4 不信感
当然、私は家に帰って無断で会員になったカソードを叱った。
でも、カソードもいたって冷静にこう言う。
「入会しても、体力を使うことは極力させないからって会長も言っていたから大丈夫だし、あの人なら信用できるでしょう。
「僕は人のためになりたいんだ。
「会長はこの種を育ててその美しい花を咲かせて欲しいんだって。きっとそれは人々の心にも美しく映って、みんなが幸せになれるから、こんな世界でも、こんなにきれいな花が咲く、咲かせることが出来るってそれを見せてあげたいって。
「この花の種は、きっと、とても大事なものらしいんだ。
「僕の仕事は『この花を育てる』くらいだよ。それしかできない。だから、結局のところ、今まで通りの生活とは何も変わらないよ」
そう力なく笑う弟、カソードの手には大ぶりな種がひとつ握られていた。
それから、カソードは熱心に種の世話をした。
こういう種は土にまく前に1日水に浸しておく必要があるらしい。きっと、そういう知識も教会の図書館から得たものなのだろう。種をまく土自体を育てる必要があるといってカソードは、色んな野菜のくずや近所のおじさんが飼っている鳥の糞とか(鳥も飼育するためには申請が必要だが、このおじさんはしていなかったはず)、たくさんのものを土に混ぜていた。
今までも、こういったことをしたい気持ちはあったらしいのだが、体調が悪くてなかなか実行に移せなかったとカソードは笑う。
会長から、会員にならないかと言われた日から、カソードの体調はとてもよくなっているようだ。種がまるでカソードの病気を吸ってくれているようで、私も種を貰ってから一週間後には、彼の選択は間違っていなかったのだと感謝するようになった。
そうして、カソードが種を貰ってから、つまり「白の会」の正式会員になってから、半年がたった。
私の生活で変わったところと言えば、家に帰ればカソードが玄関で待っていてくれるか、庭先で『育成日記』というものを真剣な表情で書き記す姿が見られることだ。半年前には、カソードが活動しているなんて、ありえなかった。苦しそうにベッドの上で寝ているか、本を読んているかで、良くても力なく微笑みながら、玄関から見える椅子に座って私の帰りを待っているのが常だった。
「この植物は凄いんだよ! 普通の植物よりも育成が早いんだ」
そう意気込んで見せてくれる、育成日記を見てみると、何もわからない初心者の私でも、その速度が異常なのは理解できる。今の植物の大きさはカソードの身長とほぼ変わらない大きさになっている。茎も太く、葉も大きい。
「きっと僕の気持ちが伝わっているんだ」
カソードはそう言うが、私はそれよりも植物の成長の方が気になって仕方ない。
異変はそれから一か月後に現れた。
植物は順調に成長しているが、カソードの身体に異常が現れた。
顔は真っ白になって、何を口にしても吐いてしまうようになり、口に入れられるものは水だけになった。それに合わせて教会からは薬を変えてもらっているが、一向に良くならない。なにより、そういう明らかにおかしい状況にもかかわらず、本人はそれを気に留める様子もなく、「今日も花のお世話をしなきゃ、もう少しで咲きそうだから」と笑い、元気そうに動き回っている。
「本当に何も食べていないけど、平気なの? 食べたいなら缶詰じゃない果物でも、一緒にヌードルを食べに行ってもいいんだよ?」
「ううん、大丈夫だよ。きっと、これは薬の副作用? なんじゃない? 僕は全然平気だもん」
こんな話を何回しただろうか。決まってカソードは、最後にはお姉ちゃんは心配しすぎだと
逃げるように庭に出て行ってしまう。
絶対に何か変だ。
会長なら、会長ならきっと何かを知っているに違いない。カソードには止められているけど、このことについて会長を訪ねないわけには行かない。
私は、仕事に行くふりをして教会に向かう。
きっと会長は間違っていないのだろう。「この薬を飲んでいれば、良くなる」そう言って私を安心させてくれるだろう。それさえしっかりと本人から言って欲しいだけ。
ここ最近会長は忙しいのか、礼拝の時も上級会員に任せて自室にこもっている。きっと公務が忙しいだけ。私はそう自分に言い聞かせる。疑ってはならない、それは不徳の致すところ。
「会長か? ここ最近ずっと会長室にいるな。何度か様子を見に行ったが、いるにはいるらしい。ずっと夜遅くまで何やら調べ物をしているみたいだ」
