第九話:急転した日常
和国南部、富士大公国と国境をまたぐ山岳地帯。
そこは現在も、ほそぼそではあるが発掘が続けられている鉱山だった。
時は深夜、その山岳地帯のふもとの、両国を結ぶ街道へと通じる道を、二頭の馬が猛スピードで駆けていた。
その馬を駆る人物は、二人とも風よけのフードを深々とかぶり、闇夜に溶け込んでいる。
「藤崎、馬も疲れてきたようです。この辺りで休憩を入れましょう」
そう言って馬を止め、下馬した女がフードを下した。
闇夜で顔はよく分からないが、鈴と透き通るような声だ。
「一花様、今年も良い情報は入手できませんでしたね」
一花と呼ばれたその声の主に引き続いて下馬した男、藤崎と呼ばれたその男が残念そうなトーンでそう言いながら彼女の下に跪き、フードを下した。
富士大公国筆頭騎士、高科一花は毎年恒例となった私的な鉱山の調査を終え、側近の部下と二人で帰路へと就いていた。
富士大公国は、大公高科陽一が功績の褒賞として和国朝廷より下賜された大公国であり、富士大公国はいわば、和国の属国にあたる。
一花は、その高科大公家の長女であり、大公位継承権第一位の身分にあった。
そんな一花の外出である。
それがたとえ私的なものであり、一日で行ける距離であったとしても、彼女の外出にはかならず護衛が随行することになっている。
その決まりはまったくもって常識的なものだが、彼女はそれを煩わしく思っている節があった。
しかも今回の場合は、和国がたとえ宗主国であるとはいえ、国外への外出調査でだった。
本来ならば、王族、それも継承権一位の王族の外出に、護衛がひとりだけというのはあり得ないことだ。
されど、一花は仰々しい護衛団を引き連れることをかたくなに拒み続けている。
公式行事であればその考えを異にするが、私的な行動に関して、彼女は己の考えを改める気はなかった。
それは、一花が”公国最強の始祖”と呼ばれるほどに、武において右に出る者がいないことに裏打ちされた事実があったからにほかならない。
それでも、両親や公国の重役たちからは、毎回苦言を呈されていた。
そしてそれは、今回ただひとり随行している大公国騎士、藤崎健吾も同様だった。
「今回は何事もなく終えられましたが、私としましては、随行者がひとりというのは改めて頂きたく」
「藤崎、その話は聞き飽きました。わたくしは考えを変える気はありませんよ」
上司が部下にお小言をもらっている構図、とは言っても闇夜でよく見えないが、その雰囲気に厳たるものはなかった。
他人が話の意味を解することなく、何気なく目にすれば、和やかな感じさえ受けるだろう。
「ところで一花様、そのシェルターとおっしゃられましたか、大公様ご一家がお入りになられていたといわれている。そのシェルターがもうひとつあったと」
「そうです。発掘師たちにはもう二十年以上探してもらっていますが、いまだに痕跡すらつかめていません」
「不躾ですが、なぜそれほどまでに」
「藤崎には言っていませんでしたか…… べつに隠すことでもないですし時間もありますから、教えましょう」
はて? と考え込むようなそぶりを一瞬見せた一花が、遠方を見つめるように話しはじめた。
「藤崎も知っていると思いますが、わたくしたち家族が入っていたシェルターは、あの鉱山から掘り出されました。掘り当ててくれた発掘師には今でも感謝しています。ですが、シェルターはもう一つあったのです」
「はい、そこまでは存じております」
いまだに藤崎は跪いたままだ。
それでも一花はかまうことなく話を続けた。
それは、一花を崇拝して止まない藤崎が彼女の話を聞くとき、楽にしていいと命じてもこの姿勢を崩そうとしないからであり、ふたりきりの時は、この振る舞いが彼女に対する彼のデフォルトだからだった。
「そして、もう一つのシェルターにはわたくしの大切な人が入っているのです。いまでもその人が助けを待っていると考えると……」
胸元の何かを握りしめるようにそう言った一花は、思いつめたように言葉を途切れさせた。
