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キャストリン、呪いに目覚める



 ◇



 叔父夫婦が家に来てから、私の生活は一変してしまった。

 私の両親は子宝に恵まれなかったから、一人娘の私を大切にしてくれていた。

 私にとってはその日々はごく当たり前のものだったけれど、奪われてはじめて私は幸せだったのだ、愛されていたのだと気づくことができた。


 あの事故のあった日。

 両親は二人きりのデートを楽しむために、私を置いて街の劇場へと観劇に出かけた。

 その帰り道である。

 夜道を走っている最中、ちょうど街の中心にある運河にかかるエルダル大橋を抜ける時。

 馬車道の上に運悪く、大きな石があったらしい。

 

 夜道だったせいもあり、御者はそれに気づかずに橋を通り抜けようとした。

 不運というのは重なるもので、偶然石が落ちていて、偶然、馬車の点検を怠っていたのか、車輪が外れかけていた。


 そう──ただの偶然。それは、事故だった。

 車輪は石に乗り上げた。元々緩んでいた車輪は、その衝撃で外れてしまった。

 一輪を失った馬車は蛇行し倒れて、偶然それはエルダル大橋の上だったものだから、馬車はそのまま運河に落ちた。


 偶然が三つ重なったら必然になる、なんて、よく言ったものだけれど。

 

 両親の遺体が運河から引き上げられたのは、朝になってからだった。

 とても無残な状態だったらしく、私は会わせてもらうこともできなかった。


 まるで、世界から唐突に、両親がホットミルクから立ち上る湯気のように、ふわりと霞んで空気に溶けて、いなくなってしまったみたいだった。


 一人公爵家に残されたまだ十歳の私には、公爵家を継ぐことなどできないだろう。

 私のためだと言って、叔父夫婦と娘がやってきた。


 叔父夫婦は最初から私のことなど歯牙にもかけず、盗人から公爵家を取り戻したと言って、私を屋根裏へと追い払った。

 私を哀れみ意見をしてくれた使用人たちを全て追い出し、私をいじめた者たちを優遇しはじめると、今まで私に頭を下げていた使用人たちがこぞって私を無視したり、蹴ったり、転ばせたりするようになった。


 満足な食事もなく、外に出ることも許されず、まともに教育を受けさてももらえない日々。

 叔母は常に馬用の鞭を持っていて、私が何か言えば、それで私の背を打った。


 暗く寒く、埃っぽい屋根裏部屋で縮こまりながら、私は亡きお父様とお母様を思い出して、よく泣いたものだ。

 背中も痛かったし。

 痛いのは嫌いだ。鞭で叩かれると、背中がひりひりして眠ることもできない。


 そんな生活を五年していた。

 十五歳の時に、ルディク様の婚約者になり、私は救われるのかと少し思った。

 

 ルディク様と私の結婚を決めたのは、今は亡き前王様。

 私はよく覚えていないけれど、お父様と前王様は、親しくされていたらしい。


 でも、ルディク様との婚約が決まっても、私の生活は変わらなかった。

 ルディク様は我が家に来ても、暗い私には見向きもせずに、マチルダとばかり話していたし、私のことはまるで路傍の石でも見るような目で見ていた。


 マチルダはルディク様に、私がいかにひどい女かを話していたし、ルディク様はそれを信じた。

 あぁ、やっぱり駄目なのだわ。

 私は、幸せになんてなれない。


 だとしたらいっそ、亡くなったお母様のところへ行きたい。

 

 そう思い私が屋根裏の窓から身を投げて死のうとしたのは、十六歳の時。

 あの日のことはよく覚えている。

 寒い寒い冬の日だった。

 冬の空気は澄んでいて、開け放った人一人が通れる程度の大きさの小窓からは美しい星空がよく見えた。

 吹き込む空気はどこまでも冷たく他人行儀で、私の悲しみや苦しみを少しも癒してなどくれなかった。


 ところどころにほつれのある寝衣を一枚着ただけの私は、寒さにかじかむ指で窓枠を掴んで、窓の縁に足をかける。


 もっと早くこうしていればよかった。

 そうしたら、痛いことも、苦しいことも、早く終わったのに。


 こんなに長い間、みじめな思いをしなくてすんだのに。

 

「お父様、お母様。今、私もそちらに行きますね」


 死後の世界があるのなら、私はまたお二人に会えるかもしれない。

 ここには私を大切にしてくれる人は、一人もいない。

 ルディク様も私を嫌っている。社交界では私はマチルダをいじめる悪女だと思われている。

 マチルダは叔母のように鞭を持つようになり、何かあれば笑いながら私の背を打つ。

 口答えも、抵抗も、する気力さえ今の私には残っていない。


 本当に、みじめだ。


 ここから落ちたらきっと、楽になるだろう。

 全てから解放されて、私は、楽に──。


「おやめなさい」


 声が響いたのはその時だった。

 今まさに飛び降りようとしている私の目の前に、ふわふわと浮かんでいる黒猫の姿。


「猫……?」

「世界を呪い恨み死を選ぶ。あなた一人が消えるだけ。あなた一人が消えてたとしても、世界は何も変わらない」

「そんなことは、わかっています。恨みも呪いも、今の私には……」

「恨み憎み怒りなさい。あなたが一人が消えることと、この国のすべての人間が消えること。それは、同じ」

「同じではないです。私が消えることと、他の人が、死んでしまうことは違う」

「あなたを救わぬ、助けぬものたちなど、いくら死んでもいい」

「な、なんて過激な猫ちゃんなの……」


 私は危険思想を持つ猫ちゃんのおかげで、窓から落ちずにすんだ。


「死を選ぶことができるのなら、死んだつもりで生きなさい。死んだつもりで生きれば、あなたはなんでもできる」

「そうでしょうか……」

「私は、一つだけあなたに力を与えよう」


 私は猫ちゃんを連れで屋根裏に戻った。

 いつの間にか、屋根裏の床に一冊の本が落ちていた。


「学びなさい。それは呪い。呪いは魔法。魔法は力。あなたの力になる」

「猫ちゃん、あなたは一体誰なのですか?」

「私は、マリーン。それが私の、本当の名前」


 それから、猫ちゃんはもう喋らなくなってしまった。

 私は猫ちゃんを、マリちゃんと呼ぶことにした。

 一人きりの私にとって、マリちゃんの温もりがあることはありがたくて、薄暗く寒々しい屋根裏もちっとも寒くなかった。

 それから数日間、私は本を読み耽った。


 黒の書という名前のその本には、魔女の話が書かれていた。


 かつてこの国には、白の魔女と、赤の魔女と黒の魔女がいたこと。

 彼女たちは不思議な力があり、それは魔法や呪いと呼ばれていた。

 奇跡を起こすのが、魔法であり、祝福。

 そして、死や不幸を呼び起こすのが、呪いであり呪具。


 負の力や感情が土地に溜まると、植物や動物に呪いが貯まる。その溜まった呪いを成形して作り出したのが呪具。

 その呪具や、変性した植物や鉱物や動物などを使用して、作られるのが魔道具。


 私はすっかり、呪いの虜になった。

 そんな不思議な物がこの国にあるのなら、見てみたい。


 マリちゃんが私に知識を与えてくれた。

 死んだつもりになって生きる。

 

 そうね。やってみよう。このまま死ぬよりは、少しでもいいから、楽しいことをしてみたい。






お読みくださりありがとうございました!

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