第十章 会議
トリアは、決して脆い国ではなかった。国家の成立より、はや二百年。周辺各国と比べれば短い歴史ではあるが、それでも組織が定着してしばらく経つ。民も官吏も、トリア王国という枠組みの中で生きることに慣れていた。
たとえ王が死に、国家の柱が欠けた状態であっても、これを補助し組織を生きながらえさせようとする。頂点から末端まで、それくらいの義務感を起こさせる程度には、しっかりした意識も芽生えさせていたのである。
セリアが王都へと帰還した時、敗戦の責より先に、まずは生存を喜ばれた。王の嫡子が敵の手に落ちている今、たとえ無力な王女でも、使いようはあると判断されたのだろう。
――存在価値を認められたのは、嬉しいやら悲しいやら。色々と複雑だけれど、何とも言いがたい。きっと、死ぬまで、私は悩み続けるんでしょうね。
一晩休んで、戦いの疲れを取ると、セリアは早速動かされた。姫をいたわる気持ちよりも、国家の大事を優先した結果であろう。彼女は派遣された官吏に、改めてこれまでの事情を説明した。
「なるほど、よくわかりました。また何か、必要なことがあれば、お話を聞きに来ましょう。……願わくば、それが弾劾の使者とならないよう、祈っております」
セリアが持ち帰った情報は、帰ったその日に書類にまとめて提出していたはずだが、王都の群臣にはさほど新鮮味のある内容ではなかったらしい。
官吏への説明も書類の内容をなぞるだけであったにも関わらず、突っ込んだ質問はされなかった。そのまま衆議のある日まで、お呼びはかからずじまい。
しかし、その官吏の言い方は、不遜であり、あまりにも不敬であった。まるで、セリアが裁かれるべき罪人であるかのように、そう言ってのける。これは、いかなる事実を示すものなのだろうと、不快に思うより先に、疑問に思った。
――こんな時に失点を突付きまわすなんて、およそ有能な人間することじゃないって思うけど。あるいは全ての失態を私のせいにして、切り捨てるつもりだったりしたのかしら? だとしても、素直に悪意を見せる必要はなかったのに。
もしかしたら、これは警告。『臣下の中に、セリアを害する意図を持った人間がいる』と、誰かが官吏を通して伝えてくれたのかもしれない。
そう考えれば納得は出来るが、それならそれで今度は腹が立ってくる。何もこんな真正面から、せっかく認められた自分の存在価値を、否定しに来なくても良かったのではないか。
――わざわざ人を使って伝えるなんて、稚気が過ぎてるし、なんだか不快ね。私が危ないって伝えるだけなら、こっそり書面で教えてくれれば済むことじゃない。
要するに、セリアは手心を加えて欲しかったのだ。頼れる人材が、もう傍にいない今となっては、精神的な余裕も消えている。根拠はなくとも、せめて楽観できる要素の一つも、見出したいというのが彼女の本音であった。
ジェイクとサーレントとは、王都に入城し、軍の再編成を行う段階で離れていた。護衛の任務を終えたのだから、今度は別の任務の為に、彼らは働かねばならない。
「昇進と褒美の沙汰は、後で構いません。ただ、覚えて置いていただければよろしい」
「命令があれば、従います。我々軍人は、それが取り柄ですので」
セリアには本来、軍権がない。期間までの道のりにおいては、彼女も独自の判断を迫られたが、それはあくまで非常時の、危機回避の為の特例であったといってよい。
彼女は軍人を信任し、仕事を任せる立場であって、自ら指揮を行うべき立場ではなかった。少なくとも、正式に戴冠を行うまでは、そのはずだった。
――ええ、確かに覚えておくわ。……功績には違いないから、見返りは用意させる。それくらいの道理を指摘することくらいは、私にも許されているから。
セリアは寂しく思ったが、その気になれば解決できそうな問題でもある。彼女にそれなりの発言力が認められれば、彼らを直属の部下として抱えることも不可能ではない。
ただ、セリアは敗北した軍を持ち帰ってきただけで、戦功といえるものはなく、これから自力で立場を強化する必要があった。
その機会をいかに見出し、いかに活かすのか。全ては自分の才覚にかかっている。
――トリアは負けた、けれど蹂躙されるばかりじゃない。必ず、国家を挙げて反撃に転じようとするでしょう。……その為に、国家の首脳部を集めて軍議が行われる。ここで何かしらの行動を起こして、介入することが出来たなら。……やれることは、まだあるはず。
