第十一章 覚悟
「よろしい、詳細は把握した。――では次に、私からガレーナの国情について、話させていただこう。まずは、資料をご覧いただきたい」
軍部からの報告の後、今度はギルスターが情報の開示を行う。
侍従たちによって、手元に資料が運ばれてきた。これを見せながら、説明してくれるのだろう。セリアはこれを眺めながら、必要な情報を頭に叩き込んでいった。
少しの間、そうしているうちに、ギルスターの方から説明が始まった。
「単純な国力の差で言えば、トリアとガレーナの間に、極端な差はありません。周知のこととは思いますが、もし互いに間に明確な経済力の差があれば、そう話はこじれません。どちらかが明確な経済的優位を確立していれば、この戦いのもっと以前に、決着が付いていたはずです」
トリア王国は二百年の歴史があるが、その中には隣国との闘争の記録も、当然ある。
その中には、僅差で敵国を制した例もあれば、一方的に有利な条約を結ばせた例もあった。逆に敗北を喫したこともあるが、そうした事例はあまり強調されないのが常であろう。
この過程において、もしトリアが確かな経済力を持っていれば、一度の勝利で優位を確立したに違いない。ガレーナなどは、物流から通信まで支配され、属国として生きていくことを余儀なくされたはずだった。立場が逆でも、同じことである。
だが、そうはならなかった。人口、生産力はほとんど差がなく、地理や通行の要所としても、その役割に大きな差がつくことはついになかったのだ。
「そして、お互いに経済力の差がないということは、懐の事情、国庫の余裕なども、想定しやすいということです。隣国で、情報の巡りが早ければ、なお更に」
「まわりくどいわね、ギルスター。結局何が言いたいの?」
「推定ですが……ガレーナ本国からの支援も、当分は続くであろう、ということです。こちらにも相当の備蓄がありますが、あちらも経済規模では劣っていない相手です。遠征軍を餓えさせない準備は、こちらと同じように、すでに整っていることでしょう。――敵地に糧を求められる分、ガレーナ軍の方が相対的には負担は小さいかもしれません」
「……つまり?」
「篭城を続けて、相手が干上がるのを待ったところで、ろくなことにはならないということです。連中は兵だけを食わせればよろしいですが、こちらは兵も民も養わなければならない。そして我々が引きこもって統治を投げ出している間に、敵軍は好きなことが出来る。――長引けば、ありとあらゆるものが瓦解していくでしょうな」
ギルスターは、遠慮のなく言いきった。これは、先ほどのカイルへの牽制も含めての言葉であろう。
彼ほどの地位の物が言うからには、そこには真実しかありえない。セリアは、この情報を得て、いかに判断するべきなのか。群臣が、彼女を観察している。
そしてセリアは、彼らの期待に応えねばならないと、ここで改めて奮起した。たとえ期待に応えられなくとも、出来る範囲で、自身の力が及ぶところまで、努力したかったのだ。
「ギルスター、他に特筆すべき情報はあるかしら?」
「これ以上は、まず方針を定めてもらわねば、姫さま。こちらとしても、どの情報を開示すべきか、悩まねばなりません」
「……我々の政治的状況について。これを究明せずして、何の方針を決めろと?」
ギルスターは、この期に及んで、情報を出し惜しんでいる。この国に関わることで、彼が知らないことなど、何もないはずであるのに。
本人に直接言えば過大評価だと謙遜するであろうが、セリアはいっそすがすがしいほどに、ギルスターの能力を高く評価していた。だから彼女は、まったく何の根拠もなく信じられるのだ。
――彼ならば、現状を取り巻くあらゆる状況に対し、適切な判断が出来るであろう、と。ゆえに、セリアは要求する。
「この場にいる群臣の序列を見れば、近隣の王家直轄地の代官と、国政に直接関わる大臣、それから王都に居を構える高級軍人ばかり。――時間はあったはずなのに、地方豪族や、領地を持つ大貴族が一人も駆けつけていないのは、どうしてだと思う? ……ギルスター、貴方ならこの答えを知っている気がするのだけど、私の勘違いかしら?」
それは、セリアがこの席に着いたときから感じていた、違和感だった。
そして、これに気付いた時、思った。これは茶番なのか、と。自分が呼ばれた席ではなあなあに済ませて、秘密裏に物事を決定して進めてしまう気ではないか、と。
しかし、自分の言葉を重く受け止めてくれている様子はあるし、周囲の者たちも真面目に話をし、聞き耳を立てている。ならば、違和感の元はそれではない。
ということは、人員を完全にそろえられない理由は別にあり、真剣に対応すべき物事が、間に挟まっているのではないかと、セリアは考えたのだ。その上で、彼女はもっとも適切な人物に、疑問をぶつけている。
「私とて、全能ではございませぬ。答えを求められても、完璧な返答は致しかねまする」
セリアは、頭が沸騰するかと思った。
怒鳴りつけてやりたい衝動に駆られたが、寸前で押し留める。机の下で拳を硬く握り、歯を硬く食いしばった後で、ゆっくりと息を吐く。
――今、追求するべきことではないって、いいたいのかしら? それとも、言うまでもないことだって? ……なんて底意地の悪い男。
あそこまで言えば、ギルスターも素直に答えてくれるかと思ったが、そうではないらしい。仕方なく、彼女は自らを落ち着けながら、言葉を選びつつ口を開く。
