考え抜き、そして出した結論が、遥の言いつけを守ることだった。

 今は耐えろ、何があってもどうされても、命に危機が及ばないかぎり耐え抜け。

 そうすることが遥とその家族のためになる。

 そう考えた。


「軍曹、尋問は我が隊の係の者がやります」

「軍規には、賊を捕えた者は、その概要を把握し、速やかに上官に報告すること、とある。昼までには報告を入れなくてはならない。もうあまり時間がないのだ、貴様は出しゃばるな」


 俺をイスに座らせ、後ろ手に縛ったもう一人の男にとって、猫田は直接の上官ではないようだが、階級と軍規には逆らえないようだった。

 猫田のセリフからするに、もう朝とは呼べない時間なのかもしれない。


「この前みたいにやり過ぎないでくださいよ」

「貴様は口を出すな! おい、小僧、確か空といったな。あの宝玉はどこで手に入れた?」


 もう一人の男のなにやら物騒な忠告ではじまった尋問は、なるほどその通り、分かりやすく暴力的なものだった。

 イスに縛りつけて身動きを封じた上で、容赦なく殴りつけてくるのだ。

 しかも、俺の答えを聞く前にいきなり顔面をである。

 答える暇さえ与えないとはこの男、ただのドSなのだろうか?

 相手がそう来るなら徹底抗戦だ。

 俺はもう何も答えてやるものかと黙秘を貫くことにした。

 黙秘するだけなら、逆らっていることにはならないだろう。


 誰しもこんな状況に巻き込まれれば、不安になり、まともな状況判断などできなくなると俺は思う。

 しかしこの時俺は、恐ろしく冷静に置かれた状況を把握することができていた。

 理不尽に殴られ、はらわたが煮えくり返っていることが、不安を吹き飛ばす要因になっているのかもしれない。

 さらに、俺が”気”による強化を使っていて、猫田程度の相手なら絶対安全が確約されていることも、冷静さを保てている一因だろう。

 べつに強がっているわけではないが、何発殴られても痛くもかゆくもないことは事実だし、いざとなれば逃げだすことも可能だ。


 しかし、猫田の殴打は痛くもかゆくもないが、わずらわしいことには変わりなかった。

 どの程度わずらわしいかといえば、それは夜寝ているときに払っても払っても近づいてくる、蚊の羽ばたく音に似ている。

 あの、プーンとくるアレと同じだ。


 そして殴りつけてきた猫田はといえば、俺が”気”で防御しているのは分かっているようだった。

 さらに、俺のことをただの平民だと思っていたのだろう。

 はじめは手加減している感じだったが、奴の拳から伝わってくる”気”が徐々に強くなっていることを俺は感じ取っていた。


「貴様も強情な奴だ」


 強情も何も、口を開く間も与えずに殴りつけてきやがった。

 そんな理不尽極まりないことを鼻息荒く言ってのける猫田に、このとき俺は『あぁ、この男、真正のSだな。それも相手を痛めつけている自分に酔ってやがる』と、思っていた。

 現に、猫田の両拳からは血が滴っているのに、恍惚の表情を浮かべていやがる。

 当然滴っているのは、俺のものではなく奴の血だ。

 興奮によって異常なほどまでにアドレナリンが放出され、痛覚がマヒしてしまっているのだろう。


 猫田が、イスに縛り付けられて一見身動きできない俺を、一方的に殴り続けるという尋問とはとても呼べない拷問行為をはじめてから、もうずいぶん経つ。

 何度でも言うが、その間俺は奴の拳に合わせて”気”で顔面を硬化し、強化していた。

 それも、あの山猿の頭を吹き飛ばしたレベルで。

 その結果が猫田の両拳から滴り落ちる血に繋がっているのだが、当の猫田はその血が俺のものとでも思っているのだろう。


 気色の悪い話だが、いまだに痛みを感じていないということは、もしかしたら奴は性的な興奮を覚えているのかもしれない。

 男を殴りつけて性的に興奮するなど、俺には到底到達できない未開の境地だが、奴はもしかしたらモーホーなのだろうか。

 いや、絶対にそうだ。

 モーホーの変態ドSなど、身の毛もよだつ最悪の相手だ。

 そういえば、昨夜の去り際に見せたあの嫌らしい含み笑いは、この変態行為を楽しみにしていたと考えれば得心がいく。

 猫田の見た目は割と細身の油顔でもない中年オヤジなのだが、モーホーの変態野郎といえば、筋肉ムキムキのイカした暑苦しいナイスGUYを想像していただけに、人を見た目で判断してダメなんだなと、このとき俺は思った。


