終章:とける呪い
ルディク様やマチルダ、叔父夫婦は、フィエル様やオリヴァー様の指示のもと、捕縛されて連れていかれた。
あれだけ沢山いた兵士たちも、もう勝ち目はないと悟ったのか、それともルディク様に対する忠誠心などはじめからなかったのか、抵抗もせずにつれていかれる。
すっかり誰もいなくなった街は、いつもどおりの静けさを取り戻していた。
フィエル様やオリヴァー様がうやうやしく私たちに礼をして、後処理のためだろう、兵士たちをつれて街へと戻っていく。
私は星空のしたで、しばらくぼんやりしていた。
シェイド様は静かに、私の隣に浮かんでいる。
私のつくった街の街灯は、眼下にもう一つの星の海があるようだった。
空にも、地上にも星がある。
呪われていると言われていたこの場所が、これほど美しく変わった。
そして、その星の海の中に佇むシェイド様も、とても、綺麗。
「キャス。大丈夫か」
「はい。大丈夫です」
「……両親が殺されたことに、気づいていたんだな」
「……心のどこかでずっと、疑っていました。何の証拠もありませんでしたけれど。馬車の事故なんて――慎重なお父様が、馬車の点検をさせるのを怠るなんて、考えられないことでしたから」
シェイド様は私に手をのばそうとして、やめた。
「……君を慰めるために、抱きしめることもできないのだな、私は」
「シェイド様」
「あぁ」
「私は私の、心のままに」
ジョセフィーヌお母様の言葉を私は反芻する。
私は自分の心を、ただ信じればいい。
私は、呪いが好き。呪われたシェイド様が好き。シェイド様が――好き。
「あなたが、好きです」
「キャス……」
「だから私、抱きしめられたい。手を繋ぎたい。撫でて欲しい。もっと、そのほかももっと、たくさん」
「私も――君を愛している。君に触れたい。髪に触れたい。頬に。首に。腹に。足に。……唇を重ねて、舌を。食べてしまいたい」
シェイド様の熱を帯びた声に、体が震えた。
私はシェイド様に手を伸ばす。シェイド様は首を振る。近づくことはできないと。
「お願いです。きっと、大丈夫。私は――あなたの呪いを解く」
だって――。
「呪われた王子様の呪いを解くのは、いつだって真実の愛と、口づけなのですから」
シェイド様は、苦しげな顔で悩んでいた。
私はクイールちゃんに乗って、すいっとシェイド様に近づく。
マリちゃんが私の体の上から避けて、クイールちゃんの頭に乗って体を丸めた。
「シェイド様」
至近距離で顔を見つめる。吐息が触れるほどに近い。驚くほどに整った顔に、黒い蔦が巻き付いたような紋様。長い睫毛に、長い髪。シェイド様をかたどる全てのものが、愛しい。
促すようにして名前を呼んだ。
はじめて、するのよ。
だから――できれば。
私からじゃなくて、シェイド様からしてほしい。
もちろん私からでもいいのだけれど、これはちょっとした乙女心だ。
「キャス……」
長く逡巡していた。
触れることで傷つけることを恐れているのだろう。
シェイド様は優しいから、自分が誰かを傷つけた時に、傷を受けた人よりもずっと自分が痛みを感じるのだろう。
一緒に塔ですごすようになってしばらくたったけれど。
慎重すぎるほどに慎重に、私に触らないように過ごしてくれていた。
でも、触れたい。
呪いのせいで、シェイド様に触れないなんて嫌だ。
傷ついてもいい。唇が切れてもいい。意地悪な呪いを解きたい。シェイド様に、触れたい。
「……っ」
そっと唇が触れる。
ぴりっとした痛みが走った気がした。血の味がしたような気もする。
けれど私は、離れようとしたシェイド様の体に手を回して、ぎゅっと抱きついた。
あなたが好き。好きだから、触れたい。
私はなんでもできる。死んだつもりで生きろと、お母様は私に言ったのだから。
「――は」
何かが、私の体に流れ込んできたような気がした。
唇をはなす。シェイド様の愛しさと不安が入り混じったような瞳と目があった。
私は無事だ。怪我もない。
痛みも感じない。
シェイド様の体から、するすると蔦の模様が消えていく。皮膚の上を這うようにして、動いてあつまり――シェイド様の体に絡みついたそれは蔦の冠となった。
その冠が、シェイド様の髪へと絡みつく。
絡みついた冠から、小さな白い花が咲いた。
「まぁ……可愛い」
「これは、なんだ。……呪いがとけたのか?」
