第五章 暗雲
実際のところ、サーレントはさほど反感など抱いていなかった。
セリアのことは、まずまず好意的にとらえ、戦場に初めて出てきた少女が、よく頑張っている……と評価している。
ただ、彼にはぬぐい去れない不安があり、それを相談する相手を求めていたのだ。そして、セリアは話し合うに足りない相手であると、サーレントはあの短い時間の中で決断したのだった。
――お嬢様相手に、この手の汚い話は厳しすぎる。
ジェイクとやらに面識はないが、頼るに足る人間でありますように……と彼は願った。
そして結果論だが、この際、ジェイクに一定の器量が備わっていたことは、幸運といってよい。
「お前さんが、この補給基地の実質的な統率者かい? まあ、そう固くならずに気楽にいこうや。――これまで、苦労してきたんだろう?」
まず、ジェイクはサーレントを無下に扱わなかった。倉庫で出会うと、気さくな声で彼をねぎらい、詰め所まで案内する。
ジェイク自身、長い下積みの人生を送ってきた軍人である。年下の下士官に共感やら同情やらを抱きはしても、反感を持つことはない。
「はい。……兵の様子は、もうご覧になられましたか?」
「なったとも。ずいぶんと、しつけが行き届いているな。正規兵なら当然だが……敗報が届いている割には、動揺が少ない。不安な顔をほとんど見なかったのは、あんたのやり方が上手かったからかね?」
「自分の功績ではありません。一部を除いて、元々出来の良い兵で固められていたのでしょう」
これが謙遜であるか事実であるか、ジェイクは検証するつもりはない。どちらにしろ優秀な兵の存在は喜ぶべきであり、窮地に至っては貴重な宝である。
付け加えるなら、この時点で、サーレントの手腕を疑う余地はなかった。士官を失った状態でありながら、大過なく軍隊を維持し続けている。その事実をかんがみれば、彼の有能さは証明されたような物であろう。
後は、いかにしてこれらを活用するか。運用の問題だけであるはずだった。しかし、ここでサーレントは一つの難問を提示する。
「ただ、いくら練度の高い兵に恵まれていても、例外はございます」
「集団の常だな。力の劣る者、爪はじき者は、どこにでもいるだろう」
「……残念ながら、そう簡単な話ではありません。付近の住民から、略奪を行った者がいます。今は懲罰として、営倉に押し込めてありますが……自分には、軍法によってこれを処罰する権限がないのです」
サーレントは処罰、と穏やかに言ったが、求めているのは処刑だろう。
大目に見てやるつもりなら、営倉にぶち込んで、ほとぼりが冷めるまで臭い飯を食わせればよい。それをせず、あえて報告に来た以上、その意図は明白だった。
「そうか。下士官のお前さんがやると、私的な制裁になりかねんか」
「自国内での略奪は、大罪です。そして罪を犯した兵は、国王が認めた執政官か、資格を持った士官でなければ裁けません。――彼らの処分を、御願いできますか?」
確かに、この基地には士官が一人もいなかった。ジェイクがこれを代わりに行うのは、簡単である。すぐ傍に『暫定国王』といえるセリアがいるのだ。彼女は素直だから、それが必要なことであるとジェイクがいえば、疑いもせず許可してくれるだろう。
「わかった。じゃあ、姫さんに報告して――」
「分をわきまえぬ発言を、お許しください。……なにとぞ、ジェイク隊長個人の裁量で、御願いできませんか」
冗談ごとをいうような、人間ではない。そんなことに向いていない、真面目すぎる者の顔を、ジェイクは見た。
何か特別な事情がある。厄介事の種が埋まっているのだと、ジェイクは素早く理解する。
「と、言われてもな……俺の立場も色々と変則的なもので、こちらの裁量で勝手な処分を行える権利があるかどうか。――いや、恥ずかしながら、その手の文事には経験がなくてね。少々把握しきれない部分が、あるわけだよ」
ジェイクはサーレントに対抗するように、真面目くさった口調で返した。所詮付け焼刃の芸だが、あえてふざけることで、相手の真意を探ろうと試みる。
「特別面倒な事をする必要はありません。書類は形式上、そろえる必要はありますが……。ことがことですので、承認さえいただければ、大事にはならないと思われます」
「――兵の処分自体は、ありふれたもの。しかし手続きや罰が不適切であった場合。それを行った士官は、責任を取らねばならないはずだが?」
「はい。ですがこの件に関しては、心配は無用です」
いきなり、雰囲気が冷たくなったような気がした。サーレントは真面目人間の皮をかぶったまま、何か別の、恐ろしい物を腹の中に貯め込んでいるように見える。
「そいつぁ……なんだい? 特別な事情があるんだな? それも、容易には話せない類の」
