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 ―――森を出て、恐らく十キロは歩いただろうか。

 ようやく町が見えてきた。


 コトンというらしい。ラヴィリア生活、最初の町だ。

 

 パッと見た感じ、西洋風の町だ。


 町を囲っている塀は、レンガのようなブロックを積み重ねているだけのシンプルな構造。

 それを白い塗料で塗っているので、おしゃれに見える。

 所々、破損しているところがあるのは、財政面の問題から放置されているようだ。


 コトンはこの辺りでは田舎の町で、特にずば抜けた長所もないらしい。

 つまりは、特産物も有名な観光スポットもなく、スローライフを満喫したい人々が集まって出来上がった町ということのようだ。

 そんな町でも一応、たまに行商人や旅人がやってくるようで、最低限のもてなしはできるというようだが。


 日本でもそんな町は珍しくない。

 異世界に来てもそういう町があるんだから、案外どこでも一緒なんじゃないか?

 仮にラヴィリアから別の世界に転送されても、驚きもしないだろうな。これを見た後だと余計に。


「キリ、今日はここで泊まったらどうかな?」

 道中、ずーっと寝ていたヴェロニカが起きて、ざっくりと町の説明をした後、提案してきた。

「ここは特に何もないんだろ?だったらもう一つ先を狙ってもいいんじゃないか?」

 最寄りの町に行く、という話ではあったが、特に何もないなら、何かありそうな場所を目指すのも有りかなと俺は思っている。

「もう一つ先になると、もうちょっと歩かなきゃいけないよ。たぶん、軽く倍は」

「倍ってか!」

 約二十キロも追加で歩く!?

 ああ、贅沢は言わないから。せめてチャリをくれないか!誰か!

「昨日の晩は寒かったって言ってたじゃない。体を休めておかないと、持たないと思うんだ」

 まあ、町を一つ、二つ経由したらヴェロニカの謎が解けるほど、簡単には進まないだろう。

 そもそもの話、どこの誰が生みの親で、どこで生まれてっていうのを、十八年も遡って探さなきゃいけないわけだ。

 役所があるわけでもない。俺が手伝ったところで、そういうのが分かるわけがない。

「・・・まあ、そうだな。今日はゆっくりするか」

 疲れがないわけでもないし、見た目は赤ん坊でも、現地の人間の言うことを素直に受け入れることも必要か。

「宿屋はあそこだよ」

「あの白い看板の大きい建物だな」

 町に入ったすぐに、それらしい建物があった。

「そう、あれだよ。よく分かったね」

「・・・確かにな」

 なんとなく気付いたことだが、こっちの世界の文字が分かるっぽい。

 文字というより、古代〇〇の象形文字、と言ったほうが分かりやすいかもしれないが、見た目は明らかに日本語ではないものの、不思議と読める。

 白い看板にはマーティンの宿と書かれていた。

 たぶん、そういう人がオーナーの宿屋なんだろう。

 文字もそうだけど、ヴェロニカの言葉も分かるのも不思議だ。

 異世界に来たら誰でも分かるようになっているんだろうか?

 だったらそれはそれでありがたい話だ。ジェスチャーで全てやり通す自信がない。

「とりあえず行くか・・・」

 一部屋取って、ほとんど価値のない荷物を置いて、買い出しをしたい。

 町を進んで行くと、周囲の空気がおかしいことに気付いた。

「・・・?」

 ちらほらいる人間は、この町の住人だろう。

 なんだかこっちを見て何かしら言っているように思うんだが・・・

「・・・ざっくりとしか聞こえんな・・・」

 何分、メイン通りと思わしき場所は、片側三車線くらいの幅だ。

 耳をすませばそこそこ聞こえるが、店の呼び込みの声とか、子供のはしゃぎ声が多少あるので、全て聞き取るのは難しい。

「なになに?見ない顔ね?見かけない恰好をしているけど、どこの人かしら?赤ちゃんと二人で旅をしてるの?それにしては軽装じゃない?」

「スゲーな。全部聞こえるのか」

「これもテレパシーの一種だよ」

 便利かよ!

