第三章 転機
「とりあえず、見栄は張ったが」
「ここからが問題ですね。発破をかけて、危機を自覚させた。あとは、戦って勝つだけですが――さて、どうしたもんでしょうか」
セリアは帰ってからのこと、戦いの後のことを考えればいいが、シュウとレックスはここからが本番である。
時間的余裕のある彼女とは違って、二人は速やかに善後策を練り、行動しなくてはならない。具体的な指示も、自分で考える必要があった。
もっとも、シュウは自分の裁量で動く兵が欲しかったのだし、その為にわざわざ回りくどい手間をとってまで、権限を委譲させたのだ。これは願ったりの状況だとも、言えるはずであった。
「今更白々しいことを言いくさる。――決まってるだろ。嫌がらせだ」
「流石はお頭。すでに腹案がありますようで」
「わかっていやがるくせに。……と、言うわけだ、お前ら。まずは安心しろ。この数で敵と戦えとか言わない。俺は、お前たちにもっと楽しいことをさせてやるつもりだ」
総勢二百余名。今はセリアに付けている三十名を除くと百七十名程度。小細工を弄したとしても、よく残った。よく集まってくれたと、そう言わねばならないだろう。だが彼らの士気は、セリアの存在で多少向上されたとしても、そう高くはない。この上無茶をさせれば、躊躇いなく逃げるだろう。玉砕を感じさせるような命令には、誰も付き合ってはくれないはずだ。
だから、シュウはいかに兵にやる気を出させるか、いかに消耗を抑えて、敵軍を悩ませてやるか。その方面に、心を砕くべきだと考えたのだ。
「俺たちがやるのは、略奪だ。――もちろん、敵軍に対してだぞ? 連中の補給部隊を襲い、奪う。あるいは陣に夜襲を仕掛けて、火を放つんだ。楽しそうだろ?」
まず、恐怖を払拭してやる。無理でも無茶でもなく、そこそこの手柄と実益を期待できて、なおかつ命の危険が少ないであろう戦いを、シュウは提示した。
「正規兵としては、盗賊みたいで嫌になるかもしれないが、これも戦術だ。出来るだけ、人死にも避けたい。生きて帰りたければ、そして少数の利を活かして、奴らに痛手を与えたいなら……この手しかない。まずはそれを、理解して欲しい」
この場でシュウを否定する者はいない。セリアが直々に、正式に任命した士官に対して、真っ向から反発できるほどの気概など、誰も持っては居なかったのだから。
なにより、彼を否定するからには、それ以上の策を持ってこねばならないわけで――そこまで有能な人間は、初めからレックスの選別から漏れているはずなのだ。
シュウもレックスも、己の都合で生き、戦っている。そこに不都合な存在を紛らせるほど、彼らは寛容ではないし愚かでもない。
「成功すれば、朱勲一等だ。俺が保証する。……いや、セリア様が保証してくださる。だから今は納得して、俺に従って欲しい。――いいな」
それは穏当なお願いなどではなく、単なる確認であった。己の身を第一に、敵前逃亡をするような輩はすでに絶えている。兵は、指揮官から逃げ、戦場という地獄の中、一人でさ迷う事の愚を理解していた。
どんなに不安でも、仲間を見捨て、あるいは見捨てられ、単独で生き延びられる自信などない。それが、兵の本音であろう。
「嫌だって言うのなら、付き合ってられんと言うのなら、それもいい。今からでも散れ。俺は咎めんぞ?」
答えがわかっていて、シュウは問う。聡い彼は、ここにいる者たちが、その手の度胸を持ち合わせていないことを理解していながら、あえて選択権を与えて見せた。
自身の意思で残れば、それは純粋な自己の判断。責任を共有するための、陳腐な問いかけであったが、結果は自明である。
「よし。腹が決まったら、あとは簡単だな。勝って、帰るだけだ」
こうして、シュウは戦いの場へとおもむく。自身の裁量で、自己の判断で、人の群れを率いる。その自由を得た彼は、まさに群狼の長そのものであった。
