001 幸せーため息=出会い?
【あらすじ】
始めて彼と過ごすイヴ。楽しみにしていたはずなのに、早くに着いてしまった待ち合わせ場所で見たのは、彼のキスシーン。
問い詰めることもできずに逃げ出した末に辿り着いた公園は、恋人たちで溢れ返っていて――。
「そんなにため息ばかり吐いてると幸せ、逃げちゃうよ?」
突き付けられた現実に幾度となくため息を吐く私の耳を優しくて甘い声が叩いた。
――――――――――――――――――
「はぁ……」
白く染まった息が足の間に虚しく落ちた。それがゆっくりと消えていくさまを眺めながら、今日で何度目のため息だろうか……ふと、そんなことを思う。そして、すでに両手で数え切れないほどため息をこぼしていることに気付く。
「はぁ……」
そうしているうちに、また一つ。
……クリスマスイブなのに、一人で公園のベンチに座っている自分。周りを見回せば――。
「はぁ……」
ため息を吐きたくなる光景で溢れ返っている。
(なんで、こうなっちゃったんだろう……)
私だって独りじゃなかった――――独りじゃないと思っていた、今さっきまでは。
思い出すだけで涙が出そうになる。
「はぁ……」
震える目蓋をぎゅっと閉じて、ため息と一緒に涙を止めた。
(あんな人のために、私が泣く必要なんて、ない)
それでも溢れてくるのは、待ち合わせをしていた彼が、他の女とキスをしている光景。彼は、私に気付いていない様子だった。でも私は――。
なにも知らないフリをすれば良かったのか、彼を問いただせば良かったのか……。結局どちらもできなくて、私は待ち合わせ場所から逃げるように立ち去った。
「はぁ……」
さっきからずっと彼からの電話で携帯が震えている。私はそれを鞄の中に押し込んで見ないフリ、聞かないフリ。
きっと別れることになるだろう。待ち合わせをすっぽかし、電話にも出ない、そんな女と付き合い続けてくれるわけがない。
(――それにあんな人、こっちから願い下げよっ)
そう、胸中で呟いてみても、心に広がる黒い靄は一向に晴てくれない。
付き合い始めてまだ三ヶ月も満たないというのに、私の心はすっかり彼に奪われていたのだ。だからあんなシーンを見てもなお、私は彼への怒りを表せずにいた。
(私って、どうしようもないみたい……)
なにも知らないフリをして付き合っていけるほど、器用じゃないのは自分が一番わかってる。なのに――。
(私は、彼を諦められないでいる……)
せめて鞄の中で震えている携帯に出て一言『さよなら』と、告げる勇気があればどれだけよかっただろう。
「はぁ……」
「――そんなにため息ばかり吐いてると幸せ、逃げちゃうよ?」
「え……?」
突然、本日幾度目かわからないため息をこぼした私の耳を優しくて甘い声が叩いた。はっとして顔上げると、ふわふわと笑った青年の瞳とぶつかり――
「――っ!」
刹那、ドキリと胸が高鳴る音がはっきりと聞こえてしまった。
「し、幸せが逃げるって、そんなの迷信みたいなものでしょ?」
私は胸の高鳴りを誤魔化すように早口に捲し立てた。
「そんなことないって、俺は思うんだけどなぁ……」
悲しそうにしゃべる彼に、むくりと湧き上る好奇心。私はつい、尋ね返してしまう。
「……ため息で幸せ逃げた経験あるの?」
「うん――実はさ、彼女が待ち合わせ時間をよく破る人で、今日も遅刻してたんだ。あんまり遅いんで、ため息を吐いたんだよ。またか、って。そしたら、ため息を吐いた先に彼女がいたんだ。知らない男とキスしてた――」
私は凄く驚いていた。彼の話が自分と重なっていたから――。
「君も、そうだったりする?」
彼の言葉に私は息を飲んだ。――そんな私をよそに彼は話続ける。
「あの時、彼女になにしてんだっ! て言おうとしたら、君が真っ青な顔して俺の前を走って行くから……気になって追いかけてきたんだ。――もしかしたら、って思って。でも普通『もしかしたら』ってだけで追いかけた上に話しかけたりしないよね、今さらだけど……」
そう、彼は後ろ手に髪を触りながら照れ臭そうにいう。そんな彼の顔を私は呆気に取られたまま、まじまじ見つめてしまう。
――確かに、目の前の青年がいうように『もしかしたら』で見ず知らずの自分を追いかけてきたなんて馬鹿げてる。
でも――今の私にはむしろ、ありがたかった。
「『もしかしたら』じゃなくて、その通りなんだけどね……」
それから、私たちは色んなことを話した。
彼氏の浮気癖のこと、わがままな人だということ、変な仕草を格好良いと思ってること、ナルシスト気味であること……ect、ect、ect。
そして、彼の彼女のことを聞いた。
時間にルーズなこと、化粧が濃いこと、無闇に体をくっつけてくるのが実は鬱陶しいこと、他の男に色々貢がせていること……ect、ect、ect。
『…………ぷっ!!』
日頃の鬱憤を吐き出すように話し合えば、無性に可笑しくなって私と彼は同時に吹き出した。
ひとしきり笑った後、目尻に溜まった涙を拭う。
「お互い、なんで付き合ってるんだろうね……?」
「……確かに」
私たちは再び顔を見合わせて笑った。
しばらくして笑いを収めた私は、座っていたベンチから立ち上がった。軽くお尻を叩き「んっ」と伸びをする。
「話、聞いてくれてありがと。なんだかスッキリした」
同じく立ち上がっていた彼に笑顔を向ければ、柔らかい笑顔を返される。だけど直ぐその笑顔は消え、なんもいえない微妙な表情に変わる。
「えーっと……君はこれからどうするの?」
さきほどまでと違う彼の様子に(ん?)と内心、首を傾げつつも答える。
「帰ろうかなって思ってたけど……」
二人で過ごすつもりでいたのに、今さら一人で街を歩くなんて惨めだ。
そう告げれば彼は少しだけ視線を宙に彷徨わせ、引き結んでいた唇を開く。
「……あのさ、よかったら……その、今日一日、一緒に回らない?」
私は告げられたことに驚いて、じっと彼を見詰めてしまった。
「会ったばかりで、こんなこというのもアレなんだけと……。なんていうか、悲しい思いをしたもの同士というか……」
私が向けた視線の所為か、焦ったように言い繕う彼の姿がおかしくて、くすりと収まっていた笑いが再びすべてれ出す。
「私――千紗、浅海千紗。今日一日、よろしくお願いします!」
だから私は了承を示す言葉を彼に返す。いつもの自分ではあり得ないほど大胆だ、と思いながら。
「あっ、俺は修一、葛城修一。こちらこそよろしく!」
驚いたように目を見開いたのも一瞬、彼は嬉しそうに笑って、差し出していた私の手を握り返した。