表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
8/12

第八章 足止

 ついに王都へと、セリアはたどり着くことが出来た。予測からは二日ばかり遅れたが、それはサーレントの計算が間違っていたのではなく、拠点から兵を吸収して回る、という任務を思い出したからだ。

 敵を引き離した、と思い、王都が近づくに連れ、セリアにも余裕と欲が生まれていた。これは、その結果といってよい。だが浪費に見合うだけの結果を、彼女は出したと思っている。

 この中途の道程については、ジェイクとサーレントの功績が大きい。兵が反乱も起こさず、彼女に付き従ったのは、彼らの統率力が背景にあったからである。

 力を失った権力は、その地位を下落させる。単純に言えば、下克上が起こるのだ。

 そこまで極端ではなくても、もし彼らがおらず、シュウの存在と言う僥倖がなければ、セリアは帰還することなく野に躯をさらしたかも知れず、その身は綺麗なままでは居られなかったかもしれない。


――もしそうなっていたら、結構な大事になっていたでしょうね。トリア王室はもとより、国民達だって、ただでは済まされなかったかもしれない。


 常識や道徳。倫理的な観点はもとより、軍事的にも権威の象徴を失う、と言う意味で、兵がセリアを襲うことは……自ら破滅を願うことと同義である。それは市民が国家を捨てた証証明となり、トリア王家への背信ともなったであろう。

 しかし、古き支配者を廃したところで、侵略者が新たな庇護を授けるとは限らない。またトリアも担ぎ出す御輿の用意に手間取るであろうし、一度汚された台座をありがたがる兵も、少なくなるはずだ。

 突き詰めて考えれば、その影響力を減じさせた兵、ひいては国民に対し、侵略国も現支配階級も遠慮すべき理由はなくなってしまう。争いが終わった後、あらゆる損害の補填と、新たな権力の誇示に利用されるのは、他ならぬ民の血と財産なのだ。

 それでもなお、時として人は自ら自滅の道を歩もうとする場合がある。自己保存の観点から見れば、やはり愚かしいが、誰だって常に賢明な判断が下せるわけではない。理論より感情を優先させる人間など、珍しくもないのだ。まして、最初の否が、王室の方にあるとすれば……。


――とすれば、半端な死に方は出来ない。せめて、なるべく迷惑のかからない死に方を選ぶようにしないと、後始末が大変になってしまう。


 これが、セリアが敵軍の手にかかっていたとすれば、弔い合戦の名目が出来る。もし彼女自身が自らの過ちによって、国家の裁きに掛けられるというのであれば、それは法に則った正式な処分である。

 まだ、これからどちらにでも転ぶ可能性があることを考慮して、もしもの時は、二つの内いずれかをえらばねばならない。その方が、まだ救いはあるのだ。


――ありえたかもしれない未来。たまにこれを想像して、悲観的になることもあったけれど。今となっては、意味のないことよね。


 最悪の未来など、想像するだけ無益である。重要なのは、これからだった。

 しかし今は案ずるより、報告をしなければ。情報収集は、その後でよいだろう。

 サーレントが出していたはずの、提示報告の使者とは、結局合流できなかった。道程をたどっていけば、報告帰りに戻る途中で、使者はセリアらと出くわすはずなのに――それがなかったのは、どういう理屈か。気がかりといえば、気がかりである。


――帰って来れたから、これで一安心……なんて、ね。思いは、しないけれど。


 が、とにもかくにも、窮地は脱した。危機的状況に対して、何一つ問題は解決されていないが、個人の気分が軽くなる。

 それはそれで、重要なことであった。何しろ、セリアはこれから、反抗の旗頭となるかもしれない存在なのだ。

 気持ちを新たに、頭脳を切り替え、守勢から攻勢へと態度を改めねばならない。これは、心が重圧で潰されそうになっている状態では、なかなか実現できないことであろう。

「そういえば、シュウはどこまで戦いに行ったのやら。合流できなかったのは、任務の特性上、仕方のない事としても……やっぱり報告が来るまでは、あまり期待することもできないかしら」

 セリアらが、無傷で帰還した時点で、すでに彼は役割を果たしたといえる。

 足止め役を務めるだけならば、あの手勢で充分であったと言うことだろうが――もし、さらなる戦功を欲し、戦いを続けているとしたら。

 どれほどの損害を、敵軍に与えているのだろう。ガレーナの軍隊は、二度にわたってトリアを破っている。容易い相手でないことは、明白であった。

「……本当に、気になる。もしかしたら、もしかしたら――私たちにとって、彼こそが救世主たりえるのかもしれない。彼の動き次第で、今後の軍事行動が決定されるのかもしれない」