「完璧な答えなど求めてはいないわ。でも、貴方は必要充分な回答なら出来るはずよ。――いい? こんなことは、二度と言わない。以後、私に対して遠慮なんかしないように。もちろん出し惜しみなんて、もってのほか。意見を求められたら率直に、あるいは不遜に、現実に即した物言いをすること。自ら献策したくなったら、いつでも自由に申し述べること。ついでに、尋ねられて、黙して語らない場合は、発言権そのものを剥奪しましょうか。それから――他者の発言を封じるような言動は、一切許さない。……以上、よろしいかしら?」
傍の書記官に目配せして、セリアは自らの発言を明確に書き留めさせた。議事録は、一定の期間を経た後で申請すれば、いつでも見ることが出来る為、こうした発言を残すことにも意味がある。
セリアがこうした意思を示した以上、以後は彼女が参加する会議全てに、この理論を当てはめねばならない。そしてこの場にいるのは、水準以上の知能を有した者ばかりだ。彼女がこの国の継承者であるという現実におもねるなら、本心はともあれ、その道理をわきまえて考慮するくらいのことはやってのけるだろう。
「父上がどうだったかは知らないけど、これからはそうして頂戴。……さあ、ギルスター。返事を」
「わかりました。そこまでおっしゃられるなら、否やはございません。――結論から申し上げますると、日和見です。政治的に見るなら、我々はこの王都で孤立している、ということになりますな。……即座に敵国に寝返る、とまではいかなくとも、しばらく様子を見ながら、どちらにも良い顔をしてみせる。行動は趨勢が決まってから――と。まあ、生き汚い地方貴族や、盗賊上がりの豪族どもとしては、定石の一手でありましょう」
完璧は望めぬ、といっておきながら、ギルスターは期待通りの答えを用意して見せた。
あっさりと、割り切りよく明言してくれたのは、セリアの決意表明に、何らかの価値を認めたためか。
何にせよ、宰相である彼が、公式の場でいう言葉である。その内容を裏付ける証拠やら、密告やらがあったのは間違いないと見るべきだ。そして、そこまでは流石に、ここで追求するべきではないということも、セリアは確かにわきまえていた。
――とりあえず……そう、とりあえず今のところは、やぶをつつく必要はない。彼の情報源については、全てが終わった後で、ゆっくり追及すれば良いのよ。
そもそも、領地持ちの貴族や、土地の利権を先祖から受け継いでいる豪族が保身に走るのは、伝統的な対応といってよい。
国家に所属する身ではあっても、それはその国家が自身にとって都合の良い存在であるからこそ、王家の意思を尊重してくれるのだ。利害が相反すれば、連中はどのような行動でも、恥じらいなく取るものである。歴史の浅い国家であれば、なおのこと。
――やれやれ。わかってはいたけど、頭の痛いことね。でも、今はどうしようもないことかしら。
腹は立っても、なるべくならセリアは、これをおおやけに非難したくない。王都から離れ、中央の軍事力が働きにくい地域は、固有の戦力で土地を治めねばならぬ。その苦労を思いやるならば、敵勢力への媚態も傍観も、一時の方便として許してやるのが筋ではないか――?
父ならば、それでも有罪だと即断するであろうが、彼女はそこまで無情な態度は示せない。確たる信念がないから、他者の決断を真っ向から否定する気にはなれないのだ。
それでも、王家の人間として、口先だけでもそれらしいことは言っておく。
「ギルスターの報告は、理解したわ。とりあえず、今は意識しておく程度でいいでしょう」
「今は、ですな。しかし、その在り方ゆえに、利益と安全さえ保証されれば、こじつけた名分にさえ尻尾を振る。……この場合は、暴政を強いた王の非を追求し、より良い体制に所属し直すべきだ――と。大義らしき物があるとすれば、このようなものでしょうか」
この男は、どうして場にそぐわないことばかりを口にするのか。
というより、セリアにしか答えられないような問答を繰り返して、他人に意見をふろうとしないのは、なぜなのか。彼女自身、己は大した権限を与えられず、置物として据え置かれ、言動を封殺される可能性さえ覚悟していたのだが。
セリアにはそれがひどく不審に写ったが、どれだけ怪しもうと、ギルスターは宰相である。王位継承者として、彼の言葉には、真っ向から対応しなければならなかった。
「つまり、トリアよりガレーナを。我々の体制より新たなる支配を、っていうところ? ……ぐずぐずしていたら、本当にそうなりかねない。具体的に動くのは、もう少し先になるでしょうが――出来る限り早く、明確な戦果を出さないと、仮定ではすまなくなるわ」
さりとて、戦果を出せる保証はなく、当てになる相手も――いないことはない、が。何しろ会ったばかり、しかも初対面で刃を突きつけられたのだ。立場上、ギルスターのように信頼に値するとは、とてもいえない。
――主戦論をとることに、躊躇はないけれど。でも、それが最良の選択かといえば、どうにも……。
はりぼてのような、思い込みの自信。それだけで会議に臨むのは、やはり荷が重かったのか。迷わないと決めたはずなのに、ここぞと言うところで、口が積極性を失う。もともと、セリアはそれほど自信家ではないし、群臣が集まる会議に慣れていない、という不安要素も存在する。
場の雰囲気を支配し、自分から物事を主導し、人を動かしていく。その過程を担うまでの力量を、彼女は有してはいなかったのだ。
「姫様、外に救援を求められないなら、内で何とかするほかありますまい。その後で、不遜な連中に罰を与えればよろしい。――問題は、今後いかに行動するか。それのみでございましょう」
だがセリア自身に力がないとしても、そのこと自体が致命傷になることは、まずない。主君の不備は、臣下が行うものだ。ギルスターは、この頼りない少女を守り立てることに、疑問はないようである。そのため、必要とあらば助け舟も出してくれる。