「これほどまでに楽しませてくれる奴はお前がはじめてだ。しかし、これからはもっと楽しくなるぞ」


 恍惚の笑みをうかべてそう言った猫田が、再び俺を殴りはじめた。

 楽しませてくれるとは随分な言いようだが、これではっきりした。

 変態ドSモーホー説は確定だ。

 これから昼まで、この鬱陶しく気持ち悪い時間が続くのかと思うと反吐が出そうだった。


 そう思いはじめたときだった。

 何かが破壊されるような轟音が遠くで響いたかと思えば、その数瞬後に長い黒髪をなびかせた一人の女が、駆けこむように現れた。

 殴られているので視界がぶれて良くわからないが、まだ年若い女のようで、腰には刀を提げ、軍服だろうか襟章の付いた白い女物のスーツ? のようなものを着ていた。

 下は短い同色のスカートだ。


 牢の外に立っていた軍人は、現れたその女を確認するや否や、慌てて片膝をつき、胸に握りしめた片手を当てて頭を下げた。

 おそらく、相当に位が高い女なのだろう。

 殴られながらも猫田ごしに視線を固定してよく見れば、とびきりの美少女だ。

 そして驚いたことに、あれだけの音だったというのに、俺を殴ることに酔いしれている猫田は気づいていないらしい。


 女は鉄格子のトビラを両手でつかみ、食い入るように俺の方を見ている。

 そして、一瞬喜色を浮かべたかと思えば、それは鬼のような形相に変わり、ガチガチと鉄格子が音を立てはじめた。


「……ぃちゃんに、お兄ちゃんに! 手を! 出すなー!!」


 女は、絶叫とも呼べる甲高い叫びとともに、鉄格子の扉を力づくで破壊し、後ろに放り投げた。

 興奮状態にあった猫田も、さすがにこれには気づいたようで、表情は読み取れなかったが、後方すなわち女の方に首だけを回した。


 お兄ちゃんという言葉は俺に向けて言われたような気がする。

 というか、この牢屋には俺と猫田しかいないのだから、お兄ちゃんは俺以外あり得ないだろう。

 あんなに大きな妹がいた記憶は無い、というか、妹自体いた記憶すらない。

 なぜ俺があの美少女のお兄ちゃんなのか?

 どんな経緯でこんな展開になったのか?

 まったく分からない。

 俺はただただ成り行きを見守ることしかできなくなっていた。


 そんな俺に構うことなく、鬼の形相でツカツカと歩み寄った女は、猫田の奥襟をつかむや否や、そのまま後方に、それはもうゴミ屑のように奴を放り投げた。

 弾丸のように投げ飛ばされた猫田は、トビラの無くなった横の鉄格子に両足をぶつけて変形させると、そのまま廊下を飛び越えて向かいの鉄格子にぶつかり、その鉄格子ごと向かいの牢屋の奥の壁に激突していた。