「……まあ、まかせろ。何とかしてやる。俺についてくれば、それなりにいい目を見させてやるさ」
シュウは、敗北など意識しなかった。彼には勝算があって、しかもまだ口には出していない、秘策もある。
――さて、今後問題があるとすれば、あのお姫様だな。流石にアレの行動まで把握は出来ん。邪魔をしてくれなきゃ、いいんだが。
一抹の不安はあったが、些細なことであると、シュウは判断した。後でいくらでも修正が聞く部分であろうと思い、さっそく具体的な行動に移る。
セリアを生かしたことによる恩恵。それを最大限に活かすつもりなら、戦場で功績をあげるほかはなく。生き残りたいのであれば、わずかな手勢でも運用するしかない。
――ここは俺たちにとっては自国内で、相手にとっては外国だ。補給にしても戦闘にしても、まずはその点を念頭に置かねばな。狼藉を働くにも、手段は選ぶ必要があろう。
シュウはこのとき。トリアという国の一部になっていたと、そういえるだろう。国家の枠組みの中で、生きることを決意する……その意味を、シュウは正しく認識していたのであった。
※
セリアは、そもそも戦場に出るどころか、王位を継承することさえ考えたこともない、おとなしい娘に過ぎなかった。兄がいるから、父の跡目を継ぐ者は初めから決まっていたようなものであるし、よほどの不幸がない限り、自分が注目されることはないと思っていた。
ましてや、セリアは文武に優れている……と、己を評価するほど、うぬぼれていない。
セリアの教育は、どちらかといえば文に偏り、ここ数年は武に関する知識など、触れたことさえなかった。乗馬は国柄、伝統と言うか、貴族のたしなみとして、定期的に修練していたが――剣も弓もまともに扱ったことがない。詩文や古典、儀礼に関する知識はあれど、軍事についてはまったくの素人である。
女子に武力を求めるというのも酷な話だが、今は非常時。敵がいれば刃で打ち倒し、血で身を染めねばならぬが、現実である。そして己に出来ないのであれば、他人に任せるほかはなく――自分はただ、惨状を眺めていただけ。
「敵の掃討、終わりました」
「そう、ですか。……相手の素性については、何かわかりましたか?」
「は。どうやら、混乱に乗じた盗賊であったようで……罪人の刺青をした者が、数人おりました。ガレーナの兵でないことだけは、確かです」
セリアと、その護衛の一団は、着実に王都への道のりを歩んでいた。その中で、治安が悪化し、ならず者どもが蔓延る一帯も通過している。これには、一刻も早く帰りたいという彼女の意向が関係していた。とにかくセリアは、王都に戻りさえすれば自体は好転すると信じ、最短距離を突っ切ろうとしたのだ。
しかし、結果として盗賊に襲われ、返り討ちにした人間の遺骸を間近で見るようになると、慙愧の念を感じざるを得ない。戦闘で傷を負った者には申し訳ないと思うし、死んだ盗賊どもも、哀れといえば哀れでもある。
そしてなにより、自分が綺麗な姿のままでいることが、とてもやましく思えたのだ。
「……私も、剣が使えれば、手伝えたのだけれど」
「いえ、そのようなことは、全て我々にお任せください。でなければ、我らはその職分を果たせなかったことになりますので」
まさしく、その通りだ。護衛とは対象を保護し、危険から守り抜くことを仕事とする。セリアがどう感じようが、彼らには関係ない。むしろ、彼女の意見は、兵たちに負担を与えかねない分だけ、性質が悪いと言って良かった。
――仕方ない、か。確かに私にもしものことがあれば、皆の責任になる。
セリアも、護衛兵の立場を理解できる程度には、頭が回る。一度諌められれば、これを酌んで動くくらいの賢明さは、持ち合せているのだった。
「了解したわ、護衛隊長。私は、貴方の判断を信頼し、任せます」
嘆くのは、やめた。自分を不甲斐無く思ったところで、この場の利益には直結しない。
「はい。では改めて、王都へと向かいましょう。近くの駐屯地を介すれば、一定の兵も連れて帰れるかと思われます」