 その容易ならざる敵を、どうあしらっているのか。セリアは、彼の力の全てを把握する義務があった。

 シュウに権限を譲与し、兵を任せた。セリアが、それを許したのだ。

 だから、その結果も、その才覚も、彼女が責任を持って管理するべきなのだ。他の誰よりも、セリア自身がもっとも強く意識しなければならない。それが、任務を委任させた側の、最低限の義務であった。


――あるいは希望、なのかしら。出会いが強烈だっただけに、過大評価したがっているんだと思うけど。……でも、あの男はきっと、私が考える以上に危険で、強い人。それだけは、確信できる。


 もし、期待通りの強さを、シュウが示したならば。セリアは、覚悟を決めるつもりであった。……そう、自ら陣頭に立ち、敗戦を覆して行く覚悟を。







 セリアの見立ては正しく、シュウは戦いの天才だった。天から愛された彼の才能は、常に一定の勝利を約束した。

 だが、ガレーナ軍は有能だった。まず確実に、才知に優れ戦術の機微を押さえた、優秀な将と参謀に恵まれていたのだから。

 それゆえにシュウは勝ちきれておらず、ガレーナ軍の侵攻にもさほど影響は与えていない。セリアが願ったような、都合の良い救世主など、どこにも居はしないのだ。

「順調といえば順調だが、しょっぱい戦果だ。今のところ足止めにもなってねぇ」

「そうですか? 結構な物資を焼いてきたと思いますが」

「人手が足りん。単純にな? ほら、アレだよ。――働く奴が多いほど、稼ぎは良くなるだろ。食い扶持は増えるが、人数が多ければ、出来ることもそれだけ多くなる。二百人の手勢で、無理をしない程度の範囲内では、そうそう大きな成果はだせんさ」

 シュウは宣言どおり、ガレーナ軍の補給路を叩き、運ばれてくる兵糧やら武器やらを焼き続けていた。略奪の隙ができれば、可能な限りこれを許したが、所詮は懐に収まる程度である。少数である以上、機動性を捨てれば死あるのみ。ゆえに奪った積荷を載せる、車の用意さえなかった。

 迅速さが求められるから、実際の行動時間も僅かな物だ。その上、繰り返すごとに警戒が強まるのだから、次第に機会も少なくなる。そろそろ罠を張ってくるようになっても、良い頃合か。

 すると、今度は危険を少なくする為にも、妨害の規模を小さくする必要性さえ出て来よう。以後、うまみのありそうな補給部隊は、まず罠を張っていると考えるべきである。

「そもそも連中、最初から速攻でトリアを落とせるなんて、考えちゃいない。王都ってのは、だいたい堅牢な造りをしているからな。攻城兵器に兵糧の用意に……その他諸々の手配だけでも、三ヶ月はかかるだろう。だから最初からそれを見越して、念入りに物資は整えてある」

 ガレーナ軍は、兵站を重視していた。シュウにとっては意外なほどに、連中は足元を固めてきている。軍勢の動きが鈍いのは、補給の為の拠点を整え、一箇所が停滞しても、別の場所から補えるよう、補給路を整備しているからだといえた。これは明らかに、長期戦を視野に入れた行動である。

「それならそれで、開戦当初からの常勝を予期してたってことになるし、これを支えた後方裏方の仕事振りも含めて、トリアは完敗してたってことになる。いやはや憂鬱になるね、どうにも。――あちらも、腰を据えてかかってきている。通常通りの戦法では、容易にはいかんぞ。これからは、な」

 物資を運び込む過程の中で、隙を見出し、これを襲うことは出来ても。基地の中、拠点の守備の中にある物を焼くのは、恐ろしく困難なことだ。潜入し、集積所を突き止め、痛手となるほどの量を灰にする。――言葉にするだけなら早いのだが、行動を伴わせると、問題が続出する。

 まず、拠点の出入りは厳しく監視されている。入り込むだけで一手間だ。

 もし入れたとしても、一人や二人でのかく乱行動など、統率力の高い将にかかればあっという間に収束させられてしまう。といって、多数で試みても、誰かが失敗すれば事は露見する。それでは効果など望めまい。