「おっしゃる通りです。身内の恥をさらすようですが、どうか、お聞きください」
姫様の護衛以外に、余計な面倒は抱え込みたくないのだが、あいにくとジェイクにこれを拒む権利はない。まったく認めたくないことだが、現状ではジェイクが最高位の士官なのだった。
こんな事態は御免だと思っていたからこそ、彼はセリア以上に、上位者の存在を渇望していたのだが、いまや詮無いことである。ジェイクは上司らしく、目下の問題に取り組む義務があるのだ。
「兵が略奪をした、と自分は申し上げました。しかし、それだけでは事情の半分も説明したことにはなりません」
「やけに勿体ぶるなぁ。率直に言ってもらっていいんだ。それで?」
「正確に申し上げると、罪を犯したのは、兵に扮装した盗賊どもと、それにそそのかされた不届き者の傭兵。彼らがこの基地に入り込み、素行の悪い連中を巻き込んで、蓄えられていた物資をかすめ取ったのです」
略奪と言うのだから、近隣の町村で暴虐を働いたのかと思っていた。
サーレントの言葉をかみ締め、理解するのに、多少の時間が必要であった。このような展開になろうとは、ジェイクにとっても想像外である。
「なんだ、それは。もっとよく状況を説明してくれねぇか?」
「経緯を申し上げますれば、前線からの敗残兵の中に、傭兵が含まれていたことが原因でした。オルス王の敗北によって、失われた数を補填するため、致し方なく……行ったことなのでしょうが。それが結果として、後の面倒を引き起こすことになります」
サーレントの説明的な口調を、ジェイクは聞き落とさずに理解し、続きをうながした。
「セリア殿下にも報告しましたが、三十五名が前線より帰還しました。しかも、その全てが傭兵です」
「全てが傭兵、ね。なるほど、生き汚いのが傭兵の取り柄だからな。……ああ、気にせず続けてくれ」
傭兵は、軍としての訓練を受けていない。その上、国民軍と違って守るべき物をもたないため、規律を遵守する意識が薄く、必死さに欠けるものだ。こちらが優勢なときはまだ良いが、一旦劣勢に陥れば、とてもあてに出来たものではない。
戦こそが生きる糧である彼らは、勝つことよりも生き残ることを重視する為、主を見限るのも早かった。トリア軍の敗北を見て、逃げ出そうとする心理は良くわかる。
もっとも、それならそれで、どうして素直に身を隠さず、基地なんぞに逃げ戻ったのかという疑問は残るが。
「我々は、これを受け入れました。彼らが敵前逃亡の罪を犯したのか、あるいは指揮官を失って潰走を余儀なくされたのか。まったく検討も付きませんが、一度は軍に組み込まれたことのある連中です。庇護を求められたのなら、見捨てるわけにもまいりません」
軍に、傭兵を保護する義務はない。彼らは彼らで、時に独断で逃亡し、時に裏切る。そういうものだ、と割り切って扱うのが、この時代では正当といえた。しかし――正面切って、味方であった傭兵に『助けてくれ』といわれたなら……これを打ち捨てることは、なかなか勇気の居ることだ。下手に見捨てれば、正規兵の士気まで下がりかねない。
敗北による逃走と、背後に迫る敵からの追撃。それらは、誰にとっても共通の恐怖であるからだ。いざと言う時に味方を助けられない軍は、兵の信望を失う。サーレントはただの同情からではなく、この点をもかんがみて、傭兵を受け入れることにした。
――間違った対応はしていないな。こいつを責めるべき理由も、今はない、か。
ジェイクは冷静に状況を考察しながら、話に聞き入っていた。とりあえず、ここまでは問題はない。神妙な面持ちで、続きを待つ。
「受け入れたとはいえ、その扱いには頭を悩ませました。まさか王都まで護送してやるわけにもいかず、実務に関わらせるほど信もおけず……。それでも、戦力が低下しないよう、適度に体を動かしていられる仕事を割り振りました」
「それは?」
「周辺の哨戒任務です。少し離れれば、集落も散見できるこの地形。住民の護衛も兼ねて見回らせ、敵の襲来に備えさせました。無論、こちらから監視の兵も出しております。――流石に、傭兵ばかりに任せ切りには出来ませんから」
サーレントにしてみれば、これが精一杯の気遣いだったのだろう。傭兵を飼い殺さず、役割を持たせることで、帰属意識を強めさせる。
悪い手では、ない。だが、失敗に終わったことは容易く想像できる。なにしろ、サーレントが処刑を求めているのは、その彼らであるのだから。
「哨戒自体は、問題なく行われました。傭兵たちは、この時点では忠実に職務を果たし、我々の信頼を得た……といえるでしょう」
――ここまでは、お互いに関係も良好かねぇ。どこで略奪の話が出て来る?
