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第一章 賊徒

 セリア・トランドは生命の危機に瀕していた。居心地の良い天幕から引き出され、草むらの茂みに押し倒されて、ナイフを首に当てられていた。自慢の栗色の髪も、草の上に広がって、土に塗れる。ここで少し刃を動かしただけで、自分は死ぬだろう。

 目の前の男の気分次第で、殺される。そんな立場に追いやられたのは、紛れもなく己の責任。その事実が、悔しかった。

「……よこせ」

 ナイフを付きつけた男がうめく。興奮しているのか、所々に負った傷が痛むのか、声がかすれている。何を要求されているのか、よく聞き取れない。

 なにより、自分が死ぬ、容易く命を奪われる。この状況が、彼女を現実から遠ざけていた。

「あ、う」

 どうにかしなければならないのに、生き延びたければ、抵抗しなくてはいけないのに。

 けれどもセリアはなすすべもなく、突きつけられた刃の鋭さと、暴悪なまでに歪んだ男の狂相ばかりを見つめていた。

「聞こえなかったか?」

 男は血に塗れた顔で、穏やかに問い直す。どうやら、答えるまで生かしてはくれるらしい。

 されどこの体勢で、多少の情けがなんになろう。彼女はなおも沈黙したまま、震え続ける。

 男が焦れていたのは間違いないが、現状を維持するにも限度がある。改めて、確かめるようにゆっくりと、彼は言った。

「指揮権を、よこせ」

 指揮。そう言われて、彼女はようやく思い出した。たった一時の、死の恐怖。それが彼女から使命と義務を忘れさせていたのだ。

 セリアは王族であり、この戦場に兵を伴って、敵と対峙していたはずなのである。今やその兵も残り少なく、傍にはべる者は一人残らず逃げ出したが、戦闘自体が終了しているとは、彼女には思えない。近くに、まだ味方が残っているはずなのだ。

 時間を稼げば、誰かが駆けつけてくれるかもしれない。そうすれば、この男を撃退することも、可能ではないか。

「俺に、兵を指揮する権限をよこせば、助けてやる。どうにもならない、クソッタレな負け戦をひっくり返して、お前に勝利の栄光を捧げてやるさ。――どうだ?」

 数秒もの間、セリアは彼がなにを言ったのか、理解できなかった。単なる脅し文句ではなく、むしろ自分にとって都合の良い事を、男は要求していないか。

「なによ、それ。……あれ、でも」

 その言葉が、セリアを冷静にさせた。言われたことが理解できなかったから、落ち着いて、考えようとしたのだ。……豹変した態度に、助けてやる、という言い方。これの意味する所は、一つ。

「私の味方に、なってくれるの?」

「そうでなきゃ、こんなこと言わねぇよ」

「これまで散々、私の兵を殺しておきながら? 元の仲間を裏切ってまで?」

「兵の損害なんぞ忘れろ、割り切れ。どの道、お前一人守りきれなかった連中だ。……あと、裏切りと言うが、俺にとって本当の仲間は一人だけだ。寝返ったところで、心も痛まん。詳しいことは、そのうち話してやるよ。で? 返答は」

 彼はつき付けていたナイフをしまい、敵意が失せたことを証明する。これで、差し迫っていた命の危険も、とりあえずは過ぎ去った。彼がなにを考えているのかはわからないし、自分に敵対していたことも忘れていない。けれど。

「本当に、いいの? 私を捕まえて、手柄にした方が簡単だと思うけど?」

「お嬢ちゃん、いいか? 俺みたいな一兵卒が、巨大すぎる手柄を立てたところで、得られるのは一階級の昇進と、ちょっとした報奨金ぐらいだ。本当の名誉は、俺の上にいる連中が横取りする。それが世の常ってモンでね……勝者に付いて、しみったれた報酬をもらうより、敗者に賭けて、大きな実績と栄誉を賜りたい。俺が考えているのは、そういうことさ」

