表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

最上階

作者: 浅水那月

ウィーン、という静かな駆動音だけが、箱の中に響いていた。

金色のエレベーターは、重力の鎖を断ち切るように上昇を続けている。

男は緊張した面持ちで、頭上の階数表示板を見つめていた。

数字が一つ増えるたびに、鼓動が一つ高鳴る。

98、99……。

男が生まれたのは、この世界の最底辺である「第1層」だった。

そこは常に工場排煙のような汚れたガスが充満し、

太陽の光など一度も拝んだことのない暗黒街だ。

住民はパイプの錆を舐めるような極貧生活を強いられ、

上の階層から降ってくる廃棄物を奪い合って生きている。

だが、男は諦めなかった。

血を吐くような労働と、他人を蹴落とす非情さ、そして並外れた運の強さで、

ついにこの世界で唯一の成功ルートである「昇格試験」を勝ち抜いたのだ。

目指すは天上の楽園、第100層。

そこは雲の上にあり、常に黄金の光が降り注ぎ、

選ばれた者だけが住むことを許される聖域だと聞かされていた。


ポーン。

軽やかな電子音と共に、扉が開く。

「おめでとうございます。あなたが、今期唯一の到達者です」

白服を着た案内人が、恭しく頭を下げた。

男は震える足で、そのフロアへと踏み出した。

眩しい。

あまりの光量に、男は目を細めた。これが、太陽の光なのか。

目が慣れてくると、そこには信じられない光景が広がっていた。

見渡す限りの広大な空間。

床は大理石のように磨き上げられ、塵一つ落ちていない。

空気は甘く、花の香りがした。

「……これが、第100層……」

男は感動に声を震わせた。第1層の淀んだ空気とは別次元だ。

ついに自分は、この世界の頂点に立ったのだ。

男は勝利の味を噛み締めながら、憧れ続けた「空」を見上げた。


だが。

そこに青空はなかった。

あるのは、透明で分厚い、ガラスの天井だけだった。

いや、天井というにはあまりにも高く、そして圧迫感があった。

男が呆然としていると、そのガラスの向こう側を、無数の影が横切った。

カツカツ、ペタペタ……。

慌ただしい足音が、遥か頭上から降り注いでくる。

男は目を凝らした。

それは、スニーカーだったり、ハイヒールだったり、革靴だったりした。


「な、なんだこれは……?」

男は混乱し、案内人を振り返った。

案内人は、先ほどまでの恭しい笑みを消し、無機質な表情で事務的に告げた。

「ご覧の通りです。ここは確かに我々の世界の最上階、第100層です。

ですが、**あちらの世界の『地下1階』**でもあります」


男は理解が追いつかず、口をパクパクとさせた。

「地下……?」

「ええ。第1層から第100層までのこの塔全体が、

あちらの『地上』に住む人々を支えるための、

巨大な地下プラントに過ぎないのです」

案内人は冷ややかな目で、天井のガラスを指差した。

「このガラスは、彼らの世界の歩道の一部です。

強化ガラスの下に広がる『都会の地下空間』の演出としてね。

我々『第100層』の住人に課せられた使命は、下からこのガラス床を磨き上げ、

道行く人々の足元を常にピカピカに保つこと」


男は見上げた。

頭上すぐそこを、子供連れの家族が笑いながら通り過ぎていく。

アイスクリームを持った子供が、ガラス越しに男と目が合い、

無邪気に指差して笑った。


「……さあ、さっそく取り掛かってください」

案内人は手元のワゴンから、真新しい雑巾とワックスの缶を取り出し、

男の足元に放り投げた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