17
―――拠点を変えて初めての夜が明けた。
さすがに木箱で組んだベッドは固かった。
床とか地面を直にってわけじゃないのがまだマシってくらい。
ただまあ、俺はこういうものと覚悟をしていたので、だいぶ楽ではあった。
要は、床や地面から来る冷気が一番の敵なわけで、それを遮断させすれば固さは堪えられる。
寧ろ、人間はある程度の固さがないとリラックスして寝られないという一面もある。ある程度のテンションの必要性を考えると、ある意味ではちょうどいい感じかもしれない。
まあ、俺はともかくとして、問題はヴェロニカだった。
固い寝床で寝ることに慣れているのか。それによっては寝られず、最悪夜中に起こされるという可能性はあった。
ある程度覚悟はしていたものの、今日に限っては起こされることはなかった。
それどころか、
「あー、よく寝たねぇ!」
・・・と言ったように、すっきりしているご様子で。
そういえば、森では木の枝やホクスの羽で作った寝床を使っていたと言っていた。
木の枝の太さにもよるんだろうが、ある程度は固いだろう。
そう考えれば、木箱の上で寝るとか楽勝だったのかもしれない。
よし、とりあえず最初の懸念点はクリア。
第二の問題はインフラ設備。
要はトイレや洗面台だ。
ラヴィリアは中世時代の文明レベルの割に、水洗設備が整っている。
宿屋もそうだし、カフェのトイレもしっかりしていた。ウォシュレットこそ無いが、そこまでの設備を求めるのは過剰というもの。むしろ、ここまで整っているのが奇跡。
宿屋の設備を可能な範囲で調べてみたんだが、現代的な技術はやっぱり無さそうだった。
その代わり、仕組みの分からない設備がくっ付いていて、蛇口をひねれば、その設備が薄っすら光った。
そもそも、そういった設備に疎いんだが、それを踏まえて考えても、その設備自体が魔法か何かで動いているとすれば、なんとなく分かる。
あまり気にしてこなかったが、ヴェロニカが日常的に使うような魔法の他にも、色々な魔法があるようだ。
で、この工場のインフラ設備だが・・・
掃除はがんばらないといけないが、水は出るようだった。
水道局が管理しているとか、水道代未払いで出ないとか、そういうのが無いんだろう。
それはそれで構わないが、管理しなくても問題はないのだろうか?
それこそ、俺たちのように宿屋に泊まらずにやり過ごすような連中が集まってきそうなものだが。
「キリのご飯は相変わらず屋台なんだねぇ」
「そればっかりは仕方がないかなぁ」
ヴェロニカの力を借りて、朝っぱらから洗面台とトイレの掃除。
それを終えて、用を済ませて顔を洗い、ミルクを作ってヴェロニカの食事。
余計な仕事があったものの、いつものルーティーンを済ませた後は、いつものように街に繰り出すだけ。
「それにしても、今日は早いね」
体感上、今の時刻は午前六時前くらいだ。
宿屋にいる時は午前八時くらいに出発するくらいの感覚。あくまでも感覚だから、もっと遅い場合もあるこたある。
早いのには理由がある。
「大人連中の出勤時間前には工業地区を出とかないといけなくてな」
基本的に、夜中の工業地区は無人に近い状態のはず。
実際、昨日の晩に入った時に人通りは無かった。
本当はもっと寝たいし、ゆっくり支度をして出たって、俺たちは問題ない。ただ、ほぼ無人の地域から、本来入っていく時間帯であるにも関わらず出ていくとなると、違和感を覚える連中も出てくるはず。
それを警戒して、俺たちは更に早く出ているということだ。
「まあ、あえてゆっくり出るっていう案もあるこたあるんだが・・・」
逆にゆっくり出るとなると、仕事をしている大人に紛れられる一面はある。若すぎるとか、そういう点を除けば、あえてこっちのほうが自然かもしれない。
でも、こっちはヴェロニカを抱えて出なきゃいけない。
感じのいい奥様二人との話では、子供の世話をしながら働いている大人はいない感じだった。
それなのに、赤ん坊を抱えて工業地区をうろうろするのは目立ってしまう。
そういう関係で早く出ざるを得ないというわけだ。
「結局、しんどいねぇ」
「しばらくは我慢するしかないな。様子を見て、これからの対応を決める」
二、三日くらいはこの時間帯で活動するしかない。
ある程度、工業地区の環境が分かれば、ここまでならセーフっていう線引きができる。
それが分かるまで、できる限りの警戒をしておくに越したことはない。
「食堂街まで遠いのもあるし、朝の散歩と思って我慢しよう」
「そうだねぇ。でも・・・」
ヴェロニカはきょろきょろしながら、
「散歩するようなところでもないと思うけれど」
―――工業地区は結構汚い一面がある。
どういう仕事があってこの地区で動いているのかよく分からないが、今のところ下町の工場が多いように見える。
ボルドウィンの城下町周り、ボルドウィンの城を見る機会がほとんどないが、宿屋の周辺と比べると汚れが目立つ。
扉が閉じられているから中を見ることができない。今のところ判断ができないが、やっぱり何かの生産をしているところのように見える。いい感じの奥さんの旦那さんは印刷関係の仕事をしていると言っていたし、そういう関係のところもあるだろう。
何かしらの材料や加工の影響で汚れが発生するものだとすれば、納得はできる。
全部が全部そうではないだろうが、赤ん坊を連れて散歩するようなところではない。
「街全体を見てみたい気はするんだが・・・ううん」
ボルドウィン城と、その城下町。
未だにしっかり見たことがないので、見てみたい気はしている。そっちのほうで何か分かるかもしれないし。
ただ、それこそ治安部隊に急接近となる。
俺たちが本当に追われているのか確認したほうがいいかなぁ・・・
俺の気にしすぎなら、それに越したことはないし、気にせず動けるなら調査もしやすくなる。
タイミングを見てトライしてみるのもアリか・・・?