 第一、練度の高い潜入技能を持った兵など、ここにはいないのだ。前提からして、厳しいものがある。

「何にせよ、あちらさんは性急に攻め立てるつもりなんて、最初からなかった。勢いに乗って攻撃するつもりなら、もっと早めに行動してたろうよ」

 シュウのご高説を、レックスは軽く聞き流していた。あえて理解する必要がないことも、長い付き合いの彼には良くわかっていた。

 シュウは、己の考えと情報をつき合わせて、現実の整理を計り、これを口に出す。ことがことなので、身内にしか見せない態度であるが――気を許す相手を傍に置くことで、精神の安定もを同時に計っている。

 そうすることによって、冷静さの維持と現状への対処法を導き出すのが、この男の癖なのだった。レックスは、それをわきまえていた。そして、事態がここまで差し迫っている場合、彼は誰より早く答えにたどり着く。レックスの助言さえ、この場では必須ではない。ただ、続きをうながす言葉さえあればいいのだ。

「左様で。……善後策としては、何が思いつきます?」

「そうさな。……こっちの兵の士気も、そろそろダレる頃だ。あとは一撃して、王都に褒美をせびりに行くとしよう」

 言い方はぶっきらぼうだが、シュウは『最後の一押し』をきちんと行ってから、手柄を誇って帰るのだと、そう言っているのだ。これは、彼なりに今後を案じてのことであろう。それが決定打とならずとも、与えた被害は確実に敵の力を削ぐ。

「褒美をせびる、とはまた……剛毅な言い方をなされるもので」

「間違ってないだろ? 一応、これで結構な苦労をしたんだ。どんな栄誉を賜れるかは知らんが、多少の役得はあってもいいはずだ。――ま、それはいい。後のことだ。それより、具体的な行動に移っておきたい」

 レックスは、苦笑しながら彼の命を待った。今、シュウは目に猛禽の如き光を宿している。大きな仕事を控えた時、彼はよくこのような顔を見せてくれた。

 さて、今度は何をやらかしてくれるのか。レックスは、それが楽しみだった。

「兵の損耗は、死者三人。重傷を負って動けなかった奴が五人。あと、消えた奴が十四名だったか」

「正確には逃亡者ではなく、行方不明者、ですね。過半数以上は、その通りなのでしょうが」

「それでもまだ、二十名そこそこの被害に止まっている。兵力一割が消えた、といえば大きく感じるが、俺たちの現状は軍というより賊に近い。俺とお前で、連中を引っ張っていけば、あと一度くらいは持つだろう。……身内の傭兵をもぐり込ませているから、不心得者を誘導することも、まだ可能と思うが、どうだ?」

「――問題ないでしょう。お互い、賊時代からの付き合いです。自分らのやり方に、慣れているはず。貴方が引っ張ってくれれば、きっちり動いてくれますよ」

 ならばよし、とシュウは笑む。彼はその場その場を切り抜けながら、自身の能力だけで、隊員を引っ張ってきていた。二百人程度の小規模の部隊であれば、まだ個人の武勇で人をひきつけることが可能ではある。

 もちろん限界はあるが、彼はそれを見切って、今回の働きを最後にするつもりだ。

「俺たちは、敵のすぐ傍に潜んでいる。この期に及んで、こちらの気配を嗅ぎ取れないということは……隠密行動においては、まだ俺たちの方に分がある、ということだ」

 ガレーナ軍は、国境を接した土地から、王都まで一直線に行軍している。その足跡を追っていたシュウは、これが何を意味しているか、正確に理解していた。

 彼らが待機している地点は、ガレーナ軍のいる場所からは、ほど近い。正確には、軍主力の大部隊や、中核の士官らが配置されている駐屯地からは遠いが、先行している偵察隊とは、ものの三里と離れていないだろう。

 それでも彼らが補足されていないのは、地理の把握と利用が徹底しているからに他ならない。都合のいい事にここら一帯は、トリア国内でも人の手があまり入っておらず、山間はもちろん、ふもとの湿地帯まで自然のままだ。敵国の中に入っているため、正確な地図がないというのも問題である。

 こうした場で敵を捕捉するには、まず地理を掌握せねばならず、さらにその中から通り道を探る必要がある。

 これを迅速に効率的に行うには経験が必要なのだが、ガレーナ軍にその蓄積はない。シュウは、一度所属していたから知っている。……あの連中は、軍事の常識は叩き込まれていても、山賊掃討の経験がないのだ。