 ちゃんと、利害を考えての行動であるらしい。だとしても、いささか賭けの要素が強すぎて、信用しにくい。少しでも計算の働く人間なら、手堅く動くはずである。ここであえて変節し、敵側に回ることは、以前までの信用を無くすことにもつながる。

 それがわからぬほど、馬鹿にも見えないが――それほどセリアが魅力的に写ったのだろうか。しかし、そう考えてもなお腑に落ちない。セリアは探りを入れる意味でも、恨み言を率直に吐いた。

「だったら、初めからナイフを突きつけることなんて、しなくてもよかったじゃない。本当に殺されるかと思ったのよ? 怖かったんだから、泣きそうになったんだからね?」

「へぇ? 脅さなくても、すんなり話を進めてくれたってのか? こいつは笑える。一応俺は、お前の命を盾にとって、報酬を要求したわけで……わかんないかねぇ?」

 男は謝罪しない。それどころか彼女の怒りを煽るように、挑発的な態度を取った。

「何がよ!」

「言い訳を用意させてやったんだよ、俺は。お前は脅されて仕方なく、雑兵の俺に権限を与えるんだ。それで失敗しても、任命責任はお前にはない。全て収まった後で、罪を問えばいいさ。生きて帰れたらな。――こうでもしなけりゃ、雑兵が成り上がる術はねぇだろ? 体面もあれば規則もあるんだから」

 確かに、まともな状況であれば、目の前の無法者が兵を率いることなど、そうあるものではない。


――もし彼が、親切丁寧に、私に接してくれたとして……。私は、こうも容易く、話を進められたかしら。……まあ、ちょっとは考えたかもしれないけど、即答はしなかったでしょうね。きっと。


 とすると彼は、もっとも手っ取り早い方法で、権勢を得たことになる。しかし問題は、セリアの権威付けがなければ、男は力を振るえないと言う所にあった。

 演出が、必要になるだろう。それをつつがなく終えたとしても、彼が指揮権を維持する為には相応の働きが必要であることはいうまでもない。

 これは、上手くすれば自身の利益にもつながるのではないか……。

 とっさのことで、あまり思考が進まないが、セリアが選べる選択は、そう多くない。特に、この抜け目ない男を使わずに生き延びることは、至難であると思われた。

 ならば、どこまでも彼の野心を利用する方向で、動くべきである。そんなに栄華を誇りたいなら、好きなだけ手柄を立てさせてやればいい。結果として、セリアは生き残ることが出来るだろう。

「わかりました。では、お願いします。……私を、助けてください」

 率直に言って、味方が足りない。敗北の真っ只中にあるこの状況では、そもそも男の申し出を断る方が難しい。彼の目を見返して、セリアは懇願した。これを見ると、男は口の端を吊り上げて、邪悪に微笑む。

「決まったな。思っていたより、腹が据わっている。しかも案外冷静じゃないか? 普通、良家のお嬢様は、こういうときには状況もわきまえずに泣き叫んで、現実から逃避するもんだぜ?」

「そういう御目出度い女を『お嬢様』というのなら、私は違いますわ。……少なくとも、そんな可愛げは、今の私には必要ない。お望みなら、もっとしおらしく致しましょうか?」

「結構、阿呆でなくて何よりだ。……ああ、それから俺に対しては、下手に出る必要はない。平然としていろ。敬語なんざもってのほかだ。でないと、俺の方が疑われるからな」

「そう、わかった。……一応、礼は言っておくわ。見返りも、考えておくから」

 男の野心に利用されるだけの、この状況。どうやっても彼を拒絶する手は、選べないが……せめて気迫だけでも負けまいと、正面から見返した。

 そうして見ると、今まで男の容姿など気にもしていなかったが、よく確認すれば、なかなか悪くない顔である。

 刺々しく、硬そうな黒髪が肩まで伸びているが、眉目を隠すほど収まりは悪くない。その瞳は鉄色で、全体の印象からか、猛禽のような鋭さまで感じさせる。しかし鼻から口元、そして顎の曲線に至るまで、当人の凶暴さとは裏腹に、上品なまでに整っていた。