セリアにつけられた護衛隊。その長は、所属した軍隊への年期を感じさせる、壮年の男であった。年齢は、四十代半ばくらいか。がっしりした体躯と、太い胴回り。無骨な顔立ちに無精髭と、お世辞にも男前とはいえないが、不思議と人に安心感をあたえる人物であった。護衛を務めるのにうってつけの人材であることは、セリアも認めざるを得ない。
威厳も相応にあり、小集団を任せるには、充分すぎる才覚の持ち主であろう。先ほどの小競り合いを見る限りでは、指揮能力も水準以上か。偶然か必然か、シュウはあの短期間で最善の人事を行ったということになる。
こうなると、彼の勘の良さをセリアは賞賛しなければならない。……内心はどうあれ。
「きちんとした軍隊の規模になれば、私たちを襲う盗賊なども、いなくなるでしょうね。……そういえば、護衛隊の被害は?」
シュウがセリアにつけた兵数は、三十名。彼は残り百七十名ばかりを率いて、今は敵軍とかち合っている頃か。
どんな戦いになっているかは、想像するほかないが――まず心配するべきは、己の身の安全と、それを保証する戦力であろう。
「軽傷が八名。重傷者、死亡者なし。およそ倍の数を相手にした結果としては、まあ上々でしょうか。傷を負った者も、戦えないほどの負傷ではありません」
「ほとんど圧倒していたものね、貴方たち。……敵が錬度の低い盗賊だったから、かしら」
「それもありますがね。奴ら、十人ばかり斬ったところで、逃げ出し始めたでしょう?」
そういえば、確かに途中から盗賊どもは、逃亡を図っていたようでもある。しつこく追撃しなかったから、結構生き延びたであろう。
「あの手の連中は、別に守るべきものがあるわけでもない。分が悪くなったら、さっさと見限って次の獲物を探すのが常です。……掃討するのは、ちょいと骨ですが、追い散らす程度なら慣れたもんですよ。傭兵崩れの物盗り風情、いくらでもさばいてみせましょう」
「なるほど。優秀な兵と、指揮官に感謝ね」
「兵が先で、自分が後ですか」
「ええ、現場が先。後方が後。常に賞賛されるべきは、下々の苦労よ。もちろん、貴方を評価しないわけではないけれど――違うかしら?」
どうせ、無事に任務を済ませれば、貴方は昇進するのだから、とセリアは付け加えた。ここに来て、彼女にもいささかの変化が表れている。
自らの不甲斐無さへの反動であろうか。己に出来ないことを実行してくれる者たちに対して、感謝の気持ちを抱くようになっていた。それは指揮官に対しても同様であろうが、あえてセリアは冷たく引き離すような態度を取る。この男の人間性を、拙くも探ろうとしていたのだ。
「まあ、同感です。セリア殿下は、物わかりがよろしゅうごさいますな。普通、貴族やら王族やらは、もっと倣岸で無知なものだとばかり思っておりましたよ」
「倣岸で、無知だもの。私だって、そう変わらないわ。少し、自覚があるだけよ」
なかなか不遜な言い様だが、この際は目をつぶろうと彼女は思う。今は忠実に動いてくれる者たちに、ただ感謝すべきであろう。
基本的に、これは負け戦なのだ。今後はわからないとはいっても、短絡的に保身を図ろうとする者が出てもおかしくない状況である。護衛隊が問題なく機能してくれている、という一事だけでも、セリアは幸運に思う。
「おや失敬。言葉が過ぎましたかな。生まれが卑しいものなので、無作法はお許しくだされ」
「そんなの、いくらでも大目に見るわよ。きちんと、仕事さえしてくれたらね。……それで貴方、名前は?」
「このような下賎な者の名を、覚えてくださると?」
「わからないと呼びにくいでしょう? 私は物覚えが悪い方だから、護衛隊全員の顔と名前までは、覚えきれないけれど……貴方一人のことを把握していれば、隊は機能してくれるでしょうし」
情報の伝達と命令権の行使は、相手への信頼関係がなければ成り立たない。
