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 ―――明朝。

 まだ鳥の鳴き声も聞こえない時間に起きて、宿屋を後にした。


 特にゴミも出していないから、そのまま部屋を出て、鍵をフロントのテーブルに置いておいた。

 まあ、まだ夜も明けきっていないうちに、誰かがやってきて鍵を使っていたずらするとか、ないでしょ。


 それに、マーティン(仮)がくだらない噂を聞いてしまっていて、その対応をしないといけなくなると面倒な上にロスだ。


 昨日、ヴェロニカに尋ねたように、所詮は噂。気にせずやっていけばいいだけの話・・・という考えは今も変わらない。

 そもそも噂なんか、そんなに長続きしないわけで、コトンに滞在するのだって長期間じゃない。

 内容もそうだ。

 嫁を捨てたか逃げられたか知らないが、仮にそれが本当だとしても、高々痴情のもつれというやつなわけだ。

 誰かを殺して逃げてくるより、よっぽど平和だ。まあ、痴情のもつれも平和ではないんだろうが・・・

 影響は多少あっても、その程度のことであれば無視できる範囲だとは思っている。


 それでも、ヴェロニカは出発を選んだ。


 彼女曰く、小さな町の噂話は割と力があるという。

 内容や状況によるが、証明する術があまりないからだそうだ。

 身分証明書もない、町での行動を記録できる監視カメラもない。そういうところで自分が潔白だという証明することは難しい。


 コトンを見る限り、ラヴィリアには科学技術が無いというくらい、文明的に発展していない。

 宿の照明も蝋燭だったし、陽が落ちれば町の明かりは無くなる。そういうレベルだ。

 産業革命が起こるよりずっと前の中世ヨーロッパ。たぶん、それがラヴィリアの文明レベルなんだろう。


 地球ではすでに当たり前の技術がない。

 頼り切っていたわけでもないんだが、こういう状況に直面すると、日本、大きく言うと地球の技術っていうのはバカにできない。

 まあ、それが逆に首を絞めることもあるとは思うが・・・


「・・・キリ」

「・・・どうした?」

 夜が明けて、次の町へ向かう早朝ハイキングをがんばっている。

 ハイキングって楽しそうな感じだと思うんだが、思いの外楽しいわけではない。

 正直、眠い。それに、ヴェロニカを抱えたまま歩いているから重い。

 状況がもっと気楽なら楽しいんだろうが、早く町に着かないと休めないという気持ちが強いから、楽しいものじゃない。

 そう、これはある意味、生きるためにがんばっているっていうことだ。

「おしっこ」

「は!?」

 突然の催しの開催宣言。

「ちょ、ちょと待て!ちょっと!」

「が、我慢ができ、ない!」

「ちょっと待ってて!せめてあの木陰まっ、アアアアアアアアアア」

 

 この旅が始まってすぐに分かった、重い問題。


 ―――ヴェロニカのトイレ問題だ。


 いや、正確に言えば、自分のトイレ問題も含まれる。


 町から町への道中、避けることができないのが便意問題。

 日本みたく、喫茶店やスーパーとか、そういう店が多いなら借りるという選択肢はできるし、探せばどこかにはトイレがあるっていうのが当たり前の話ではあるんだが、ここはラヴィリア。そんなに多く店が道にあるわけではない。

 今の状況のように、コトンから次の町まで約二十キロで、その中間地点で催した場合どうするか。

 答えは簡単。適当な茂みで済ませる。

 ただ、これが現代慣れしている俺にはなかなか苦しいもので。

 小便なら、適当な木を目掛けてすればいいんだが、大きいほうはそういうわけにもいかない。

 そして、した後の処理もキツイ。

 スコップでもあれば、最初に適当な穴を掘って用を足し、終わったら埋める・・・ということができても、手元にそんな便利アイテムはない。石で穴を掘ることも考えたが、腹の具合にもよるから難しい。

