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第十二章 前夜

 時刻はもう夕暮れ時。食事には少し早いが、待つには長い時間帯。暇つぶしをするには、悪くない間であるといえる。

 そういえば、カイルとこうして並んで歩くのは、いつ以来だったか。セリアはこれを思い出すのに、十数秒を要した。


「五年前の、園遊会以来、かしら」

「君の父上が、王位に付く前の話だね。……そうか、五年も前になるのか。僕は、今でも鮮明に思い出せるよ」


 先々代の名君グレイの御世、その末期であった。

 グレイは病床に伏しながらも、政務を執った。これが寿命をさらに縮めたことは疑いないが、寝たきりでいるには、祖父はあまりに気が強すぎた。咳き込みながらも臣下を叱り飛ばし、病身に鞭を打って、巡行に赴こうとした話などは、セリアも聞いた事がある。


「当時はまだ、国内に余裕があった。貴族は豊かだったが、国民もそれ以上にこの世を謳歌していた。国政に不安はなく、法も秩序も乱れずに収まっていたから、のんきに私たちも遊びまわっていられたんだ」

「あの頃は、良かったって?」

「年寄りみたいな言い草だけどね。今は本気でそう思うよ」


 カイルは、妙に深刻そうな表情で、そう呟いた。だからセリアも、彼に習って気の滅入る話を続けようと思う。


「カイル様も、随分と不敬なことをおっしゃるのね。それではまるで、父上が無能な指導者だと、そういっているようにも聞こえるわ。――あるいは、本気とはいいながらも、実は冗談なのかしら? だとしたら、それはそれで貴方の見識を疑わねばならないのだけど」

「……あまり、いじめないでくれ。悪かった。悪かったよ。だから、機嫌を直してくれないか? お姫様」


 困ったような表情で、しかしどこかで『演じている』印象の強い仕草で、カイルは許しを請うた。

 もちろん、セリアとて本気で言っているわけではない。だがあえて、捻くれて見せた。自分がどこまで悪辣になれるのか、少しだけ試してみたかったのだ。


――彼に甘えるのも、これで最後にしましょう。……不毛すぎる。


 もっとも、慣れぬ皮肉は、ただカイルを困らせただけで、両者に何の感銘も与えはしない。ため息を付いた後で、セリアは謝罪した。


「ごめんなさい。こちらこそ、悪い冗談が過ぎたかしら? 半分くらいは、本気だけども。――私も、昔のようにただの子供ではいられないみたい。こんな風に、意地の悪い対応もできるようになってしまった。忌々しいわね、本当に」

「成長する、ということは、そういうことさ。嘆くよりは、前向きになった方が良い。少なくとも今の君の方が、昔の君より、頼りがいがありそうだからね」

「頼りがい……ね。貴方のその評価が、誰にとっても共通の認識になってくれたなら、これ以上の事はないのに」


 話が一区切りしたところで、散歩のついでに、セリアは周囲をよく観察した。

 この王都、王宮は、開国以前からある建物を、改修して造られたものだ。壮麗に見えても、部分部分を見れば、妙に古かったり、歴史を感じさせるところもある。

 だがそれが、一種の妙味と言うか、威容を際立たせ、王の住まいに相応しい出来に仕上がっている。新しく、美しいだけの構造物より、こちらの方が好きになれそうだと、セリアはたあいのない感想を抱いた。


「それはそれとして、どこにいくの? 散歩といっても、王宮はあまり歩き回ったことはないから、詳しくないんだけど」

「ああ、そういえばセリアは、地方から王都に引っ越して、日が浅かったね。……不安なら、このまま部屋までお送りしようか?」

「引きこもりを助長するような発言は、控えてくれる? 部屋に戻ったところで、やることなんてないし。それなら散歩で気晴らしでもした方が、よほど建設的でしょう。――そういえば、貴方は大丈夫? 私に付き合っている暇なんてあるの?」

「ご心配なく。もう数分も付き合ったら、仕事に戻りますよ。僕の方も、休憩をかねているからね。……ただ漫然と休養を取るより、僅かな時間でも麗しい女性と共にある方が、疲れが取れる。合理的な判断じゃないかな?」


