その4
おきちは、自分の書いた金釘流の書付を、何度も読み返している。
顔を上げ、近藤を、そして南田をチラチラと見ている。
「何じゃ、こんな断片ばかりでは、どうしょうもないわ!天下のお庭番も口ほどにもない奴らじゃ」
のんびり屋の近藤にしては、珍しく怒っている。
南田がおきちに声をかける。
「何か気がついたようじゃのう。言いたいことがあれば遠慮せずに申してみよ」
南田に背中を押されたおきちが、意を決したように喋りだした。
「恐れながら、全てが出揃ってはおりませぬが、最低必要なことだけは、分かると存じます」
「なんと、材料が揃わなくとも判るとな・・・申してみよ」
「はい、御恐れながら申し上げます」
おきちは手控えを、何枚も自分の前に扇形に並べて、おもむろに切り出した。
「男同士の試合はなかったということでございました。」
「そして、はる香と菊池流が同じ回の試合で、それぞれ男に敗けた、との報告がございました」
「準決勝は二試合行なわれます。二つ以上試合が有るのは準決勝以下でございます」
「もし準決勝で、はる香と菊池流がそれぞれ男に敗けたとすれば、決勝戦で男同士の対決が行われることになります。故に、はる香と菊池流が負けたのは最初の試合しかございません」
「なるほど。その通りじゃ」
「このことから、少なくとも二人の男が準決勝に進んだことがわかります」
「吉川が男の中では一番上まで勝ち進んだとあります。ならば、準決勝に勝ち上がった男は吉川ともう一人。そして、吉川は決勝まで駒を進めことになります」
「逆に申せば、準決勝に進んだもう一人の男はそこで敗退しております。更に、三人の男のもう一人は初戦で敗退ということが判明致しました」
「亜麻鴎は新垣より年上、新垣は風間党の男より年上という情報がございます。並べれば、歳の順に亜麻鴎、新垣、風間党という順になります」
「つまり、亜麻鴎は21か20、新垣は20か19、風間党は19か18となります。お分かりいただけますでしょうか?」
「同様に、優勝者は雫より年下ということと、偸より年上という。これも並べてみれば、雫、優勝者、偸となり、雫は21か20、優勝者は20か19、偸は19か18となります」
「初戦で羽黒流と対戦した男は、亜麻鴎より年下で、望月ののうより年上であるという。従いまして亜麻鴎は21か20、羽黒流と闘った男は20か19、望月は19か18となります」
「つまり、亜麻鴎、ほのか、雫の三人は、21か20ということがわかります。残りの二人は、はる香と紅頬。偸と望月は共に女だとありました。ならば、偸と望月は、どちらかがはる香で、どちらかが紅頬となります」
「よくこの断片的な情報から、導き出すものよのう」
近藤が感心する。
おきちが話を進める。
「三人の男を考えてみれば、三人の内二人は同い年だと・・・一人は21か20、残りの二人は20か19。同時に、はる香と紅頬も同い年だったということがわかります」
「新垣は風間党より年上ということから、20歳に決定。亜麻鴎は新垣より年上なので21歳となります」
「亜麻鴎が21歳、男2人とはる香、紅頬で19歳と18歳が埋まっています。一回戦で十河流と対戦した女は亜麻鴎より年下だったと。当てはまるのは雫しかおりませぬ。つまり、雫は20歳、ほのかは21歳となります。これで21歳と20歳の4人が判明しました。」
「はる香と紅頬、吉川と北川の四人が19歳と18歳に決まりました。優勝者は19歳か18歳で、しかも偸より年上。つまり、優勝者は19歳となるわけです」
「偸は女で、はる香、若しくは紅頬。故に、女2人は18歳だから、吉川と北川は19歳となります。このどちらかが優勝者なのですが、男の中では吉川が一番上まで勝ち進んだから・・・・」
「つまり、勝ち残ったのは、吉川友衛門だったというわけか。わかった」
南田が聞く
「風間党の吉川友衛門の得意技は何だったかな?日吉殿。おぬしが誰よりも一番よく知っているはずだが」
南田の左手親指に力が入る。鯉口が切られるのをみた日吉は、パッと立ち上がったが、おきちが袂から捕り縄を取り出し、日吉めがけて投げつけた。
