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第二章 過程

 兵の集結を待つ間、セリアはどうしてこんな状況に追い込まれたのか、改めて考えることにした。近くに、潜むには都合のいい森林地帯があったので、そこで待つ。味方にも発見されにくいのではないかと思ったが、シュウは問題ない、と言う。あの合図でこちらを見つけられる程度には、有能な配下を従えているのだと、彼は答えた。

 『あいつ』とやらが誰かは知らないが、大きな信頼を寄せている相手がいるのは確からしい。セリアとしても、天運に任せたなら、どこまでもそれに従うしかない。

 度胸と言うか、自暴自棄と言うか。少なくとも彼女自身、やけになっているという自覚はあった。

 ともあれ、彼女は一時思考に集中することで、現実から目をそむけようとする。そのうち我に返ったら、現実を直視することを決めた上で。


――何かが狂ったのは、私の父が王位についてから。偉大な祖父の死が、全ての元凶だったように思う。


 セリアは、祖父のことはおぼろげにしか覚えていない。いつも忙しそうで、顔をあわせる機会もほとんどなかった。たまにその機会が訪れても、会話することさえなく、遠目から拝謁を許されるだけだったのだから。

 祖父は基本的に、家庭を大事にしない人だった。それでも、あの人がいたからトリア王国は繁栄した、と言っていい。

 傑物であり、天才であり、そして何より強い王であった。家庭人としての資質と、王としての資質は、必ずしも両立しないのだという事実を、強く意識させる人でもあったのだが。

 ともかく、父がそれを衰退させた、と言う事実もあわせて考えれば、セリアは複雑な気分にならざるをえない。祖父と父が、もっと親子らしい、理解し合える関係を築いていたならば……どれほど幸福な未来が、用意されていたことだろう。彼女は、それを残念に思う。


 賢王グレイ・トランドの後に続くは、不肖の息子。オルス・トランドは、前世代の遺産を食い潰し続けた――という一点をもって、後に暗愚と評されるだろうと、彼女は半ば覚悟していた。

 娘である自分の目から見ても、あの父は、とても尊敬できるような存在ではない。肉親としても、君主としても。

 その己自身とて、さほど才に恵まれたという実感はない。オルス・トランドで九代目。もしかしたら、このセリア・トランドが十代目の国王になるかもしれないが、だとすればトリア王国は自分の代で終わるのではないか、と不安になってしまう。


――私だって、そんなに優れた人間であるとは、思わない。あの父にして、この娘あり……か。もう、どうしようもないのかも。


 そもそもの元凶を、責めるならば。どうして、父は祖父ほどの能力を持って生まれなかったのかと、やくたいもない愚痴をこぼさねばならぬ。いや、才能がないのは仕方ないとしても、謙虚に生きることを知っていれば、ああも見事に失政を続けなかったであろうに。

 自己顕示欲に塗れなければ、自尊心を抑制することが出来たなら……。全ては繰言に過ぎないが、それでも嘆かずにはいられない。


――強すぎる前王の影が、父を歪ませた。貴方は大きすぎたのです、お祖父様。


 父は、その大きい背中を見て育った。あの人のようにならねば、と思い、あの人に認められたいと思っていた。……そのように、セリアは母から聞いていた。

 だから、であろうか。父は、祖父でさえ完遂できなかったことに挑戦し、己の力を証明しようと試みた。内政においては、国民の生活向上を。外交においては、国威の更なる拡大を。この目的自体は、善行と称してよい。

 もし、充分な時間をかけて、これらの難題に取り組んだならば、一定の成功は収められたかもしれない。当時のトリア王国には、それだけの底力があった。

 けれど、父は急ぎすぎた。我が強く、何事につけ、自分の能力を見せ付けたがる性格も災いした。セリアは、それを今更ながら、残念に思う。


――根拠なき自信を前提に、己の弱さを認めず、諌言を無視し続けて。有能な臣下を疎んじ、人の理解を求めなかった。なのに、お父様は、成功を、自身が賞賛される未来だけを求め続けた。私が知る限り、一度も反省することなく。


 結果、オルスは失政を続けた。とにかく短期的にでも、目に見える成果を欲しがった彼は、性急に改革を推し進めたのだ。改革といえば聞こえは良いが、実際には彼の独創を実現させただけに過ぎず、専門家の意見さえ取り上げない有様である。