 茶化してはいるが、自分を案じてくれている、その心持ちはありがたかった。彼の同情さえ、この身で受けるには過ぎたるものだと、セリアは思う。


「ここからだと、すぐに庭まで出られるわね。園遊会気取りで、見回ってみる?」

「警備兵が巡回している中、遊び気分ではいられないだろう? まあ、他人が忙しそうにしているところで、悠々と時を過ごすのも贅沢のうちかもしれないが」


 セリアは、そこまで危機感を忘れて過ごすつもりはない。いわれてみれば、不適切な発言であったことに、彼女は気付いた。

 そもそも、彼と共にいられるのが数分程度なら、このまま王宮内を歩き回るだけでよいのではないか。気晴らしとしては、それで満足すべきだと、セリアは理解する。


「やっぱり、やめておくわ。退廃的な娯楽に浸るには、まだ早いと思うの」

「だろうね。――なら、どうする?」

「ここの、王宮での貴方の仕事場に、案内してくれる? ここからはちょっと遠いかもしれないけど、役人の詰め所は、ここらに幾つかあったでしょう? 一つでも、案内してくれないかしら」

「いや、さほど遠くはないよ。五、六分もあれば着く。……僕らの仕事振りが気になるのかい? ……残念だけど、お勧めできないな」


 少し躊躇うようではあったが、カイルは遠まわしに拒否した。目を泳がせて、相手を直視しない。彼は、この年下の女の子の扱いに困った時、いつもそんな態度を取った。そしてセリアは、それを良く覚えていた。


「そんなに、嫌な物かしら。私にとっては、他人事ではないのだし……出来る事があれば、遠慮なく申し付けて欲しいくらいなんだけど」

「頼むから自分の立場と言う物を自覚してくれ。君は戴冠式こそ行っていないが、確実に今、この国家の頂点にいるんだ。――セリア殿下に命令できる者なんて、存在しないんだよ?」

「……自覚はしているわ。申し付けて、というのは率直過ぎたかもしれないけど、私だって何か手伝いたいと思うのよ。でもどう手伝ったら良いか分からないから、ぜひ指摘して欲しいって言ってるだけなんだから」


 彼に限らず、皆が必死でこの国を立て直そうとしている。その姿を見ておきながら、自分だけ悠々と、怠けていたくはない。無理にでも仕事を見つけて、それに励みたいと、セリアは考えるようになっていた。

 もしかしたら、ありがた迷惑かもしれないと、多少の懸念は感じていたが――試みてみなければ、わからないこともあるだろう。そう、セリアは前向きに考えていた。


「やることがない、というのは、それはそれで結構なことだと思うけどね。無闇に働こうとするより、どっしりと構えて、事の進展を待つのも手だと僕は思うよ?」

「――下手に触られても邪魔だって、そういうこと?」

「誤解を恐れず言うならね? ……背伸びは、しないほうがいい。現状、外交的にも軍事的にも、王位継承者にやらせる仕事はない。戦後には嫌でも忙しくなる身なんだから、今のうちに休んでおくのが一番いいよ」


 カイルが案内したくないということは、彼はそれなりの仕事を任されており、その重要性を理解している、ということなのだろう。そして理解の浅いセリアを関わらせることは、両方にとって不幸な結果を呼び込みかねないと、おそらく彼は考えているのだ。

 ならばセリアは、配慮しなければならない。今カイルの見識を疑うことで得られる利益など、欠片もないのだ。

 無能ぶりをひけらかして失望されるくらいなら、まだ時期を待って、慎重に策を練るべきだ。彼がやるな、といわれれば黙って見ているし、休めといわれれば部屋にも戻ろうと思い直す。


「そういえば、カイル様のお仕事って、詳しく聞いた事はなかったわね?」


 ただ、この場で何も聞かないまま、彼と別れるのも芸がない気がした。だから、セリアは相手の時間を拘束することを承知の上で、質問を重ねる。


「私の仕事について端的に述べれば、外交官、という役職に属するといっていい。宰相閣下の使い走りと言った方が、正しいかもしれないがね」


 外交官、というのがどんな職業であるのか。セリアは想像するしかない。印象としては、外国に派遣されるか、駐在し、外国との交渉や交際を行う役職……と思われるが。


「まだまだ修行中の身だから、そう深い所までは関わっていないけれどね。貿易条約の締結や、相互援助の取り付け、亡命者の返還など。その手の大事は、全部ギルスター宰相が取り仕切っている。僕はその中で、いくらかの役目を与えられているに過ぎないんだ」