 あれでは、すでに生きていないだろうと思えるほどの惨劇である。

 そんな猫田に気をとられていた俺に、女がすがりついてきた。


 そして、驚愕の一言を言い放つ。


「空お兄ちゃん」


 イスに座った俺の前に膝をつき、見上げてきた女の顔は、すでに涙でくずれ、ぐちゃぐちゃになっていた。

 俺は状況を追うだけになっていた思考のギアを切りかえ、フル回転させる。

 目の前の美少女は、面識すらないはずなのに俺の名前を知っていた。

 いや、面識がないということはないのだろう。

 俺が覚えていないだけで。


 そしてこの呼び方。

 俺には一人だけ、その呼び方をする人物に心当たりがあった。

 しかし、歳が違いすぎる。

 いや、俺がこの時代に来てしまった原因を考えると歳は関係ない。


「もしかしないでも一花ちゃん?」

「うん」


 やっぱりだ。

 顔は涙でぐちゃぐちゃだが、嬉しそうな笑顔を俺に見せてくれた。

 どことなくあのころの面影があるようにも見える。

 この美少女が、あの一花ちゃんなのは間違いないだろう。


 こうなってしまえば、軍に捕まっていることなどもうどうでもいい。

 俺は後ろ手に縛られていたロープを軽く引きちぎり、自由になった右手で一花の頭を昔のように撫でていた。

 涙で濡らした顔を嬉しそうに俺に向け、されるがままに撫でられている一花には、確かに小さい頃の面影が残っている。

 大き目の瞳に少し小さめの鼻、ぷっくり気味の可愛らしい唇はあのころのままだ。

 そして、改めて思うが、飛びきりの美少女に成長を遂げていた。

 ひとしきり撫でられていた一花が、心配するように俺の頬に手を伸ばしてきた。


「空お兄ちゃん血が出てる。あんなヒドイことされて痛かったよね」

「大丈夫、俺の血じゃないから。それに痛くはなかったよ」

「ゴメンね。今まで見つけてあげられなくて」


 そう言った一花は、我慢できなくなったのだろう。

 えずくように再び泣きじゃくりはじめた。

 それにしてもと俺は思う。

 ネックレスごときで軍に拘束され、理不尽な拷問を受けるというツイていないというか、不運極まりない展開の最中。

 思いもよらぬ形で成長した一花に再会し、俺は窮地を脱したのだった。


 いや、まだ脱したとは言い切れないかもしれないが、この状況を考えるに、脱したと言っても過言ではないだろう。

 こんな劇的な展開がはたしてあるものだろうか。

 どうせならもっと穏やかなというか、普通の再会を果たしたかったが、なにより、こうして一花に再会できたことが俺は嬉しかった。


「一花ちゃんのせいじゃないよ。それよりも涙をぬぐって。一花ちゃんに涙は似合わない」

「うん、空お兄ちゃん」


 そう言って手の甲で涙をぬぐった一花が立ち上がった。

 俺もつられてイスから立ち上がる。

 シェルターの前でこの前会ったときは、俺の腰のあたりまでしか身長がなかった一花だったが、今では少し見下ろすだけで顔が見れる。

 きっと、俺より十年くらい前にシェルターを出たのだろう。


「大きくなったね。一花ちゃん」

「あたりまえです。あれから三十年も経ってるのよ」

「そんなに……」


 少しむくれぎみにしている一花の見た目は、どう見ても十六、七だ。

 あれから三十年というのは一花がシェルターを出てからの時間だろう。

 そうだったとしても三十年というのは驚きだが、”気”の影響で寿命が延びた今の時代ならそれもありか、と、俺は無理やり納得することにした。


 それはそうと、表面上は冷静さを装っているが、あまりに急展開過ぎて、俺の頭はいまだに情けない悲鳴をあげている状態だった。 

 しかも、陽一さんや奥さんの希美花さんのこととか、気になることがありすぎて何から喋っていいのか迷っているところに、ひとりの軍人だろうか、色は藍色だが一花の上着と同じような服を着た短髪の男が現れた。

 見た目は三十前後、この時代なら百歳過ぎといったところか。

 顔かたちは非常に整っており、シャープなイケメンさんである。

 やっかみではないが、さぞ女にはモテることだろう。


 さておき、その男は俺に向き合っている一花の少し後ろ、今は無くなった牢屋の入り口で片膝をついて胸に手をあて、頭を下げたのだ。

 その脇で同じポーズをとっている俺をイスに縛りつけた男は、顔面蒼白になってガクガクと震えているのが分かった。


「その御仁が一花様のお探し人で?」

「そうです。ようやく逢うことができました。藤崎、戻ります。車の用意をなさい。それから、彼に合う服を」

「ハッ」


 俺に対したときとは別人のような口調で、車を用意するようにと言った一花は、その最中もまったく彼の顔を見ることなく、その視線を俺に投げかけていた。

 一花に藤崎と呼ばれた男は、向かいの牢屋で伸びている猫田には、一瞥をくれただけで走り去っていった。


 藤崎が去ったあと、なにげなくその向こうに視線を向けてみれば、グニャグニャに曲がった向かいの牢屋の鉄格子がその奥の壁にもたれかかり、その曲がった鉄格子に両腕を絡み取られたように猫田がぶら下がっていた。