 歴史上、他に悪政やら暴政やらを強いた国王が、いなかった訳ではない。彼がその中で、格別に劣悪だったとも、やはり言えないだろう。ただ、時期が悪すぎた。

 先代のグレイ・トランドは偉大であったが、その治世の最後に隣国との外交に失敗し、これを挽回せぬまま死んだ。息子であるオルスは、その負の遺産とも戦わねばならなかったのだ。


――特に、元々仲が悪かった、ガレーナとタークスの両国。父はそれをわきまえていながら、対応を誤った。


 国家同士の付き合いにおいて、近くにある、というだけでも、衝突する理由には事欠かない。遠国への遠征と違い、互いに隣接していれば、一寸切り込めば一寸の領土が、一里踏み込めば一里の領地が手に入るのだ。大望を身に宿す者であれば、まずは近場から攻めて、利益の得やすいところから奪っていきたく思うもの。

 それでなくても、近くにいて多くの人が交流を試みれば、いくらでも利益の衝突は起こりえる。限られた資源を奪い合う相手として、まず隣人を警戒するのは、自然の成り行きであった。

 セリアはそこまで強欲にならずとも……と考えるのだが、賢王と呼ばれるグレイにも、人並み以上の欲望と野心があったらしい。晩年はガレーナとの小競り合いを繰り返し、僅かながらも汚点を残して、大望を果たすことなく力尽きる。

 そして間の悪いことに、その後を継いだオルスは強き王、と言う幻想を追い求める男だった。腰の低い外交姿勢など、到底容認できる物ではなく、どこまでも自国の利益を優先したがった。また、あえて戦争を引き起こし、それを制することで威信を得ようとした節もある。

 結果、話し合いでの解決をすっ飛ばし、強引に武力で捻じ伏せる手を選ぶ。オルスはガレーナへ侵攻し、両国は戦争へと突入した。これが、後に致命傷に繋がることとなる。


――父が犯した失敗は、第一に国内に不満を蓄積させたこと。第二に己の力を頼みすぎ、他者の諌めを聞き入れなかったこと。そして最後に、覇者たらんと欲し、自ら争いを追い求めたこと……かしら。


 セリアが未熟なりに分析した結論が、それである。最終的な評価は、後世の学者に判断を委ねるべきだが――おそらく、大きくは外れておるまい。

 オルスの即位後、三年。国内の整備と戦争の準備に要した時間としては、短いとも長いとも言いづらい。戦争は勝てば全てが正しくなるし、政策は長期的に見なければ結果が出ないものもある。

 そして、これは彼が経験する初めての戦争であり、最後の出陣ともなったのである。

 元々、オルスは軍事的才能に恵まれていたわけではない。グレイ王の代では、戦場で経験を積む機会がなく、留守を任されていただけだった。従軍した息子(セリアの兄)も勇武に優れていたが、同様に知識でしか戦争を知らなかったのだ。

 自然と、前代のグレイ王からの宿将が、場を取り仕切り始めたのだが――。あの二人には、それが不満であったらしい。

 グレイと同等か、それ以上の戦巧者だと、知らしめようとしたのだろう。進路から陣立て、戦線の構築から、細かな戦術に至るまで、オルスは自己流のやり方をつらぬいた。

 実績のない人間が打ち立てる理論。しかも経験の裏づけがない行動である以上、上手くいくはずがないのだが、オルスは『自分ならば出来る』と思い込んだ。

 彼は実際に有効であるかどうかではなく、自分の権威を末端にまで浸透させることを重視していたのだ。いかに王命とはいえ、これでは反感を持たれて当然である。

 それでも、勝てば良かった。勝利さえすれば、不満も押さえ込めるし、逆に支持さえ受けたかもしれない。


――けれど、負けた。この上なく、無様に。結局、お父様は、死ぬまで反省しなかったのかもしれない。だとしたら、悲しいというか、哀れだと思う。


 このガレーナとの戦争で、父は敗死し、兄は捕縛された。

 それも、初戦で。彼自身が、『様子見の戦い』と称した戦闘で、トリアは取り返しの付かない敗戦をこうむってしまったのだ。

 多くの将兵が巻き添えとなり、他国の土となった。そしてガレーナは余勢を駆って、トリア国内にまで攻め込んできている。迎撃するだけに留まらず、積極的に侵攻へと切り替えてくる辺りに、ガレーナの王の性格がうかがえよう。