毎回確実に助けを受けられない辺りが、彼の気まぐれさの現われであるといえよう。セリアはただ期待するだけの立場であるから、一言だけでも助言をしてくれる以上、文句をつけてやることは出来ないのであるが。
「行動、ね。行動。……まさに、問題といえる問題は、それだけと言って良いかしら」
「唯一の懸念、唯一つの重要点。そして、最悪かつ最上の窮地にございますな。一手違えるだけでも、ひどいことになります。――結論を急がず、まずはゆるりと思考に浸るべきかと」
ギルスターは、セリアの言葉を待っている。そして、話を先に進めることを、議論を主導することを、この姫に求めているのだ。遠まわしに、持って回った言い方をしているが、内心は結果を急ぎたがっているはず。巧遅より拙速。それが、兵法の基本であると、彼女もわきまえている。
これを密かに悟ったセリアは、彼の狙いに従い、会議の流れを誘導した。
「……そう。ならば、そろそろ議論を先に進めるべきではないかしら。ゆるりと一人で考えているよりは、皆で検討する方が話が早いでしょう」
「同意いたします。具体的には?」
「軍事的、経済的にもそうだけれど、先ほど言ったように、政治的にも我々は窮地に立たされている。議論するにしろ、実際に行動するにしろ、お互いに団結する意思こそが、もっとも重要であると私は考えているの。……何しろ、外からの援軍を期待するのは難しい。とすれば、この王都にあるものだけで、どうにかしなければならないものね」
「まことに。――しかしいかなる法も、人の心までは縛れませぬ。いかがなさいますか? 姫様」
息を整えて、セリアは告げる。
「いかがも何もないわ。――言ったでしょう? 方針を決める場合において、あらゆる意見は歓迎する。我々の現状をわきまえた上で、策があれば真摯に聞きたい。ギルスター? 貴方だって、そのことに異論はないはずよね」
まず前提として、独力で生き残る道を探らねばならぬ。これを踏まえた上で、セリアはできることを知りたかったのだ。
この国を守護する王族の者として、臣下の意向を組み上げつつ、自らの決断を示す。そうしてこそ、王位継承者として、相応しい態度といえるだろう。
「なるほど、そこまで覚悟を決めておられるなら、多様な意見は、あればあるほどよろしい。――では方針を決定する前に、ここに集った者たちにも、その覚悟のほどを聞いておきますかな」
そしてギルスターは最高位の文官として、内政と外交に大きな影響を与えられる立場にあり、それを活かそうとしている。彼が覚悟の意味を問うということは、それだけ重要な議題が、これからなされるということをも意味していた。
「覚悟は内に秘める物であって、外にさらすものではないわ。ましてやそれを他者に強制するとか、愚の骨頂ではない? ――そもそも、国家の大事を決める席に座っている者であれば、その地位に相応しい勇気を持っていて当然だと思うのだけれど」
だがセリアは、捻くれた返答でギルスターに応えた。意見自体は……何もこの場で主張するような、大層な内容ではない。ギルスターの方も、こんな道理はすでにわきまえていることだろう。
――何を考えているのか知らないけど、随分妙なことを言い出すじゃない。覚悟なんて、口先で証明できる物じゃないでしょうに。
これは、一度くらいは、この男をやり込めてやりたい、という稚気の発露であり、彼女の未熟さが素直に出た形でもあった。
意外……ではないかもしれないが、ギルスターに隔意を抱いているのは彼女だけではなかった。セリアの言に便乗して、一人の男が宰相の発言を突付き出す。
「セリア殿下のおっしゃるとおり。――宰相閣下は覚悟とは申されるが、今、この場で現状の危機を理解できないものなど、いるはずがないではありませんか。誰もが皆、この一身を護国の為に捧げる覚悟でありましょう。文官武官問わず、トリアの禄を食む身であれば、それくらいの気概は持ち合わせて当然というものでしょう」
憮然とした表情で返したのは、カイルだった。自身の提案を無視されてからというもの、これまで放ってこられたのだから、不快に思う気持ちは良くわかる。
セリアは彼に同情したが、特別扱いするつもりはなかった。口にしたことには、責任を取らねばならぬ。カイルは、その言に相応しい態度を取らねばならない。セリアは、その点をよく観察してみるつもりだった。
「皆に改めて決意のほどを聞くまでもありません。とにかく我々は生き残るための行動を、とらなくてはならない。この場はそれを決する会議であり、余計な思惑を入れる余裕などない。私はそう思われますが?」
勇ましいのは結構なことだが――この芝居がかった口調は、どうにかならないものか。そうセリアは思う。カイルが言っていることは至極まっとうなのだが、身振り手振りに声の抑制。ともに良くできた演劇のように、無駄に洗練されている。それが鼻について、彼を嫌う者だっているのだろうに。
とはいえ、言っていることは正論であるから、ここで茶々を入れるような者はいなかった。彼の言う『覚悟』とやらは、愛国者ならば、確かに誰もが持っているものだろう。
「ふむ、言われてみれば確かに。……いや、これは失礼。覚悟の程を聞くなど、皆様をあなどる様な発言でしたな。話を続けましょう」
ギルスターはとりあえず、彼の発言を受け止めた。内心はどうあれ、余裕がないのは確かであろう。この点はセリアとて同意見だった。口を挟まず、ただ話に耳を傾ける。
「そういうことであれば、時間は貴重です。決められることは、なるべく早く決めてしまいましょう。――大まかに言って、我々が取れる行動は三つ。徹底抗戦か、降伏か、あるいは戦いながら交渉の窓口を確保し、互いに妥協点を探りあうか……。まあ、私が先にした提案については、今は忘れていただいて結構。初心にかえって、改めて検討してみようではありませんか」
