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レノト滞在三日目。
宿屋のベッドで寝られる安心感。それを噛み締めての起床。
最近、顔を洗いに行く前に天気の様子を見るのが日課になった。
雨が降るのかどうか、日照具合はどんなもんなのか。風向きや強さ。詳しく分かれば活動もしやすい。これは結構重要な要素になる。特に俺たちみたいに移動を繰り返す連中にとっては。
今日は調査を行うと決めている日ではあるが、ちょっと雲行きが怪しい。
大雨になることはないだろうが、二時間くらいすればちょっと降られそうだ。
こんな状態でわざわざ外に出るのもなぁ・・・ってところだ。
調査をしたいのは山々だが、天気を考えれば微妙なところ。
これは相談したほうがいいだろう。
と思ったが。
「・・・あれ?」
いつもだったら起きてトイレと騒いでいるところだが、今日はおとなしい。
まさかもう漏れたのか?
「・・・んんん?」
ベッドのシーツは問題なさそう・・・
ってことは、
「なんだ、寝てるのか」
まだお休み中だったようだ。
それならそれで安心した。ただ、このままゆっくりさせてお漏らしでもされたらそれはそれで困る。
「おーい、そろそろ起きるか?トイレ行きます?」
ちょっとゆすって起こしてみる。
眠いなら、トイレを済ませてまた寝りゃいいだけのこと。
「・・・あれ?」
ちょっとおかしいな。えらくぐったりしてる。
「・・・おいおいおいおい」
チョトマテチョトマテ!!
これ、熱あんじゃないの!?
「おーおーおーおー」
寝てるように見えたけど、これぐったりしてんの?そりゃ分からんわ!
はあはあ言ってるし、これ間違いなく熱出てる!
「とりあえず保温しないと」
布団に寝かせてたはずだし、冷えたってことないと思ってたんだが、甘かったか?
とりあえず、布団より寝袋の方が温かい。
「ちょいとごめんなさいね」
荷物から寝袋を引っ張り出して広げて、ヴェロニカを入れてやる。
「冷たい水が必要だな」
いつもならヴェロニカに作ってもらうが、今回ばかりはそういうわけにいかない。
ロビーまで下りて、
「すみません、水と氷ってあります?」
フロントのスタッフに確認、と。
「え、ああ、ありますが」
「助かった。娘がちょっと熱出したんで、分けてもらえませんか?もちろん、タダとは言いませんから」
「そうなんですね。お金は要りません。準備してきますので、少々お待ちください」
話が分かる宿屋で助かるわ。こういう店が繁盛するんだよな。たぶん。
「お待たせしました。足りなければまたお作りしますので、お申し付けください」
桶に氷水と、手拭を用意してくれた。
「ありがとう!」
急ぎ足で戻って、氷水に浸した手拭をヴェロニカの額に乗せてやる。
「この分だと・・・高熱くらいはあるかな」
体温計があるわけでなし、感覚でしか分からん。
「キリヤさん?どうしたんです?」
マーベルさんがやって来た。
「・・・ヴェロニカさん、どうかしました?」
朝飯の時間になっても合流する気配がないからやって来たってところか。
「熱が出たんで、今はちょっと動けないかな」
「・・・氷と水は用意できているんですね」
いつもより力の入った言葉と、歩くスピード。
「今日の活動は中止しましょう。ヴェロニカさんの体力回復が最優先です」
「それは元より承知」
「解熱剤はあるんですが、大人用しかありません」
マーベルさんが転送で小瓶を一本召喚した。
なんかいつもより気合入ってるっていうか、気持ちが入ってるっていうか・・・
昔、何かあったのか?
いや、今は詮索するタイミングじゃない。
「子供も飲んでいいやつ?」
大人用って飲んでもいいのか?なんか子供は子供用っていう気がしなくもない。
そもそも、生後どれくらいからいけるとかもあるんじゃ?
「子供というには小さすぎますが、量を調整すれば問題ないかと・・・」
こっちの世界じゃそういう運用なのか?
さすがに赤ん坊の知識は用意してないから、対応に困る。
「・・・ミルクに混ぜて飲ませよう」
根本的な話、この発熱って風邪が原因なのか?もっと別の原因があるんじゃ?