 ガレーナもトリアと同じく、代替わりしたばかりのはず。戦争を通じて、名声と実績を得ようと臨むのは、何もこちらに限った話ではない、ということか。


 お互いの事情はともかく、国家が生き残る為には、他国の侵攻を押し留めなくてはなくてはならない。たとえ、国王が不在であっても。

 そうして、担ぎ出されたのがセリアである。彼女には弟もいたが、こちらは病弱で軍を率いられるような体ではない。戴冠式さえ済ませていない、女の身であっても、とりあえず健康で国家の象徴となる人材であれば、それでよかったはずなのだが。


――続いて、二度目の敗北。私は結局、何もしてないのだけど。こうなっては、こちらの将帥が無能揃いなのか、敵が有能すぎるのか。判断に困るわね。


 今回は、父がぐちゃぐちゃに掻き回した軍を改めて整備し直し、万全の体勢で迎え撃ったはずなのだ。セリアはお飾りとして後方にいたから、詳しくはわからないが……自分がいる後方にまで押し込まれたのだから、決定的な負け戦であることは間違いない。

 そして現在、頼みにできるのは、あのシュウとか言う男だけ。なんとも不安であったが、もはや贅沢は言っていられない。

 戦意の残っている味方がいて、まだ勝算が消えていないなら、戦わねばならないのだ。少なくとも、王族はそんな義務を背負う為に、戦場にいるだから。

「来たか。どうやら、俺たちは賭けに勝ったらしい」

 シュウの言葉で、セリアは我に返る。いつの間にか、剣戟と叫び声が入り混じった、戦場の旋律も消えていた。これはつまり、周囲の戦闘は、すでに終わったことを示している。

 もう、現実を直視する段階であった。過去は過去として脇に置き、現状を乗り切らねばならない。彼が自分にを刃を向けたことさえ、今は忘れるべきであった。

「よう、レックス。首尾よく兵をまとめて来れたようだな。普通なら、殊勲一等ものだぜ?」

「冗談はよしてください、シュウさん。俺は戦力を用意しただけで、実際に運用するのは貴方だ。これで一手柄立てられれば、そちらの方がより大きな手柄になりますよ」

 シュウが、レックスと呼んだ男。外見は二十代前半で、顔形は優男のようだが、体つきは太く鍛え上げられており、軍人として申し分ないものであった。服装もシュウとは違いきっちりしていて、正規兵と変わらないように見える。

 もっとも、彼のような人物と知り合いなのだから、両者共に同じ穴の狢、と考えるべきだろう。過大評価はつつしむべきだし、さりとて油断してよい相手でもあるまい。

「まあ、そんな大きなことも言えませんかね。なんとか集めてこられた連中は、二百人そこそこ。少ない数ですが、今は隊列を崩して、森の中に潜ませてあります。命令があれば集合させますけど、如何します?」

 確かに、彼の背後には、兵の気配がいくらも感じられる。物騒な戦いの音はやみ、今は人々の生きるざわめきが、それに取って代わった。

 今隠れている森林地帯は、二百名程度なら、覆い隠せるほどの広さがあった。セリアは確認していないが、それだけの兵が、近くにいるのだろう。

「その二百人、どさくさに紛れて逃げ出したりしないか?」

「ぬかりなく、根性の悪い奴と性根の捻くれた奴を厳選してます。顔馴染みの傭兵も混ぜてありますんで、大丈夫ですよ」

「敵に振り回され続けて根性が悪くなった奴と、やられっぱなしで捻くれた奴だな? 当然のように復讐に望めるような、素敵な野郎どもに違いないだろうな?」

「もちろんですとも。目が死んでるような奴は、一人もいませんよ」

 王族であるセリアの元に集ったのか、兵権を与えたシュウを慕ってきたのか、それはわからない。なんにしても、夢ではなく、現実として、散ったはずの兵がここにいる。これがレックスとやらの実力なら、たいした物だといってよいだろう。