ギルスターが、まず方針についての意見を述べた。意見の多様性は歓迎するが、やはり一定の方向に議論を向けないと、話が進みにくい。この点で、セリアはギルスターを責めようとは思わなかった。
徹底抗戦が、ガレーナに対して決定的勝利を得るまで戦うこと。最悪死ぬまで抵抗を続けることであり、降伏は早々に敗北を認め、国家の崩壊と引き換えに、人的消耗を抑えること。
セリアにも、それは理解できる。だが三つ目については、いま一つよくわからなかった。以前の発言そのままの意味では、おそらくない。領土割譲は、戦いながら行うような、物騒な交渉ではないとセリアは思うから……きっとあれは、降伏に属する対応になるのだろう。とすれば、やはり理解は難しい。
「……質問、いいかしら? 宰相殿」
「どうぞ、姫さま。――ああ、答える前に一つ申し上げるなら、役職に殿をつける必要はありませんぞ。そこの若いのが言ったように、ギルスター殿か、フォード宰相、もしくはただ役職名だけで呼んでくだされ。なにしろ、国家に宰相は一人しかおりませぬので」
なんとなく、セリアは宰相殿、とギルスターを呼んでみた。彼女なりの敬意の表し方だったのだが、やはり不器用に過ぎたらしい。
この大事が収まったら、改めて自身の言動を洗練させねばなるまいと、セリアは自覚する。
「ではギルスター。戦いながら交渉する……と言われても、そんなことが可能であるのか、私にはわからない。たとえばこれが降伏であれば、敵軍に対して真っ向から申し入れが出来るのだけど、当然これはそういう意味ではないのよね? ――できるなら、その窓口について詳しくお話しいただきたいのだけど?」
「ええ、それは勿論。――この場合は敵軍の指揮官などではなく、ガレーナ国王、ミシェルに直接交渉するのです」
この彼の言葉は、いささか衝撃的に過ぎた。ガレーナ国内に、こちらの意を伝える伝手など、どこにあるというのか。普通ならば直接使者を立てて、国王に面会しなければならないのだが、果たしてそんな時間があるものか。セリアでなくとも、疑問に思うところである。
「ガレーナとは現在戦争中であり、とても友好など期待できる相手ではありますまい。ギルスター殿の意見は、実現性に欠けるのではありませんか。ミシェルという男が交渉を望むかどうか、見込みがまったくないというのも辛いところでしょう」
「まさに。貴族としての誇りを重んじるなら、最後まで戦う意思を捨てるべきではない。そして降伏するつもりなら、余計な怒りを買わぬうちに、早々に申し出るのが良い」
「第一、交渉できたとして、それを成功させるなど夢物語に等しい。あちらが優勢である以上、こちらが決定的な勝利を得なければ、そもそも譲歩を引き出すことさえ不可能だ。なら、初めから妥協を望むより、徹底して反抗の意を示すのが良い。そちらの方が、よほど潔いではないか――」
もろもろの群臣たちが、これを機会にとさまざまな意見を出し合う。これはセリアも望んだことだから、文句はない。
ただ聞いている限りでは、会議に参加する者の中では、二極化が進んでいるようだ。誰も彼もが、交戦か降伏かを問うばかりで、三つ目の選択を真面目に検討するものは、実に少ない。
それもどちらかといえば、好戦的な論調が主流を占めている。彼らはまだ、自分たちが敗北する、滅亡しつつある、という現実から目をそむけようとしているのではないかと、セリアは懸念を覚えないわけにはいかなかった。
「紛糾しているわね。いっそ開き直って、交渉は、初めから考えないものとして扱うべきかしら? ギルスター」
「いけませんな、姫さま。自分としては、そちらが本命でありますから。くれてやる領土があるとして、それを持ち出すにしても、やはりいくらかの見栄は通したいものです。……たとえば、形だけでも健闘して見せて、自国の武威を示すような。それさえも当てに出来ないようであれば、降伏後の領土返還交渉は、おそらく成立しますまい」
セリアは固まった空気を和らげるべく、ギルスターの意見を求めたが、彼は彼で、終始自論を語るばかりであった。
多様な意見を取り入れて、折衷案を作ることなど、まったく考えずに彼は言う。
「まあ、自分はひねくれ者でありますから。単純に勝つの負けるの、戦うの戦わないのと、明確なお話は得意ではありませぬ。さらに最近は歳を食って、無駄に狡猾になってしまいましてな。戦いつつ話し合う。負けながら勝利を得る。そんな手ばかり、上手くなりまして。――相手方との話し合いも含めて、手段については、お任せあれ。その点の心配は、いりませぬ」
ギルスターが、白くなったあごひげを撫でながら、不遜にも言い放った。セリアは今更、彼の態度については文句をつけようとは思わないが、ほのめかしの言葉に踊らされるのも不愉快だった。ゆえに、ここは追求する。
「お任せするのは、いいとして……その自信の根拠は話してくれないの? 私としては、見通しの立っている話は、全て公開して頂きたく思うのだけれど」
「これはただの一手段。もったいぶるわけではありませんが、この案が採用された時にでも、改めて申し上げようかと。あくまでも徹底抗戦の道を歩まれるなら、私が出張るまでもない話でありましょう。土地も金も、あの世にまでは持っていけません。ただ、それだけのことです」
回りくどい言い方だが、おそらくギルスターには、自信がある。どうにかして、ミシェルと渡りをつける方法が、彼にはあるのだろう。
――今のは私に、というより、この場にいる全員に向けた言葉であるように思える。それに随分、挑発的ね。これは彼の自信の現われ、と取ってもいいのかしら?