いや、原因があるとしても、明らかに普段の様子とは違う。今は迷っちゃいられない。
「入れる量は一割くらいか、もっと少なくしよう。大人用はキツイだろうから、足りないようなら、次に飲ませる時にまた混ぜる」
マーベルさんは頷いて、
「私、お湯をもらってきます」
足早にロビーに向かった。
「キリ・・・」
テレパシーが聞こえる。
「どうした?」
「ごめんねぇ・・・こんなになっちゃってさ」
本人ははあはあ言ってるが、テレパシーの声の質感は変わらない。
テレパシーの本質はこんなモンなのかもしれないが・・・
「こんな時に気を遣うな。おとなしくしとけ」
手拭を氷水に浸して絞って、またヴェロニカの額へ。
「こんなことくらいしかしてやれないけどな」
「ありがとうねぇ・・・キリ」
これじゃあまるでおばあちゃんとのやり取りだぞ。
「お待たせしました」
マーベルさんが戻ってきた。
「下でミルクを作ってもらいました。あとは解熱剤を少し混ぜるだけです」
「うし」
瓶の蓋を開けて、ミルクに少し解熱剤を入れた。一割弱か、もっと少ないくらい。
ちょっとスプーンでかき混ぜて、
「ヴェロニカ、飲めるか?」
「うう~ん・・・あまり欲しくはないなぁ」
あの食欲旺盛の子がこれか。
「ちょっとでも飲んだら、たぶん楽になる。たぶん」
「君はこういう時でも変わらないねぇ」
「ツッコむ元気があるなら大丈夫だわ」
そもそも本気でダメなら喋れてないしな。たぶん、テレパシーでも。
「体を起こしますね」
「飲めるだけでいいからな」
「あう・・・」
*
「雨が降ってきましたね」
「・・・ですねぇ」
いつもの一割も飲まなかったが、解熱剤入りのミルクを飲んだヴェロニカはそのまま眠ってしまった。
俺たちが落ち着く頃には雨も降ってきて、それを見てしまったからか腰に根が生えてしまった。
発熱騒動でドッと疲れたってのもあるが・・・
「それにしても・・・」
昨日までピンピンしてたのに、いきなり熱が出たなぁ。
体調管理は気を付けていたんだけどな。俺はもちろんだが、ヴェロニカ自身も。
寧ろ、その点に関しちゃヴェロニカのほうがよく分かっている。本人だし、自分で意思を伝えられるから暑い、寒い、しんどい、辛いを伝えられる。この世界の誰よりも赤ちゃんでいる期間が長いから、理解度は圧倒的に高いはず。
まあ、管理ミスは誰にでもあることだが、何かが引っ掛かるような・・・
「世の中のお母さんはすごいですね」
「・・・ん?」
マーベルさんはヴェロニカのベッドに座っていて、
「こういう突然の事態も対応されるでしょう?」
「・・・ああ、まあ」
マーベルさんの様子がおかしい?
俺の考えはその雰囲気で一瞬で吹き飛んだ。
「そうですね」
マーベルさんが言いたいことは分からなくもない。
子供を育てる。
言葉にすればそれだけだが、人が人を育てるのは相当ハードルが高い。
今ヴェロニカにやっているように、食事、風呂、排せつから始まって、体調管理も必要。少し大きくなればミルクから離乳食に替わって、動くようになってくるから遊ぶことも必要になる。幼稚園児くらいまで大きくなれば自分の意思で動くようになるから、行動を見守って時にはたしなめることも必要だ。
成人するまでに、日本だと一人当たり一千万掛かると言われる時代・・・
話は逸れたが、マーベルさんが言うことは全般的な意味合いもあるだろうが、今の場合は乳幼児辺りのことになるかな?
