『普通』の世界
キラキラとネオンの輝く飲み屋街風の廊下を歩き、おでんと書かれた暖簾をくぐって店に入った薄化粧の女性は、既に座っていた女性に声をかけた。
「待った? 仕事が長引いちゃってさ」
「全然。私も今来たところ」
「わぁお。そのセリフ。マリー先生の新作でしょ? アタシも見たわよ。昭和って感じで良いわよね。あ、アタシはアツカンと、タマゴとダイコンね」
「いきなり飲むの?」
「そーよ。昭和のおでん屋はそれがマナーだって。アタシ、ちゃんと調べたんだから」
「そうなんだ」
やや疲れた様な息を吐きながら、既に店の中で待っていた女性、佐藤小雪は大根を箸で四分割し、欠片を口にする。
そして、店に入って来たばかりの女性、加藤沙織は早速やってきたアツカンをコップに入れ、タマゴとダイコンが乗った皿を見ながら喜びの悲鳴を上げる。
「見て見て! このセンス。やっぱり昭和って良いわよね」
「はぁ……」
「なぁに? 溜息ばっかり。平成の方が良かった? アタシはどっちでも良いけど。変える? 平成居酒屋セット、読み込もうか?」
「良いわよ。このままで」
「そう? ならもっと楽しみなさいよ。結構高かったのよ? 昭和風おでん屋セット。見た目だけなら安いけど、当時の味も再現してる高級セットなんだからね」
「分かってるわ。感謝してるわよ」
「そう思うのなら、平成喫茶店セットが今度出るから、それ買ってよ。アタシ、あの時代の空気が好きなのよ。やっぱり古代の文化って良いわよねぇ」
「ハァ……」
楽しく話をしようと思っていたのに。
ため息ばかりで妙に重い空気を纏った親友に、沙織は箸で掴んだタマゴを一口食べながら首を傾げた。
「アンタ。ちょっとおかしいわよ? 何かあった?」
「別に、何かあったって事は無いけどさ。私、今年で17なのよ」
「うん。そうね。アタシも17だし」
「もう来年には最初の子供を作らないといけないのよ?」
「そうね。それで?」
「それでって」
小雪の要領を得ない言葉に、沙織は箸を咥えたまま、んーと思考する。
そして、一つの結論に至った。
「あぁ、そっか。小雪って自然主義者なんだっけ」
「その呼び方止めて。私は普通に生きてるだけよ」
「ごめんごめん。でも、他に呼び方無いし。普通では、無いじゃん?」
「……なんで」
「なんでって言われても困っちゃうけど。だって、自然主義者の人って今、アタシたちが食べてるみたいな合成食材は食べないし。住んでる場所も自然保護区の方なんでしょ? それって普通じゃないよ」
「こんな……まがい物の世界で! こんな世界で生きてる方がおかしいわ! 合成食材を映像で誤魔化して! 狭い部屋の中に閉じ込められて! ずっと昔の映像なんか流して! 現実から目を逸らして! その方が異常よ!」
沙織は頭を抱えながら叫ぶ小雪を見て、強い哀れみの感情を覚えた。
あまりにも強い感情で叫んでいるせいか、ホログラムも少し揺らいでいる。
ネットワーク環境に異常はないが、それだけ小雪の感情が強いからかと沙織は心の中で頷く。
そう。小雪はまだ2歳という幼い頃に自然主義者達によって拉致され、自然保護区で生活する事を余儀なくされていたのだ。
小雪のメンタルサポートが必要であると感じた沙織は、小雪の精神状態をチェックしながら優しい笑顔を浮かべて声を掛ける。
あくまで慎重に。
「うん。そうだね。私が悪かったよ。小雪が正しい」
「……本当に、そう思ってる?」
「当然じゃん。アタシたち、親友でしょ?」
「……うん」
ひとまず小雪が落ち着いた事を確認して、沙織は更に話題を変更し小雪の感情を落ち着かせようと思考を巡らせるのだった。
しかし、大きく話題を変える事は危険を伴う為。少しずつ話題を変更してゆく必要がある。
「じゃあ、小雪は子供を作るのが怖いの?」
「怖い、って事は無いけど……私は、好きな人と結婚して、子供を産んで、育てて……パパとママみたいに『普通』に生きたいだけ」
「『普通』ねぇ」
沙織は小雪の繰り返す『普通』の意味を考えながらさらに会話を進めた。
「でも、自分の体で子供を産むのはリスクだよ。小雪が死ぬ可能性があるし。活動が制限される期間も長いよ?」