 体躯は筋肉質だが、どちらかといえば細身の部類だろう。返り血もこびりついているが、嫌悪を抱くほどではない。肌から垣間見える細かな傷跡は、この戦場で負ったものか。痛々しくは思うが、これを弱さの証明とするには、彼は生気に満ち溢れすぎていた。鎧の防御より機動を重視した軽装のいでたちは、より印象深い。

 これで気品さを備えていれば、貴族といっても疑われぬであろう。それほどまでに、素晴らしい男振りであった。

「了承したと、受け取るぞ。いいな? 君主と将が深い絆で結ばれているように、俺がお前の傍で兵を指揮することは、当然なんだと。そう皆に意識させろ。その権威を、俺が利用させてもらう」

 呼びかけられて、はっ、とする。

「わかったら、立て。ほら」

 彼に手を貸してもらい、セリアはよろけつつも、自分の足で立ち上がった。服に草が付いていたので、ついでに払う。汚れてはいるが、正装としての見栄えまでは損なわれていなかった。虚勢に過ぎないが、体裁を整えるだけで、自分に降りかかった災難を退けた気分になる。

「おい」

「なに……って、あ」

「ほら……顔、泥が跳ねてたぞ。女なら、自分の器量にはいつも気を配っておくもんだぜ?」

 どこから取り出したのか、男はハンカチでセリアの顔を拭いた。誰のせいだと思っているのか、と言い返してやりたかったが、とっさの出来事だったので、拒むことも出来なかった。

「よし、綺麗になった。――なんだ、案外可愛い面をしてるじゃないか。その顔で哀れみをこえば、男はたまらず庇護欲を掻き立てられるだろうよ」

 セリアは、己の外見に自信がないわけではなかった。十七歳という年齢は、未熟ではあっても、女性としての瑞々しさに溢れた年代である。

 平均より一回り小柄な身長に、この年齢としては最上といってよい、肉感的な魅力を備えていた。それでいて体全体の調和が保たれており、不自然さを感じさせない。顔の造形も、子供から大人へと脱皮していく、その段階における未完成の美しさが現われていた。セリア自身、同年代の少女たちと比べて、頭一つぬきんでているという自覚くらいはある。

「ま、兵を鼓舞するにはうってつけだろう。その可憐さは一つの武器だ。せいぜい、有効に活用させてもらうとするか」

 しかし、男にとっては、利用価値を見出す程度の代物に過ぎない。それがどうも、気に食わなかった。

「……そう。それは良かったわね」

「まったく好都合だ。――ああ、そういえば、自己紹介もまだだったな。俺の名は、シュウ。元盗賊の傭兵で、さっきまでは一兵卒。そして今は、お前の将だ。今後とも、よろしく頼むぜ?」

 シュウ。その名を、セリアは心に刻み付けた。好意を抱いた、というわけでは、おそらくない。

 きっと、彼の名は、生涯忘れられぬ物になるだろう。そういう予感が、あっただけだ。

「シュウ、ね。私は――」

「セリア・トランドだろ? 西の強国、トリアの王族で、現状では二番目の王位継承者。周辺の国家と違って、トリアには女子が王位を得た歴史がある。だからこそ、庶子の姫でも権威は認められるんだろう。――少なくとも、前線に持ってくれば、兵の奮起くらいは期待できる程度には。違うか?」

 セリアのような少女でさえ、戦を厭わず出てきているのだ。いくらかでも外聞を気にする男であれば、これを放置して敵前逃亡など、なかなか計れるものではない。

 直前に手痛い負け戦を経験し、余裕を失ったトリアは、こんな下策でも試さねばならぬほど追い詰められていた。彼女がこれを受け入れたのも、その現状を知っていたからだ。

「ええ、まあ、合ってるけど。……そういえば、強国だったのよね、トリアは」

 シュウの言葉は正しい。事前に調査していたのは、間違いあるまい。彼がセリアをさえぎってまで、説明的な口調で話したのは、この調査力を強調したかったのか。

 だとしたら、妙に自己主張の強い男ではないかと、セリアは思った。もしかしたら、彼の行動は突発的なものではなく、計画的なものであったのかもしれない。流石にこの場で追求しようとは思わないが――。