シェイド様は頭の冠に触れる。けれど、引っ張っても何をしても、冠は外れなかった。
「新たな呪いにかかったように思える」
「私は願いました。シェイド様に、皆を守れる力を残して欲しいって」
私はシェイド様の手に触れる。手を繋いでも、私の手が傷つくことはもうない。
あたたかくて大きな手だ。
思ったよりもごつごつしていて硬い。私よりもずっと指が長くて、大きい。
「呪いは、祝福に。……黒の魔女キャストリンからの祝福です、たぶん、きっと」
シェイド様は繋がれていない方の手のうえに、炎をともして、すぐに消した。
「呪いの力がまだつかえる。……そうでなければ、私はここから地面に真っ逆さまに落ちていただろうな」
「力を残したのは嫌でしたか」
「君を守ることができる。たとえば――私には他の女性が相応しいなどと言って、どこかに飛んで行ってしまう君をおいかけることができる。それは嬉しい」
「逃げませんよ」
「わからないな。だが、私は君がどこに行ってしまってもおいかけて、連れ戻す」
「シェイド様は……恥ずかしいことを言います。そういうことを、言わなそうな感じがするのに」
なんだか急に恥ずかしくなってしまって、私は俯いた。
唇に、触れ合った感触が残っている。
少し痛くて、柔らかくて、それから。
胸のうちがわから、花がさいて体がいっぱいになるぐらいに、幸せだった。
「嫌か?」
「嫌じゃないですけれど……呪い、とけましたよ、シェイド様。何かしたいことはありませんか?」
呪いのせいで塔にこもっていたのだ。
シェイド様はこれでどうどうと、街を歩ける。食べ歩きだってできるし、皆とお酒を飲むこともできる。
「そうだな――」
少し考えるように黙ったあと、シェイド様は微笑んで、繋いでいる私の手を引いた。
クイールちゃんから空に放りだされた私を、シェイド様はしっかりと抱きしめる。
体一つで空に浮いているのが信じられなくて、私はシェイド様にしがみついた。
「もう一度、君に口づけたい。それから、初夜も――」
「シェイド様……っ、ん……んぅ……」
そういうはしたないことを聞いたわけではないのだと狼狽える私の唇は、やや強引にシェイド様によって塞がれたのだった。
ルディク様たちは、目覚めることがなかった。
今まで苦しんでいた人たちの呪いを一身に受けたようにうなされ続けて、次第に衰弱していって、やがて息をひきとった。
私はその姿を見ていない。シェイド様から聞いた話だ。私は見なくていいと言って、最後まで会うことはなかった。
ルディク様がいなくなり、王国はかつての日常を取り戻しつつある。
私とシェイド様は城に移り住み、塔に避難していた人たちは、自分の家に帰ることができた。
オリヴァー様やアベルさん、フィエル様はシェイド様のよき友人として配下として、シェイド様を支えてくれている。
アルスターの監獄は辺境の隅にあり、王都にするには立地条件がよくなかったのだ。
けれどせっかく街ができたのだからと、今では街に残った人々が観光都市として街おこしをしている。
そこにはもう呪われた王子シェイド様はいないけれど。
国を救った英雄としてのシェイド様に感謝の祈りを捧げるために、塔を訪れる人たちは結構沢山いるらしい。
私とシェイド様は正式に婚礼の儀式を行った。
シェイド様は賢王として称えられ、私は――国を守った魔女として、黒の魔女ではなく、人々から『スノードロップの魔女』と呼ばれるようになった。
これは、シェイド様の頭の花冠に由来している。
シェイド様は取れない花冠については、「キャスが似合うというのなら、これでいい」と言っている。
呪いの力を持ったシェイド様と、魔女の私。
私たちの子供はきっと、強い力を持った優しい王になるだろう。
でも今はまだ、シェイド様と触れ合えるようになった日々を楽しみたい。
私はシェイド様と手を繋いで、お部屋のバルコニーで夜空を見上げている。
シェイド様は私をひきよせると、大切な何かを腕に閉じ込めるようにして優しく、強く抱きしめた。
もともとさくっと読める中編、というつもりで書き始めたのですが、
思いのほか長くなってしまいました。
少しでも楽しんでいただけたら、評価などをしていただけるととても嬉しいです。
ここまでお読みくださってありがとうございました、またご縁がありましたら何かしら書いているので、
覗きに来てやってくださると嬉しいです!