気にはなるが、意味のない言動をするような小物が、宰相という職に就けるはずがない。セリアはあえて、疑うことをやめた。ともかく彼女は、苦労を肩代わりしてくれるなら、宰相の言を真面目に検討してもいいと思う。
「交渉に必要な時間は? 王都で籠城すれば、かなり持ちこたえられるのはわかる。物資が持つのは聞いているけど、戦そのものに耐え切れるかどうか、私にはわからないの。備蓄を残して負ける事だって、ないとは言えないし」
セリアは議論の続きよりも、まずここでギルスターに情報の公開を求めた。その分余計に会議が長引き、参加者のひんしゅくを買うだろうが、他人を気遣う余裕など、彼女にはない。勝つにしろ負けるにしろ、納得だけはしていたかったから。
お飾りではあっても、王族としての責任が取れるのは、今や彼女ひとり。敬意はさておき、その発言を無視することは、誰にも出来なかった。
「そうですな。敵軍を迂回して、慎重に進んだとして、ガレーナの王都まで二十日ばかり。相手方の日程の調整に一週間ほど。交渉が功を奏して、軍に伝わるまでやはり十日はいりますか。後はいくらか余裕を見て……一月半は持たせなければなりません。それも最短での話ですから、場合によっては倍以上の期間が必要になるかもしれませんな」
「それくらいなら、持ちこたえるのは難しくないのでは? 王都の備蓄だけを考えるなら、かなり余裕があると見ていいんじゃない?」
セリアは、多少なりとも現状に希望を持った。城を落とす、というのは骨の折れる作業であり、容易に済む物ではない、ということを、彼女は教養として知っていた。
だから、その程度の期間なら、どうにかなるのではないかと、気楽に答えたのだ。
「はい。兵糧も武器も充分以上は貯め込んでおりますので。……ただ、あまり相手を甘く見ぬことです。ガレーナ軍とて、こちらの備蓄を予測していないはずがない。私が彼らと同じ立場であれば、短期決戦をもくろみ、相当大胆な行動に出るでしょう。心してくだされ」
「……そうね。油断だけは、しないでおくわ」
心せよと言われたところで、セリアにはこう答える以外にすべはない。知識も経験も不充分である彼女には、真の意味で『大胆な行動』とやらの重大さを、理解することはできないのだから。
しかし今は、時間は稼ごうと思えば稼げる、それだけわかれば充分ではないかと、セリアは考えた。
「逆にいえば、その大胆な行動さえ凌げれば、篭城を続けるのは難しくありません。ギルスター宰相の言にも、一理はあるかと。……交渉も、行うだけなら損にはなりますまい。我々は我々で、戦いを続け。宰相は自身のお力を持って、敵国を口説き落としてみればよろしい。無理に全ての歩調をあわせることはないでしょう」
カイルが、ここで積極的……というにはおかしいが、非常に前向きな篭城戦を提案した。
これはどちらかといえば、好戦的な考え方だが、行動次第で降伏にも交渉にも持っていける、柔軟性のある案だと言えよう。とりあえず守備を維持し、情勢が変わるのを待つというのは、これはこれで一種の戦略であった。
「つまりは折衷案? 基本的に、私たちは王都を拠り所として守り続ける。もちろん機会があれば、攻勢には出るけれど……それで、ガレーナ軍が根をあげて撤退するならよし。敗色が濃厚になるようであれば、限界まで粘ったところで降伏。交渉は一応進められるだけ進めて、間に合うならばそれでよし――と、こんなところかしら」
多少強引だが、セリアはそのようにまとめた。カイルの籠城案を突き詰めて、その意図をよく表現していた。
現実にはそこまで上手く機能するかどうか、未知数ではあった。が、それは全てに対して言える事であり、問題は皆がこれに賛同し、最大限の努力を払えるかどうか、である。
「……異論、反論など、何かあったら発言を」
セリアが遠慮がちに、周囲に問う。多くが思考の海に沈み、沈黙を守る中、カイルだけが彼女の言葉に反応した。
「異論、というほどたいしたことではありませんが。まず、抗戦・降伏・交渉。いずれを重視し、それを前提とするか。これを決めるべきでしょう。戦闘に限っても、『より良い降伏条件を引き出すために戦う』のと、『なるべく消耗を避け、交渉の成立を待つ』のとでは、随分とやり方が違ってくると思われますので」
さりげに降伏論について、独自に一言付け加えながら、カイルは答えた。どこまでいっても闘争から離れられないのは、主戦派らしい物言いである。またそれは、この場にいる武官たちの意を代弁してもいるのだろう。
――ギルスター、こんな連中をまとめきれるの? 穏やかに、貴方の意思にそうような発言だけれど、おそらく内心は抑えきれていない。血の気にはやって、功を焦って、独断で行動されたら、きっと貴方の案は水泡に帰す。
今までの会議の内容は、こちらが戦闘で勝ちきれないことを前提としすぎている。これを主眼に置き、会議を続けるなら、武官たちが意固地になりかねない。交渉について、あまり積極的に議論されなかったのは、この影響もあるのだろう。
少々でも厳しい条件が付与されれば、彼らは難色を示しそうである。それなら、と相手に譲歩を期待しても、こちらが大きな勝利を重ねなければ、まずガレーナ国王は了承するまい。この部分の折り合いが、とても難しいように思われる。
「どうでしょう。皆様にどの方法に重点を置くべきか問い、その意見をまとめてみては? ここで多数決を取ってから動いても、遅くはないかと考えます」
「そうね。では、ギルスター。この問題についての多数決を」
カイルの言を、セリアは肯定した。提案自体は悪くないし、これまでの意見を総括する上においても、全員の意見を参照するのは悪い手ではない。カイルの進言を受け入れ、実行しようとした。
「あいや、姫様。その必要はないかと愚考いたします」
だがギルスターそれに待ったをかけた。これには、どういうことかと、セリアの方が疑問に思う。