「その強国も、ちょいと前の大敗と、今日の負け戦でどうなるのかねぇ? 一度落ち目になれば徹底的に叩かれるのが、世俗の常識ってもんだ」

「……あいにく、俗世には、うといの。それでも、貴方が常識外れの人間だってことはわかるけど」

 厳しい顔で、彼女はシュウを睨む。その意図を彼は正しく理解し、答えた。

「ああ、信用しろ。――ともかく、生き残ることだ。富貴を楽しむにも、喧嘩を売るにも、命がなければどうしようもない。勝つ算段は、その後だな」

「出来るものなら。……あてはあるの?」

 一旦思考を打ち切って、セリアはシュウに問うた。彼の行動原理など、今は詮索している暇などない。

「手はある――が。その前に、体調はどうだ? 気分は悪くないか?」

「何よ、いきなり気持ち悪い。……別に、けがをしている訳でもないし。それより、本当に大丈夫なんでしょうね?」

 なにも考えずに行動を起こすほど、シュウとやらは阿呆ではあるまい。当然、これからの動きについて、ある程度は目算を立てているはずだった。そうでなければ、セリアは愚か者を頼った事になる。それだけは、認めたくないことであった。

「まあ見ていろ。――さて、良い頃合だ。まずはあいつを呼び寄せるか」

 シュウは、懐から小さな笛を取り出して吹いた。長く、そして高く響き渡る音に、耳を塞ぎたくなる。

「それ、緊急連絡用の……あれ? でも、それっていつ手に入れたの? しかもその合図、『ここに集え』ってことよね。敵の存在が確認されていない、行軍中にしか使わない合図なのに」

「物は使いようってな。敵も味方も、今の音には気付いたろう。総退却の前に一働きしないと、今後に響く。――敵の軍勢が迫るのが早いか、仲間が兵を掻き集めて来るのが早いか、運試しと行こうぜ?」

 敵には、今の音がなにを意味するか、理解できていないはずである。だが、異変を感じ取って、探りに来る可能性はある。現状、セリアの傍にはシュウと、交戦中の兵士しかいない。充分すぎる戦力を持って、戦闘を前提とした偵察隊に来られたら、その時点で終了だ。二人とも、生きては帰れないだろう。

「ここで運に見放されるようじゃ、どうせこの後も上手く行かんさ。覚悟を決めたのなら、最後まで付き合えよ?」

「……家に帰って、昼寝でもしたい気分ね」

「果報を待つにはまだ早いな」

「やけになってるのよ。わかりなさい、それくらい」

「俺を信用してくれるんじゃなかったのか? わかれよ、それくらい」

 そうして、二人は待った。賭けに勝ったことを知るのは、ほんの数分後のことであったが、それまで生きた心地がしなかったというのが、セリアの正直な気持ちであった。



 あらすじについて。

 ついカッとなってやった。まだ反省はしていない。


 ……失敬。筆者の陸です、こんばんは。でも嘘は書いていないので、きっと問題ないでしょう。

 こんな小説を書くようになった、そのきっかけは。最初、単なる思い付きでした。

 「指揮権をよこせ」という冒頭のやり取りが、全てです。これを書きたかっただけで、後は全部その場のノリ。おおまかなプロットの他は、後で整合性をつければいいや、という程度の考えで、執筆しています。ですから、割とひんぱんに改訂が入るかと思いますが、出来れば気にしないでやってください。


 正直、この作品を書いた「きっかけ」からして、あまり褒められた物ではないかと思いますが……せっかく書いたのだから、見て欲しいという思いがありました。

 それをどうにも押さえられず、こんな形で公開する事になりましたが、読者の皆様を楽しませる内容になっているかどうかは、自信がありません。


 初投稿の上、この通りの未熟者ですが、温かく見守っていただければ、幸いに思います。

 続けて投稿する予定ですので、今しばしの間、彼女らの物語をご堪能ください。

 では、また。

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