「ご飯を食べたら、今日はどうするんだい?」
工業地区を出た。
とりあえず、食堂街に行ってみる。
「こっちはこっちで調査してみますか」
拠点の心配も一旦解決したし、調査をしっかりしたいところだ。
「マーベルさんとは違う方向性で調べていきたいところだが・・・」
昨日、偶然会ったにも関わらず、嘘設定ではあるが、子供を捨てた夫婦を探してくれると言ってくれたマーベルさん。
一応、調査依頼という形で依頼量が発生してしまっているものの、調査の手が一つ増えたという見方ができる。
マーベルさんは商売関係者に尋ねてみると言っていた。
となれば、俺が同じような人間に聞くのは効果が薄い。
俺はそれ以外で探すほうがいいだろう。
「なら、どういうところを探す?」
「そこだなぁ」
そもそもの話、俺は探偵でも何でもないわけで、そんなに人探しの知識やスキルがあるわけじゃない。
どこをどう探して、どういう人に尋ねてみるのがいいとか、そういうのが分かればやりやすいが、そういうのも分からん。
いや、言い訳をしたいわけじゃあないんだが。
商人関係を外すとなると、これがなかなか・・・
「とりあえず、ご飯を食べながら考えたらどうだい?」
「そうさせてもらいましょうかねぃ」
食堂街にたどり着いた。
今のところ、治安部隊はそう多くはない。朝っぱらから見張るレベルまでの警戒はないのか?
それはそれで良いとしよう。
一緒の屋台でもいいが、あえて別の、昨日とは違う逆サイドの屋台に入った。
「ここはメニューのテイストがちょっと違うな・・・」
昨日の屋台は家庭料理って感じだったが、ここはちょっとオシャレなにおいがする。
相変わらず、頼んでみないと分からないので、今回は適当に・・・
「可愛い赤ちゃんだねー」
店主は品の良さそうなおじさんだった。
「奥さんは家でいるのかい?」
人の良さそうな店主は結構話しかけてくる。
食堂あるある。
いや、俺だけかもしれんけど。
「ちょいと風邪を引いてましてね~。うつらないように退避ですわ」
ということにしておいて。
「そういえば、ちょっと噂を聞いたんですけど」
ある程度飯を終わらせて、
「最近、訳アリの夫婦がボルドウィンにいるって話があるらしいんですけど、知ってます?」
ある程度ぼやかしつつ、話題を振ってみる。
「訳アリ?どういう訳アリなんだ?」
「駆け落ちらしいんですけど」
マーベルさんに話した内容をまた少しいじった。
これは共通した話だが、ヴェロニカを捨てた両親、もしくは片方が、どういう心境でやらかしたのかが分からない。それこそ、駆け落ちかもしれないし、経済的な事情の可能性だってある。
理由が確定できているのなら、それを各方面に流してもいいと思うが、現段階ではそこまでに至らない。
だから、ジャブ気味の振りで様子を見てみることにした。
「あー、どうだろうなぁ。水、おかわりするかい?」
「ああ、どうもどうも」
カップを大将に渡すと、
「ここしばらくは聞かないなぁ」
水を注いで、返してくれた。
「そもそも、ボルドウィンでそういう訳アリの夫婦なりカップルってのは珍しいだろ?」
「まあねぇ」
そうなの?珍しいの?全く分からん。
「ボルドウィンの居住区もああやって一塊になってるし、そういう話はすぐ広まる。俺も商売柄、こういう話も聞いたりするけど、駆け落ち程度はあまり聞かないんだよなぁ」
住民を一塊にしているから、そういう話もすぐに広がるのか。構造上、そうなる理由も分かる。
内容的にも、駆け落ち程度では弱いらしい。
もっと深い話にしておけばよかったか・・・?