「ですが、一花様がそのシェルターをお探しになられて、もう二十五年ほどになると存じております。そのお方はそれでも生きておられるのでしょうか」
「絶対に生きてます。いいですか、絶対です」
一花のその言葉は、藤崎だけに向けられたものではなく、自分に言い聞かせているようでもあった。
◇◆◇◆◇◆◇◆
発掘師協会に遥とともに行った日から三日後にそれは起こった。
あと一時間ほどで夜の客が引きはじめる、まだまだ忙しい時間帯だ。
俺はといえば、いつものようにアルバイトに勤しみ、あと少しで夕飯にありつけると思いはじめたころだった。
「おい、小僧。おあいそだ」
声をかけてきたのは店の最奥、六人掛けのテーブルに居座る中年の軍人である。
俺はこの男に見覚えがった。
山から下りてきたときに橋を守っていた偉そうな軍人だ。
この男、名前を猫田といって、週一くらいの頻度で飲みに来ている。
店に来る常連の軍人は何人かいるが、猫田はその中でも特に気位が高い、厄介な人種だった。
今日も夕方から飲みに来て、指定席になっている六人掛けの大きなテーブルを、悪びれることもなく、さも当然のようにひとりで占有していた。
誰もが彼との同席を望まないため、いつも一人で飲んでいる、寂しく、そして迷惑な男だ。
猫田からおあいその一言が出ると、店内に安堵の雰囲気が広がるほどだった。
「はーい、ただ今参ります」
入り口近くのテーブルの食器を片付けていた俺は、早いとこお引き取り願おうと、レジ横に急いだ。
そして、猫田のおあいそ票を手にとり、彼の元へ向かおうとしたそのとき。
「おっとっと」
酔っぱらった中年オヤジがバランスを崩し、俺に向かってよろめいてきた。
その酔っ払いを受け止めきれずに、俺は抱き合うような形で尻餅をついてしまう。
「ヒック、ふぅ、すまねぇな兄ちゃん」
覆いかぶさりながら、真っ赤な顔にとろんとした目つきで、酒臭い息を吹きかけてきた酔っ払い親父を何とか立たせ、猫田のもとに急ぎ向かった俺だったが。
アルコールがまわり、緩んでいた猫田の目つきが急に鋭くなった。
「小僧、その首にかけている物は何だ」
さっきの酔っ払いに抱きつかれたとき、首から下げていた紫水晶が服の表に出ていた。
普段は服の下に隠れていたので、まだたぶん誰にも見られたことはない。
「ああ、これですか? これは紫水晶ですが」
「なぜ平民風情がそのようなものを持っている?」
「これに価値なんてありませんよ。それに、これは俺が磨いて作ったものです」
「嘘をつくな小僧。それは貴様のような下民が手にしていいものではない」
確かに、発掘師が掘り当てた宝石関係については、その全てを協会に報告しなければならないと書いてあった。
しかし、たかが小指大の紫水晶だ。
アメジストともいうが、こんなものに宝石的価値などほとんどない。
こんなものを身につけているだけで、鬼の首をとったように責め立てられるなど、想定の埒外だ。
「宝玉の窃盗容疑で貴様を逮捕する。大人しくついて来い」
猫田に手首を背中の後ろに捻りあげられ、押されるように強引に店の外に俺は連れ出された。
何人かの客が、俺の方をかわいそうな人を見る目で傍観していたが、せわしなく厨房で働く遥の家族や、やとわれている料理人は誰も気づいてはくれなかった。
ついて来いと言いながら、実際には手首を捻りあげられ、押されるように俺は歩かされている。
「痛いから放してくれ。逃げたりはしない」
「黙れ!」
「せめて店の人に伝えさせてくれよ」
「うるさい。黙って歩け!」
本当は痛くないのだが、なにを言おうが聞く耳持たない猫田に、俺の怒りは爆発寸前だ。
しかも猫田はお代を払っていない。
このまま支払わなければ食い逃げだ。
もしかしたらそれを狙っているのか?
そんなことも俺の怒りを増長させていた。
しかし、このとき俺は遥の一言を思いだした。
『いい? 軍人とか貴族に逆らっちゃだめだからね』
なぜ逆らったらダメなのか、詳しくは聞かなかったが、彼女があれだけ強調していたことを考えると、ここは大人しく従うしかないのか?
ここでもし俺が逃げ出したり、叩きのめしたりしたらどういうことになるのか?