 しかしまあ、なんとなく分かる内容の話だ。

 まず、ここは田舎町だ。住人以外はすぐ分かるレベルなんだろう。

 それに加えて、こっちは日本の一般的なファッション。見たところ、この世界の人の一般的な服は、麻か何かのシャツとパンツ、もしくはスカートだ。そりゃあ、目立つわ。

 そして一番問題っぽい気配を感じる、赤子とセット発言・・・

 ―――もう嫌な予感しかしない。

「いらっしゃい」

 宿屋に入った。

 フロントに中年の男。ほう、この男がマーティンか。マーティンだよね?

「大人一名と~・・・こ、子供?一名で一部屋?お願いします」

「・・・え?普通に大人一名子一人で一部屋だよね?」

 怪訝そうにするマーティン(仮)。

「あ、おおう、そうそう、それでお願いします」

 しまった。設定を覚えきれていなかった。

 高校生に赤ん坊のコンビ。そんな二人を初めて見て、新婚カップルと思う人間がどれほどいるか。

 ・・・いるわけないっしょ。大抵、若い父親とその子供だ。

 だから、シンプルに大人一人子一人、そして一部屋でよかったわけだ。

 だけどまあ、俺も嘘がつけない人間なのか、ヴェロニカが十八歳だっていうのを念頭に置いてしまいがちで、それが出てしまったらしい。

「・・・大人一人子一人で一万フォドルだよ」

 クリアするのかよ。

 一瞬、怪しいと思ったろ?マーティン(仮)。それでいいのか?

 まあ、いいならそれはそれでこちらとしては大助かり。

「・・・一万フォドル?」

 フォドル?円的なアレ?

 それよりしまった。

 現金、もらってない!

「どうした?一万フォドルだよ」

 マズい。嫌な汗が出てきた。

 普通なら、現金くらいスパッと出せるだろ。

 俺は出せないのよ。だって、もらってないんだぜ!?

「あー、うー」

 背中でヴェロニカが暴れ始めた。

「ど、どうしたよ?」

 おんぶよりだっこ派なのか?お前?

 とりあえずだっこに変更。

 すると、ヴェロニカは左手で胸ポケットをトントンと叩いてくる。

「・・・?は?」

 急に違和感が、胸の辺りに。

 なんだろうと思いながらポケットに手を突っ込むと、そこに紙幣とコインが。

 ・・・何で?

 ヴェロニカはこっちを見上げて、目で何かを訴えかけている。

 これで行けってか!

「こ、これで」

 紙幣には一万と数字が打たれている。なるほど、これが例の一万円・・・もとい、フォドルか。

「はい、どうも」

 マーティン(仮)が懐に紙幣をしまい、代わりに鍵をテーブルに。

 く、クリアー!!

「二階の突き当りが君の部屋だ」

「ど、どうも」

 鍵を受け取って、階段を上がる。

 突き当りの部屋が俺たちの部屋だ。

 部屋は六つ。

 突き当りの部屋に鍵を差し込んで、扉を開けてみる。

「・・・案外、いい部屋じゃないか」

 シングルのベッド。お茶をするのにちょうど良さそうなテーブルとイス。日当たりも悪くない。

 シンプルな構成だが、雰囲気はいい。

 ホテルというより、民宿っていう感じだ。ヨーロッパでありそうで、親近感がある。

「今日はゆっくりできそうだ・・・」

 一旦ヴェロニカをベッドの枕側へ置き、空いた足のほうで横になってみる。

 フッカフカというわけではないが、適度に固くて好みかもしれない。

 今日の安眠はこれで確約されたも同然。

「ふぅ~・・・やっと落ち着いた・・・」

 マーティンとのやり取りはなかなかに緊張感があった。

 どうにかクリアしてよかった。

 ホッとしたわ。マジで。

「さて・・・」

 ベッドで座っているヴェロニカに顔を向け、

「さっきのお金の件、どうやったんだ?」

「あはは、早速聞いてくるか~」

 気になることはさっさと解決しておきたい。

 まるでキャッキャとはしゃぐかのようにヴェロニカは笑い、

「あれはテレポート。つまり、転送だよ」

「転送ってか」

 あまりいい感じはしない言葉だと思うのは俺だけか?