 結局、野生の動物のようにその辺で適当にして放置。それしかない。

 どうやら、この世界の俺たちのような旅行者はこれが常識のようだから、それはそれでよいとしよう。


 俺としても一番の問題はヴェロニカのほう。


 俺は自由に行動ができるわけだし、適当なところを探して済ませられるが、ヴェロニカはそういうわけにはいかない。

 基本的に、赤ん坊の体は我慢がきかないらしい。

 大人は我慢できても、そういう力がないからだ。

 ヴェロニカは大人の意識であるので、気合を入れて我慢するということをしてくれるが、所詮気休め。無理な物は無理。

 なので、突然言われても対処できないこともある。


 そして、最も問題なのが性別の問題。


 一応、ヴェロニカは女子。しかも、問題を深めるのが自称十八歳だということだ。


 女子同士ならともかくとして、相手は俺。一応、そこそこ保健体育を学んだ健全な男子高校生。

 ヴェロニカも成人が近い女性。

 相思相愛で、将来を約束しているならいいんだろうが、俺たちはそういう間柄じゃない。

 ・・・いくら世話をしてもらわなきゃいけないと覚悟の上でも、抵抗があって当然だ。


 正直、俺もどういう気持ちで世話をすればいいのか分からん。

 世話をするのが自分の娘で、かつ純粋に普通の赤ん坊なら抵抗なく当たり前のように世話をするんだろうが、相手がヴェロニカでは・・・


 ・・・ってか、言っていい?


 どういうプレイなんだよ!!!


 俺はそういう趣味はないんだよ!!


「毎度のことながら・・・ごめんねぇ、キリ」

「いや・・・こればっかりは仕方がない」

 結局、間に合わなかった。

 盛大にシャツにブチかまされてしまい、俺は半裸になってしまった。

 腰から下は無事だったから、まだ良しとしよう。

 ヴェロニカのほうはと言うと、着ていた服がビチャビチャになった。

 脱がすのが遅れてしまったから、これも仕方がない。

「ヴェロニカこそ、洗濯するために水と風を作ってくれて悪いな」

 アクアで水を作ってシャツを洗い、エアを使って水分を一気に吹き飛ばす。

 簡易的な洗濯ができるっていうわけだ。

 洗濯だけじゃなく、その場で手を洗えるというのも嬉しい。

 この方法を利用して、ヴェロニカは体を洗っていたらしい。

 赤ん坊は常に清潔を保たないといけないはず。

 俺の尻はともかくとして、ヴェロニカはきれいな状態であるべき。いや、正直に言うと俺の尻もきれいにしたい。

 魔法の無駄遣いをしているような気しかしないが、背に腹は代えられないというやつだ。

「これくらいお安い御用だよ。いつも、その・・・見たくもないものを見せてしまっているわけだし」

「皆まで言うな・・・」

 お互い、言うに言えない心境だ。

 というより、ヴェロニカのほうがダメージが大きいんじゃないか?とは思う。

 俺もダメージを受けないわけじゃあないが、そこそこ割り切っている。

 じゃなきゃやっていけない。マジで。

「まあ、何だ。ヴェロニカはこっちの世界の右も左も分からない俺を助ける。俺はお前の身の回りの世話をして助ける。助け合いってことでいこうじゃないか」

 今は助け合っていかないといけない。

 そりゃあ恥ずかしいことも、見られたくないこともあるが、言っちゃあいられない状況なわけだしな。

「・・・うん」

 ヴェロニカが割り切られるまで、多少時間は掛かりそうだ。

 というより、見積もりが甘かったか?