俺が”気”を使って本気を出せば、いや、本気どころか一割の力さえ要らないような気もするが、逃げることも叩きのめすことも容易にできるだろう。
猫田から伝わってくる”気”の量と強さは、遥と比べても十分の一程度なのだから。
しかし、怒りにまかせて安易な行動に出てしまっては、遥の忠告を無駄にしてしまうし、第一、彼女とその家族に大きな迷惑をかけるかもしれない。
たぎる頭でそんなことを考えながらも、人通りも少なくなった暗い夜道を、引っ立てられるように歩いている俺は、たまに通りかかる人に、汚いものでも見るような目つきで見られていた。
遥に聞いた話だが、公国に警察専門の組織はなく、軍人が警察権を持って兼任しているらしい。
今の俺は、どう見ても軍人に捕まった犯罪人なのだから、何も知らない人から見れば、捕まったコソ泥くらいにしか思えないのだろう。
それでも、俺はなにも悪いことをしたとは思っていないし、理不尽に犯罪人扱いをされて、怒りのボルテージは上がりっぱなしだった。
二月中旬という季節もあって、凍えるような冷たい夜風に晒されながら歩いているが、怒りのためにまったく寒いとは思えない。
そんな中で、まともな判断ができるわけもなく、今はただ、これ以上問題を大きくしないように大人しくしているしかないのかと、歩き続けた。
そして、一時間ほど経っただろうか、道の正面にレンガの高い壁と太い鉄柵門が見えてきた。
怒りのせいでどんな道順を辿ったのか覚えてはいないが、四、五キロは歩いたはずだ。
おそらくここは、街の外れにある軍施設なのだろう。
「罪人を捕えた。とりあえず留置場まで連行する」
「ハッ、お疲れ様です。軍曹殿」
猫田の肩章を確認した衛兵が片開きの鉄柵門を開け、俺はその奥に見える無機質なコンクリートの大きな建物へと連れて行かれた。
そして、その建物の地下。
陰気くさい雰囲気の廊下を挟んで、鉄格子で仕切られた部屋が並ぶところへと連行され、最奥の一室へと放り込まれた。
どうみても牢屋であり、完全に犯罪人扱いだ。
隣の部屋は壁で見えないが、正面と斜め前の部屋は、鉄格子越しに見ることができた。
連れて来られる途中の牢屋には、何人かの罪人らしき者が投獄されていたが、この部屋から見える範囲に罪人の姿は確認できない。
「この宝玉は証拠の品として没収する。明日の取り調べでみっちり絞り上げてやるから覚悟しておけ」
鉄格子越しに、俺から奪った紫水晶のネックレスを見せつけた猫田は、どこか満足そうなしたり顔で去っていった。
おおかた、俺を捕えたことを手柄にでもしようと考えているのだろう。
そう考えると、無性に腹が立ってきた。
腹は立つが、今はどうするかを考えなければいけない。
このままおとなしく牢屋で一夜を過ごすか、それとも強引に鉄格子を破って逃げ出すか……
ダメだ、あまりにも理不尽な目にあわされたおかげで、まともに考えることができない。
あのしたり顔を思いだしただけで怒りが込み上げてくる。
込み上げてくるが、早計なことだけはしない方がいい。
一度は遭難寸前の絶体絶命の窮地に立たされ、いや倒れたのだが、それは置いといて、せっかく安定した生活をとり戻したばかりだ。
怒りにまかせ、ここで爆発してしまえば、遥たちとの楽しい暮らしを奪われるばかりか、彼女たちにも大きな迷惑をかけることになるだろう。
そういえば、連行されているときも同じようなことを考えていたな……
と、思い出すことができたことで、俺は冷静さを取り戻すきっかけをつかんだ。
とはいっても、怒りの感情がいまだに渦巻いていることに変わりはない。
ここは冷静になるんだ。
猫田のクソ野郎には必ず仕返ししよう。
そう思うことにして、無理やり俺は感情を抑え込んだ。
腕をくんで牢屋の中央にどっかりとあぐらをかく。
貼りつくような床石の冷たさが尻に伝わり、怒りで火照った俺の体を、少しだけクールダウンしてくれた。
とはいえ、季節的にはまだまだ寒い二月中旬の真夜中だ、暖房の無い地下の牢屋で、その冷たさはしだいに耐え難いものになっていった。
もうクールダウンどころの騒ぎではない。
このままでは風邪をひく、というか凍え死ぬ。
そう考えてしまうところが、この時代の常識に、いまだなじみきっていないことの表れだろう。
そう、よくよく考えれば”気”を循環させて体を温めれば、寒さはしのげるのだ。
しかも、俺には常人を逸脱するほどの”気”がある。
これを使わない手はなかった。