 なんか、軽自動車が思い浮かぶんだが・・・

「実は森に金庫を作っていてね。まあ、壺に保管して地面に埋めてあるだけの簡単なものだけれど。そこから一万と五百フォドルを転送したというわけさ」

 そういえば、ヴェロニカは自分で金持ちだと言っていた。

 どれくらいの儲けがあったかは分からないが、しばらく分は問題ないという話だった。

「それにしても危なかったぞ。もっと前にもらっておくべきだっ・・・いや」

「わたし、寝てたねぇ」

 町に入る前にもらっておけばすんなりいったものの・・・

 あとちょっとまごつけば、マーティン(仮)につまみ出されていたかもしれない。

 そうなったらまた野宿・・・

 うん。間違いなく逝くな。

「それにしても、よく気付いてくれたよ。コインを混ぜておいて正解だった」

 一万フォドルと五百フォドル。宿代だけ出すなら、コインは余計だ。

「コインの重みでポケットに入れたぞって知らせるためだったんだろ?」

「そうそう」

 何もない胸ポケットに、ストン!と何かが入った感覚は薄っすらあった。

 ヴェロニカも叩いて知らせてくれていた。

 これで気付かなかったら色々マズいが、俺もあの時はテンパっていた。スルーしていた可能性はある。

「次はないぞ・・・」

「ごめんごめん」

 必要な時に必要な量だけ、金庫から転送すればいい。

 使う本人はその運用で慣れているから、問題はない。

 俺は慣れてないから考えてほしいけどな!

「キリがすぐ使えるように、少しは手元に置いておくべきかもしれないね」

「ぜひそうしてくれ・・・マジで」

 じゃ、とヴェロニカの前にお金が召喚された。

「五万フォドルくらいあれば、しばらくはいけそうかな?」

 一万フォドル紙幣が四枚。五千フォドル紙幣が一枚、千フォドル紙幣が三枚。五百フォドルコインが三枚・・・

 あれ?一枚足りない。

 ・・・ああ、手元の一枚を入れて五万フォドルってわけね。よく考えてる。

 分割して召喚してくれたのは、彼女なりの優しさか。

「これは預かっておくよ」

「そうしておくれ」

 出してくれたお金を、財布にしまおうとしたんだが・・・

 元々入れていた日本円が邪魔だ。

 まあ、そんなにいうほど入ってないから大した害はないんだけども。

「ねぇ、キリ」

 ヴェロニカが話しかけてくる。

「どした?」

「キリの世界のお金ってどんなの?」

「・・・見せようか?」

 頷くので、全部出してヴェロニカの前に出してやる。

「俺の世界の、俺の国のお金はこんな感じだ」

「へぇ~」

 本を買って、コーヒーを飲んで、残った金額は千円と二百円ちょっと。

 バイトもしていない俺の財布なんか、こんなもんだ。

「ラヴィリアのお金と似ているね」

 紙幣があって、コインがある。

 言われて気付いたが、確かに共通している。

 それに、単位も共通している。一万フォドルが一万円。どうやら、一万フォドル以上の紙幣やコインはないようだし。

 ラヴィリアと日本に共通点があるとは。偶然なんだろうが、それにしても似すぎている。

「それ、よかったらわたしにもらえないかな?」

「俺のを?どうして?」

「知的好奇心ってやつかな?異世界の道具とかって、面白そうだし」

 こっちでは価値のない日本円。

 特に取っておく必要もないし、荷物になるだけだけ。

「いいよ」

「やった。ありがとう」

 ヴェロニカは日本円が全部入るように空中で円を描く。

 そして、お金を叩くと、忽然とそれらが消えた。

「・・・スゲー」

 これがテレポートというヤツか。

「これってさ。どこでも転送できるのか?」

「いや、わたしが残した痕跡のある場所に限られるよ」

「・・・例えば?」

「さっきもらったキリのお金は、ラヴィリアのお金とは別の壺に転送したんだけど、壺には髪の毛を入れてあってね」

「なるほど。その髪の毛入りの壺と、転送元のヴェロニカがリンクしてるってことか」

 ヴェロニカが頷いてくる。

 そう聞くと、めちゃくちゃ便利な魔法だ。

 必要な物は全て別の場所で保管できるってことだろ?

