婚約記念パーティー
両手の中に現れた黒猫のマリちゃんを撫でると、ごろごろ喉が鳴った。
今日からマリちゃんを隠すことなく一緒にいられるのね。嬉しい。
「シェイド様、私の隣が空いていますよ。ソファです。座ってください、どうぞ」
「いい」
「遠慮なさらず。座り心地抜群、クッションもふかふかです。お茶をいれますから、飲みましょう? お菓子もご用意しますよ」
「……どうやって」
「こうやって」
ぱんっと手をたたくと、姿見が現れる。
姿見の向こうには、街の風景が広がっていた。
「これは、商業都市グランベルトに繋がる鏡です。商業都市グランベルトは、王国の中でも一二を争うオシャレ都市でして、流行の最先端でもあります。こちらに行けば、基本的にはなんでも手に入ります」
「……行ったことはないが、街があるのは知っている。オリヴァー・グランベルト侯爵の治める街だな」
「はい。オリヴァー様はもうご隠居なさって、今はご子息のオーレル様が後を継いでいますね。それから、商船団を率いるジルスティート商会があります」
「詳しいな」
「はい。私の商品を卸していましたので」
「……いい加減、お前の素性を話せ。その猫はなんなんだ」
私はソファの、私の隣をぽんぽんと叩いた。
「私のことなどどうでもいいのですが、私の大切なシェイド様のお願いは断れません。お話ししますが、つもる話は、お茶を飲みながらにしましょう。こちらにいらしてください」
「お前は忘れたのか。私に触れると──」
「重々承知です。触れなければいいのです。隣に座るだけなのですから、体が触れ合うわけではありませんよ」
「……怖いだろう」
「全く、これっぽっちも、爪の先ほども、怖くないです。さぁ、こちらに。いつでも紅茶ポットと、永久保管箱に溜め込んでいたお菓子でおもてなしをさせてください」
私はテーブルの上に、観葉植物と小鳥の置物を置いた。
私の隣にはマリちゃん用のクッション。
マリちゃんは「なぅ」と鳴いて、クッションの上で丸くなった。
ティーカップを二脚とティーポット。ティーポットを持ち上げて紅茶を注いだ。
いつでもどこでも美味しい紅茶が飲みたいという魂の欲求から作り上げた、どんなところであろうとも、そこが戦場であろうとも傾ければ美味しい紅茶をそそぐことのできるティーポットである。
ティーカップに琥珀色の液体がなみなみと注がれる。
ケーキスタンドには、どれほど僻地に探索に行ってもいつでも美味しいお菓子が食べられるように、物体の時間を止められる永久保管箱に溜め込んでいる、マカロンとカップケーキ、チョコレートや生ハム、レバーのパテを塗ったバゲット。オリーブやチーズ。
「あっ、今日は結婚祝いです。でも、ぼろぼろの花嫁衣装じゃ雰囲気が出ませんね。ちょっと待っていてくださいね」
お茶会の準備が整ったところで、私は自分の姿を見下ろした。
ぼろぼろのお洋服と髪では、いけないわよね。花嫁なのだから。
「旅人の香水」
お風呂に入れない時でも清潔でいたい乙女心の欲求を満たすために作った香水を手にして、中の液体を体に振りかける。
私の体はスッキリ綺麗に。ぼろぼろだったドレスも新品のように綺麗に。髪も艶々サラサラとなった。
先ほどから訝しげな顔で私を眺め続けているシェイド様に、淑女の礼をしてみせる。
「さぁ、これで綺麗になりました。ハレの日に、ぼろぼろというのはよくありませんものね。シェイド様、せっかくなのでお酒を飲みますか? 葡萄酒もありますし、麦酒も、樽酒も各種取り揃えていますよ。さぁ、こちらにどうぞ。怖くないですから、ね?」
「私はお前を怖がってなどいない。お前が私を」
「だから、怖くないですって! むしろ好きです! 呪いに塗れた王子様なんて、最高じゃないですか……!」
「……はぁ」
シェイド様は深々とため息をついて、渋々ソファに座ってくれた。
私も隣に座ると、シェイド様の前のお皿にお菓子を取り分けておいてみる。
食べようとしないので、今度はお皿を手に持って、ぐいぐい勧めてみる。
「美味しいですよ、シェイド様。毒とか、入っていませんのでご安心を」
「疑ってなどいない」
「じゃあ遠慮を?」
「そういうわけではないが……」
「じゃあ食べましょう。はい。どうぞ。あーん、ですよ。はい、お口を開けて」
「……馬鹿なのか、キャス。近づくな」
「はい、あなたのキャスは、あなたにちゃんと触らないように気をつけています。フォークごしなら大丈夫なのでは? 試してみましょう、気になりますもの」
フォークに刺した生ハムを、シェイド様の口元に押し当ててみる。
諦めたように開かれた口には、綺麗な歯と赤い舌がのぞいている。
その中に生ハムをそっと入れた。フォークごしでは、私の指先は切れたりしなかった。
あくまで、呪いが適応されるのは皮膚と皮膚との触れ合いに限定されるみたいだ。
黒の魔女は何を考えていたのかしら。
シェイド様に誰も触れないように、誰にも触れられないようにする呪い。
美しい容姿と賢さと賢王になるほどの人格者にうまれることが祝福で、触れられないのが呪いだとして。
まるでそれは、鋭い棘をもつ荊の中に埋もれた黄金の果実のようだ。
「大丈夫でしたね」
「……あぁ」
「美味しいですか?」
「……美味しい。……とても」
「よかった」
私はシェイド様のために、グラスを取り出して、秘蔵の『悪魔の誘い』とラベルに書かれた葡萄酒のボトルを取り出した。
その葡萄酒を、グラスにそそぐ。
「シェイド様、この葡萄酒は私が趣味で行っている呪物集めの時に手に入れた、五百年前に海に沈んだ呪いの沈没船から引き上げてきた箱に入っていた葡萄酒でして。皆が気味悪がっていらないというのでもらいました。特に呪われていませんのでご心配なく」
「……もう、私にはお前がよくわからない。屋根裏にいたり、商売をしたり、沈没船から葡萄酒を手に入れたり、平然と、私の隣に座ったり」
「では、私の話をしましょう。退屈な話ですが」
「聞かせてくれ」
シェイド様はもう不機嫌そうじゃなかった。
グラスを手にして口につけて傾ける様は、まるで呪詛の王、みたいだった。
呪詛の王ってなんなのかよくわからないけど。今私が、勝手に作った言葉なので。
お読みくださりありがとうございました!
評価、ブクマ、などしていただけると、とても励みになります、よろしくお願いします。