「必要がない? 他人の発言を無視する権限を、貴方に与えた覚えはないのだけど」
セリアが皮肉で返すが、彼はこれに抽象的な表現でしか答えなかった。
「ああ、これは失敬。何も無視したくてするというわけではなく、そもそも初めから、意思の統一は為されていたのだ、ということを言いたかったわけです」
ギルスターの意図が、今一つ飲み込めない。それはセリアだけではないらしく、会議の場にざわめきが広がる。
「もう少し、わかりやすく言ってもらえないだろうか、ギルスター殿。各々の発言を聞かずして、意思の統一など不可能だと思われるが」
「簡単なことですよ、カイル殿。何しろこの場にいる全員、覚悟だけは確かに決めておられるようですからな。――ええ、あの前言に間違いがなければ」
覚悟、と問われて、皆が皆あのカイルの前言を思い出した。仰々しい言い草であったが、彼は『護国の為に身を捧げること』を強調し、誰もこれに反論しなかった。これをもって、意思の統一と言い張ることは、確かにできなくはない。
「しかし、あれは根本の考え方というか、国家に仕える臣としての、原理原則を口にしただけでは? 実際的な手段と方法には、まったく言及しなかったはず。これを持ち出して、我々の意見を無用と断ずるのは、暴論というものではありませんか」
「説明が足りませなんだか。多数決を取るのはよろしい。しかし、誰がその責任を取るのですかな? もしものことですが、決議に従って敗北した場合、誰がこの責を負って罰されるべきなのか。私には、それがわからないのです」
いきなり生臭い方向へと、話が飛躍した。ギルスターは、論点を摩り替えようとしている。それも、ひどく妙な方向へ。
「ギルスター。貴方、意図的に論点をずらしていない? そんなものは、負けてから定めればいいでしょう。最悪でも交渉さえ上手くいけば、妥協点も探れるって貴方が――」
「姫様、心してお聞きください。これは姫さまの命に関わるほど、重要なことなのですから」
セリアの発言を見事に無視して、ギルスターは詰め寄る。
嫌な展開だと、彼女は眉をひそめた。宰相の力量を拝見するつもりで、鷹揚に接していたのだが……ここに来て、自身が矢面に立たされている。
「多数決とは、いわば多数による少数の駆逐であります。そして今回の場合、責任も背負えぬ輩どもが、数少ない責任者に後始末を押し付けるような、そんな結果になりかねない」
「念のために聞いておくけど、その責任者って言うのは、もしかして私のこと?」
「はい、姫様。わかりきっていることとは思われますが、姫様は母親が庶民の出ではあっても、まぎれもなく国王の娘であり、始祖の直系の子孫です。何より現状では唯一の、政治的に表に出せる王族。反抗の御旗としても、屈服の証としても、貴方の身柄ほど確かな物はありません。敗北した場合、必然的にあらゆる責任が、姫様の小さな体に圧し掛かることになる。そして、護国とは、国家の維持に関わる全てを守ることを意味します。……つまり、姫様の安全を保証すること。それが叶わぬなら、せめて国家の権威を失わぬ為にも、指導者の誇りというものをしかと示しておくことが必要なのです。――国民が、国家を失ってしまっても、そんな国に属していられたという、誇りを守る為にも」
セリアが理解したくもない現実を、ギルスターは率直に述べた。
彼女が目をそらしたいと思っていたことを、誰かに肩代わりして欲しいと思っていた重圧を、そのまま眼前に突きつけられたのである。
「元々王族と言うのは、割に合わぬ役割を押し付けられるのが、宿命といえるのですが……流石に敗戦の責を一身に食らわせながら、群臣どもは好き勝手に無責任な行動を繰り返す。そんな様では、トリア国の沽券に関わりますでな。それならば、一番割を食うであろう方の意思を、まず最優先すべきと考えるのです。ゆえに、多数決は行う必要なし、と自分は考えました。第一、群臣どもの忠誠心自体、疑われてしかるべき状況なのです。こんな状態で、流れに身を任せるのが、いかに危険なことか。先々代からの寵臣として、忠告せぬわけには参りません」
「……詳しく、述べてみなさい。意見次第では、色々考えてみてもいいから」
「冷厳なる事実として、お受け取めください。誰も、貴方の代わりにはなってくれませぬ。トリアを併合し、統治することを考慮すれば、王族は排除しても群臣は取り立てて、そのまま使った方が効率は良いのです。つまり、我々は手段を選ばねば……上手い負け方さえ心得ていれば、権益を維持したまま、併合後のガレーナで生きられる。けれど、貴方だけは違う。支配者として、征服感を満足させるにも、王族の犠牲はつきもの。敗北すれば、口にしたくもない辱めを受けることになるでしょう」
セリアに逃げ道はない。だから、腹をくくれと、ギルスターは言っているのだ。そして戦いにおいては、父の臣下だった者たちを、信頼し過ぎるべきではない。特に戦略上の重大な判断は、これによって最大の不利益をこうむる人物。すなわち、自分が決めよと、そう彼は言っている。
そして、以後は無責任な発言を許さぬ為にも、彼女に国王の娘として、恥じぬ態度を取れと促しているように、セリアには思えた。
これも、彼なりの忠誠心であるのか。だとしたら、彼女はギルスターへの敬意の上に、感謝も付け加えねばなるまい。
「本来、ここまで重要な事項の決定は、国王が為されるものありまして。我々が集って、数による決定を迫るのは、あくまで次善の策。事ここに至りましては、姫様ご自身が、以後の行動を決められるのが、よろしいかと。……国王の遺児、可憐な姫が、敵国の侵略に立ち向かう。民が熱狂する大義名分として、これ以上のものはありますまい」
だがセリアは、このギルスターの論理を真っ向から受け止める気には、なれなかった。