 髪の毛でもいいなら、たぶん爪とか唾液とかでもいいんだろう。たったそれだけで、どこでも欲しい物とか保管したい物を保管先から出し入れできる。

 さっきみたいに財布もいらないし、めちゃくちゃ高価な貴重品だって安全な場所で保管できる。

 リンク先の壺を掘り返されたら終わりだけど、一般的に地面に壺が埋めてあって、そこに金銭を管理しているとは思わないだろう。

 それとも、この世界では一般常識なんだろうか。

 いかん。原理を知ってしまったからめちゃくちゃ羨ましいんだが!

「・・・さて」

 羨ましいけど、無い物ねだりをしても仕方がない。

 一旦忘れよう。思い出すたびに羨ましく思うんだろうけども。

「食料を買いに行かないとな・・・」

 マーティン(仮)とのやり取りでは、夕食、朝食の話は出なかった。

 今日、明日の食事はこっちで用意ってことだ。

「欲しい物、あるか?」

「ミルク。おいしいやつ」

 だろうと思った。

「おいしいやつっていうのがよく分からないんだが・・・名前とか分かる?」

「フラミルクっていうのがおいしいんだよ」

 というか、この世界でそんなに食品の種類はあるんだろうか。

 日本みたいに色んなメーカーがあって、色んな種類のミルクがあるんだろうか。

 まあ、どうせ表に出るんだ。そこで確かめればいい。

「行くか」

「だっこ」

「また!?ってか行くの!?」


 *


「いらっしゃい」

 カバンを放ってヴェロニカを抱えて、民宿を出た。

 民宿の向かい側に、分かりやすい露店があった。

 肉と野菜、果物。それに加えて、揚げ物や干物のような店屋物もある。

 元いた世界の言葉で言い表すなら、ここは小規模なスーパーマーケット、もしくは個人経営の商店といったところか。

 どっちでもいいけど、目的の食料を買おう。

 ここで気になるのは、目の前の物の味がどうなのか、ということ。

 肉、野菜、果物。見た目は俺も知っている物によく似ている。豚肉とかレタスとかトマトとか洋梨とか、その他もろもろ。

 揚げ物も干物も、豚肉っぽい物に何らかの味付けをして加工したと推測される。

 ただし、この世界の動植物の味っていうのが想像できない。

 森でヴェロニカが助けてもらっていたというホクスも、鷹のような容姿ではあっても、額に角があった。

 豚っぽい生き物にも、別の特徴があったりするかもしれない。すごい爪がくっ付いていたりするのかも。

 野菜や果物にも同様のことが言える。

 目の前の洋梨っぽい物も、見た目はソレでも、味はリンゴっていうこともあるかも。

 まあ、何にせよ、買って食べてみないことには分からない。

 ヴェロニカはどうやらミルク以外を口にしたことがないみたいだし、俺自身が食べて確認するしか方法がないわけだし。

 仮にも売り物だ。食ったら必ず下すようなことにはならないだろう。

「あー、うー!」

 だっこしているヴェロニカが、ミルクの缶に手を伸ばしている。

 そんなに腹ペコなのか?

 まあ、ヴェロニカにとっては唯一の栄養源。そこに妥協はない。

「フラミルクを一缶ください」

「はいよ」

 店主が缶を一つ、紙袋に入れた。

 アルミっぽい缶に入っているそれは、どうやら粉ミルクらしい。そこそこ量はある。五百グラムくらいはあるだろうか。

 とりあえず、最も重要な項目をクリア。

 あとはゆっくり自分の食料を選ぶだけ。

 ―――と、そこへ。

「ただいま」

 この店の女将さんだろうか。

「おう」

 店主が応える。

 感じからして夫婦なんだろう。まあ、俺には関係のない話だが。

「・・・?」

 物を選んでいると、二人が奥へ引っ込んだ。

 何かの用事のようだが・・・

「なんだ・・・?」

 少しして、店主が戻ってきた。

 さっきと違って、なんだか雰囲気がおかしい。

「キリ」

 ヴェロニカが話しかけてきた。

「ん?どう―――」

「君は喋らなくていい」

 喋るな、ということか。口調がちょっと強い。

「あの二人や周りには聞こえてない。これもテレパシーの一端だよ」

 本当に便利だな、テレパシー。本気で羨ましいんですが。

「早く買い物を済ませよう。あの二人、特におばさんのほうは良くない噂を持って帰ってきたみたいだ」

 良くない噂とは一体?