 二人の間にどんな関係があるのかは知らない。ただ会話の内容から、シュウの部下であるのだろうと、察することはできた。

「ふむ。二百、ね。充分だ……と言いたいところだが。さて、どうかな。微妙な所か」

 シュウが顎に手を当てて、考えるそぶりを見せる。セリアとしては、ここで明確に、大丈夫だという保証が欲しい。疑問に思った彼女は、早速シュウに問いただした。

「二百人じゃ、足りないの?」

 近くにいるであろう、兵たちをはばかってか。シュウはやや声を抑えて、答える。

「一事の戦勝に沸き、あちらさんが調子に乗ってるところで、出鼻をくじく。それくらいなら、どうにかやれるかもしれない。が、当然全滅は覚悟しなけりゃならん。いや場合によっては、それも不可能かもな」

「どうして?」

「事の成否は、あんたが握ってる。自覚はないんだろうが、この場ではあんたが最高司令官だ。やるべきことをやってもらって、それでようやく五分だ」

 セリアはもう、兵権を与えた気になっている。この上、まだ何かやるべきことがあるのか。彼女はこれ以上、なすべき事があるとは思えなかった。

「お前、俺の方ばっかり見て、兵の顔も見てないだろ? せっかくの機会だ、命を託す連中の顔ぐらい、ちゃんと覚えてやれ」

「……それ、つまり兵を鼓舞しろってこと? やっぱり、顔を出さない訳には、いかないのかしら」

 顔を覚えろ、と言うことは、それだけ長い間、兵の顔を見つめろと言う訳で。しかしセリアほどの王族が、何の意図もなしに兵個人を注目することなど、まずありえない。

 ゆえに、そこには打算が働かねばならぬ。セリアと兵どもを接触させ、この負け戦の中、彼らに守るべき物を認識させる。彼らの中に大義を作り、士気を奮い立たせること。それがお前の役目だと、シュウは言った。

「出し惜しむような面でもないだろ。……気取らなくていい。お前はそのままでも充分魅力的だ。とりあえず、兵から庇護欲を引き出す程度にはな?」

「……喜んでいいのかな。褒められてる気がしないんだけど?」

「おおいに褒めているとも。利用されるってことは、それだけの価値が認められてるってことでもある。せいぜい、その可憐な容姿で兵どもを惑わすこったな。同情でも憐憫でも、戦意を呼び起こしてくれるなら、この際は有用だ。――頑張れよ」

 生き残りたければ働け、とシュウは付け加えた。

 そして、彼女は否応なしに、兵の前へと引き出される。そこに、否定は許されなかった。シュウにしても、生き残ることに必死だったからであろう。セリアも、これには理解を示せる。

 生き延びたい、という思いは同じ。ならば打てる手は、全て打っておきたかった。


                  ※


「無理はしないでくださいよ。重荷になるくらいなら、やらなくていいんですから」

 レックスは優しい言葉をかけてくれたが、セリアにも意地と言う物がある。シュウに『何も出来ない奴』と見下されることだけは、我慢がならなかった。

 やれと言われたことくらいは、やってのけよう。実績も能力もない彼女にとって、ある意味これは、良い機会であった。

 今までセリアは、何も成し遂げたことがない。もし、この場で勝利に必要な条件を、自分の手で作り出せるのなら。それは、立派に役目を果たしたことになる。

「大丈夫。何とかやって見せる。第一、ここで逃げたら私、自分を許せそうにないもの」

 そうして、彼女は兵の前へと歩み出る。散らばっていた兵どもは、今、このとき。彼女の言葉を聞くため、この場に整列していた。

 二百人もの人間に注目されることは、セリアには初めての経験だった。お飾りにされて戦場に出てきた時さえ、まともに兵の顔を見ていなかった。

 シュウが無言で、目線だけで彼女の発言をうながす。彼とて、ここで生き残りの王族が、口を開くことの意味を承知していたのだ。

「私は、セリア・トランドと申します。見たことがある人も、そうでない人も、私の顔を覚えてください。私も、あなた方の顔を忘れません」

 不可能だ、と思う。自分はできもしないことを口にしていると、セリアは自覚していた。彼女の記憶力は、二百人の顔と名前を瞬時に刻み込めるほど優秀ではない。適当に隊列の合間を練り歩き、それぞれ確認して回ったが、やはり一度で覚えるには無理がある。