「人によっては、その『いくらか』の役目を務めるのに、生涯をかけるものよ。『お飾り』の王位継承者を務める私だって、例外ではないわ。……使い走りでも出来ることがあるのなら、それは誇りに思うべきじゃないかしら。特に外交に関わることなら、国家の大事といっても間違いではないし。この戦争だって、そもそも外交の失敗から起こった事だと考えれば、どんな些細な仕事でも、軽視してはいけないことだと思わない?」


 本来なら、これは宰相ではなく、外務大臣が行うべきことである。

 しかし、オルス王は内政に限らず、外交の主権をも手中に収めたがり、あえてその役職を置かなかった。前任者を解任してからは、自ら外交を主導していたのだが――それで良い結果が得られていれば、そもそも戦争など起こらない。

 現在、ギルスターが、彼の尻拭いを行なっている最中なのであろう。そこで、カイルがどれほどの役割を担っているのか。少し、気になるところではある。


「言葉もないね。どうも君の方が、僕よりも外交官としての才に恵まれているらしい」

「謙遜? それとも、それでお追従のつもりなのかしら。心無い賞賛は、不愉快ね。……まあ、カイル様と私の仲だし、いいけれど」

「――しばらく見ない間に、随分と気難しくなったね。初陣は、そこまで君を変えたのだろうか?」

「どうかしら。もしかしたら、化けの皮が、はがれただけなのかもしれない。元々の私が、こんな風に意地悪くて。いままで、表面だけ取り繕っていたのかもしれない。……よく、わからないけど」

「わからないなら、わからないままでいいさ。誰だって、自分の汚い面からは目をそむけたい。自覚しない方が、幸せなこともある。僕は、今の君も、それなりに魅力的に見えるけど」

「結構なことね! 不細工とか不景気面とか言われるよりは、よほどマシかしら。――なら、もう少し付き合いなさい。仕事がない分、暇を持て余すのよ。私の無聊を慰めるのが、今の貴方の仕事ってことで、納得してくれる?」


 セリアの申し出を、カイルは仰々しい仕草で一礼しながら、微笑みを浮かべて答えて見せる。


「仰せのままに、お姫様。これでも多忙を極める身の上ですが、ひと時の間、殿下にお付き合いしましょうとも」

「ありがとう。……でも、言う割には、あまり飛び回っているような印象は受けないけど」

「そうかい? これで結構、苦労している方だと思うんだけどな。――まあ、仕方ないかもしれない。いい意味でも、悪い意味でも、秘密主義だからね。うちの閣下のやり方は」


 だから、水面下のやり取りや、裏方の頑張りが見えないのか。ならば、多少は情報を公開すればいいものを、とセリアは思う。そうすれば、少なくともカイルの苦労くらいは、察してやれるはずなのに。


「今も、トリアの外交官たちは、多くが外国で働いている。僕は運良く……というのも微妙かな。ともかく、この事態に居合わせることが出来たけど、何事もなければ、今頃はガレーナに出向していただろうね」


 それはそれで、大変ではなかっただろうか。仮想敵国から、完全な敵性国家に変化したガレーナに、取り残されるカイル。その図を思い浮かべると、なかなか愉快ではない想像が、セリアの頭を駆け巡った。


「心配したかい?」

「もし、そうなっていたらね。でも、案外カイル様なら、難なく切り抜けたんじゃないかって、そんな気もするの」

「さて、どうかな。――まあ、仮定の話は意味がない。与太話は、ここまでにしておこう」


 多少なりとも恋心を抱く相手であれば、意味のない会話でも楽しめるものらしいが、二人ともそのような恋愛とは縁がない。

 互いに、気まぐれな好意による暇つぶしを行っているだけだ。セリアもカイルも、その点は割り切っているし、だからこそ適当に話題を変えながら、軽いお話も出来るという物だった。