いささか話が冗長になっている気がする。サーレントの癖であろうか、一から順序良く説明せねばならぬという、使命感に囚われすぎているのかもしれない。
「もしかしたら、このまま撤退命令が来るまで、平穏に過ごせるかもしれないと、そう思っていた矢先に――」
「やらかしたか」
「まさに。……連中は任務の傍ら、ひそかに物資を奪い取る計画を立てていたようで。なんとか直前で阻止し、被害を抑えられましたが……余計な怪我人が、幾人か出てしまいました」
「死人を出さず、事態を収拾できた。それだけでも充分だろうよ。――しかし、なんと言うか、連中も浅慮が過ぎるな。傭兵ってのは、わからん。危険を冒して、味方を騙してでも、小金を稼ぎたがるものなのかねぇ?」
傭兵など、もともと胡散臭い者どもではあるのだが……一応、それなりに信用がなければ、仕事にもあぶれる物ではないか。とんずらする程度ならば許容するが、積極的に害を与えに来るのであれば、もはや問題外である。処刑もやむなしと言えよう。
「わかった。そういう事情なら仕方ねぇ。――こちらの権限で、どうにか処理しよう」
「助かります――が、話にはまだ続きがありまして」
今度は何かと、ジェイクは心する。サーレントは続けて紡いだ言葉は、それこそ彼の権限を越えた、重大な判断を必要とするものであった。
「その傭兵どもは、盗賊団と繋がっていた……というよりは、最初から盗賊として身を立てていたのかも知れませんが。――周辺の犯罪者と結託して、物資の横流しする体制を整えていたようです」
「そいつは確かな情報かい。裏は取っているのか?」
「連中の行動に、何か引っ掛かる物を感じまして。後ろ暗いことが隠れていないかどうか、洗いざらい吐かせました」
「吐かせた……って、拷問でもやったのか。いい性格してるじゃないか」
「盗賊に配慮は要りませんから。徹底してやらねば、禍根を残すかと思ったのです」
それでも、自身の感覚を確かめる為に、容疑者を傷つけることを躊躇わないとは。これでなかなか、サーレントという男は冷酷な一面があるらしい。
――ま、それくらいの方が、この状況では頼りになるか。
ジェイクはこれをむしろ評価し、彼を重用することに決めた。引き続き、基地の兵を任せてよいだろう。真面目さと厳しさ、それに機転がきくサーレントならば、何も不安はない。
「さて、盗賊団、ね。こいつはちょいと厄介だな」
何が厄介かといえば、そんな物騒な連中が野放しになっており、ジェイクたちには彼らを討伐するほどの余裕がない、ということだ。
「聞き出したところによると、この周辺の町村も、襲撃する予定があるとか。近くの住民たちも、ここ最近は休息に治安が悪くなるばかりで、不安がっています。……ここに来て、盗賊団が規模を拡大したらしい、という情報もありますし、難しい状況です」
平時から、こすからい稼ぎをしていた者どもだろうが、戦時の混乱で他の傭兵と結託し、今後地方で略奪を繰り返す恐れがある。
戦争が終結し、トリアが統治能力を回復させるまで、どれほどの時間が必要なのか。現状では予測も付かない以上、これを放置し続けることは、国民を見捨てることに等しい。
――うむ、アレだ。俺にそんな無情な決断を迫られても困るんだが。
最初の話は、どこへやったのだったか。
そういえば、一応斬り捨てることで同意したのだったと、ついさっきの発言を思い出す。
ジェイクの頭脳は、特別に劣悪だというわけではないが、降ってわいた様な凶事を前に、少々機能を低下させていたらしい。
「姫様に、相談してみようか」
ともあれ、単純な事件でないことは把握できた。阿呆どもの処断は確定としても、それ以上の大きな判断は、ジェイクやサーレントの手に余る。
「よろしいのですか? ここはあえてジェイク隊長の胸の内に収め、見て見ぬふりをするのが無難かと思われますが――」
「ま、こいつは覚悟の問題ってことかね。俺には、ここで保身の為に民を切り捨てるような、後味の悪い決断はしたくない。あんただって、そうなんだろう? ……なら、他の適任者に決断権を譲るのが、謙虚な軍人の在り方と言うもんだ」
サーレントがいかに不安に思おうと、ここはどうしても、セリアの裁可を仰がねばならない。軍の外部のことまで含むのならば、彼ら自身が独断でやってはならないだろう。
彼女は、国民を見捨てるか、兵を犠牲にするか。その非情な決断を、ここでせまられることになるのである。
まったく感想が来ないというのも、寂しい物です。
気に掛けられていない。ということは、気楽にやれる、ということでもあるので、気持ちに余裕がもてるという利点はありますが。
それはそれとして。なにやら、色々と複雑になってきました。
今回で、どうにも微妙な方向に、話が進んでしまったような気もします。
もしかしたら、後々大幅な改定を行うかもしれませんが、その時は笑ってやってください。