 それでも、他に気のきいた言葉が思い浮かばず……それがなんとも、歯がゆかった。

「我々は今、負けています。でも、このまま終わらせるつもりも、ありません。どうか皆さん、そのために、力をお貸しください。お互いに生き残り、故郷へと帰りましょう」

 稚拙な文言。その自覚はあっても、黙り込むよりはいいのだろう。

 緊張して、声が震えたり、吃音の症状をさらさなかっただけでも、セリアは自分を褒めたくなった。

「私が求めるのは、帰還するために必要な労力。それをあなた方が発揮してくれること。二つ目に、私が信頼する人を信じ、彼の指示に従うこと。以上です」

 信頼する、というには御幣があるかもしれない。実際、セリアはシュウのことを、ほとんど理解していないのだから。

 ただ、寝返りを公言した以上、この場でもっとも功にはやらねばならない立場に、シュウはいる。今さら元の部隊には帰れないし、逃げを打つには、釣った獲物が大きすぎる。ゆえに、彼は力を尽くして戦わねばならない。それくらいはセリアにもわかるし、この点まで疑っては、あまりに救いがない。


――悪人には、違いないだろうけど。でも、ここで私に賭けてくれるなら、その人にこそ、私の全てをゆだねるべきなのだろうと思う。


セリアに自覚はないのかもしれないが、ともかく一番頼りとすべき人物を、彼女は見誤らなかった。いくら惜しんでも、死んだ味方は、二度と彼女を助けてはくれないのだから。

「皆さんにご紹介しましょう。彼が、以後の指揮を担当します。彼の命令は、トリア王家の命令と心得てください」

「――と、言うわけだ。俺はつい先ほど、王女殿下によって任官し、貴様らの上官となった、シュウという。この戦いに限るが、俺は戦場における指揮権を譲渡されている。俺の言葉は殿下の言葉として受け止め、指示に従うこと。よろしいな?」

 見ず知らずの男に指揮されるということを、兵たちは意外なほどあっさり受け入れた。

 お互いにバラバラの隊からの寄せ集め、いわば烏合の衆であり、個人個人がそれを理解していたこと。また、彼らも見知った仲間がほとんど見いだせなかったことが、彼らの精神によく作用していた。シュウやレックスの仕込み等より、これらの方がよほど重大な要素であったろう。

 とにかく、軍隊は消耗が前提の組織である。こうして反撃を企てる以上、選り好みせず寄せ集めて、戦力としての体裁を整える。それが理に叶っていることを、兵たちも理解していたのだ。この際、上に頂く人物が多少風変わりでも、有能でさえあれば容認される。

「生きて帰る。一矢報いる。両方ともこなしたければ、シュウを頼ってください。それができねば、命の保証は致しかねます」

どこの誰かは知らないが、王女が言うなら間違いはないのだろう、と。兵どもは思考を放棄した。彼らには知る術もないことだが、まさか元敵軍の兵卒が、この場を支配しているなどとは思うまい。誰もが異論もなく、これを受け入れた。

セリアに威厳があったとか、演説が上手かったとか、そういうわけでは、無論ない。

ただ、兵はここで反抗心をもたげるほどの気力もなく、状況に流されることを選んだという……それだけの、ことであった。

「結構。では、まず我等はこれより、反撃に転じる。戦わずに逃げることは出来ない。それで助かるのは、せいぜい今日一日の命。追撃を続ける敵軍は、いずれお前たちが住む集落にまで攻め入り、お前たちの家族もろとも、すべてを蹂躙するだろう」

 付け加えるならば、シュウ自身が命令慣れしており、実に偉そうな人間であったことも、疑いをもたれなかった理由の一つだろう。彼は自信にも満ち溢れていたから、余計に演出が映えて見えた。

 この点、セリアも彼がただの盗賊、あるいは傭兵だったとは思われず、いつか出自を詳しく聞いておきたいと思うほどだった。

「これは、守るための戦いだ。上手くやったら、すぐに撤退する。後の本格的な反抗については、ここにいる王女様と、後方の参謀どもに任せればいい。……なんにせよ、この戦いを生き延びてからのことだ。納得したら、早速動こうか」