 しかも、両足はスネのところからあり得ない方向に折れ曲がり、白目を剥いてだらしなく舌が出ている。

 俺の感覚では、あれはどう見ても死んでいるか瀕死の重傷だろうに、藤崎は一瞥をくれただけで構おうともしなかった。


 あの態度からすると、藤崎にとって一花の命令はそれほどに重要であり、また、彼女が彼よりも高い身分にいることだけは理解できる。

 しかも、俺をイスに縛りつけた男の震えようからすれば、一花がかなり大きな権力をもっていることも想像できた。

 俺の時間がシェルターの中で止まっているあいだ、いったい彼女はどんな人生を歩んできたのだろうか?

 聞きたいことは山のようにあるが、今はこの場所を一刻も早く去りたい。


「俺はここから出ていいんだよね?」

「もちろんよ。でもその前に服を着替えましょう。びしょ濡れだよ」


 そう言って俺の腕をとり、恋人のように寄り添って歩きはじめた一花だったが、はて?

 今の一花は、俺と別れて三十年も経つというのに、どうしてこれほどまでに俺のことを慕ってくれているのだろうか?

 どうして三十年経った今でも、俺の顔を覚えていたのだろうか?

 自慢じゃないが、俺は七歳のころの記憶などかけらも残っちゃいないし、その頃にあった人の顔などとっくに忘れている。

 という疑問点は、とりあえず横に置いておくことにした。


「あそこで伸びている男はあのままほっといていいの?」

「あたりまえです。空お兄ちゃんにあんなヒドイことしたんだから」

「でも死んじゃうよ?」

「べつに構いません。それに、あの程度で死ぬような軟な人間は公国軍にはいません。あの男にはこのあと、犯した罪にふさわしい罰を与えますが」

「そっか」


 今の一花に猫田の話題を出したのは失敗だったのかもしれない。

 その途端、幸せそうに俺に寄り添って歩く彼女の表情に、怒りが見て取れたのだから。

 本心を言えば、殴られいるときは、そのあまりのうっとおしさと理不尽さと気持ち悪さから、猫田には今すぐ死んでほしいとさえ思っていた。

 しかし、現実にこの悲惨な姿を見た今となっては、あの憎たらしい猫田が哀れにさえ思えてきた。


 この時代の人々が、人の死に対してどういった倫理観を共有しているのかは、まだあまり分からない。

 しかし人の死に対して、俺はまだ元いた時代の倫理感を引きずっていることは間違いないだろう。

 まるで、猫田がすでに亡き人のような言いかたをしているが、一花曰くあの程度で軍人は死なないらしいので、この話が彼の死亡フラグにならないことを、俺は少しだけ、ほんの少しだけ心の片隅で合掌して願った。


 そして俺は、真新しい濃紺のスーツを着せられて、ようやく軍施設を出ることができたのだが、思い返してみれば、一花に対する軍人たちの態度が、異様なまでにうやうやしく、近づくことすら許されない、まるで生き神を崇めるかのようなものだったのには驚かされた。

 あの施設、というか俺が捕えられていた棟の責任者らしき者に至っては、不手際を詫びる意味もあるのだろうが、終始無言の土下座状態で、額を廊下に貼りつけていたほどだ。

 一花は、そんな責任者と思われる男を、しかも見た目五十過ぎの、威厳のありそうな格好をした軍人の土下座を、さも当然のように一瞥しただけで通り過ぎていた。

 彼女の横というか、左腕を抱えるようにとられて、どう見ても幸せ真っ盛りのカップルのように寄り添って歩いていた俺は、態度にこそ出さなかったが、あまりの場違いさというか居心地の悪さに恐縮しきりだったというのに。

 ということは、彼女の身分か階級が、よほどやんごとなき地位にあることを裏付けていると俺は思うのだが、それは果たして。

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