第3章
「目立ってみたいって言われてもな……」
「やっぱり私には無理ですかね」
折原は自信なさ気に少し顔を伏せた。
少し目が潤んでいるように見える。
「いや、そういうことじゃなくて!」
俺は慌ててフォローに入る。
「目立つっていってもいろいろあるからさ、その……特技とかは?」
折原は俺の言葉を聞いて顔を上げる。だが、その目は曇ったままだ。
「私、人に自慢できることなんてひとつもなくて……」
今にも泣き出しそうな顔だ。聞き方を変えてみる。
「じゃあさ、いつも何してた?」
「普段は部屋にこもって、TV見たり、ゲームしたり――」
そこまで言いかけてついに彼女の頬に1滴の涙がこぼれる。
俺は焦りながらも少し考え込んだ。どうする……どうすればいい?
目立つ、要するに有名になれば……。
ちらっと目をそらすと視界にPCが映りこんだ。
「あ、絵とか描かない?」
俺はぐずっている折原に恐る恐る声をかける。
彼女は指で涙を拭いながら答えた。
「絵……ですか、まあ描くのは好きですけど」
「よし、それでいこう!」
「え?」
俺は内心でガッツポーズをしながらPCの電源を入れる。
駆動音がして十数秒でPCが立ち上がる。
そしてPCがつくまでの間に俺は物置からノートより少し大きめの薄いプラスチックの板を取り出した。その板からは少し長めのコードが伸びている。
「それ、ペンタブ?」
「ああ」
折原は嬉々とした感じで立ち上がる。
「これ使ったことある?」
「うん、家にもこれありました」
「おお、なら話は早い」
このペンタブは高校時代、バンド仲間に貸してもらったものだった。結局1回も使わなかったのだが。
借りたままだったペンタブがこんなところで役に立つとは思わなかった。
「ソフトとか入ってるんですか?」
折原が身を乗り出して聞いてくる。
なんかノリノリだな、と思いながらもその様子が少し嬉しかった。
「今から体験版ダウンロードしてみようと思ってる。なにか使いたいソフトある?」
「hottoshop!」
即答だった。
「どうだ、様子は?」
俺は昼飯の買い物から帰ってきて、部屋をのぞく。
折原は笑いながら迎えてくれた。
「あ、完成しましたよ」
俺は買ってきた袋の中からジュースの入ったペットボトルを取り出し折原の手元に置いてやる。
「ほら、飲み物」
そう言いながらPCのモニタを覗き込む。
そこで俺は一瞬固まった。
そこには美少年の全身の絵。足を組んで座ってこっちを見下している、様な絵だ。
一瞬トレースでもしたのかと思った。
細めの目、しゅっとした美しい輪郭、綺麗な色使い、完璧なパース。バランスもとても自然だ。
「うまい……」
思わず声が漏れた。
「すごい適当に描いたんだけどね」
そう言って彼女はへへ、と照れたような笑みを浮かべる。
俺は驚きを隠せなかった。
「これが、適当……?」
「うん、ここのところのバランスとか少し危ういし、あとここも――」
俺は把握した。こいつ、絵がめちゃめちゃうまい。
そういえば普段は部屋にこもっていたとか言ってたからずっと1人で絵描いてたのかもしれない。
「そんなに、変ですか?」
呆気に取られている俺を見て折原は表情を曇らせながら聞いてきた。
「あ、いやそうじゃない。あまりにもすごくて」
「そんな、それほどでもないですよ」
彼女はペットボトルを鷲掴みにし中身をゴクゴクと飲みだした。
「そういえばこれ、どうするんですか?」
「そんなの決まってるだろ」
俺は小さな彼女の肩に手を乗せた。
そしてPCを操作し、プラウザを立ち上げる。
「えっと、picivっと」
キーボードで文字を入力しイラスト投稿サイトにアクセスした。
自分では使ったことはないが、友人が使っていると言っていたので名前だけは知っていたのだ。
「今まで投稿したことは?」
「その、自信なくてやったことないんです」
彼女は弱々しい声で答えてきた。
これだけの画力を持っていて自信がないとはどれだけ謙虚なのか。
とりあえず彼女にアカウントを作らせ、画像をアップさせた。
彼女はそっと声をかけてきた。
「よ、よかったんですかね。私の絵なんかアップして」
「何言ってんだ、あれだけ描けるんだから自信持てよ。俺なんか絵描いたところで幼稚園児の落書きにしか見えない」
そう言ってガハハ、と大げさに笑ってみせる。なんか虚しくなってきた。
「昼飯、食べようぜ」
「はい!」
そう言って微笑む彼女の表情が最初よりも少し柔らかくなった気がした。
昼飯を食べ終わった後、俺は再びさっきpicivにアップした絵のページを開いた。
「うおおお!」
思わず声を上げる。
折原も少し不安そうな様子で寄ってきて画面を覗き込む。
「見ろよ、すごい点数付いてる!」
「ほ、ほんとだ」
俺はPCの前の椅子を折原に譲ってやる。
折原は身を傾けながらそのページを凝視し始めた。
その口元が少しにやけている。
「これ、ランキングとやらにも入るんじゃない?」
少し震えている彼女の方をポンポン叩いてやる。
「そんな、私の絵が……」
嬉し泣きか、彼女の目から涙が零れ落ちる。
「コメントも来てるじゃん」
それを聞いた彼女はコメント欄に目を移した。
そこは絶賛のコメントで溢れかえっていた。
「他の人がこんなに褒めてくれるなんて――」
そう言うと彼女はバッと立ち上がってベッドにダイブした。
そして景気良く笑い出した。
彼女は、輝いていた。
その後も彼女には色々なことに挑戦してもらった。
歌を歌ってそれを録音して動画投稿サイトにアップしたり、有名なアニメのアテレコをしてそれを動画投稿サイトにアップしたり。
だがその2つは特に手応えがなかった。
俺のやり方が悪いのかもしれなかった。何しろ、昔自分で投稿した動画も反応は薄かった。
俺が頑張ったところでこの程度。何しろ目立ったことなどないのだから。
折原にその手の才能はなかった、というわけではないかもしれないということが少し罪悪感をかきたてる。
折原もあまり乗り気ではなくなってきていた。
「まあ、こういうのってあんまりすぐ反応来ないからな。少し待ってみよう」
そう言ってベッドの上で丸くなっている彼女を励ましてやる。
「ありがとうございます。でもやっぱり私のことなんて誰も見てくれないんだ……」
完全にいじけモードに入ってしまったようだ。
どうしたらいいものか、と軽くため息をつきながら何気なくPCのメールソフトを立ち上げた。
「ん……?」
受信ボックスをよく見ると、自分の携帯電話からメールが来ている。
「あれ、いつ送ったっけ」
そう言ってポケットに手を突っ込んで――
その手は空気を掴んだ。
「携帯どこやったっけ?」
部屋中を探しまわるがどこにもない。
とりあえず来ているメールを開いてみた。
『娘が飛び降りた現場に携帯電話が落ちていたので預っています。連絡をする手段が他になさそうだったのでメールを送ってみました。東武病院の205号室で待ってます』
着信日時は今日の朝方だ。もう10時間以上経っていた。
まだ待っていてくれているとは思えないが……ん?
娘が飛び降りた?
まさか……。
「折原、ちょっと俺出掛けてくるわ。留守番頼む!」
そう言って俺は返事も待たず家を飛び出した。