「いかに戦い、いかに動くか。その全てを、私が判断しろと言うのね? それが国家の、国民の意に沿う物であると。臣下の全てに対して、果たすべき義務であると、そう主張するのね? 文句一つ言わず受け入れる覚悟さえあると、そのように?」
「まさに、そのとおりでございます」
「それはちょっと、どうなのかしら。私は曲がりなりにも王族だし、責任をいくらかでも被る立場にはあるけれど――こんな小娘の命令に従える人が、この場にいるのかしら? いや、いたとしても。私の決めたことが、最善の手段であるとは限らないでしょう。私のせいで、間違った方向に国を導いた。そう酷評されるのは、経験のない身としては辛すぎるわ」
そもそもセリアは、ここまでの責任を自覚して、会議に臨んだわけではない。せいぜい、一定の権限。自身の発言を黙殺させず、まともに検討させること。己の出自を盾にした、その強制力だけをあてにして、この場にいたのだった。
自己の存在を強調させ、王族の権威をあからさまに利用してでも、成果を得たいと考えててはいた。だが、それでも、その程度の立場さえ得られれば、それで上々だと思い込んでいたのだ。まさか、こうも矢面に立たされ、己の言葉が結果に直結する事態になろうとは、いくらなんでも予測していない。
これは戦場に赴いた時も同様であるのだが、それにしてもギルスターの言いようは、一方的に過ぎる。未熟な自分に過酷な回答を強いていると、そうセリアは思うのだった。
「私も含めて、群臣は国家に尽くすことに対して、疑問を持っておられぬご様子。現状、国家の象徴たる国王陛下がおわさぬ以上、次代の後継者としてあらゆる責務を負えるのは――やはりセリア様以外にない、と臣は考えるのであります」
「だから、私の意志には誰もが異を唱えない――ってこと? 敬意を払われているのか、利用されているのか。果たして、どちらでしょうね」
どんな愚王でも、王の命令には強制力が伴う。それが王政というものであり、現在のトリアの政体である。だから、ギルスターの言葉が正論であることは、否定しない。
「ご決断を」
ギルスターはもはや、セリアの戯言に付き合ってはくれない。彼は、答えだけを求めた。
「……宰相殿の意見が正しいと思う人は、どれくらい居る? 誰も彼を諌めようと思わないの?」
セリアは、怖いのだ。自分の決断が、国家の運命を左右させること。責任から逃れる理由を、失うことが。
彼女には、自分の立場が相当特殊な物であることは、とうに理解していた。しかし、自己の行動が及ぼす、大局への影響力について。セリアは、まるで無自覚でいたし、ずっと気付かないままでいたかったのだ。
それは、覚悟とは真逆の思考。やるべきことを行いたい、という欲求とは正反対の理屈でありながら、ずっと彼女の中でくすぶっていた概念だった。
「ギルスター殿。貴方の主張していることは、とんでもない僭越であると、私などは思います。そこまでセリア様に、責任ある行動を求めるのは、いかがなものかと」
「左様ですな。それにしても、あの言い様。思慮深い貴方にしては、いささか強引に過ぎると考えます。我々の言が、責任を負わせるにも信用するにも値しないのなら、宰相閣下が直々に判断を下されればよい」
「この非常事態です。ギルスター殿ほどの、実績と信頼を持ち合わせた方ならば、独断で国家を動かすことも、許されるでしょう。……なぜ、それをなさらず、過度の期待をセリア様に寄せられるのです?」
主君の血統、その意思を無視できるような輩は、この場にはいない。だから少数ではあったが、彼女の意に沿い、ギルスターを非難する者たちがいた。
しかし、長年国政にかかわり、人脈にも富むギルスターを掣肘できる者など、やはりこの場にはいない。面と向かって非難するというより、これはむしろ彼の常識と良識を期待するような、やんわりとした発言でしかなかった。
それが意味のない行動であることを、誰もが……セリアでさえ薄々感付いていた。ギルスターは、それら小数の戯言を握り潰せる程度の迫力を、充分に持ち合せているのだから。
「これは、異なことを申されますな。私は自らを国家の柱石と自負していればこそ、ここで専横に走ろうとは考えないのです。……いや、有象無象の影響から、姫様をお守りする……という理由で、強権を駆使することはあるでしょうが」
「ギルスター? 私、これ以上話を引き延ばしたくないし、貴方だってそう暇なわけではないと思うの」
「そうですな。では駄々をこねていないで、さっさと方針くらい、自分で決められてはいかがです。こちらこそ、姫様の頑なな態度には飽き飽きしておりますので」
安い挑発だったが、彼は今のセリアには、この程度の後押しで充分だとわかっていたのだろう。
「わかった。なら、決めます。――いや、決めようと、思うから、その……」
彼女は、勢いで答えた。いい加減、進展のない話し合いにうんざりしていたのは、セリアも同じであったから。しかし、言った後で事の重大さを理解し、悔やむ事になるのだが。
「何か? お望みのものがあるならば、すぐに用意させますが」
「時間が、欲しいの。考える時間が」
「それほど余裕はありません。今日一日、明日の朝には結論を出していただけませぬと」
勝っている方はともかく、負けているこちら側は、悩む時間さえ少ない。セリアもこれには理解を示し、頷いて返す。
「徹底抗戦には、己を含めた、味方に対するあらゆる犠牲を容認する覚悟。降伏には、自ら国を滅ぼした、という汚名を被る覚悟。そして交渉による妥協を期待するなら、手段を選ばず、誇りも矜持も投げ捨てて戦う覚悟が、必要になるでしょう。――そこの若いのの言葉が事実であれば、どの道を選んでも最善を尽くしてくださること、間違いありませぬ。それらを考慮した上で、お選びください。――期待しておりますよ、姫様?」