「与太話、ね。それはともかく、カイル様は、あの宰相殿の側近……なのよね? 会議での内容を見る限り、仲が良いとは思えない。あれで、上手くやっていけてるの?」

「部下であることに違いはないけれど、側近というほど深い仲ではないかな。私は外交官で、形式上では、宰相閣下の直属になる。業務上でも接することが多いから、色々と話しやすい相手では、あるかもしれないけどね。……あれであの人は、正直さを好むところがあるんだ。媚びや追従を嫌い、不愉快でも実直な意見を好む。だから、傍目には意見を戦わせるほど険悪に見えても、実際にはたいした隔意は抱いていないんだよ。お互いに、ね」


 やけに軽く、楽しげにカイルは語った。これは割りきりがいいと言うべきなのか、どうなのか。セリアは、少し悩んだ。

 あるいは、カイルは想像以上にギルスターにとって近しい存在なのかもしれない。ここまで本音らしきものをぶちまけておきながら、気負いは微塵も感じられなかった。彼が恐れ知らずの向こう見ず、というのであればともかく、そうではないのだから――セリアはそこに、何らかの意図を感じざるを得ない。


「もし事実なら、案外ギルスターも、見た目ほど狭量でも小人でもないってことね。狡猾であることは、間違いないでしょうけれど」

「まあ、私情で公事を計るほど、愚かな人ではないってことさ。僕も彼のことは、あまり好きじゃない。でも、他人の才能は素直に認めるし、実力に見合った報酬も用意してくれる。ギルスター殿は、本気で国家の為に、自身を犠牲に出来る人だよ。なるべくして、宰相になった。そう評価していいだろうね」


 カイルの言葉を否定する材料を、セリアは持ち合わせていない。だから、彼がそう評すなら、きっとそうなのだろうと、彼女は素直に納得した。なればこそ、どうしても協力を得たい相手でもあるのだと、改めて認識する。


――意地の悪さはさておいて、とにもかくにも、ギルスターの影響力は大きい。明確な味方として、こちら側に引き込めたなら、どんなにいいか。


 とはいえ、彼はセリアの父によって権限を削られ、降格された過去を持つ。ギルスターはそこまで存在感のある臣であり、グレイ王と比べて、器量に劣るオルスが使いこなせる相手ではなかったのだろう。

 はたして、己は父を比べて、器量が勝っているのか、劣っているのか。ギルスターを使いこなせるかどうか、出来るならそれにこしたことはないが、もし出来なかったら? ……心して、かからねばなるまい。


「おっと、そろそろ時間かな。僕はもう仕事に戻るけど、あまり羽目を外さないようにね? 君は間違いなく、この国の重要人物なんだから」

「子供じゃないんだから、それくらいわきまえてるわよ」

「じゃあ、今日は早めに休むことだね。明日までに、決断すべきことがあるだろう? それに、備えないと」


 カイルが、彼女の散歩に付き合ってくれたのは、ここまでだった。

 結局、セリアはこの後すぐに自室に戻り、そこで食事を取った。どの辺りを歩きまわったのか、そもそも散歩することに意味はあったのか。就寝する頃には、もう全てがおぼろげだった。

 ただ一つ、有益なことがあるとすれば。それは、カイルが無警戒に話してくれたこと。

 自分はまだ誰にも見放されておらず、その気になれば、協力してくれる人が、いくらかいる……という事実が、確認できた。

 これなら、やりようはあるだろう。そう、セリアは結論付けた。ここまで考えてから、ようやく、彼女は安眠することが出来たのである。


                 




 カイルは、セリアの動向、特に態度や口調について注意深く観察していた。

 会議の最中は、歳相応と言うか、未熟で愚かな部分も良く見受けられたのだが、その裏で何かしらの計算も、働かせていた様でもある。

 彼の見立てでは、単純に傀儡として操るには、半端に賢し過ぎるように思われた。


「活かすにしろ殺すにしろ、今はまだ待つべき時だ。それまでに、いかなる資質を我らに見せるか。それ次第で、扱い方を決めればよかろう」


 ギルスターが、カイルに向かって、そう諭す。

 ここは、宰相の執務室。充分な広さと、贅沢な調度品。まさに一国を担う人物が、権謀を巡らすに相応しい場であった。そして、この場に入室を許されたカイルも、また只者ではない。