「自分のお腹の中で自分の子供を育てるんだよ? 負担とかじゃないよ。それが愛の形でしょ?」
「愛っていうのなら、子供が確実に健康体で生まれる方法を選ぶべきじゃないの?」
「それは……」
「小雪は自分の体で育てたいって言ってるけど、リスクはあるし。子供の生育にもバラツキがある。何かしら障害が発生する可能性だってある。ソレを我儘で子供に押し付けるのが愛なの?」
「……うぅ」
「まぁ、小雪のパパとママは自然主義者だったワケだし。小雪も憧れる気持ちは分かるけどね。子育てって大変らしいよ?」
「私も、中央情報室で調べたから、知ってる」
「あら。そうなんだ。でも、それでも産みたいって感じ?」
「うん……あぁ、でも、その前に恋人を見つけないと、だけど」
「自然主義者の?」
「別に、自然主義者じゃなくても良いよ」
「いやいや。『普通』の人は恋愛とか、やらないって。そういうのはさ。生身の人間同士でやるモノじゃないんだって。あ! そうだ! 小雪もさ。マリー先生の作品やりなよ。スリリングでドキドキな恋愛が出来るよ?」
「良いよ。私は、そういうの趣味じゃないから」
「えー? じゃあユイ先生の甘々イチャイチャ系? もしくはリョウ先生のえちちな作品もあるけど」
「違うって。私はそういう作り物の恋愛じゃなくて、本物の恋愛がしたいの」
「ふぅん。中々難しいねぇ」
偽物では満たされない。
本物でなければ、と繰り返す小雪に、沙織はどうした物かとため息を吐いてしまった。
しかし、だ。
百聞は一見に如かず。という言葉もある通り、沙織は小雪に是非とも『普通の恋愛』を味わて貰いたいと考えていた。
自然主義者の言う自然など、管理されていない環境を良いモノの様に言っているだけなのだと。
「まぁ、小雪の言うコトも分かったよ。じゃあ、アタシに一つ良い考えがある」
「え? 本当に?」
「そう! アタシの知り合いにさ。小雪の事を気になっている人が居るんだよ」
「え!? そうなの!?」
「しかも! 自然主義者じゃない!」
「……いや、そこは、どうでも良いんだけど」
「そうなの? まぁいいや。だからさ。今度デートに行こうよ。ダブルデート。アタシ、やってみたかったんだよね」
「だ、ダブルデート!? え、でも! そんな! どんな人かも分からないのに!」
「駄目ならお付き合い出来ません! で終われば良いじゃん。とりあえず会ってみなよ」
「そ、そう言うのなら……」
顔を真っ赤にしながら頷いている小雪に、沙織は作戦成功と頷いた。
そして、デートの日程を決めながら、小雪と仕事についての話や、食事、沙織の好きな時代の話で盛り上がるのだった。
それから数日後。
小雪と約束したデートの日。
沙織は外出用レンズを弄り、今日の街並みをどの年代にするか調整していた。
「さ、沙織! 待った?」
「あ。小雪。今来た所だぜ。ベイベー」
「なぁに? それ。例の奴?」
「そう。待ち合わせの時にヒーローがこうやって指をピッてやるんだよ。ピッ!」
「ふふ。変なの」
「そう? アタシは結構格好いいって思うんだけど」
「それで……その、男の人たちはいつ来るのかな」
「すぐ来るよ。けど! その前に設定を共有しよ。今ね。平成の10年代くらいの設定」
「うん。ちょっと待ってね」
頬を紅潮させながら小雪はレンズの設定を変更し、沙織と同じ設定にした。
二人は見えている景色が同じかどうか確認し、小雪はその時が来るまで前髪を弄ったり、ドキドキと早くなる胸を押さえながら待つのであった。
そして……。
『お待たせ! 来るのが遅れてごめんよ! 沙織!』
「ユウト~! 全然! 待ってないわよ!」
『道に迷っちゃってさ。滅茶苦茶焦ったよ!』
「ユウトってばお茶目さんなんだから!」
楽しそうに言葉を交わす、沙織とユウトという男を少し離れた場所から見ていた小雪は、自分が想像していた通りの恋愛が目の前で行われていると、思わず興奮して腰を浮かせてしまった。
しかもそんな小雪の前に、ユウトと同じくらい整った顔立ちの男が現れ、控えめに小雪へと話かける。
『あー。っと、小雪さんっスよね』
「え、あ、はい! こ、小雪です!」
『あー、やべっ』
