003 留守電+再生=心変わり
『しゅうちゃんのバカっ!! ずっと、ずーっと一緒にいてくれるってゆったじゃないっ!!』
『ごめんね、ごめんねっ! でもぼく、絶対おっきくなってちーちゃん迎えにいくから、約束する』
『そんなの信じられないっ!! しゅうちゃんのバカっ、嘘吐きっ!!』
『それでも、ぼく、迎えにいくから。絶対――!』
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ピピピッ、ピピピッ、ピッ……
鳴り出した携帯のアラームを手探りで止め、そのまま時間を確かめる。バックライトで照らされた画面には、六時を少し過ぎた時刻が映し出されていた。
電源ボタンを何度か押してスヌーズも解除する。再び毛布に包まろうとして、着替えもせず寝たのを思い出した。温もりが残る寝具たちの誘惑に大いに迷ったが、枕カバーに残るグロスの煌めきを見付けてしまい、私は仕方なくベットから起き上がった。
「……うぅ。せめて化粧は落としておくべきだったか……」
洗面所の鏡に映った自分に戦々恐々としながら、風呂の準備をする。溜まっていた洗濯物を回している間にシャワーを浴びた。
色々とサッパリとさせた私は、リビングで適当に買い置きしていた菓子パンを頬張る。
「んう……むぐ……コレ、中々イケる」
時折、感想をこぼし、お茶で喉を潤しながら黙々とパンを口に運ぶ。そうして十分もしないうちに菓子パンを平らげた私は、ゴミ箱の上で手に付いたパンくずを落とすと徐に立ち上がり――ベットの隅に放り出していた携帯が着信を告げるランプを点滅させていることに気が付いた。
一定の間隔でチカ、チカと光るランプの色は電話帳に登録がないことを示していて――。
メルマガかなにかだろうと適当に当たりを付けて携帯を開いた私は、待ち受けに表示されていた留守電と着信を知らせるアイコンに首を捻る。訝しみながら開いた着信履歴に残っているのは知らない番号。
(間違い電話かなぁ……? 普通はメールだよね? 知らない番号だし……)
間違いで入れられてしまったメッセージを聞くことに少しだけ抵抗を感じながら、いつ履歴が残されたのかと日時を確認した瞬間、私は携帯を取り落しそうになった。
(……十二月二十四日……二十二時四十二分…………まさか、ね……)
身に覚えのありすぎる日時の羅列に、ゴクリと唾を飲み込んで携帯を操作する。後はボタンを押すだけのところまできて、指がピタリと止まった。
(別に、聞く必要もないよね……)
もしも、本当に大切な要件なら、またかけ直してくるだろう――そんな風に私は自分に言い繕う。
……それが『逃げ』だということぐらい、わかっていた。これ以上、傷付きたくなくて、目を逸らして気付かないフリをしているだけだと。
(……でも、そうだとして、なにがいけないの? 傷付きたくないと思うことのなにがいけないの?)
自己防衛したってバチは当たらないはずだ。だから、消してしまえばいい。そう、思うのに、指は一行に動かず……。それからどれくらい経ったのだろう。一分か二分か、はたまた数十分か。バックライトの消えた黒いディスプレイを見詰めたまま――。
……私は、なにもできずにいた。
何度も何度もどうして迷うのか、どうして動けないのか、自問自答しても答えは見付からない。
自分の気持ちすらわからず、私はギュッと目を閉じた。
(あぁーーもうっ! 私は結局、どうしたいのよ!?)
苛立つ衝動に駆られるまま、まだ生乾きの髪を掻き毟る。一頻りそうして落ち着いた頃、あれだけ迷っていたのが嘘のように答えは出ていた。
(どうせ、なにをしたって後悔するんだから、聞いてやろうじゃないの!)
勢いが衰えぬうちにメッセージを再生すべく、親指に触れるボタンを押しこんだ。
『…………もしもし、千紗? 俺――葛城修一です』
耳にあてた携帯のスピーカーから流れ出した優しくて甘い声に、ツキンと胸が痛む。思わず停止ボタンを押そうとするが、まるでそうすることを知っていたかのように続いた彼の『切らないで!』と、必死な声が私の指を引き止めた。
『切らないで……最後まで、聞いて欲しい』
息を吸う小さな音と間。
『……俺が今さらなにを語っても、言い訳にしかならないのはわかってる……信じてもらえないのもわかってる。……千紗に、俺の言葉を聞く義務も義理もないってことも』
一息に紡がれた言葉の端々から伝わってくる後悔の色に、私は戸惑った。なぜ彼はこんなにも苦しそうなのだろうか――と。
(それとも、賭けはまだ、続いていて、私の同情を引こうとしている? でも――)
彼の声に滲む苦渋が、そう思うことを許してくれない。――なぜ、どうして、と、そればかりが胸の内をぐるぐると巡り、その答えを求めて懊悩する私をよそに、メッセージは流れ続けていた。
『でも、どうしても、伝えたくて……』
そしてまた、息を吸う小さな音と間が入る。
『俺は……俺は、千紗を騙したかったわけでも、傷付けたかったわけでもないんだ』
言い淀みながらも吐き出された言葉に「嘘つき……」と呟きを漏らしてみるも、彼に言い捨てた時ほどの力も勢いもない。
……不思議だっだ。それと同時に呆れもした。何度も騙されるなと、これは彼の演技なのだと言い聞かせているのに、彼の声を聞けば聞くほど騙されてもいい、彼を信じたいと思う自分に。
(……私って本当に、どうしようもないかも……)
そう――信じられないことに、私の心は揺れていた。
ふーっと漏らしたため息と共に瞳も閉じれば、目蓋の裏には真剣な眼差しをした彼がいて――。
『都合のいいことを言っている自覚はある……これが自己満だってことも…………って、ごめん。言い訳がしたかったわけじゃないんだ』
本当のところは何一つわからない。彼がどんな顔で、どんな思いでこのメッセージを吹き込んでいたのかなど、わかるはずもない。……だというのに、私は期待しているのだ。伝わってくる思いが真実だ、と。
(私はきっと、なにか事情があったんだって……そう、思いたいんだ)
そこまで考えたところでもう一度ため息を吐いた私は、閉じていた目蓋を押し上げた。視界に入ってきたのは見慣れた部屋の壁と、そこに掛けられた七時を指そうとする時計の針。携帯を押し当てている耳には、いまだに続く彼の声。
『……今日は、ありがとう。数時間だったけど、こんなに楽しかったことって今までになかったから……』
そして――どんどん大きくなっていく期待する気持ち。
焦れるような私を知ってか知らずか、言葉を止めた彼は、深呼吸でもしたように大きく息を吐き――。
『本当に、ありがとう』
――そう、告げた。