 彼はセリアに向けていた穏やかな表情とは、また違う仮面を被って、この場にいる。それはまさに、見るものが見れば奸臣として蔑視されかねないような、そんな顔でもあった。


「姫様は、もうお休みになられたか?」

「はい。傍付きの者が、寝室に入るところを確認しております。――とりあえず、単騎で逃亡を計るような愚かさは、持ち合わせておらぬようで」

「当たり前だ。逃げるにしても、どこに逃げろというのだ。冗談も、時と場合を考えよ。お前は、自分が分別のない馬鹿だと思われたいのか?」


 ギルスターが、渋い表情でカイルをたしなめる。彼は、いささか諧謔を用いすぎた。冗談としても、不謹慎に過ぎる。

 この男は、あれだけ愛想良くセリアに接していながらも、内心での評価はかなり低い位置にあるようだ。それがギルスターには鼻につき、不快でもあった。

 まったくもって屈折しているが、ギルスターはセリアを『可愛がりたい』と思っている。

そして出来るなら、自らの主君として相応しい器となって欲しいとも、考えていた。だからこそ、カイルの不真面目さが癪に障るのだ。


「貴様といい他の連中といい、姫様を軽んじすぎる。あの方は決して阿呆ではない。そして何より、他者をいつくしむ心をお持ちであられる。王としてはまずまず適格であるといえようし、先代と比較しても、心から敬意を抱くに値すると、私は思うが?」

「しかし同時に、セリア殿下の愚直さ、賢しさ。それとは相反するような感情性と無思慮さを、憎んでもいる。――宰相閣下も、複雑なようですな」

「言葉が過ぎるぞ。……私は、この国を見捨てない。王家も、同様だ。理由までは、言わなくてもいいはずだな?」

「はい、理解しているつもりです。閣下が長い年月を掛けて積み上げた、この国の地盤。それを愛するがゆえに、閣下は、王国の全てに限りない慈しみを持っておられる。それゆえにいかに王家が愚かであれ――」

「他国者に蹂躙されることを、私は許さぬ。……貴様の言は正に真実そのものだが、いささか、くどい。言わなくても良いことまでべらべらと喋る癖は、近いうちに直しておけ。わしはともかく、王家に対して不敬であろう」


 いくばくかの不信と不義を、胸のうちに秘めていはいるが――心からの忠誠をこめて、ギルスターはセリアを玉座に据えたがっている。どこかの不心得者と違って、彼は本気なのだ。当然、けなされて面白いはずがない。


「あの姫様は長男と違って、父君の悪い資質を受け継いでおらぬ。担ぎ上げる対象としては、及第点といってよい。とにもかくにも、我々を信任する程度の器量は、持っておるのだ。――無責任な保身を図ることは、まずありえまいよ」

「でしょうね。下らぬことを申し上げました。……お許しを」


 カイルは詫びるように、頭を下げた。不敬な口を利いても、謝罪すれば許される。そうした確信がなければ、彼は最初から批判するようなことは、言わなかったであろう。


「ふむ。しかし、そこまで姫様は、頼りなく見えたか?」

「はい。あのような年頃の少女であれば、仕方なきことと思いますが……ギルスター様も、同意見なのでは?」


 もしギルスターが、彼の意見とは異なり、初めからセリアに王者たる資質を見出していたなら、『姫様』などと言わず、『殿下』と称したに違いない。そしていつまでも曖昧な立場のまま放置せず、即座に王位継承の儀を行わせたはずだ。

 それをしなかったということは、ギルスターにもセリアに対して含むところがあり、己の主に足りえるかどうか、判断しかねているのでは……と。そうカイルは考えたのである。


「ああ同感だ。若すぎる、というのもあるが、覇気に乏しく見えた。強がっているようだが……姫様に対する評価は、今も変わらん。せめて、トリア中興の祖、トリスの如き気概に満ちていれば……というのは、流石に比較の対象が悪すぎるか。まあ、これから奮起していただければ、それで良かろうさ」