捕り縄は、狙い違わず日吉の左手首に絡みついた。
日吉は懐から右手で小さな筒のようなものを取り出し、口にあてがおうとした。
南田が懐から取り出した礫を日吉の顔をめがけて投げつけた為、日吉はよけたが、左手を捕り縄で引っ張られている為、体勢をくずして筒を落としてしまった。
南田が鉄扇のようなものを振った。
おきちの目には、鉄扇の先から白い光が飛び出て、また吸い込まれたようにみえた。
日吉の髷が宙を舞っているのが見えて、「あっ」と思い、一瞬油断して視線を外した。日吉が吹矢の矢を投げ、おきちの胸に突き刺さった。
思わず捕り縄が緩んだ瞬間、捕り縄が外されてしまった。
ざんばら髪のまま、庭に飛び出そうとしたが、公儀隠密であろう忍びに囲まれていることに気がついた日吉は振り向いた。
諦めたように、殺気は消えている。
おきちに向かって、
「投げ縄は、お嬢さんにしちゃ上出来だ。しかし、さっきみたいに気を抜いたら命取りになるぜ」
南田に向かって聞いた。
「どこで、気がつきなさった?」
鉄扇で首すじをペタペタと叩きながら
「お前が山王弁天の日吉ではないことは、最初からわかっていた。俺は、日吉が13の時に会っているのだ。それに、私は、「伊賀者が好む色」とは言ったが、お前は「柿渋色」と答えた。公儀隠密・忍びの服装なんて、普通の人間は知らねえよ」
「・・・」
「日吉ではないのはわかる。だが、どこの誰が何のために化けているのか判からねえ。だから様子をみてたのさ。おきちがキッチリ解き明かしてくれたが・・・」
「ハナからの負け勝負ですかい」
南田がおきちに声を掛けた。
「大丈夫か」
「はい」
「おきちも、こやつが日吉ではないことは知っていた筈だな」
「はい、最初から。やはり目的が判りませんでした。矢文を取りに行ったときの足跡が全く同じ歩幅。このような歩き方は、盗っ人が歩幅で距離を測る為に歩くのと同じだと、おとっつあん・・・いえ父に教えて貰いました。」
「盗っ人と思ったか」
「はい」
「日吉いや吉川友衛門、腕はいいのだろうが忍びとしちゃ落第だ。噂を信じちゃぁいけねえぜ」
「むむ・・・」
「お前が化けた山王弁天の日吉っていうのはな、男っ振りのいい、鯔背な若い衆だともっばらの噂だ。だが、お前は確かめなかった。確認してりゃお前ほどの男だ。日吉の名前をかたったりはしないだろうぜ」
「ん?・・・」日吉こと吉川友衛門には、訳が判らなかった。
「判らないか?」
「最近、山王弁天の日吉の噂を聞かなくなったのは奉公に出たからさ。どこに奉公に出たかというと・・・俺も今日まで知らなかったが、ここさ。この近藤屋敷だよ。山王弁天の日吉ったぁ、お前の目の前にいるおきちのことさ」
「なにっ!!」
「徳川の世であろうがなかろうがどうでもいいが、戦や争いのない天下泰平の世が良いのだ。世が乱れちゃ庶民が迷惑すらぁ。悪いことはいわねえ。反将軍家連合なんてやめときな」
日吉、いや吉川友衛門は、じりじりと忍び達が、間合いを詰めてくる気配を感じている。
「お借りしやす」
言うが早いか、斜め横っ飛びに天井裏に飛びついて、そのまま座敷の奥まで三角飛びし、床の間の刀掛けに架けてあった近藤の小刀を奪い
「御免なすって」
庭に飛びおりた・・・ように思ったが、既に松の根元に立っている。
先程の矢文を取りに行ったときに計っておいたのだろう。ひとっ飛びであった。
次の瞬間姿が消えた。
松の木には、十字や八方、棒手裏剣などまるで手裏剣の見本市のように突き刺さっていた。
「おきち、いや日吉、大丈夫か」
「はい。風間が投げた吹矢の矢は突き刺さりましたが、これこのとおり、頂いた御守りが守ってくれました」
いつも首から掛け肌身はなさず身につけている御守りに刺さったようで、日吉に傷はなかった。
改めて、座敷に座り
「おきちを知っているとはのう、世間は狭いのう。しかも、おきちが日吉とは全く気がつかなかった」
近藤が首を振っている。
「南田様、改めて、五年前のお礼を申し上げます。本当に有難う御座いました」
「待て待て、何の話じゃ。儂にも判るように話してくれ」
近藤が割り込んでくる。
