八話
カインにも休日というものがある。
エリステスはカインが意気揚々と外出しようとする姿に唇を噛んで物言いたげにしているが、声にされぬ要求をカインは汲んでやる気がない。
「それじゃあ俺はお出かけしてきますね。良い子でお留守番しているんですよぉ?」
「……お前は主人を馬鹿にしすぎている」
「ご主人様は自分が賢い人間のおつもりでいらっしゃるの?」
歪んだエリステスの顔を堪能して、カインは胸をほくほくさせながら「お出かけ」を開始する。
降り注ぐ陽光も、吹き抜けるそよ風も、鼻腔をくすぐる人々の営みの気配も、なにもかもが平和のなかだ。
カインは街中をぶらりぶらりと歩いては、眩しげに赤い目を細める。
この世界はとても安定している。
空から落ちてくるものがあれば、それは水でできている。透明な水だ。凍っているか、いないかの違いはあるけれど。
カインは口端を引き上げて、冒険者ギルドへ向かった。
傭兵の休暇に冒険者をしていたように、騎士の休日に冒険者をすることは、カインにとって大したことではなかった。侯爵家にとっては問題なのかもしれないけれど、交わした契約書面には冒険者活動を禁ずるなどと記載はされていなかったのだ。
まさか、従者、騎士となってまで冒険者として活動するなどと思っていなかったのかもしれないけれど、それはあちらの不手際、認識不足が招いたこと。
カインとて、冒険者ギルドを訪れるのは数年ぶりであった。
顔ぶれはきっと随分変わっている。
さしたる問題ではない。
カインは積極的に他の冒険者と関わりを持たなかったし、無名のカインに近寄る冒険者もいない。
しかしながら、灰を被ったように真白の容姿は悪い意味で目を惹くのだろう。冒険者ギルドを訪うカインへ向けられた視線は好奇を隠さない。
真白の幽鬼などとご大層な名で呼ばれる傭兵のカイン。
事実、その容姿は薄気味悪い。
僅かにひとが距離を取るのににたにたと嗤いながら、カインはランクの低い採取依頼を請ける。ちょっとしたお小遣い稼ぎにきたので、日帰りで済むものがよかった。
手続きを済ませて意気揚々と冒険者ギルドを出ようとしたカインは、自分と入れ違いに訪ってきた相手に赤い目をまあるくさせる。
カインの背後ではざわめき。
あの、やら、あれが、やら、有名人を噂する気配。
「Sランクのフライハイト」
ぱちん、と鳴らした指で相手を示せば、彼、フライハイトは露骨に顔を顰めた。
薄気味悪い相手に不躾な反応をされれば当然の反応だろうと理解するが、カインは気にしない。
カインがエリステスのもとで日々を面白おかしく過ごすより以前から、将来有望な冒険者としてフライハイトは名が挙がっていた。
案の定、フライハイトがSランクにまで上がったことをカインが知っているのは、彼を注目していたからではない。
エリステスの私室の机を暇潰しに漁ったときに、フライハイトに関する書類があったのだ。
カインの書類も一緒にあったので、どちらかを騎士にと考えてカインが選ばれたのかもしれない。
そんな馬鹿な。
(あの我儘なエリスちゃんが、癇癪持ちで思い通りにならないものに堪えられないエリスちゃんが、悩んだものを早々簡単に切り捨てられるものですか)
天秤にかけて悩むほどのものがあるのなら、どちらかを採用しても、もう片方もなにかしらで利用しようとする。
エリステスはあれもこれもと欲しがる可愛いかわいい糞ガキだ。
なにかあった、なにかある。
確信したけれど、カインは調べるようなことをしなかった。
エリステスの稚拙な思惑に、一切知らないまま乗ってみたいと思ったのだ。
いったいなにが待っているだろうか、エリステスは自分になにを望んでいるのだろうか。
いいや、自分にはなにも望んでいないのかもしれない、とカインは思う。
エリステスはなにがどうなることを望んでいるのか。
カインは、エリステス自身にも分かっていない気がしてならなかった。
なんといっても、あの面白い主人は愚か者であるので。
「はっはー、入り口塞いじゃってごめんなさいよ。どーぞどーぞお通りになって、Sランク様」
恭しく出入り口からどいたカインに胡乱な視線を向けるも、フライハイトは何も言うことはなく彼の横を通り抜ける。
フライハイトはカインのことなど覚えていないだろう。
いかにも他者に興味のなさそうな人間であった。
どれだけカインが奇異な容姿をしていようが関係ない。もし、カインが明らかにフライハイトを脅かすような真似をしていれば、存在であれば違ったのかもしれないけれど、冒険者のカインヘルは十把一絡げ、ひと籠幾らの塵芥でしかない。
カインはにこにこと笑みを浮かべて冒険者ギルドを出て行く。
依頼はすぐに終わらせよう。
目一杯休日を楽しむつもりであったけれど、すぐにエリステスのそばに帰ってあげよう。
土産話に希少なSランク冒険者の話をしてあげたなら、きっとあのご主人様は大層お喜びになること間違いない。