いや、大して変わらんか。仮に子供を捨てた夫婦にしたところで、駆け落ちが話題に挙がらないのに、深いほうも挙がらないわけがない。
大将が話題に挙げてこないくらいだ。子供を捨てた夫婦はいない可能性が高い。
逆に心配になってきたことがある。
噂が広まるのが早いってことは、アパート爆破も結構広がっているんじゃないのか・・・?
訳アリ夫婦がいるって話は、大人にとっては絶好のゴシップネタのはず。
そういうのが好きな連中もある一定数はいると思うが、アパート爆破はネタとしてもっと強いんじゃないか?
「そういえば、とんでもない事件があったんだが、知ってるか?」
「ん?どんなです?」
「どうも、子連れの男が居住区の安アパートを破壊したらしいぞ」
ドッと嫌な汗が噴き出てきた。
「ほ、ほお・・・」
ヤバい。手汗が・・・
というか、
「子連れの男がアパートを壊したんですか?」
「おお、そうらしい」
その件、十中八九、ヴェロニカがカマしたアレだろう。
ただ、赤ちゃんが魔法をカマしたんじゃなく、大人の方がカマしたことになっている。
「いやー、俺も帰りに行って見てみたけどさ、あれはすごいな。ボルドウィンお抱えの黒魔術師と一緒か、それ以上の威力が出てる」
「さすがはわたし!」
おい、聞こえないようにしろよ、マジで!
ここで大将に聞こえてたら洒落にならん!
「ありゃあ、相当名のある黒魔術師なんだろうなぁ。でも、なんであんなところをわざわざ攻撃したのかが分からん」
有名な黒魔術師じゃないし、ただ芋二人を焼こうとしてぶっ放しただけだ。
とりあえず、大人が仕掛けたことになってるし、今のところ頭の片隅に置いておく程度で問題なさそう?
でも、何で赤ちゃんじゃなくて、大人がやったことになってるんだ?
「ボルドウィンはこの辺りじゃあ治安はいいほうだし、そういう頭がおかしい奴はそうそういないと思ってたんだが、危ない思想を持った奴がいるのかもしれん。お客さんも気をつけたほうがいいぞ」
「そうですねぇ。気を付けますわ」
大将・・・気を付けるなら、今俺の膝の上で座ってる赤ん坊だぞ・・・
とりあえず、機嫌を損ねることを言わないほうが身のためだ。
「じゃ、ごちそうさん」
「また来てくれよ」
「おー、来る来る」
適当に返しておき、会計を済ませて店を出た。
「話題にはなってるんだねぇ」
「撃ったのは俺ってことになってるけどな」
どこでどうなったら俺が悪いことになるんだよ。
まあ、噂ってのは尾ひれが付いて広まっていくものだ。発信源は正確な情報を出していても、途中で誇張されたり、個人的な主観が入ったり、話がすり替わったりする。
特に、ラヴィリアは文明の利器がほとんどない。スマホで動画撮影をするとか、個人レベルでそういったことができないから、証拠を残す能力も無いに等しい。生活者協会でタブレット端末はあったが、あれにカメラの機能もなさそうだったし・・・
パスポートもスキルやジョブの選択機能と、現状のステータス確認くらいの機能しかない。せめて電卓でもあってくれたら助かったんだが、これに関しては言っても仕方がないし、今はどうでもいい。
とりあえず、気にしておかなければいけないことは、ヴェロニカじゃあなく、俺がマークされている可能性があることと、子連れであることの二つ。
危険を低くするための解決策としては、
「なあ、やっぱり日中は俺が単独行動したほうがいい気がするんだけど・・・」
一人でうろうろしているほうが、子連れであるという条件から外れる。これだけでもリスクはかなり低くなるんだが、
「えーっ、一人じゃ寂しいじゃない。ヤダ」
・・・という風に嫌がられる。
一応、年齢は十八歳なんだよな?だったらちょっとは我慢してほしいんだが・・・
「仕方がないか・・・」
単独行動のほうがいいと提案はしたものの、リスクは下がるかもしれないが、俺一人では分からないことが発生するかもしれない。
そんなにガンガン起こるわけじゃないにしても、そこで怪しまれたら詰む可能性もある。転移者であることがバレることは問題なさそうだが、ラヴィリアの常識は日本の常識ではない可能性は未だにある。
「とりあえず、行く先々で聞いてみるのが手堅いかな」
飯屋で尋ねてみるのはいいかもしれない。
商人周りは除いて、俺たちが行ける範囲だと、今はこれが限界か。
「明日マーベルさんと会うんだよね?それまではわたしたちでできる限りのことをすればいいと思うよ」
「そうだな」
それ以上をやりたくてもできないっていう面もあるが、まあ、いいでしょう。
しかし・・・俺がやったことになってんのかぁ。嫌だなぁ。俺は何も悪くないのに・・・
これ以上事態が悪化しないといいんだが・・・