 トリスとは、オルスより四代前の国王である。女性ながらも過酷な権力闘争に打ち勝ち、見事国内の敵を粛清すると、民政に軍事に外交にと、国王の権力を最大限に活用し、トリア王国を繁栄させた。その性格の灰汁の強さゆえ敵も多かったが、彼女を慕う者も数多かった。

 ともすれば圧制とも捉えかねない彼女の手腕は、絶妙な政治感覚と相まって、良い方向へと進化する。結果から言えば、トリスの存在はトリア王国を強国にする為にあった、と評せるであろう。当時は、彼女の強烈な個性が必要とされていたのだ。

 オルスの強硬な政治姿勢も、父グレイへの反発以上に、このトリスへの情景があったのではないかと、ギルスターは考えていた。オルスは資質もなければ判断も誤ったが、セリアはあらゆるものが未知数である。不安があるのは確かだが、かといって、代わりのきく置物ではないと、正しく評価してもいた。


「会議では、今後の行動は、彼女の判断に一任する……ということでしたが。本当にあれで、よろしかったのですか?」

「この戦い、勝ち残るのは難しい。負けるのは容易だが、負け方にも工夫を凝らす必要がある。今更その必要性は述べまいが……そうさな。姫様に一任したのは、その布石、といったところか」


 ギルスターは、敗北を予期している。勝てるものなら勝ちたいが、負けたときのことを考えず、無策で暴れまわるのは愚だ……と。この辺りは、カイルも異論はない。


「敗北の責任を、彼女一人に押し付ける為、ですか?」

「そこまで露骨な言い方は……まあ、わしもそれに近いことを言ったが、意図する所は違う。肝心なのは、姫様の思考を誘導すること。そのために一晩を空けたのだし、責任を自覚させたのだ」


 つまり、ギルスターはセリアの考えを一点に集中させ、思い悩ませること。それだけを目的に、会議を動かしたことになる。カイルは理解できなかったが、何かしら意味があるのだろう。疑問を抱いても、いつも素直に答えてくれるとは限らない。それよりは沈黙し、次の言葉を待ってから、核心を突くのがよい。


「わからん振りをすることはないぞ? 最大の利益を狙うならば、徹底抗戦でも降伏でも不都合だ。お互いに価値を認め合った上で、折り合いをつけるのが最善の手であろう」


 別にとぼけているわけではなく、本気で意図を掴み損ねていたのだが、あえてカイルは訂正しなかった。ただ、振る舞いだけは平静を装い、問う。


「価値を認め合う……? ガレーナとですか?」


 トリア王国は、もはや彼らにとっては単なる敵だ。今更国交を回復させた所で、戦争の恨みを忘れることは難しい。わざわざ面倒な道を選ぶ義理など、連中にはないはずだった。


「今回限りになるかもしれんが、な。こちらの利用価値を提示して、引き下がらせる手がある。わしの言う、交渉の伝手にも直接関わることで……まあ、詳しくは聞くな。実際、その手を使うことになるかどうかも、不確定であるしな」


 追求するな、とギルスターが言うならば、カイルとしても引き下がるしかない。

 彼にとって宰相は、直属の上司であり、尊敬できる年長者であり、引き立ててくれる恩人でもあった。時折挟むジョークは別として、あえて不興を買う行動に出るなど、論外である。


「聞けば、お前が不快に思うだろう。今の内から、嫌な思いをすることはない。――それに、だ。案外、全て上手い様にいくかもしれんぞ? たとえば偶然の一勝から、あらゆるものが覆り、逆転してしまうかもしれん。ま、これは単なる願望だが」


 引っ掛かる言い方だが、カイルは何も答えなかった。ギルスターの頭脳に、いまだ陰りはない。この人が言うのだから、必要なことであろうとカイルは思う。そこに、個人の感情を差し挟むほど、彼も子供ではなかった。

 雑談を交えた、報告と分析の時間は終わりだ。彼らには、他にもなすべきことがある。一事に割く時間は、限られていた。


                  