 俺と一緒に行動するっていうことは、こういう事態を避けられないことも想定されていた。

 ―――ヴェロニカは世間的な知識や魔法の力はあっても、予測する力が弱い傾向がある。

「よし、乾いたな」

 エアでブローし続けていたシャツが乾いてくれた。

 サッと着用して、ヴェロニカに服を着せて、

「行こう」

 だっこしてやる。

「次の町は残り十キロと少しかな」

「まあ、このまま行けば昼までに着くかな」

 魔法の力のおかげで、洗濯物が乾くのが想定より早かった。

 十キロくらいなら、ゆっくり歩いても日が暮れることはない。さすがにまだそこまで疲れちゃいない。

 メンタル的にやられてはいるかもしれないが。


 *


 ―――ベズン。

 休憩を挟みながら二時間歩いて着いた町だ。


 コトンと比べて、多少規模が大きいように見える。

 そもそも、賑わいが違う。

 宿屋は一件だけだが、建物の規模が一回り大きい。

 食品だけでなく、雑貨の店もある。


 コトンじゃ何も手に入らなかった・・・いや、ゆっくり見る暇もなかったが、ここでなら多少装備を整えられるかもしれない。


「何が欲しいんだい?」

 テレパシーでヴェロニカが話しかけてくる。

 コトンよりも多くの人が行き交っている。その点を配慮を配慮しているんだろう。

「まずは身なりを整えて、野営ができる装備が必要だ」

 コトンでそうであったように、行き交う人々の視線がここでも多少痛い。

 物珍しいってのは分かってやれるが、もうちょっと放っておいてほしいものだが、そうさせてくれないのが人の世か。

 だから、うろうろしていても怪しまれないように、ラヴィリアの服が欲しい。

 あと、これから先、野宿することを避けられない。

 となれば、それなりに道具が必要だ。

 ぶっちゃけ、服より道具のほうが欲しい。

「服はあの赤い看板の店で売ってるよ」

 ヴェロニカの言う赤い看板の店に真っ直ぐ入る。

「いらっしゃいまっせ~」

 女性の店員が、妙に癖のある喋りで迎えてくれた。

 なんだろうか。お笑いか何かで聞いたことがあるようなないような・・・

 そんなことは置いといて、だ。

「お探しでしょうか~?」

「着やすくて手入れが簡単で安いのが欲しいんですが」

 俺としては、優先順位が高いのは着やすさ。

 街へ出るから多少良く見えるようにシャツを着たが、本当ならラフなTシャツがいい。

 そして二番目、手入れがしやすいこと。

 こういう状況だからこそ、という感じになるんだが、多少雑に扱ってもいいと楽だ。洗濯も常にできるわけでもないし、ガツガツ使ってもくたびれないほうがいい。

 三番目、安さ。

 実はここが一番の理由ではある。この旅は先が見えない長丁場。それを考えるなら、少しでも手元にお金が残るほうがいいだろう。

 でもまあ、資金はヴェロニカ持ちだ。ここは気にしなくてもいいかもしれないけども。

「お安い・・・はあ・・・」

 高い服を買ってくれよ、と目が言っている。

 そりゃあ、そのほうが店にとって都合はいいだろうが、残念。もうちょっと羽振りのいい客を引っ掛けることだ。

「こちらになります」

 あからさまに質素な服が出てきた。

 形としては、Tシャツとニッカポッカ。作業着といったところか。

 素材は綿・・・ではない。麻か、別のものだ。

 色もアースカラー。上がカーキで、下がベージュ。

 こう言っちゃあ何だが、本当に最低限って感じの服だ。周りの陳列を見ても、デザインは好みの問題だから別として、もうちょっと良さそうな素材を使ってるぞ。

「キリ、もうちょっと良い服を買えばいいんじゃないかな?」

 ヴェロニカも同じようなことを思ったのだろうか。

「これでいいです。これを着ていくんで、タグは切ってください」

 こっちもいっちょ前にタグが付いている。まあ、そのほうが見て分かりやすいし、ラヴィリアとの共通点の一つとして理解しておこう。

「同じのでいいから、もう一着追加してください。で、あとこの子の服が欲しい。こっちはいいのを買うよ」

「あらぁ!」

 店員がウキウキと陳列されている中から取って来る。

「可愛いお嬢様ですわぁ!こちらなどいかがでしょう?」

 さっきまでの低いテンションが嘘のよう。

 もうちょっと演技したほうがいいぞ、あんた・・・

「キリ」

 棚に座らされ、店員に着せ替え人形のようにされているヴェロニカが、

「わたしの服は適当でいいよ。君のほうがたくさん必要だろうに」

 成人した人間の服より、赤ん坊の服のほうが数が必要なんじゃないか?