カイルが冒頭で答えた意見を、ギルスターはここで持ち出した。そして以後は、たいした話もなく、結論を先延ばしにしたまま、議論は終わりを迎えた。
結局、会議はギルスターの独壇場で、終わったことになる。他は数合わせの役者を用いただけの、出来の悪い芝居のようでもあったが、その印象は案外真実を付いていたのかもしれない。
――私に権限を与えることが、彼にどんな利益をもたらすのか。まるでわからないけれど。
彼の行動の裏には、当然彼なりの打算と思案がある。自らは積極的に動かず、王族である己を動かしに来た。それは臣下として当たり前……といえばそれまでだが、いささか度を越した演出であるように、彼女には思えたのである。
――そうね。ええ、そう。不可解ではあるし、不愉快でもあるけれど、重要なのはそこじゃない。私が今後もし、具体的な行動に出るのなら。これは降って沸いた様な、好機ではないかしら? だとしたら……。
会議が終わった後も、席から離れずに色々と考える。そんなセリアが気になったのか、話しかけてくるものがいる。
「大丈夫かい? 少し、疲れただろう?」
カイルであった。彼はセリアとは面識があり、昔から彼女に対して、何かと世話を焼いてくれていた。こちらの好意を期待しての、下心ある行動ではあったのだろうが、悪感情を抱いたことはない。それくらいには、女性の機微に通じた男であるのだろう。
だから、セリアはカイルのことが嫌いではなかった。ただ、彼女は他人の好意を疑いなく受け入れるほど、うかつな人間でもなかったのだ。
「それほどでもない……って言えたら、よかったんだけどね」
「すまないね、セリア。どうやら我々は、もっとも厳しい道を歩まねばならないらしい。その中で、君にも色々と苦労を強いるだろう。どうか、それを許してほしい」
「わざわざ謝罪しなくてもいいのに。……それはそれとして、呼び捨てにされるのも、随分と久しく感じるわね。私が変わったのか、貴方が変わらなかったのか、どちらかしら? まあ、どうでもいいことだけれど」
慰めて欲しいとは、セリアは思わない。立場を代わってくれる人がいたら、代わって欲しいとは思うが。
「そうね。……許してもいいわよ? 貴方が責任を取ってくれるならね」
「それは――」
「出来ない? 前の台詞と合わせて、とりあえず貴方の意見はわかった。……強硬策を取るにしても、私は前線に出られないでしょうね。それがいいことなのか悪いことなのか、判断が難しいところだけど」
戦いの場に赴くこと。それは勇猛さを表し、義務感を演出する道具としては有用だが、別にそれで特別に勝率が上がるという訳でもない。
士気が上がるのは良いが、肝心のセリア自身に軍事的才能はない。この期に及んで、余計な不安要素を抱えるのも、あまりよろしくなかった。
もしセリアが敵軍の虜となれば、本格的に国家の存続が怪しくなる。たとえ彼女本人が前線を希望しても、そう上手くはいかないだろう。
「僕は、別に」
「カイル様。もう、いいわ。貴方が気を使う必要だって、ないんだから」
セリアは、彼を敬称付けで呼んだ。十歳以上年上の彼のことを、昔から彼女はそう呼んでいたから。カイルも、彼女の前では飾った貴族としてではなく、等身大の自分を出してくれている。だから、これでいいのだろう。
「私は単なる飾りだけど、貴方はれっきとした高級官吏。住む世界が違うって、私もわきまえているんだから」
セリアは王の子ではあったが、上に嫡子である兄がいる以上、国内ではさして重要な地位にいなかった。この敗戦がなければ、平穏に一生を過ごしていたであろう身の上である。
ゆえに、国政に直接関われるカイルに対し、彼女は常に敬意を表さねばならなかった。いささか感情的な部分もあるが、それが今も彼に敬称を付ける理由である。
「そんなことを言ってはいけない。この非常時、正式な戴冠こそされてはいないが、君こそが次代の国王なんだ。こんな僕でよければ、こき使ってくれても構わない」
「……いくらでも、ご機嫌をうかがいにいきますって? ああ、ごめんなさい。人前で言う言葉でもないわね」
会議は終わり、他の参加者は皆退席している。だが片付けや清掃に来ている奉公人たちの目が、ここにはあるのだ。
――長々と悩んでいる方が悪い、か。この場に居座ったのは自分の意思なんだから、誰かに文句を言う筋合いではないのだけれど。
暗に視線や態度で、セリアは場所を変えたがっていることを伝えた。カイルはこれに気付かぬほど愚鈍ではないから、察して提案する。
「少し、歩こうか」
散歩をすれば、いくらかでも気分が紛れるかもしれない。さらに良い考えが浮かべば、儲けものである。
セリアは、彼の提案を呑んだ。男と二人きりになるというのに、まったく想いが高ぶらないのは、どうしてか。決して嫌っているわけでも、好意を抱いていないわけでもないのに。
「わかりました。じゃあ、行きましょうか。……ギルスターも、これくらいの我侭は、許してくれるでしょう。きっと、ね」
周囲の状況はどうあれ、ここは美青年の付き添いに、胸を高鳴らすのが、年頃の乙女として正しい反応ではなかろうかと。セリアは意味もなく、そんなことを考えていた。
――どうして、かしら。カイルお兄様と、慕った時期さえあったのに。今はもう、何の感慨も抱けない。
そして、それなりの好意を抱いてる異性が傍にいるのに、まったく関心が表れてこないことに驚き、いつ己は女を捨てたのだろう――と。そんな馬鹿な感想も、同時に抱いてしまっていた。
色々と悩ましいですが、結局投稿することにしました。
違和感やら矛盾点やらを感じ取られましたら、ぜひお教えください。
……次か、その次くらいから、展開は速くなると思います。
まだ付いてきてくれる方が、どれほどいるのか。いささか不安ではありますが、できれば最後まで、見守ってやってください。
では、これにて。
次の投稿の際に、またお会いしましょう。