 朝、セリアは久しぶりに安眠できたおかげか、起床に身支度、食事に至るまで、平常時と変わらぬ様子で済ませていた。これから大事に臨む身としては、万全の体調でいられることを、まずは喜ぶべきだろう。


――昨日感じた、緊張やら重圧やらは、もう忘れられたみたい。


 己の神経の図太さを、本気でありがたく感じていた。戦場での出来事も、会議でのやり取りも、きちんと覚えているというのに。負の感情だけが、心の中から綺麗に取り払われている。食欲と睡眠欲が満たされれば、大抵の悩みは消える。何一つとして、汝は解決されていないのに、能天気なものだ――と、人事のように思った。

 実際問題、いざ立ち向かうとなると、気後れしかねない状況に、セリアはいる。

 国家の進退を決めるというのは、非常な大役だ。心構え一つで、全てが上手くいくわけではないし、決断の責任は、どこまでも彼女に付きまとうだろう。


「おはようございます、姫様。これで、全員そろいましたな」


 セリアが会議室に足を踏み入れた時。すでに群臣たちは席を埋めていた。

 ギルスターや、カイルの姿もあった。夜遅くまで政務をしていたのか、疲れた様子が見て取れる。


「では、これより会議を始めます。議題は、ガレーナに対する方針の決定」


 カイルが口火を切り、そう述べた。


「この戦争の収め方について、セリア様より決定が下されます。以後、我らはその意思を元に、実務的な面の詰めを行います。皆さん、この場での論議で、全てを決める心積もりでいてください」


 セリアはカイルに感謝の意を込めて、視線を向けた。

 ギルスターに会議を主導されるよりは、彼の方がまだ話しやすい。カイルがどちら寄りの立場にあるのか、彼女はまだ判別が付かないけれども、顔見知りに先導してくれるなら、多少は気が楽になる物だ。


――ひと晩、考えた。その結果は、芳しいものではなかったし、今でも悩める物なら、悩み続けたいと思うくらいだけど。


 もはや、そんなわがままが通るような状況ではなかった。だからこそ、セリアはここで、己の意思を示す必要があった。

 それは、一つの覚悟。自分が国家を背負い、自身の決断を持って、あらゆる責任を担うことを、誓約する行為でもある。戦うにしろ逃げるにしろ、彼女は自らが決めたことを、最後までやり遂げる義務があった。他の誰にも変わってやれない、特別な役割であった。


「……よろしいですな? 殿下」

「よろしくない理由でもあるの? 宰相閣下」

「いえ、別に。――では、ご決断を」


 後の話だが、セリアは思う。

 もし、このとき。誰にも、何の事象にも影響を受けず、己の思考のみで決断できたなら。……それだけの強さがあったなら、もっと違う道を歩めたかもしれない、と。


「失礼! 急報です!」

「何事か、騒がしい」


 会議室の扉が、ノックもなしに開かれた。

 ギルスターが、突然の訪問者を咎めるように言う。いかに急を要する用件であったとしても、守るべき礼儀はあろう。このとき、まったくの偶然であろうが、ギルスターとセリアは、同じ感想を抱いていた。

 何を急いでいるのかは知らないが、決断に影響するものでないのなら、少しは自重するべきだと。――しかし結果だけを見るなら、彼らの推測は、外れる。


「シュウ万翼将が、ガレーナ軍を撃破! 敵軍は一時撤退を余儀なくされた模様! 我が軍の損害軽微、引き続き戦闘を続行するとのことで御座います!」

「……へぇ」


 感嘆の声を上げたのは、セリアただ一人であった。

 他の者どもは、言葉もない様子で、伝令兵からの報告を受け入れることさえ、困難な様子であった。


「……何かの間違いではないのか。いや、そもそも、そのシュウとやらは何者なのだ。聞いたことがないぞ」

「私はただの兵卒でありますので、なんとも。……伝令の内容を、復唱いたします。ガレーナ軍は我が軍に撃破され、撤退中であります。シュウ万翼将は体勢を立て直しながらも、戦闘を継続しております」