 今朝みたいに、急な催し物もあるだろうし、洗濯できないような場所や状況もあるかもしれない。

 せめて三着は買っておいたほうがいい。

「じゃあまあ、アレだ・・・ベージュと青と緑をください」

 正直、女の子の服、というより、赤ん坊の服の良し悪しが分からない。

 可愛ければいいってものでもないと思うんだが、地球みたくアレコレ付いた便利機能などはないだろうし、似合うかどうかくらいで決めよう。

 ということで、違う色とデザインの赤ん坊用を三着購入。

「ありがとうございましたぁ~」

「よし、次だ」

 上機嫌の店員の見送りで、服屋を後にし、

「キリ。本当にわたしの服はよかったんだよ?」

「まあ、そう言うなよ」

 周りを確認しながら、ヴェロニカに応えてやる。

「いつどうなるか分からないんだ。予備は必要だよ」

 ヴェロニカの服はしばらく問題ない。

「それにしても、君ももう少しくらい良い服を買っておいてもよかったんじゃないかな?」

 今更だが、自分でもそんな気がしている。

 確かに指定した条件はクリアしているが、最低限活動できるレベルの服であることに変わりない。

 ゲームで出てくるような、寂れた村の貧しい青年が着用していそうな感じ。いや、あれよりちょっとだけマシか?

 最早、五十歩百歩というやつだ。

 ラヴィリアに溶け込むっていう問題を最低限クリアした、ということにしておこう。

 本当に最低限だが。

「次は道具だ」

 雑貨屋はすぐに見つかった。

「いらっしゃい。何にする?」

「ちょっと見せてください」

 ナイフ、フォーク、スプーン、カップ、皿のようなカトラリー類。

 紙と羽ペン、黒いインク。

「あれは良さそうだ。あのカバンをちょっと見せてください」

「あいよ」

 見つけたのは大きめのダッフルバックだ。

 背負うための紐は一本。ちょっと前に流行した、旅行者が持っているカバンはコレって感じ。

 色も浅めのカーキで野営感がある。

 たくさんポケットがあって防水性に優れたオシャレな物より、こういう無骨なデザインが好みだったりする。

「このバッグに何を詰めるんだい?」

 これには服や道具を入れる。

 容量は八十リットルは入りそうだ。カトラリーを買って入れても、まだまだ余裕。

「・・・しかしまあ・・・」

 寝袋とマットは無かった。本音を言えば、一番欲しいのはそれだ。

 あとは野営を行うために必要な道具類。これも無い。

 そんなに便利な道具はないのか?この世界は。

「次は都市だよ。そこまでなら、そんなに装備は必要じゃないんじゃないかな?」

 町ではなく、都市。

 となれば、田舎よりも充実した装備が揃うだろう。

「とりあえず、これをください」

「一万フォドルだよ」

 地味に高い。

 しかし、これは最低限の出費。仕方がない。

「まいどどうも」

 その場で予備の服を詰め込んで、雑貨屋を後にした。

「よし、本当に最低限の装備は揃ったな」

 本当に本当の最低限だけどな!