「味の好みがあるのは理解できるけれど、ここは手早く済ませて宿に戻ろう」

 急かす辺り、余程悪い話らしい。

 ・・・なんか、嫌な展開だ。

「あれとあれとあれを一つずつください。それで会計お願いします」

 干し肉、トマト、洋梨。それぞれ一つずつ発注。

「・・・ああ」

 雰囲気が良くないとは思っていたものの、確かに応対が一気に悪くなった。

 どんな噂が流れているんだ?

「二千フォドルだ」

「じゃあ、これで」

 千フォドル札を二枚渡すと、店主が全て紙袋に詰めて渡してくれた。

「どうも~」

 適当に愛想をついて、平静を装いながら宿屋に戻った。

 マーティン(仮)は普通だった。この男にはまだ噂が届いていないらしい。

 部屋に戻って、ヴェロニカをベッドに降ろし、買った物をテーブルに置くと、

「いやー、ちょっと困ったなぁ」

 ヴェロニカはパタッとベッドに横になった。

「良くない噂って言ったな?どういう話なんだ?」

 あまり知りたくもないけど、知らないと対処のし様がないのも確か。

 嫌だなぁ。聞きたくない。

「キリが女を捨てて逃げて来たっていう話だね」

 ほら出た。知らない方が幸せはヤツ。同時に嫌な気分にさせるヤツ。

 総合的に悪いことにしかならないヤツだ。

「・・・何で、そういう風になったんだ・・・?」

 そりゃあまあ、赤子を抱えた軽装の男を見れば、多少はおかしいと思うだろう。

 思うだろうけども。

「よくそこまで悪い方向に話が流れたよね」

 問題はそこなんだよ。

 誰だ?根も葉もない噂を流したヤツは。

「やりたいこともあったけど、さっさと退散したほうが良さそうだね」

 せっかく町に出てきたっていうのに、本来の目的の情報収集ができないまま、出ていかないといけなくなるとは。

「・・・というより、気にせず行動したらいいんじゃないか?」

 所詮は根も葉もない噂。

 尾ひれがついて現在の形になったとしても、そこに事実はない。

 かと言って、ヴェロニカの正体を詳しく話したとしても、信じてもらえるとは思えないけど。

「わたしも行動できるならしたほうがいいとは思うけれど、こういう小さい町だと、噂っていうのは結構脅威だと思うんだ。キリには経験はないかな?」

 まあ、学校生活の中で似たようなことは耳にした気はする。

 この前のテストの順位が最下位だったとか、誰と誰が付き合っていて、大人の建物に入っていったとか、色々あったなぁ。

 そう考えると、噂もあながちバカにできない。

 さっきの店の夫婦も同じだ。

 あからさまに態度が変わったし、俺たち、もとい俺のイメージがかなり悪いはず。

「余所者だっていうことも拍車を掛けているかもしれないね」

 その点も一理ある。

「・・・不本意なんだけどな」

「そこは分かるよ」

 ヴェロニカは分かってくれているらしい。せめてもの救いか。

「明日は早めに町を出よう。夜明け前とかがいいかもしれないね」

 せっかくの布団がもったいないが、ここはヴェロニカの案に乗っかるしかなさそうだ。

 っていうか、ここって異世界なんだよな?

 やってることが地球と変わらないって、どういうこと?

「よし、ヴェロニカのミルクを作ろう」

 グチグチ言ったところで、状況は変わらない。気持ちを切り替えよう。

 時間が掛かりそうなミルク作りを解決していこう。

「どうやって作るんだっけ・・・?」

 なんか、哺乳瓶を煮沸消毒して、お湯は人肌の温度・・・と聞いた気がする。

 ただ、ここには哺乳瓶はない。煮沸する設備もない。

 今気付いたけど、どうやってヴェロニカはミルクを作ったんだ?