セリアの思惑通り、国家の重鎮たちが一堂に会し、今後の方策を模索する運びとなる。
王都に帰ってきてから、すぐ報告、軍の再編によるジェイクらとの別れ、それから会議に呼びつけられる――と。こうも事態が急変すると、周囲の環境に流され続け、気疲れしている自分を自覚せずにはいられなかった。
体の疲労はともかく、精神的な消耗が大きい。『誰か』の上位者であったこと、率いるべき何者かを失った王女は、一個では単なる少女に過ぎなかった。
帰還中は不安はあれども、軍に守られているという安心感があった。だが王都の中では、今はまだ確たる権限を持ち得ないセリアより、政治的に上位に立つ者が存在している。
それは強大な宮廷勢力を持つ派閥であったり、多大な実績を残した元老であったりする。そして法治国家である以上、法の執行が王族の権威より強い力を発揮するのは、ある意味当然であった。
己より上に、何かがある。それによって、自らの運命を決められてしまう。そう思うだけで、彼女は身が縮こまる。
つまるところ、セリアは自分がその場で最上位に立たなければ、気兼ねなく全力を尽くせない人間であるのだった。心が脆い、と言い換えても良いかもしれない。
「ではセリア殿下、席におつきください」
老人の声で、彼女は規定の席につく。会議室に群臣が集まり、これから善後策の話し合いが始まろうとしていた。
同席を求められたとはいえ、実際に意見を求められることはあるまいが、それでも彼女は王女である。蚊帳の外に置いて無視するには、少々大きすぎる存在なのであろう。
セリアはもう少し休んでいたかったが、会議までにはきちんと体調を整えていた。これは若さの特権、とでもいうべきであろうか。
「殿下の帰還を、喜んでばかりもいられませぬ。そろそろ現実に戻りましょう。具体的には、いかにして外敵から身を守り、国家を存続させたものか。……そのために必要なことを検討し、実行を決定する。今回の会議は、それが目的として開かれた物です。いささか性急ではありますが、まずそれを各自ご自覚いただきたい」
最初に発言したのは、ギルスター・フォード。今年で齢七十になる国の元老である。この会議では彼が議長となり中心になって議論を進め、同席している者たちで意見を出し合い、セリアが決を採る、という形になる。
ともかくギルスターという男には、それだけの権限を許される実績と、能力があったのだ。
「まさに。では、これより会議を始めましょう。引き続き、ギルスターより発言を許可します」
この場でのセリアは、絶対的な決定権が保証されているわけではなく、結果が出れば、それをもっともらしく容認する……という役割が、割り振られているだけに過ぎない。
彼女の見識には誰も期待しておらず、王家の承認を得る、という形式だけを重んじた処置と言えるだろう。単なる形骸とはいえ、正当性と名分はいつでも必要な物なのだ。
――下手に期待されても困るから、この扱いはむしろ妥当かな? それはそれとして、あのお爺さん。話に聞く限りでは、かなり有能で、頼れそうな感じだけれど……。
セリアにとっては、ギルスターは祖父の代からトリアに仕える重鎮であり、ぞんざいに扱ってよい人材ではない。何といっても、父が彼を信任してさえいれば、こうもひどい事態にはならなかっただろう――と、噂されるくらいの相手だ。
薄く、柔らかそうな白髪に、深く刻まれた皺。これらは単に老いを意味するものではなく、当人の気品と相まって、むしろ叡智と老獪さを感じさせる。その威厳というか、雰囲気がセリアは苦手だった。父が健在のときは、特に接する必要もなかったから、意識せずに済んでいたのだが。
「それでは、僭越ながら申し上げます。我々は今、ガレーナからの侵略を受けております。争いは我らの王から吹っ掛けた事なれど、これを理由に国を滅ぼされては、詫びのしようもない。領土の割譲程度で、この騒動を治めるのが上策かと思われますな」
「……それで、止まってくれるかしら? 侵略者はいつだって、強欲なものよ?」
「先王と同じく、ですな。……しかし、止めて見せますとも、セリア様。私はこの手の火消し役としては、年季が入っているほうでして。――伊達に責任を背負ってはおりません。まあ、その点は疑いなく」