「私達は、まだ負けていない、という訳? ――あの男、とんだ掘り出しものね。ここまで都合が良すぎると、帰って疑いたくなるくらいに」


 他の出席者が、いかに疑問を呈しようと、セリアにとってはどうでも良いことだ。

 己の為した行為が、間接的にこの場を制している。シュウに軍を任せたことが、ここで生きた。喜ぶべきことだと、本心から思う。


――でも、少しだけ、悔しい。私は、背中を押されて決断するのではなく、完全に自らの意思だけで、行動を決めたかった。誰かの影響を受けて、それに便乗する形で宣言することなんて、望んでいなかったのに。


 それでも、現状、この事実を活かさない手はない。セリアは驚愕に染まる場の空気を、そのまま別の方向へと転換させる為、言葉を紡ぐ。


「一時の勝利であれ、これを利用しない手はないわ。前に出て戦うべき。城に篭っては、機会を逸する」

「お待ちください。もっと詳細な情報が入るまで、待つという手も――」

「情報が正確でない、あるいは間違っている可能性は、この際考えるだけ無駄というものよ。……待っていれば、道理が覆るとでも? 現状、劣勢であることに変わりはない。万に一つでも勝機があるなら、そこにすがるべき。――緩やかに破滅を待つくらいなら、私はいっそ全財産を賭けて、生死をその選択に委ねたいの」


 前日のギルスター宰相の提言などについて、この時のセリアはすっかり頭から抜け落ちていた。率直に、忘れ去っていたと言っても、間違いではない。

 智恵熱が出るほど考えすぎ、自らの責任を胃痛に変えるほど自覚が進んでいた彼女は、ぽっと目の前に現われた希望に対し、無防備な素顔をさらさずにはいられなかったのだ。


「姫様の決意は、すでに表明された。臣は、その選択を支持いたします」

「ギルスター。私が言うべきことは、もうない。そう解釈して、よろしいのかしら?」

「はい。後は臣どもで、まとめますゆえ……お疲れなら、下がられても結構です」


 セリアは、悠然と席を立った。そして、自室へと向かうと、ベッドに倒れこみ、一人物思いにふける。


――嘘でも、いいわ。最後に、こんな晴れ晴れとした気分になれたのなら。私の決断の正しさを、どんな形であっても、確信できたのだから。


 彼女は、シュウとの出会いに、運命的な何かを感じざるを得なかった。好ましいのか、うとましいのか、未だに結論は出ないけれども、あの男が助けてくれた。そう思うだけで、気持ちが軽くなる。


――これだけで勝った、だなんて思わない。でも、歩むべき道が見えた。自力で切り開いたか、他人に導いてもらったかの違いは、あるけれど。それでも、やるべきことだけはわかっている。


 セリアは、会議の内容を頭に叩き込みながら、思考を続けた。口は出さずとも、理解が及ぶ範囲で、事態を把握していかねばならぬ。

 そうすることが、以後の発言への原動力となり、ひいては自らの立場の強化にもつながるのだと、信じていた。近く、自身の立場を表す時に役立つであろう情報は、全て暗記しておくべき――。

 セリアの打算がそこまで進んだところで、会議はもうおおよそ決していた。


 すなわち、再出撃。意外というか当然というべきか、主導したのはギルスターであった。

 しかし、セリアがその軍に同行するかどうかは、問題にされなかった。暗に否定されているようで、彼女は居心地が悪くて仕方がなかったが、あえて反論はしない。


 必要な時、来るべき時の為の待機なのだと、そう思って。

 セリアは、すでに決断した。ならば、後は行動するだけだった。主に行動するのは他人だが、己もそれをただ見守るだけでは済まされないことを、何となく感じ取っていたのだった。




 正月でも関係なく、色々と忙しく、余裕のない日が続いておりますが、どうにか投稿までこぎつけました。


 しかし……私の小説の場合、たびたび修正が入るのが、普通だと思ってください。

 どうにも、見直しが下手なようで、意識しないうちに、妙な部分が残ることが多いです。

 もしなんらかの矛盾などが見つけられた場合、お教えいただけたら幸いに思います。


 では、また。次の投稿で、お会いしましょう。

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