002 鳴り止まない電話+ゲーム=噓吐き
「それではどこか行きたいところはありますか? お姫様?」
公園を出ると彼はさきほどとは打って変わった恭しい態度でそんなことをいうので、私は口元に笑みが浮かぶのを止められなかった。
「私の行きたいところかぁ……。うーん……、よしっ!」
そういって顔を上げると、ふわふわと笑ってこちらを眺めている彼の瞳とぶつかり――治まりかけてた胸の鼓動が再びドキリと大きく鳴った。
その胸の鼓動に後押しされるように私は早口かつ叫ぶようにいいきった。
「えっと、あのね、私、あんまりこの辺のこと知らないの。だから、その、修一くんにお任せするっ!」
ちょっとあたふたしてた私に彼はオーケーと笑って先に歩き出した。私はその背中をぼんやり眺めながら思う。
(私、どうしちゃったのかなぁ……)
なぜ、こんなに胸が苦しいのだろうか。
出会ってまだ数分しか経っていないのに、大荒れな心の動きに戸惑って――。
――ゴツッ!
白い星が目の前で散った。
「痛っ!? な、なに!?」
「大丈夫? 千紗?」
慌てふためく私の鼻先を甘い香りがくすぐった。
そして気が付くと数センチ先に私の顔を覗き込む彼のやわらかい瞳が――。
「――っ!!」
私は声の無い悲鳴を上げた。
「ははっ。千紗って可愛いね」
彼の吐息が前髪を揺らしてそっと離れた。
私はおでこを片手で押さえつつ、目の前の電信柱を蹴り付けた。
そう、私は間抜けにも考え事に夢中になって電信柱にぶつかったのだ。
(穴があったら入りたいっ!)
今ならゆでダコにも勝てる。そんなくだらないことを本気で考えながら、私は熱く火照った顔を俯かせた。
「ねぇ、千紗。……手、繋ごうか」
「え……? …………ぇえ!?」
その唐突な物言いに私は弾かれるように顔を上げ、そのまま照れ臭そうに片手を差し出している彼を茫然と眺めた。
「そんなに驚かなくても……」
彼は差し出している手と反対の手で頭を掻きながら続けた。
「だって千紗、ほっといたら色んな所にぶつかりそうだから」
「それは――」
手を繋ごう発言でどこかに飛んでいったはずのゆでダコが再び顔に舞い戻ったのを感じながら、私はなにかいわなくてはと必死になった。
「ははっ。やっぱり千紗って可愛いね」
そういいながら彼は私の手を優しく、けれど強く掴み、そして引いた。
「きゃっ!?」
その強さに思わずよろめき私は小さな悲鳴と共に彼の腕の中に倒れこんだ。
そして、そんな私の耳元で彼は低く囁く。
「どうせぶつかるなら俺にしてよ」
はい。と素直に答えたくなるような甘い囁きだった。
「じゃあ、行こうか」
彼は何事も無かったかのように私を腕の中から解放すると歩き出した。もちろん、その手は握ったままで。
「後さ『くん』とか付けなくていいよ、俺の名前。……似合わないし」
私の手を引き先を歩く彼の表情は見えないけれど、空いている片手は頭を掻いていて、それは彼が照れている時の仕草なのだと唐突に気が付いた。
だからか私は彼の顔を見てやろうと、小走りに彼の前に回り込む。
「ぷ、あははっ」
私よりほんの少し高い位置にある彼の表情に思わず吹き出ししまった。
「顔、真っ赤!」
私のゆでダコよりもきっと赤いに違いない。そんなことがたまらなく嬉しくて、私は彼の手をぎゅっと握り締めた。
彼は顔を赤らめたまま視線を明後日の方に逃しているが、私の手はしかっりと握り返してくれた。
(幸せってこんな感じなのかな……)
そう思えるほど私は満ち足りた気分だった。
「着いたよ」
彼の一声ではっと我に返った私は、目の前に広がる光景に息を呑んだ。
これは――。
「ゲーセン……?」
「そうだよ」
彼はのんびりと私の疑問を肯定してくれた。
「なんで――ゲーセン?」
せっかくロマンチックな気分に浸ってたのに、これじゃ台無しじゃないのっ!? 等とぶつぶつ呟く私を気にする素振りさえ見せず彼は私の手を引いてずんずん入っていた。
「ふふふ、いいわ。こうなったら……」
私の怪しい呟きは、ゲームセンターに流れる大音量の音楽にさらわれて彼の耳に届くことはなかった。
――数時間後――
「ま、負けた……」
「ふふん」
彼の幾度目かの呟きに私は鼻で笑い返す。
「千紗強すぎ」
ガックリと肩を落としてうなだれている彼の様子があんまりおかしくて、私はつい笑ってしまった。
「そんなに笑わなくったって」
「あははっ。ごめん、なさい。ちょっ、無理」
その不機嫌な声がよりおかしくて。当分笑いは治まらなさそうだと、目に涙を浮かべながら思った。
「大体、千紗の苦手なゲームとかあんの?」こぼ