ギルスターは、オルスの元では、地位を引き下げられた上、あの浅慮な王の尻拭いに奔走していた。だが、このたびの事変で宰相に復職し、この会議の責任者となっている。
ことの過程を大まかに述べるなら、セリアが暫定的な王権の継承が為された際、ギルスターの過去の功績を考慮し、緊急事態を処理させるために異例の復職――という形態になろうか。これは彼女が戦いにおもむく以前、父の死が確定した時、迅速に行われたことである。ギルスターの影響力、政治力は、それほどまでに強い。
何よりセリアに事態を収拾する能力がないならば、王権の代理人を立てねばならない。これは、それをかんがみた上での処置でもある。そして彼女としても、この彼の発言が事実であるなら、おおいに頼りにしたい所であった。
「じゃあ、それは疑わないことにするとして……貴方の発言を整理すると、『領土の割譲が許されるなら、戦争を終結させて見せる』ってことで、間違いない?」
「はい。あちらはかなり吹っ掛けてくるでしょう。――が、なんとか侵攻された領土の半分は取り返して見せますとも」
つまり、占領された国土の半分はあきらめよ、ということか。
半分も返ってくる、という受け取り方もあるが、セリアはあえて意地の悪い解釈をする。
一人の政治家として、判断するならば。こう理解するのが正しいように思えたからだ。
「それでよろしいのでしょうか。フォード宰相の案では、こちらが領土をあきらめねばならない。国家として、それに仕える廷臣として、これは承服できかねます。土地に関してだけは、決して退いてはならない。――でなけば、我々貴族は、何によって立てば良いのか。そこに住む国民に対しての、あらゆる義務を放棄してしまうような手は、決して許容できませぬ」
セリアの内心を代弁したような、この意見。
これを発したのは、カイル・アースランドという青年だった。鮮やかな金色の髪と、女子に持て囃されるほどの面貌。美男子の中でも、これほどの水準のものはまれであろうと思われるほど、完成度の高い容姿の持ち主である。
また、彼が外面だけの人間ではないことを、セリアは良く知っていた。彼とは、小さい頃に少し、交流を持っていたことがある。そのときから彼は、堂々たる美丈夫であったことを、彼女は思い出していた。
「この場に、単なる批判は必要ない。当然、代案は持ち合わせておろうな?」
「……戦うのです。我々にはまだ戦力が残されている。セリア殿下が、わざわざ骨を折ってくれたのに、それを活用しないままでは臆病者のそしりを免れ得ないでしょう」
一理あった。
最初から屈するより、戦いによって活路を見出す方が、まだ納得しやすい。禍根を残さない意味でも、ここで力を尽くした方が良いだろう。
セリアが知る限り、軍人たちにとって、戦わずして敗北することは何よりの恥といえた。下手に降伏すれば、思慮の足りない輩が下野、賊徒化し、反乱を企てるかもしれない。それを防ぐ意味でも、戦意がくじけるまで戦いを挑むというのは、意味のある行為だ。
ただし、勝算がなければ、やはりただの自殺行為。セリアは、その点をカイルがどう理解しているか。そこに興味を抱く。
「カイル、わしは代案を問うた。具体的にどう戦い、結果何を得ようとするのか。そこまで答えなくては、貴様の言に価値はない。――どうだ?」
「それは……」
「――ああいや、すまんな。その前に確認せねばならぬことがあるのを、忘れていた。王都の残存兵力と、偵察で得た敵の戦力について、報告があったのだったな? ……お互い話を進めようと、慌てすぎたようだ。まずは軍部からの報告を聞くべきであった。そうではないかな。うん?」
カイルの発言を途中でさえぎると、ギルスターは彼から顔をそむけ、別の席の人物に目をやった。
おそらく、その者が軍部から出向してきた、高級士官なのだろう。セリアは見覚えがなかったが、確かに軍人らしい服装の人物がそこにいる。
明らかに機会を逃したカイルは、半ば呆然とした表情のまま、かの宰相の言を聞いていた。そして我を取り戻した時には、すでに期を逸し、話題は別の方向へと流れていく。
――いやらしいことを、するものね。
議論の流れを切ったのもそうだが、その程度の情報であれば、あらかじめ通達しておくという手があったはずである。またそうでなくとも、議長なのだから、最初に自分の意見を述べる前に、情報の公開をすすめるべきだったのだ。