「なあ、ヴェロニカ。次のその都市までどれくらいある?」

 尋ねると、ヴェロニカはきょとんとした顔で、

「大体十二キロくらい。まさかとは思うけれど、今から向かうのかな?」

 小さく頷いて返す。

「まだ体力的に持つし、時間的にもまだ行ける」

「・・・情報収集をしたいところだけれど」

 今は最低限生活できる装備を整えたいところなんだが、本来の旅の目的はヴェロニカの正体を確かめること。

 いくら足は俺が稼いでいるとは言っても、資金はヴェロニカ持ち。

 スポンサーあっての生活。スポンサーあってのこの旅。スポンサーあってのこの命、だよなぁ。

「分かった。なら・・・」

 ちょうど目の前に、看板を表に出したばかりの飯屋があった。

「あそこに寄ろう」


 *


「モーニングセットがちょうどいいか。それを一つ。あとはこの子用にミルクを・・・できます?」

「できますよ。少々お待ちくださいませ」

 町の小さなレストラン。

 木製の四人掛けテーブルに、シンプルなテーブルクロスが掛けてある。テーブルと同じデザインの椅子が四脚。

 マーティン(仮)の宿では一輪しか挿していなかった花瓶も、活けている花が寂しくなさそうだ。

「お待たせしました」

 焼いてあるパンと思われる主食と、何かしらのスープと何かしらのジャム。そして、コーヒー。

 コトンの店で買った食料と同じようなことだが、どういう材料でできているかは分からない。

 スープは量的なこと、ジャムも見た感じ粘度がありそうだっていう判断だ。コーヒーは香り的に間違いなさそう。味は分からないが・・・

 ヴェロニカのミルクも、適度な量を用意してくれた。普通、レストランには置いていないだろうに、出してくれただけでありがたい。

「あー!」

「ああ、いただこう」

 せっかく焼いてあるパンだが、ヴェロニカのミルクのほうが先のようだ。

「あの」

 さっき食事を持って来てくれた女性がやって来て、

「お嬢様のお食事、私が代わりに食べさせてさしあげましょうか?」

 女性は微笑み、

「お一人では大変でしょう?せっかくの食事ですし、温かいうちに食べていただきたいので」

 ヴェロニカが腹いっぱいになる頃には、こっちの食事はすっかり冷めてしまっているだろう。

 まあ、昨日の晩も大したことはなかった。目の前のモーニングセットも大したことはないかもしれないが、温かいだけでもありがたい。

「じゃあ、せっかくなんでお願いします。いい子にするんだぞ」

 ヴェロニカの頭を撫でると、本人は何故か不本意な顔をしていた。

 何?俺に食べさせてほしいのか?

 いいから、俺にもちょっといい思いをさせてくれ。せめて飯くらいは。

「いただきます」

 パンをつまんで一口食べてみる。

「うん、うまい」

 感じとしては、ベーグルに近い。

 ジャムっぽい物が付いているので、それを付けてもう一口。

 詳しい種類は特定できないが、ベリー系のような感じだ。

 ちょっとパサつくのが気になるが、ジャムを付けるとちょうどいい感じになる。

「お嬢様の飲みっぷりも気持ち良いです」

 さっきまでの不満そうな顔が嘘のように、ヴェロニカはスプーンですくってくれたミルクを勢いよく飲んでいた。

 ・・・ヤケ酒もとい、ヤケミルクじゃないだろうな?