ちょっと逆ギレ気味の彼の問いに、私は笑いをなんとか押さえて答える。
「あるわよぅ。ほら、えーっと……、アレアレっ! クレーンゲーム。あれだけはどうしてもダメなの。何度やっても取れないの」
不思議よねー? そういって私はゲームセンターの入り口付近に鎮座するクレーンゲームを指差しながら首を傾げた。
「それホント? 俺、結構得意だよアレ。あぁ、そうだ。ちょっと待ってて」
そういうや彼はクレーンゲームと格闘を始めた。そんな彼の様子に私は自然と口元に笑みがこぼれた。
(あぁ、私は修一くんに恋をしてしまったんだ――)
だから、こんなにも苦しくて切ない。
なんて変わり身の早い女だろう。自分でもそう思ってしまうほど、私は待ち合わせをしていたはずの恋人なんてどうでもよくなっていたのだ。
だから私はずーっと震えていた携帯を鞄から取り出した。きっと今なら『さよなら』を平然といえると思ったから――。
『もしもし千紗!? やっと出たよぉ……!!』
もしもし、と私がいうより早く甲高い女の声が飛び出してきた。
「――っ!? か、香織?」
私は携帯を少し耳から離してその声の主、中学からの親友である香織に驚きを混じらせながら応えた。
『そうよ香織たんよ! 香織たんなのですよって、ところで千紗は今一人!?』
「う、うん」
香織の声に混じる剣幕に、私は思わず頷いてしまった。
『それホントね? ホントなのよね!? よかったぁー!! ホントによかったよぅ』
「か、香織!? あのっ」
違うの、と言おうとして私はその後に続いた香織の言葉に頭が真っ白になった。
『ごめんねっ!! ごめんね、ごめんね、ごめんねっ! 千紗の彼氏とキスしてたのあたしなのっ!』
「え……?」
『今日、あいつに呼び出されて……その、告白されて……あたしもまんざらじゃなかったからOKしちゃって――。でも、あいつに彼女がいるとか、知らなくて、それがまさか千紗だなんて……。後で写真見て驚いて、引っ叩いてから問い詰めたら『ゲーム』とか言い出して! 千紗を何時間で落とせるかってことで賭けてたって……! 慌てて千紗に電話しても、中々出てくんなくて……。それでねっ、千紗を落とす役の奴がいてそいつの名前が『葛城修一』っていうの。もし、そんな名前の奴が近づいてきても、絶対相手にしちゃダメだからねっ!! ホントにごめんねっ!!』
心の中が信じられないほど落ち着いているのが不思議だった。さっきまでは揺れて揺れて溢れそうだったのに、今は波一つたっていないのを私は感じていた。
「そんなに謝らないでよ。あれ香織だったの〜? 全然気付かなかったわ。私ならへーき。実はね、香織だけじゃないの、あの人。節操無しでねぇ……。そろそろ別れようって思ってたの。後、電話気付かなくてごめーんっ! 私、今ゲーセンにいてさ」
『あぁ、なんだよかったぁ。あたしテッキリ――。ごめ、なんでもないや。にしてもさぁ、千紗ってぼけっとしてるのにゲームだけは強かったもんねぇー』
「なによそれぇー、もう。まぁ、とにかく私はへーき。そろそろ帰ろうと思ってたとこだし。また景品ガッポガッポで大変なの。香織にもあげるね」
『うん。……ごめんね』
「違うでしょ?」
『あはは。――ありがとう』
「うん。じゃあね」
その言葉を最後に、私は通話を切った。
――千紗を落とす役の奴がいてそいつの名前が『葛城修一』っていうの――
私の頭には、香織の言葉がずっと反響していた。
「千紗ー! ほら、今そこで取ってきたよ」
彼は腕に沢山の景品を抱えて笑っていた。
彼の名前はそう――『葛城修一』。
「――いくらだったの?」
「え……?」
「私を落とすと幾らもらえるの?」
彼の顔に浮かぶ困惑が許せなかった。
「全部聞いたわ。なにもかも」
「…………え? ――あっ!! ――ち、違うんだっ!」
「なにが違うっていうのよ!?」
涙が溢れそうだった。彼氏のキスシーンを見るよりも、ずっと、ずっと苦しかった。
「切っ掛けが欲しかったんだ、俺。千紗に話しかける切っ掛けが……。だから――ごめん!! 騙すとかそんなつもりは――」
「そんなの信じられないっ!! なにが悲しい思いをしたもの同士よっ、嘘吐きっ!!」
そういって私は固まっている彼を置いて、ゲームセンターから飛ぶように駆け出した。
『嘘吐き』といった時、彼は恐ろしく傷ついたような顔をした気がした。
それからどこをどう走ったかは覚えていないけれど、気が付けば家のベッドに倒れ込んでいた。涙はとうに乾いている。
着替えるのも億劫で、枕に顔を押し付けたまま適当に衣服を緩め――。
(……大丈夫。明日はいつもの私)
目蓋を落とせば、世界は黒く塗り潰された。