というか、完全に忘れていた。
悔しいので、怒りのあまり忘れていたということにしておこう。
なんて、言い訳がましいことを考えていたら、猫田のことなんかどうでもいいとさえ思えてきた。
とりあえず俺は”気”を循環させて体を温め、今後のことというか、今回の件について改めて考え直すことにした。
考え直すことにだのだが、名案などは浮かぶはずもなく、ただ時間のみが過ぎ去っていった。
◇◆◇◆◇◆◇◆
一花が視察から宮殿に帰りついたのは、もう朝とは呼べない時間帯になっていた。
藤崎は街に入ったところで別れ、軍本部へと向かった。
「ただいま戻りました」
宮殿の最奥、高科一家の居住屋敷に戻った一花は、結果を報告するために両親の部屋、すなわち大公夫妻の部屋へと顔を出した。
しかしそこは一国を治める大公の部屋だ。
部屋というにはあまりに広く、そして豪華な家具や調度品で飾り立てられている。
この部屋は宗主国である和国朝廷より下賜されたときのままであり、高科夫婦は当初、豪華すぎるというか贅沢すぎて居心地が悪いと漏らしていたらしいが、今では慣れたらしい。
豪華なソファでくつろいでいた一花の母、希美花の見た目は、どうみてもまだ二十歳を過ぎたばかりだ。
というか、一花の姉にしか見えない。
「あら、遅かったわね、一花ちゃんお帰りなさい。その様子だと、今回も手掛かりなしだったみたいね。あっ、そうそう、さっき陽一君が探してたわよ。かなり慌ててたから、何かあったんじゃない? 今は執務室にいると思うわ」
表情のさえない一花を一目見た希美花は、事情を察したようだ。
しかし、ついいましがた夫の陽一が娘を探していたことを思い出し、それを告げたのだった。
「そうですか」
元気なくそう返事した一花は、大公であり父でもある陽一の執務室へと足を運んだ。
「ただいま戻りました」
一花を見て一瞬ほっとしたような顔をした陽一は、まくしたてるように話しはじめる。
「いいか一花、落ち着いて聞くんだ、一花」
「お父様が落ち着いてください」
「これが落ち着いていられるか、いいか、ビッグニュースだ。落ち着いて聞けよ一花、ビッグニュースだ一花」
「言っていることが滅茶苦茶です。お父様」
慌てふためくようにまくしたてる陽一に、一花はあきれ果てたようにそっけなく返していた。
が、次の陽一の一言で、彼女も冷静ではいられなくなってしまう。
「空君らしき人物が見つかったんだ」
「なっ、なんですって!! お父様! どこに、空お兄ちゃんはどこに」
一花は陽一の言葉を聞くや否や、その肩をむんずと掴んで激しく揺すりたてていた。
最強の始祖と呼ばれている一花のゆすぶりだ。
常人が喰らえば軽く絶命しているであろうが、陽一もまた、かつて最強と呼ばれた男だった。
実の娘に肩をゆすられた程度で死ぬことはない。
「わかった。わかった。話すから手を放してくれ」
しかし堪えることは堪えるようで、一花に手を放してもらった陽一はフラフラになりながら続きを話しはじめた。
「発掘師協会に空と名乗る”気”力一万を超える人物が訪ねてきたそうだ。住居も分かっている。あの空君以外あり得ないだろ? 一花」
「その住居とはどこです! お父様お願い、早く教えて」
「あわてるな、一花。そこにいるのが空君だけならいいが、そうではあるまい。そんな場に我々がいきなり訪れるわけにはいかんだろう。つい今しがた使者を送った。じきに分かることだ」
「そう…… ですね。取り乱して申し訳ありません」
ようやく落ち着いた一花だったが、それは表面的に繕っているだけだ。
その本心は、場所さえわかればすぐにでも飛んで行きたいのだ。
そんな時だった。
「失礼します」
漆塗りの木の盆に、小指の先ほどの大きさの紫色の宝石がついたネックレスが乗せられ、それをうやうやしく、陽一と一花の前に差し出したのは藤崎だった。
「一花様がこれと同じ宝玉をお持ちだったと記憶しております」
ネックレスを一目見た一花の表情が急変する。
大きく目が見開かれ、食い入るように凝視したかと思うと。
「こっ、これをどこで!」
「空と名乗る平民が所持していたらしいのですが、軍本部に捕えてあるそうです」
ネックレスを手に取った一花が執務室を飛び出した。
藤崎は片膝をついた姿勢で首だけを回し、それを呆然と見やるしかなかった。
陽一は額に手をあてて諦め顔だ。
「藤崎、お前も早く行ったほうがいい。その平民を捕えた者が殺されるぞ」