「え?」
『いや、本物の小雪さんだって思ったら、なんか恥ずかしくなっちゃって』
頬を朱色に染めながら、直視できないとでもいう様に顔を逸らす、少し可愛い顔立ちの男の子に、小雪はドクンと心臓が跳ねるのを感じた。
少年は小雪に会って緊張していると言っていたが、それは小雪も同じである。
ドキドキと早くなる鼓動は、間違いなく小雪が求めていた恋愛であった。
「ふふ。アキト君と小雪も良い感じみたいね」
「う、うん……私、凄いドキドキしてる」
「でしょでしょ? 絶対小雪が好きなタイプだと思ったのよねー! じゃ! これからダブルデートに行きましょー!」
『『「おー!」』』
それから。
小雪と沙織。
ユウトとアキトは、平成の街並みを共に歩きながらデートを楽しみ、ショッピングをしたり、一緒に美味しい物を食べたり、話をしたりと楽しんだ。
ユウトもアキトも小雪と沙織の話を楽しそうに聞いており、小雪はこれが本物なんだ。これが自然な姿なんだと全身で喜びを味わっていた。
しかも、街ですれ違う人々は、皆それぞれにパートナーを連れており、これが、こういう姿こそが『普通』なのだと小雪に分からせてくれた。
それが何よりも小雪を満足させたのである。
「はぁー。楽しかった」
「どう? 満足した?」
「うん! 最高の一日だったよ!」
「それは良かった」
安堵した様に息を漏らす沙織に、小雪はようやく沙織も分かってくれたのだと喜びを感じる。
小雪の求めていた『普通』が沙織にもようやく通じたのだと。
「でも、やっぱり何だかんだ。小雪も『普通』を楽しめて良かったわ」
「うん。当然だよ」
「ハァー。これでようやく。小雪も自然主義者を卒業だね」
「……え? っと、どういうこと?」
「どういうって、だって今日は一日楽しかったでしょ? 自然主義者の言う自然じゃあ、こうは楽しめなかっただろうなぁー」
沙織があっけらかんと言い放つ言葉に、小雪は先ほどまでとは違う意味でドクンと心臓が大きく脈動するのを感じた。
何か、強い違和感がある。
「え、と……ね。沙織」
「なぁに?」
「今日は、沙織とユウト君とアキト君とデートしたんだよね?」
「そうだよ。なに? 起きたまま寝てるの? これは現実だよ。小雪」
「そ、そうだよね。うん。大丈夫」
『どうしたんすか? 小雪さん。大丈夫ですか?』
「大丈夫。大丈夫だよ」
小雪はドクドクと早くなる心臓の音を感じながらゆっくりと震える手で視界を覆っていたゴーグルを外した。
視界に広がるのはどこまでも平らな道と、窓一つないビルの数々。
そして、自分を心配そうに見つめる沙織……だけであった。
ユウトの姿も、アキトの姿もそこにはない。
「……あぁ」
「どうしたの? 小雪。まだデート中だよ? ゴーグル外しちゃ駄目だよ」
「あぁぁあああああ!!!」
小雪は頭を押さえながら泣きじゃくり、その場に蹲ってしまった。
ずっと、胸の中で渦巻いていた感情を吐き出すような声で、泣き叫ぶ。
その様子に沙織は焦りながら小雪の背を撫でるが、小雪が落ち着く事は無かったのである。
それから。
小雪は急いで病院に運ばれて、鎮静剤を打たれベッドに眠る事となった。
「先生。小雪は大丈夫なんですか?」
「んー。難しいね。彼女の精神は未だ彼らに捻じ曲げられたままの様だ」
「自然主義者……ですか」
沙織は憎い物の名を呼ぶように、歯を食いしばりながら呟いた。
「そうだね。幼少期に攫われてから植え付けられた歪んだ常識が、今も彼女を苦しめているんだね」
「……小雪。可哀想」
「あまり焦らず、ゆっくりと見守ってあげて下さい」
「分かりました。ありがとうございます。先生」
「いえ。この様な励ましの言葉しか言えず、申し訳ございませんが、お大事に」
「はい」
沙織はベッドでスゥスゥと小さな寝息を立てる小雪の手を握り、心配そうな顔をしながらそっと小雪の頬を撫でた。
壊れ物に触れる様な優しい手には、小雪への確かな愛情が見える。
「小雪。アタシがちゃんと小雪を治してあげるからね」
小雪の頬につぅっと流れた涙を沙織は拭い、どれだけ時間が掛かっても小雪を支えるぞ。と拳を握りながら誓うのだった。