教会の会員に、会長のことについて聞いてみるとこんな答えをくれた。
私は一気に喜んでしまった。会長はカソードの体のことを心配に思ってくれ、その解決策を探してくれているんだ。
私は、会長の部屋へと行くことにした。会長への疑いはほとんどないと言っていい、けれど、どこか気にかかってしまう。
会長のドアの前まで来て、私は逡巡してしまう。ノックをするだけでいいのに。それさえも出来ずにいる。
「誰かいるのかい?」
迷っていると部屋の中から声がした。
「えっと、エリシアです」
「エリシアか。どうしたんだ? 中に入ってくればいいのに」
そう言われて私は、ドアを開ける。
執務机にはいつも通りの穏やかな表情の会長が座っていた。その机の上には、書類が山のように積みあがっている。
「すみません。お忙しい中、押しかけてしまって」
「いや、構わないさ」
会長は山になった書類をポンポンと叩く。
「それは、もしかして、カソードの……」
「うん? ああ、そうだね。カソードは元気かい?」
「元気……と言えるのですかね。カソードは何ともないって言ってるんですけど、顔面は蒼白ですし、まともな食事はとっていないんです。でも、やっぱりカソードの言う通り、特に苦しいとか気分が悪いってことはないみたいで……」
「ふむふむ。そうか、そうか」
会長は何かを確かめるように、何度が頷く。
あれ、今、少し笑っていたような。
「カソードは大丈夫なんでしょうか? つまり前みたいに、半年前みたいに元気な姿をみせてくれるのでしょうか」
「うん。それは心配することはない。カソードは役割を全うするだけだ」
「全う……? それはどういう意味でしょうか」
会長は深くため息を吐く。
「そのままの意味だ。カソードは役割を与えられ、やっと役に立てているんだ。それは幸せなことだろう? 神はあの子に重要な役割をお与えになった」
「会長。仰っていることがよくわかりません」
「あの種はね、魔力を吸うことでしか成長できない植物の種なんだ。カソードの体調が悪かったのは、『白魔狂症』と呼ばれる病気でね、それを緩和するためにはその身に蓄えきれずに暴走している魔力を排出しなければならない。その魔力を吸ってくれるのが、あの植物さ」
執務机に座り、立ったままのエリシアを見上げる会長。
「きっと、カソードも本望だろう。その膨大な魔力のせいで、今までろくに役に立つことが出来なかったのだから。それが今は神の植物を育てるための重要な役割を担っている。喜ばしいことじゃないか」
知らずのうちに、拳を握りしめていたのか、手の内が血でぬるぬるとしていて気持ちが悪い。
「どうせ、先がなかったのだ。喜んではどうかな。最後に紙の役に立つことが出来たのだから」
「あなたは、」
私は、自分の声がしゃがれていて驚く。自分のではない、他人の声に聞こえる。
「会長は、カソードを利用したのですか?」
「利用とは、少し乱暴な言い方だな。しかし、いずれ病死するしかない未来だ。それを有意義な時間に変えてやるのが、私の役目だ」
目の前に座る男の目が、人間のものとは思えない光を宿っている。
「じゃあ、そのよくわからない植物のために、カソードは……」
眩暈がする。口から自分の意志に反して勝手に言葉が出てくる。
「失礼だね。神が与えてくださった植物だ。まあ、それについて君に教える必要はないだろう。どうせ、すぐにわかることだから。きっと、君も感謝することになる。カソードが育ててくれたこと、カソードが育てた花にね」
私の体はその言葉に、会長の首元を掴もうと動き出す。
が、それは叶わなかった。
会長の薬でカソードが一時的であるにしろ、元気になったんだ。私が今、ここで決定的な不遜な態度をとってしまえば、大好きなカソードが救われないのではないかと思ってしまったから。
そんなことをしてしまえば、カソードに軽蔑されるだろう。
「どうかしたのか」
感情もなく会長は私の目を見つめる。
「いえ、会長のお考えは理解しました」
「そうか。では、調べ物の続きをしてもかまわないかな。時間がないものでね」
「はい。これで私は失礼します」
その帰り道はどうやって帰ってきたのか、覚えていない。
気が付くと、そこは私達の家の玄関先で、カソードは一輪の大輪の花を抱えて倒れていた。