また、そんな建前は抜きで、見知らぬ他人に囲まれた少女が、せめてこの場で顔見知りくらいは作っておきたいと思った。それだけの話でもある。
彼は、もともと陽気な性質なのだろう。二言三言、話しかけただけでも、その性格の片鱗が見えるようであった。どことなく、聞く者の心を穏やかにさせる、低音の良い声をしているのも、彼女には好印象であった。
セリアに長所があるとすれば、この割り切りの良さがその一つであろう。おかげで彼女は、一定の好意を得ることに成功する。
「……ジェイク、と申します」
「ジェイク、ね。覚えた。じゃあ、先を急ぎましょうか」
顔も名も、心に刻み付ける。父と子ほどの年齢差がある二人であったが、立場はセリアの方が強い。王族が、後ろ盾のない一士官の名を覚えることが、いかに大きなことであるか。彼女はそれを理解していなかった。
ジェイクがこれを奇貨とし、確たる人脈を築ければ、王家との繋がりが出来る。そうなれば、いくらでも甘い汁を吸う機会が巡ってくるだろう。彼が見る限り、セリアは隙が多すぎる。ジェイクがその気になれば、彼女を踏み台に、富貴への階段を上ることができるだろう。……あくまでも、その気に成れば、だが。
彼は今、己が人生の分岐点に立っていることを自覚していた。それがわかったからといって、特別な何かを行おうとは、しなかったけれども。
「わかっているでしょうけど、さしあたっては、近場の軍と合流することが目的ね。軍需物資の集積所なり、補給路なりをたどっていけば、いくらかは残存兵力を加えて行けるでしょう」
「左様でございますな。三十名程度では、大負けに負けて逃げ帰ってくるようで、格好が付きません」
「大負けで、間違ってないと思うけど?」
ジェイクは、ただ常識的な一般論を述べた。セリアは、そもそも争いごと事態に馴染みはないのだから、わからなくても当然であろうが……その点を放置したままに出来るほど、現状に余裕はない。彼はそう判断し、多少性急にでも、この場で認識を改めさせることにした。
「率直で正しくあることが、常に最善であるとは限りませんよ。見栄やはったりを張れば、得をする。そんな事態も、ありえるのですからな。負け戦は特に、悲惨な状況から目をそらす努力が必要なので」
「……それが許されるのは、末端の国民だけよ。私は、目をそらしたくても、そらせない立場にいる。許されるなら、下々の連中と、同じものを見ていたいたかった。――騙されていると、知っていてもね」
傍のジェイク以外には聞こえないよう、小声で呟く。それを聞き取った彼は、慰めるわけでもなく、一介の士官として真っ当な忠言を行うのみだ。
「気丈に振舞ったり、弱気になったりと、貴方も随分忙しい方ですな? 迷いなど、捨ててしまいなされ。それこそ一番、この場では不要の物です」
金言であった。彼の経験が言わせる台詞であろうと、セリアは理解する。ジェイクの台詞は、皮肉げな言葉もあった。しかし、彼の明るい、屈託のない声で言われてしまうと、不思議と嫌らしく聞こえなかった。
「了解。ジェイク、たぶん貴方が正しい」
どうしようもない敗北感を、適度な雑談で誤魔化しながら、セリアたちは王都へと向かう。順調に補給路をたどれば、国内の戦力を途中で吸収しつつ、結構な数を揃えて帰還できるはずであった。
しかし、運命はどこまでも、セリアに厳しい。帰るまでに一波乱どころか、二つも三つも問題を抱えながら、彼女は厳しい道のりを進まねばならなくなるのだった。
とりあえず、今回はここまで。
まだまだ書き溜めた分はありますが、前のあとがきで書いたとおり、私にはこれが面白いのかどうか、あまり確信がもてません。
続いて投稿すべきか、最初から練り直すべきか。読者の皆様方の反応を、待ってから、決めたいと思います。
ここまで拙作を読んでいただき、まことにありがとうございました。
また次の機会に、お会いしましょう。では。