「・・・別に詮索するつもりじゃないんですけど」
なんか、さっきから様子がおかしい。
「昔、何かあったんですか?」
この場合は親だな、たぶん。
「なんで、そう思うんです?」
「熱が出たって聞いた時から、結構力入ってるでしょ」
今は落ち着いちゃいるが、部屋に来て状況を知った後から雰囲気が変わってる。
これでいつも通りとは、さすがの俺でも思えない。
「私はとある家の人間です。キリヤさんなら、なんとなく・・・分かりますか?」
「・・・なるほど」
こういう切り出し方だと、良いトコの子ってやつだろうな。
王族・・・ってこともあるだろうが、この世界のテイストから察して貴族とか、そういうところなんだろう。
「幼少の頃の記憶がおぼろげなのは、誰でもそうだと思います。ただ、記憶ができるようになってきた頃からずっと、親と過ごしたことがあまりなくて」
・・・結構重い話じゃない?それ?
大丈夫?心構えできてないんだけど・・・
「無いわけではないんです。ただ、家では食事の時くらいしか顔を会わせる機会はありませんでしたし、誕生日の時も家政婦と過ごしました」
割と・・・重いなぁ。重た過ぎて持てないってくらいじゃないが、重い。
育児放棄とまではいかなくても、関係が薄すぎる。これを家族と呼べるのかどうか・・・人によって分かれそうだよなぁ。
「だからか、親子らしいことをしたことはないんですよね。今までの様子だと、私を育てたのも家政婦だったのではないかと思えるくらいです」
なるほど。マーベルさんは家庭に悩みがあるのか。
そういえば今まで、深入りしないようにしてきた。
元々、早く離れたいって気持ちのほうが強かったし、いずれお別れする人のことを深く知る必要はないと思っていた。
状況上、俺とヴェロニカのことは話はしたが、マーベルさんのことは知る必要はない。だから、今日あったこととか、目の前の状況のことくらいしか話してこなかった。
だけど、もうそれで済ませられる関係性じゃあなくなったか・・・
「だからまあ、家庭に憧れがあるといいましょうか。自分なら放っておかないのにとか、色々ありますよね」
女の人が憧れるそれとはまた、ちょっとベクトルが違う気がする。
出会った当初、ヴェロニカが捨てられたなんて話をして、怒ったような感じになったのは家庭が原因。
親との接点がないから、子供を放っておいたり捨てたりする大人に大して怒りを感じるのか。
自分はそうならないし、そうしない。
そういう思いなのかもしれない。
「・・・俺はまあ、こう言っちゃあなんですけど、普通の家なもんで」
裕福でもなく、貧乏でもない。親子三人がそれなりに過ごせる家庭。
そりゃあ、マーベルさんとは比較にもならないんだろうが、
「マーベルさんの悩みを理解できるとは言えないけども」
今のマーベルさんに的確なことは言えないけど、こういう時にすべきことは最終的に一つじゃないか?
「とりあえず、会って直接聞きますか」
分からなきゃ、直接尋ねなきゃしょうがないだろ。
「しかし・・・会えるかどうか」
「そんな忙しいの?」
「忙しいのもありますが、ここからだいぶ離れてますし」
「・・・どこ?」
そんな遠いの?聞いてないから全く分からん。
「ポーラ大陸にルウォという街があり、そこに実家があります」
ポーラ大陸ってか!!!
え?それどこ?
ポーラ大陸って反対側の大陸じゃなかったっけ?
ハンガーに掛けているチェストリグのマップポーチを開き、
「・・・遠いなぁ」
ポーラ大陸の中央くらいにルウォの記載がある。
・・・こんな早くに世界地図が活躍するとはなぁ。買っといてよかったなぁって、オイ。
「これは遠いぞ・・・」
今、俺たちがいるのがノーラ大陸のちょうど中間地点。
その逆に行かなきゃならんってことか・・・
「これは、もうしばらく一緒に旅をしないといけませんね」
マーベルさんはくすくすと笑って、
「頼りにしてますよ、あなた」
「・・・それも続けるのかぁ・・・」
いかん。頭が痛くなってきた。
話の流れ上、言い出しっぺが断るってのもなんか嫌な感じだし・・・
そこまでこの偽装夫婦も続ける、と・・・
辛い・・・本当に辛い・・・
「それはそれでお願いするとして、明日のことも心配しておいたほうがいいのでは?」
「明日・・・明日かぁ」
夕方には上がるだろうけど、雨はしばらく止まない。
今心配すべきはヴェロニカの体調と、
「・・・心配だなぁ」
キース、リオーネ、ジェシカと参加するクエストだな。