最初から異論が出るのがわかっていて、尚且つその意見の流れを封ずる為に、彼が情報の公開時期を遅らせていたとしたら――ギルスターは、とんでもなく陰湿な男であるといえよう。そんな意図もなく、ただ単に失念していただけ、というのであれば、まだ可愛げもあるのだが……。
「まず、我が軍が動員できる全兵力が、現状でおよそ三万。これが王都におけるトリア軍の限界です。地方の兵は、すでにあてになりません。掻き集めれば千か二千は寄越せるでしょうが、ただでさえ少ない拠点の守備兵をこれ以上引き抜いては、更なる外患を呼び寄せる可能性が出てきます。よって、この地に集中させた兵力だけが頼みとなります」
隣国はガレーナだけではない。弱った犬を打ち据えるように、第二第三の侵攻を呼び寄せる破目になっては、全てが御破算だ。
前述のギルスターの言葉が真実であれば、ことは二国間の外交でケリをつけられる。下手を打って、事態をさらに混沌とさせるのは、セリアの望むところではなかった。無論、それは他の群臣も同意見だろう。国内から援軍を調達する、という策は、この時点で破棄される。
「軍需物資は試算したところ、食わせるだけなら三年近くは大丈夫のようで。武具はいくらか不安がありますが、王都の鍛冶師に動員を掛け、質をある程度目こぼしすれば、思い切り消費しても一年から二年は持たせられるとのこと。……敵軍の兵力に関しては、先の戦で把握した限りでは、大体二万と少し。多くとも二万五千には届かないと見られます。ただ、今後増援が来ないとも限りません。補給拠点を増設し、攻城兵器を作成しているという話もありますが、詳細についてはまだ不明です」
貴重な情報である。セリアは聞き逃さないよう集中し、理解した端から頭の中に書き込んでいった。
食わせるだけなら三年、という事実は特に大きい。王都の中には、当然民間人もいる。彼らが使う分も含めて三年というのであれば、その備蓄は多大な物であろう。
彼女はまず、それだけの貯蓄を行った前代の王に(すなわち父に)、敬意を払おうと思った。あくまで事務的な好意であり、感情的なものではありえなかったが。
「参考までに申し上げると、オルス王がガレーナに攻め込んだ時の兵数が二万。次にセリア様を連れた負け戦では、一万六千。前者はほぼ壊滅状態で、重傷者を除いた生き残りが二割以下。後者は兵を吸収して帰ってこられたため、おおよそ三割強が生還し、都に配備しなおすことが出来ました。――つまり、こちらの全兵力のうち、五千名程度は、セリア様の功績になります」
余計な情報であると、一瞬セリアは判断しかけた。
だが良く考えてみると、ガレーナ軍はこの連戦を切り抜けるどころか、大勝して、侵攻さえしてきているのだ。
とすると……敵の消耗は、こちらと比べてどれくらい深刻なものなのだろう? 相対的にはこちらが大きいだろうが、敵の犠牲も皆無であるはずがない。
また遠征にかかる費用は、ガレーナの財政は、二連戦の後で長期攻城戦を行えるほど、充実しているのだろうか? そんなところにまで、意識が行く。
思考に浸っている間も、細かい報告が続けられていた。セリアはその残り全てを聞き流していたが、幸運にもそれは彼女に不都合を呼び寄せはしなかった。
「軍部からの報告は以上です」
その締めの発言で、ようやくセリアは我に返った。結果として、聞いてなくとも支障のない部分であったから、悪影響を残すことはなかったが、それで自身のうかつさを弁護できようはずもない。以後は気を引き締めねばならぬと、彼女は机の下で、密かにその手の甲をつねっていた。
――だめだめ、気持ちを強く持たないと。私は、自分に出来ることをやるって、もう決めたんだから。
まだ、話し合いは始まったばかり……というどころか、まだ方針の決定さえされていない状態だ。
長丁場を、覚悟せねばならない。セリアは改めて姿勢を正し、会議に付いていけるよう、努力を尽くそうとするのであった。
書き直す、体力さえ今は惜しい……。
最低限の部分は、見直して、どうにか修正しました。
ここからグダグダな会議が、長く続きます。これが他人であれば、その内容が面白ければ、私は楽しめたでしょうが……自分がやるとなると、どうも。
もっと、読者を楽しませる物書きになりたい。
……ああ、すみません。今の私には、これが限界です。
次回はおそらく、今月中に。よろしければ、見捨てずに、続きも見てやってください。――では。