第2章
「あの、大丈夫ですか……?」
女の子の声が聞こえてきてゆっくりと目を開く。
気付くと俺はベッドに再び寝転がっていた。
「いったいどうして――」
そう言いかけて先程までの記憶がよみがってきた。
俺の上に屈み込んで顔を覗き込む少女にようやく気が付いた。
彼女の垂れた金髪が鼻先をフワフワとなでる。
心臓が止まりそうになった。
「ひぃ……こ、殺さないで……」
「いや、別に殺しに来たわけじゃ――」
眼の前の少女は困惑した様子で眉をひそめた。
うん、少し落ち着こう。
俺は深呼吸して起き上がり、彼女に向き直った。
恐る恐る聞いてみる。
「君は、あの……さっきビルから飛び降りてた?」
「あ、はい。先程はご迷惑をおかけしました」
謝られた。幽霊に。
いや、待て。あの子は一命を取り留めたんじゃないのか? まさか――
「死んだ……?」
俺はそう口走って慌てて口を両手で押さえた。
自分の軽率さに反吐が出そうだった。
「実はそうみたいなんですけど」
少女は目に涙をためながら答えた。
なんてことを聞いてしまったんだろう、と後悔した。
「でも私鈍臭いから、ちょっと天国行きの便に乗り遅れちゃったみたいで」
えへへ、と泣き笑いながら彼女は自分の後頭部を軽く掻いた。
「で、なぜ君はここに?」
「折原です」
「へ?」
突然よくわからない単語を即答されて俺は反射的に聞き返してしまった。
「名前です、私の。折原澪っていいます」
「あ、ああ……」
このタイミングで名乗ってくるとは思わなかったので反応に少し時間がかかってしまった。
変な空気が部屋に流れる。
軽く咳払いをして気を取り直す。
「えっと、折原さん? なぜここにいるのか説明して欲しいんだが」
折原さんはうーん、と軽く唸って右上の何もない空間を凝視した。
「次の便が来るまでにやり残したことをやっておきたくて……どうせ死ぬなら未練なく死にたいじゃないですか」
そう言って彼女はその白い頬を少しピンクに染めた。
肌が白いのでそのピンクの部分はひときわ目立った。
彼女は唇をきゅっと締めた。よく見るとその柔らかそうな薄い唇も淡いピンク色をしていた。とても死んでる人間には見えな――
「そ、そんなにジロジロ見ないでください」
「え? あぁ、悪い」
怒られたので話を続けることにした。
「それで、そのやり残したことっていうのは俺に何か関係があるのか?」
「そういうわけではないんですけど」
きっぱり否定された。
「じゃあ何で俺のところに?」
「私1人じゃできるか自信がなくて、誰かに手伝って欲しかったんです」
そう言って折原さんはすこしためらった後、こう続けた。
「それに、他に行ける所がないので……」
少しうつむいている彼女の透き通った瞳はどこか虚空を見つめていて、とても寂しそうだった。
そんな彼女の姿をこれ以上見ていられなかった。
俺はもうこれ以上聞くことはやめた。
「金子彰だ」
「え?」
彼女がパッと顔をあげ俺の目を真っ直ぐに見つめてくる。
「俺の名前だよ」
俺は彼女の顔をまっすぐに見据えてニッと笑ってやった。
「それで、やり残したことってなんなのさ」
シャワー室から着替えて出た俺は頭をタオルでゴシゴシ拭きながら、ベッドに腰掛けている折原に声をかけた。
「ん?」
彼女からいつまでたっても返事がないので隣に座ってその顔を覗き込む。
彼女の目は軽く閉じられていた。
すぅすぅという寝息が聞こえる。
「って寝てんのかよ」
幽霊が寝るのか?など疑問はあったが俺は彼女の身体をベッドに横にしてやった。
その安らかな顔を見て、ビルから降ってきた時の切羽詰まった表情を思い出して心がチクリと痛む。
「……寝るか」
そうつぶやいて俺は床に寝転がった。
次の日、すずめの鳴く声が聞こえてきて、目が覚めた。
カーテンの隙間から朝日が差し込んできている。
時計を見ると8時を過ぎたところだった。
俺は立ち上がり、カーテンを全開にする。
そしてハッとして後ろを振り返る。
幽霊って朝日浴びて大丈夫なのか?
だが、ベッドの上に折原の姿は見当たらなかった。
「まあ、幽霊が日中出てくるわけないか」
そう言って窓から離れてトイレに向かおうとした――
「朝ごはん、まだですか?」
突然耳元に声が聞こえてきて飛び上がる。
振り返るとそこには折原が立っていた。いや、浮いていた。
「驚かすなよ! てか幽霊って日中活動してて大丈夫なの?」
「そうみたいです」
折原はにっこり笑って答えた。
俺は、顔をひきつらせた。
そして俺は狭いキッチンへ行き、いつもより1枚多くトーストを焼いた。
俺の目の前で折原は普通に食パンを食べていた。
「幽霊って食事するんだ」
「そりゃそうですよ、そうじゃないと飢え死しちゃうじゃないですか」
なるほど、わからん。
「ところでやり残したことっていうのはいったい何なんだ?」
俺は会話の流れを絶ち切って聞いてみた。
「私的には色々あるんですけど、まあ人生悔いだらけっていうか。我人生に無数の悔いありっていうか」
「あ、そう……」
何かどこかで聞いたことある台詞だったが俺はスルーした。
折原が少し上目遣いになってムッとしているようだが気にせず話を続けることにした。
「じゃあやり残したことの中で1番やりたいことって何?」
彼女は少し虚空を見つめながら考えていたが、やがて決意したようにこっちを見てきた。
そして少し顔を赤らめながらこう言い放った。
「私、目立ってみたいんです!」
折原の目は眩しいぐらい輝いていた。