「ちょっとお伺いしてもいいですか?」

 どうやってこの店の人間から情報を引き出そうかと悩んでいたんだが、偶然にも店員のお姉さんがヴェロニカの世話を買って出てくれた。

 イレギュラーだが、これを利用しない手はない。

「はい?なんでしょう?」

 よし、乗ってくれた。

 食事を進めながら、

「この町とか、この町の周辺で構わないんですが、治安は良いほうなんでしょうか?」

「・・・治安ですか?」

「いや、俺たち、実は出稼ぎに出ている嫁に会いに遠出していましてね」

 という設定だ。

 コトンでは設定を作っていなかったし、仮に用意していたとしても、使うことがなかった。

 こっちの世界でも夫婦共働きというのは、コトンで確認できている。出稼ぎまでするかどうかまでは分からないが、懐事情はそれぞれの家庭の問題。

 これなら、割とリアルな設定のはず。

 初対面の人間と接触する際は、これで通すと決めていた。

「まあ、そうでしたの。こんな小さな女の子を置いてまで働いていらっしゃるとは、ご苦労なさって」

 今のところ懐は問題ないが、別の問題で苦労しています。

 できたら助けてほしい。マジで。

「もうすぐこの町を出ようと思っているんですが、この先の都市に着くまでの治安が気になりまして」

「なるほど。この町の治安は良いほうでしょうね」

 女性はヴェロニカの口に運ぶスプーンの手を止めずに、

「事件が起きても、揉め事や万引きくらいです。それより重い事件はそうそう起こりません」

 小さな田舎町で起こる事件など、高が知れているってことか。

 ただまあ、ヘヴィなことが起こらないわけでもない、っていう感じでもありそう。

「この先にあるボルドウィンはとても大きい都市ですから、そこでは色々あるでしょう」

 次の目的地はそういう名前らしい。

「まあ、人が集まれば自然と揉め事が起こる確率はあがりますからねぇ」

 人が少なければ少ないほど、犯罪発生率は低くなる。

 人は大なり小なり、揉め事を起こす。揉める理由は色々ある。悲しいことだが、人は揉める生き物だ。

 その人同士が接触しなければ、揉めることはない。

 大都市にもなれば、人は集まる。そこでは集団生活を余儀なくされる。揉め事が起こる確率は高くなる。

 それは地球だって同じこと。

 残念ながら、ラヴィリアであっても人という生き物の性質は変わらないらしい。

「道中は特に何もなかったはずです。長閑なものですよ」

 スープは野菜ベースらしい。これが割とイケる。

「・・・ここ最近起こった大きな事件って、例えば何があります?」

 うーん、と女性は思い出し、

「この町では、商人の荷車に子供が轢かれた・・・くらいでしょうか」

「それが聞けて安心しました」

 赤ちゃんが誘拐されたとか、行方不明になったとか。

 そういうのが出てきたらヴェロニカの手がかりになっただろうが、どうやらそういうわけでもないようだ。

 轢かれた子供には申し訳ないが、この程度でよかった。

「うー・・・」

 ヴェロニカはお腹いっぱいといったところのようだ。

「ごちそうさまかしら?なら、げっぷをしましょうね」

 女性はヴェロニカの背中を、子供を寝かしつける時にお腹を叩くような軽さで叩く。

「・・・げぷっ!!」

 豪快に出たな・・・感心するくらいに。

「ありがとうございました。会計をお願いします」

「はい、千フォドルいただきます」

 メニュー外のミルクを含めたら妥当な値段か。

 というより、本当に日本円の価値観と似ている。こっちとしてはありがたいが。

「この子の世話までしていただいて、ありがとうございました」

 千フォドル紙幣を渡しながら、

「いいえ。私も楽しかったです。奥様と早くお会いできるといいですね」

「全くです。ハハハ」

 そういうのが本当にいればね?

「良い旅を」

 表に出て見送ってくれた。

 手を振って返し、ボルドウィンに向かう道へ。

「よし、気合入れて行くか」

 感じからして、もう昼前か?

 十キロ強なら、夕方前に着けばいいほうか。

「・・・キリ」

 ヴェロニカが何故か睨んでくる。

「・・・どうした?」

 あまりいい予感はしないが、とりあえず先に進む。

「なんでキリが飲ませてくれなかったのかな?」

 やっぱりそれか。

「ミルクを飲めれば、誰でもいいってことはないか?」

「それはない。わたしはキリに世話を焼いてほしいんだよ」

 何?そのこだわり。

「あったかい飯食えって言ってくれてるのに、それを拒否すると話も聞きにくくなるだろ?それに、俺にもちょっとはあったかい飯食わせてくれよ・・・」

 こっちは情報収集をこなしているし、波風立てないようにできたわけだし、褒めてくれてもいいくらいなんだが。

 飯は冷えても最悪構わないが、俺にも一息つける時間をくれ。

「・・・考慮しておくよ」

「・・・どういう意味で?」

 その意味合いによっては苦しい展開になっちゃうんだけど。

 お互い苦しいのはヤメにしようぜ?頼むから。

「あともう一つ」

「今度は何だよ?」

「おしっこ」

「なんで今ここで!?」

 急いで辺りを見回す。

 この辺り、ちょっとした草しか生えてないんだが!

「何でさっきしてこなかったんだよ!」

 店のトイレを借りたら、次の都市まですんなり行けたかもしれないのに!

「お店にいる時はそういう雰囲気じゃなかったんだよ。うっ」

「耐えろ!耐えろって!アアアアアアアアア」


 ―――早速、着替えが役に立った。買っておいてよかった。


 次はいよいよ大都市だ。

 人が多い分、行き来も激しいだろうし、情報も集まるはず。

 

 そして、ここでとある出会いを果たすことになる。

 そのことを俺はまだ知らない。

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