「魔法で作るから心配はないよ。ちょっと見てて」

 ミルク作るのも魔法かよ!

「アクア」

 ヴェロニカが両手を前に出すと、空中に水が現れた。

「おお・・・」

 量は三百ミリリットルくらいか?

 どういう原理なんだ?

「それからフレア」

 浮遊する水に、左手から噴射される炎を当てる。

 これでお湯ができる。

「キリ。缶を開けて、少しお湯に入れてもらっていいかな?」

「ああ、おう」

 紙袋からミルク缶を取り出して蓋を開ける。

 白い粉ミルクでギッシリだ。

 付属しているスプーンで、粉ミルクをすくって、指示通りお湯に投入してやる。

「ここでエア」

 炎の噴出をやめて、今度は空中をかき混ぜるように右手を動かす。

 すると、粉ミルク入りお湯がぐるぐると回り始める。

 アクアで水を生成。お湯にするためにフレアで炎を作って当てる。それで風の魔法・エアでかき混ぜる。

「よし、終わり」

 ベッドを叩いて、マグカップを転送。

 そこに出来上がったミルクを注いで、完成。

 ・・・才能の無駄遣いが半端ではないような気がするのは俺だけなんだろうか?

「わたしはゆっくり飲ませてもらうから、キリも食事を済ませるといいよ」

「一人でそんなカップを持てるのか?」

 あー、とヴェロニカは困ったように笑い、

「いつもはグルアキャットにやってもらってたからなぁ・・・難しいかな」

 ミーアキャットにやってもらってたのか。

 さすがに鳥には難しいだろうから、妥当な担当かもしれない。

「俺が手伝うよ」

 空中に浮かぶカップを手に取り、

「ほら」

 口元に持っていってやると、ヴェロニカはどこか照れくさそうにミルクを飲み始めた。

「・・・これ、やり辛いな。ちょっと待ってくれ」

 正面から相手に飲ませようとすると、こっちの手首が苦しい。

 それに、一気に口に入っていきがちで、どこか飲みづらそうに見える。

 一旦、カップをテーブルに置き、部屋を出てフロントへ。

「すいません。飲み物をすくうような道具ってあります?」

「ああ、スプーンか?ちょっと待ってな」

 マーティン(仮)にスプーンを拝借。

 戻って、

「ヴェロニカ、もう一回お湯を作ってくれないか?綺麗に煮沸消毒するから、今度は熱々でいい」

「分かった」

 アクア、フレアの順でもう一度お湯を生成。

 今度はカンカンに温めてもらう。

「オッケー、その辺でよさそう」

 空中にできたお湯にスプーンを可能な限り突っ込んで、

「これで良し」

 パッと見、汚れはなさそうだったけど、念には念を入れておくほうがいい。

 特に相手は赤ちゃんだしな。

「ほら、飲むぞー」

 ベッドに上がって胡坐を掻いて、ヴェロニカをだっこする。

 カップを手に取って、スプーンで一口すくって、

「これでどうだ?」

「ありがたくいただくよ」

 ヴェロニカがスプーンに口をつける。

 ちょっと傾けて、ミルクを飲みやすいように促す。

 これではまるで―――

「まるでお父さんに飲ませてもらってるみたいだね」

 だっこしている赤ん坊の声のトーンは、先ほどにも増して照れが混じっている気がする。

 同じことを思ったらしい。

「・・・一応、あなたが年上だということはお忘れなく」

「照れるなよう」

「はよ飲め」


 もし、自分に子供がいたなら、こういうことをやるんだろうか。

 ミルクの作り方はおかしいし、そもそも嫁もいないし予定もないから、無駄な想像なんだが。


 それでも、こういうことをすれば、誰だってそういうことを考えたりするんじゃないか?

 将来を想像していない俺でさえこうなったくらいだ。


 赤ん坊って、すごい力があるのかもしれない。


 たとえ、相手の正体が本当は十八歳の自称・美少女であっても。


 そんなことを思った夜だった。

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