「シュウに、全て任せます。見事、勲功を立てて帰還が成った場合。褒賞は、充分に与えましょう。通常の十倍の実入りを期待してくださって、構いません。――ご武運を」

 言うべきことを、セリアは全て言った。シュウはそれから、レックスを副官に任じて、兵を動かす手伝いをさせた。さり気にセリアを兵から引き離し、二人きりになれる状況を作ることも、忘れない。

「即興の、台本なしの演技としては上出来か。まあ、ここまで来れば、お嬢はもう用済みだ。ここにいられても邪魔だから、先に王都に戻ってな」

「……勝手だこと」

「お前さんに、戦場は不似合いだ。おとなしく守られてろ。どうせ、手伝えることもないんだ」

 正論であった。確かに、セリアは士官としての訓練を受けていないし、武器の扱いすら知らない、ひ弱な少女でしかなかった。

「でも、皆が苦労しているのに、私だけ安全な所にいるなんて、不公平じゃない?」

「悪いが、お前の命の価値は、この場にいる誰よりも大きい。王族である自覚があるなら、まずそれを理解しろ。……ま、一緒に苦労しようっていう考え方は、嫌いじゃないがね」

「でも、私、戦争を何も経験してない。兵の動かし方も知らないし、敵の顔だって……貴方は別として、見たこともないんだから」

 彼女は彼女なりに、責任を果たしたいと、そう願っていた。セリアが十七歳の少女であることをかんがみれば、この勇気を振り絞った発言は、賞賛に値しよう。

「またの機会にな。今、足手まといを抱え込む余裕はない。第一、お前さんがきちんと生き残ってくれないと、褒美も何もありゃしないんだからな?」

「……うん。でも、私がこの争いの中心にいるべきなんだって。トリアの王族として、責務は果たさないといけないんだって。それくらいは、自覚していたい……から」

 上手く、言葉にならない。セリアは、自分なりに己の義務を果たしたいと思い、付いて来てくれた者たちに報いたいと考えている。これを勇敢と捉えるか、無謀と捉えるかは、人それぞれだろう。

「あまり気負うなよ? そもそも王ってのは、自分より有能な奴を使いこなすのが仕事だ。実務、実戦にまで強くなる必要はない。……お前は、責任を理解して、それに応えようと頑張ってる。今は、それで充分だ」

 シュウは、彼女の意気込みは認めつつも、同行は許さなかった。自身の為であり、彼女の為でもある。

「子供はさっさと家に帰りな。なーに、すぐに朗報を持っていってやる。わかったら、褒美の準備だけは、しっかりやっておけよ?」

 セリアも、これ以上は反論せず、護衛の兵と共に王都へと向かった。

 こんな時、乗馬だけは習っておいて良かったと思う。馬が一頭あれば、とりあえず近場の駐屯地までは安全にたどり着けるだろう。

 補給と伝令の為の道は、戦争以前より整備されているので、この点に不安はない。

 多少の兵は各地に配置されているし、これを掻き集めれば……治安は悪化するかもしれないが、ちょっとした戦力になる。後は王都まで、残兵を引きつれて戻ればよい。

「なるべく見込みがある奴をつけてやるから、帰りはしっかり話し合っておけ。王族が下々の者と交流するには、またとない機会だ。ついでに現実の厳しさを教えてもらうが良いぜ」

「現実の厳しさくらい、身に染みているわ。子ども扱いしないで」

「どーだかな。ま、その内に追いつく。今度会う時は、お互いに違う立場で話をしようじゃないか」

 シュウの言葉は示唆に富む物で、完全に理解することは難しかった。詳しく追及しようとも思ったが、彼には殿軍を務めるという大任がある。無駄に出来る時間もないので、これ以上は話さなかった。

 思えば、怒涛のような一日であった。戦い、負け、脅された後に励まされ、今はこうして帰路についている。一度に思い起こそうとしても、なかなか出来ないほど、密度の高い出来事に溢れている。これから自分がどうなるのか。なにを決断しなければならないのか。不安な事はいくらもあったが、今は考えることさえ、億劫だった。



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