第6章
「遅いな……一体何してんだか」
少し心配になり、トイレの方まで様子を見に行く。
トイレの周辺には折原の姿は見当たらない。
「しまった、女子トイレの中は入れない……」
その後、近くを通りかかったおばさんに確認してもらったがトイレには誰もいなかった、と言われた。
思わず周りを見渡す。
「まったく、どこに行ったんだ?」
俺は少し心配になり、折原を探して場内を走りまわった。
日が暮れそうになった頃。
人がほとんど通らない、アトラクションの裏にある小道。
そこに彼女はいた。
小さな背中を震わせ、しゃがみ込んで泣いていた。
走って乱れた呼吸を落ち着かせ、彼女の元へと歩いて行く。
「探したぞ、何してんの」
そっと声をかけたが、返事はない。
俺は彼女の隣にしゃがみ込む。
彼女は目を合わせようとはせず、ひたすら地面を見つめていた。
しばらく、沈黙が続く。
「私、ただ寂しかったのかも」
ようやく、折原が口を開いた。
「あの親子、楽しそうでしたよね。やっぱりああいうのが幸せっていうんですよね」
「そうだな」
「なんで……飛び降りなんてしちゃったんだろ」
そう言うと、彼女は宙を見上げた。
その目は少し赤く腫れていて、頬には涙が絶えず流れていた。
「まだ、生きていたかったです」
「後悔してんだ?」
そんな横顔に尋ねる。
「うん。本当は死ぬ気なんてなかったんです。ちゃんと死なないように計画を立てて――」
「知ってるよ」
「え?」
折原は口をぽかんと開けてこっちに顔を向けた。
「バレてないとでも思っていたのか?」
まあ俺自身も折原母に教えてもらうまでは知らなかったわけだが、そのことはあえて黙っておいた。
「……恥ずかしいです」
「そうだな」
そっぽを向いた折原を見て軽く笑う。
「でも俺もさ、わからなくもないんだ」
彼女はそっぽを向いたままだ。構わず続ける。
「そうやって、無理矢理にでも誰かに見て欲しいって思うの」
「べ、別にそういうんじゃ――」
「ちょっと聞け」
少し頬を赤くして反論してきた彼女の言葉を遮る。
「俺もちょっと前まで目立ちたくて色々やってさ、バンドやったりネットで歌った唄アップしたり色々やった」
思い出すと小っ恥ずかしくなるようなことばかりだったが。
「でも中々認められてるって実感がなくてさ、それどころか本当にやりたいこととの区別がつかなくなって自分が本当にやりたいことがわからなくなって……まあさすがに飛び降りはしなかったけど」
「皮肉ですか?」
折原が上目遣いで睨みつけてきた。無視して続ける。
「それで、もう何もしたくなくなって、バンドもやりたくなくなって生きているのも辛くなって何もかも投げ出したくなって。そんな時だったかな」
そう言って昨日の電話を思い出す。
「バンドの仲間が俺のことを必要だって言ってくれて。相談に乗ってくれて。初めて気付いたんだよ」
俺は彼女の目をまっすぐに見つめる。
「たとえ、大勢に認めてもらえなくても、誰か認めてくれる人がいる。それは近すぎて気付かないかもしれないけど、必ずいる」
折原は視線をそらした。
「そうですね、私も本当は誰かに認めて欲しかった。私のことを見て欲しかった。でも、それは金子さんの話です……私には認めてくれる人なんかいませんよ」
「いるさ」
そう言って無理矢理彼女の視線上に移動する。
「俺は信頼していない人間なんかとこんなところに来たりしない。そんな人間なんかの相談には乗らない」
またしても彼女は目をそらそうとする。
「でも私は友達だっていないし――」
「だから!」
思わず大声が出てしまった。
折原は少しビクッとした。
「俺が友達になってやるって言ってんだよ」
俺は羞恥心を殴り捨てた。
「でも私、もう死んでるんですよ! ここに存在していちゃいけないんですよ!」
いきなり彼女は立ち上がり泣きながら叫んだ。
「もっと生きていたかった! もっと楽しい人生送りたかった! なのにこんなのって――」
俺もゆっくり立ち上がる。
「まだ諦めるのは早いだろ」
そう言って彼女の手を握る。強く、優しく。
「今からだって、まだ遅くない。まだ閉園時間まで3時間くらいあるしな! まだまだこれからじゃない?」
「う……はい……」
彼女の目から特大サイズの涙の粒が滴り落ちた。
俺はその涙をそっと拭ってやり、笑いかける。
「どこ行きたい?」
「じぇ……ジェットコースター!」
「よしきた! 行くぞ!」
俺は彼女の手を引っ張り、走りだす。
ジェットコースター乗り場に人はほとんどおらず、2,3人しか並んでいなかった。
「これならすぐ乗れるな」
「はい、あの……ありがとうございました」
折原が目線を下に向けながら軽く頭を下げてくる。
俺はその金色の髪の毛をぐしゃぐしゃとしてやった。
「な……なにするんですか!」
「1回やってみたかったんだよなー」
そう言って俺は笑う。
彼女も、笑う。
その時、コースターが発着所に戻ってくる。
俺たちは係員に案内され、コースターに乗り込む。
安全確認が終わり、コースターが発進し、急なレールの坂を登り始める。
「もういきなり叫ぶのはやめてくれよ?」
「いいじゃないですか、目立つし」
彼女はニヤリと笑いながら意地悪そうな表情を浮かべた。
「そんな顔するんだな」
俺もたまらずニヤニヤする。
俺の袖は隣にいる折原の手にしっかり掴まれ固定されていた。
ここはさっき乗った時と変わっていない。
だが、明らかに彼女の挙動は最初のそれとは違って見える。一皮むけた、って感じか。
「本当に、感謝してます」
彼女の透き通った瞳が、俺の目をまっすぐに見つめてきた。
俺は少し照れくさくなって思わず前を向いた。
その瞬間、コースターが下に向けて傾き、今登ってきた高さを一気に下りはじめた。
その時の彼女は、ビルから飛び降りてきた時とは正反対な、幸せに包まれたような顔をしていた。
そして彼女が大きく口を開け、息を大げさに吸い込む。
俺は耳を塞いでその音に備えた。
……。
…………。
だが、声はいつまで経っても聞こえてくることはなかった。
コースターがレールの上を駆ける音だけが聞こえてきた。
俺は、さっきまで固定されていた袖が解放されているのに気付く。
俺の隣には、誰もいなかった。