「私がまだ子供の頃、ガキ大将とはいえ、子供の喧嘩。子供の喧嘩に大人が乗り出してきました。カラが少々大きいとて、大人の男二人にはかないません。危ないところを助けて頂きました。それ以来でございます」
まだ子供とはいうものの、日吉にとって、ならず者二人に船着き小屋に引きずり込まれ、帯まで解かれて恥ずかしい姿を見られただけでなく、危うく傷物にされるところであった。
気を失う前に、男二人の髷が宙を舞ったのを見た・・・先程の吉川ように。
あの時を思い出して、ドキッとした瞬間、吹き矢の矢を投げられ、捕り縄が外された。
その前に、三本松船着き小屋の話に動揺して茶碗を落としてしまっている。
あの二人がいつか現れるのではないか? ひょっとしたら今日明日にでも・・・
絶対に、人目に触れることのない太腿の付け根にある赤い痣を見られているから、あのならず者に、身を任せた傷物だ、といいふらされるのではないか? 違うと否定しても、証拠は赤い痣と言われたら、信用されてしまう・・・。
助けてくれた人にもすべてを見られた。
そして、今後危ないことがないようにと御守りを掛けてくれたという。
それこそ肌を合わせたというか、おぶって連れて帰ってくれたらしい。
私の全てを見たのがどこの誰か判らないのは、不安で仕方なかった。
半分夢うつつ、半分気を失っている状態で、はっきり覚えていない。
以来、男のように振る舞い続けていたが、心配した親類が行儀見習いの奉公に出したのが、近藤の屋敷であった。
このような話であったとは、近藤であれ誰であれ、口が裂けてもいえない。
その助けてくれた、誰か判らない人が・・・いま、現れた。
南田が人事のように話をはじめた。
「近藤殿、私が日吉と会った丁度その日の暮れ六つに・・・伊勢屋新兵衛の事件があった。上方の事件同様に、頬かぶりした男が二人、風間党の指定した場所に現れた」
二人が固唾をのんで、聞き耳を立てている。理由は全く違うのだが・・・。
「小草川の一本松の所じゃ。両奉行所と火盗改めが待ち伏せ、大番頭が五百両持って立っている所に、匕首持って飛び込んだのでは、飛んで火に入る夏の虫」
「一人は火盗改めに斬り捨てられ、もう一人は捕らえたが直ぐに打ち首になって小塚原で晒し首になった」
「あの事件か・・・話には聞いている」
「その男は二人とも、髷を切られて、ざんばら髪だったそうじゃ。どうやら、三本松の方から来たようだ」
横目で南田がおきちを見ている。
近藤は近藤で、大坂での痛い目に遭ったことを思い出している。
おきちこと日吉は、自分が襲われたのは、もうすぐ暮れ六つだから急いで帰ろうとした時刻から考えて、南田に髷を切られて、三本松の船着小屋から、そのまま一本松の方へ追い払われたとすれば、間違いなく、私を襲った男二人と思われる。
あの後直ぐにこの世から消えているとは知らなかった。
安心したのと、恥ずかしさで、日吉は突っ伏すように頭を下げていたが、肩が小刻みに震えていた。
「それにしても大きくなったというか、美しい女御になられた。眩しいくらいじゃ」
近藤は、奪われた小刀の掛けてあったところを見ながら、他人事のようにのんびりと、
「あの風間もたいしたものよ。儂のところが隠密を始め、調べが集まるところと見抜いておったのだろう。お夕のことも、儂らに取り入る為に、仕組まれたことであったかも知れぬなぁ」
「しかし、流石は公儀隠密、よくこの屋敷に風間が居ることを突き止めたものよ」
南田がこともなげに言う。
「先程、脚に文を付けた鳩が半蔵門の方に飛んで行った。用人の原城殿が放ったものでしょう」
拍子がぬけたように、
「左様か・・・」
「あの風間は、どうしたであろうかのう。伊賀・甲賀・黒鍬・裏柳生が、仇討ちとばかりに襲い掛かっているであろう。なかなかいい男ではあったのだが、助かるまい・・・これで一件落着じゃが、反将軍家連合は今後どうでるか」
「親藩と外様大名に、それぞれに釘をさせば、収まるでしょう」
「あとは、幕閣の仕事じゃ、任せておこう。おきち、南田殿にも夕餉の用意じゃ」
「はい」
いそいそと台所に向かう、おきちこと日吉であった。