 真っ向勝負には強いが、隠れた弱者を叩くための機会に恵まれぬ。

 中央の精鋭兵とは、そうした下衆な任務からは遠ざけられるのが常というもの。ゆえに、シュウは連中を騙せる。少なくとも、相手に姿を確認させない程度には、小ずるく立ち回れるのだった。

 敵軍の行動を見るのは、もっと単純である。賊の連絡網は、あれで精密な方だ。気心の知れた仲間さえいれば、シュウはそれこそ軍の偵察隊に匹敵する『目』を持つことが出来る。

 賊として過ごしてきた期間が長いシュウは、豪放に見えて臆病だ。だからこそ、臆病で知りたがりの同類を見分けられるし、使いこなせる。――そして見るべきものを見据えていれば、相手の弱点につけこみ、自分の長所を活かせるのだ。

「そうだな。狙うとしたら――あそこがいい。俺たちの存在と動きを悟られないうちに、やるべきことはやっておかんとな」

「あそこ、と申されますと?」

「橋だよ。……セリアのお姫様は別の道筋を通らせたから、気遣いはいらん。大河を横断する橋を崩しておけば、通行に支障をきたすはず。かなり時間を食うはずだ」

 正確な理解が、最適の回答をもたらす。

 ガレーナ軍が最短距離で王都を目指す以上、どうしても通らねば成らぬ場所が存在する。セリアは一刻も早く王都に戻るべき理由もあるが、同時に後方の拠点も回収していかなければならない。よって、最短の道程を選べなかった。


――いや、選ばせなかった、と言うべきか? まあ、それはいい。


 ここから王都までの間に、大きな河が流れている場所があった。無論、通行の為に橋が設けられているし、船町も存在する。が、これらを徹底して破壊しておけば、ガレーナ軍は一から河を渡る準備をするか、別の進路を取らねばならない。

「そんなに、効果があるでしょうか。大河を渡るのは、それは難儀でしょうが……もっと下流に行けば別の橋もあります」

「そうだな。そこまで丹念に潰していける余裕はない。――が、いいさ。俺たちなら二日三日で済む回り道でも、連中にとっては違う。だからこそ、価値があるんだよ」

 せっかく目算の付いた道を放棄して、新たな地域を開拓する。

 それは大きな勇気が伴う決断であり、より慎重さが求められる作業でもある。失敗を恐れ、損害を嫌い、確実性を求めれば求めるほどに、時間を食う。地の利を確保する、ということは、それほどの大事であるのだ。

 王都を落とす為の準備を、周到に整えてきているのだ。ここで不測の事態が起きたとしても、その姿勢を変えるとは思われない。

「しかし、それはそれで、後で復旧する際、かなり苦労することになりませんか?」

「知るかよ、そんなこと。まず、今を生き延びる為に必要なことをするんだ。時間稼ぎは、その為に必要なことだ。結果としてそれが国民を圧迫することになろうと、国家の存続が何より優先される。――何、気にするこたぁない。攻めてきたあいつらが悪いんだ。あっちはあっちで言いたいこともあるんだろうが、現実にトリアの国民に迷惑をかけているのは連中なんだ。文句は言わせんよ」

 愚痴なら聞いてやるがね、とシュウは締めくくった。つまり、それが彼の結論なのだった。

「まあ案外、壊した橋を修復したり、船の調達なんかも、連中はやってくれるかもしれんぞ? そしたら、事後処理も楽に済むんじゃないか?」

 そこまで単純にことが済むとは、シュウもレックスも考えていない。しかし、ここで諧謔の一つも言えないようでは、救いがないではないか。

 レックスはそう思えばこそ、彼の言葉を否定しない。やるべきことが決まったのなら、あとは実行するのみだ。


「――兵を集めろ」


 そうして、彼らは動き出す。

 足止めは、まず確実に成功するだろう。だが、王都に向かって、褒美を頂いて、その後は?

 シュウは、まだ己の思考を全て語っていない。レックスも、あえて聞かなかった。

 彼らは、自身の価値観と、栄光の為に、戦っていく。その方針だけは、最後まで変わらないのだと。それを、痛いほどに理解していたからだった。



 少し、体調を崩しておりました。

 ようやく本調子になりましたが、文章の方も本調子かどうかは、なんとも。

 ……またここら辺は、改訂することに成るかもしれません。


 読者の方にはご迷惑をかけますが、どうぞお見捨てになられませぬよう、お願い申し上げます。次回は早めに投稿出来るかと思いますので、それまでお待ちください。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