七話
エリステスは希望に溢れた将来に向かい、努力を重ねる優秀な少年であった。
あった、とは過去形の言い方であるが、成人して侯爵となった現在でも彼が努力家でないわけではない。
ただ、直向きに前を見据えて、盲目に未来を信じていた少年はどこにもいない。
エリステスは努力家であり、努力した分の結果を必ず残せるだけの秀才でもあった。
努力型の秀才と聞けば、おのずと相性の悪い存在というのは思い浮かぶ。
生まれながらの天才というものである。
誰に何を与えられたわけでもなく、血の滲むような努力を重ねたわけでもなく、平然と大それた結果を叩き出す。
天才にも分野があり、ピンからキリまで存在する。
エリステスの不幸、あるいは不運は、その天才が同年代で同じ場所に存在したことだろう。
貴族の子息はそれぞれ家庭教師を招いて、家の方針に沿った教育を受けさせるのが通例であるが、国力の底上げを狙って集団教育案が出された。
集団で学ばせることで平均的な能力を割り出し、それぞれの得意分野をより分け伸ばそう、といったものである。
試験組としてエリステスも選ばれ、他の貴族の子息も集まるなか、民間教育機関を代表して庶民もまた集められた。
洗練された教育を一身に注がれてきた貴族か、それが血肉であるとひたすら己を磨いてきた庶民か、どうしても比べる視線はあった。
本人たちもお互い負けられぬという意地があり、教育に対する姿勢は大人の目から見ても貪欲であった。
ただ、庶民の一人であるフライハイトを除いて。
薬に狂った娼婦の腹で奇跡的に問題を抱えることなく生まれてきたフライハイトは、しかしまともに育てる親もなく畜生のような体でいるのを発見され孤児院に送られた。
決して裕福ではなく、むしろ貧困生活のなかで生きていくには自立を覚えなくてはならなかっただろう。生きる術ならばなんであれ、磨かねばならなかっただろう。
なにも知らねば人々が判断する尽くを裏切り、フライハイトは必死も懸命も知らなかった。
エリステスと同い年であるフライハイトは、何事にも面倒臭そうな態度を崩さぬくせに、何事にも突出した結果を出していた。
座学も、剣術も、フライハイトに敵うものは貴族にも庶民にもいなかった。
座学は半分居眠りをしていることもあるし、剣術は直前まで不真面目に剣先で遊んでいるのに、誰もフライハイトに勝てない。
誰もが悔しかったし、誰もが追いつこうと足掻いて、次第に諦め、そういうものだと認めていった。
エリステス以外。
環境による不公平を出さないために、集団教育機関は寮で生活をすることになっており、部屋は二人一組で使うことになっていた。
フライハイトはエリステスの同室者であった。
エリステスはフライハイトがどのように日々を送っているか、他のどの生徒よりもよく知っている。
夜はさっさと寝て、朝も寝穢く寝ている。
課題はこなすが、そのために勉強をしている様子はなく、試験前に備えることもない。
体を鍛えているところも見たことはなく、強いていえば柔軟体操くらいなものだろうか。
エリステスは夜は遅く、朝は早く勉強し、体を鍛えてきた。
努力して努力して努力を重ねて、怠惰を晒すフライハイトに勝てない。
積み重なる焦燥感と悔しさに喘ぐ日々、とうとう集団教育も終了の日を迎える前夜。
エリステスは日々を振り返って何一つとしてフライハイトに敵わなかった己に絶望し、苛立ち、歯を食いしばって涙を堪えていた。
「なあ、俺のタオルそっち……お前、泣いてんの?」
間が悪く、フライハイトがエリステスの寝室へ入ってきた。彼はノックをしないで入ってくるときがあり、当初はそれを咎めたエリステスであったが、そもフライハイトがエリステスを訪う回数自体が少なく彼が改めることはなかった。
思えば、長い会話をしたのはこのときが初めてだったのかもしれない。
「黙れ。泣いてなどいない。お前の探し物も知らん」
「いや、どう見ても涙目じゃねえか」
「違うと言っているッ、入ってくるな!」
怒鳴るもフライハイトはエリステスの目の前にまで立って、エリステスよりも高い位置にある目線で見下ろしてくる。
なにもかもが癪に障った。
共同で使っている場所ではない寝室にずかずかと踏み込まれたことも、過去の注意を無視されていることも、こちらの感情の機微も気にせず勝手な振る舞いをしてくることも。
どれだけ努力を重ねても、片手間にこなすフライハイトに何一つ敵わないことも。
エリステスの感情の波が、限界値にまで達した。
どんな言葉を叩きつけたのか、正確には覚えていない。
きっと、言ってはいけないことを言った。
言葉だけではなく、暴力も振るったと思う。
けれども、全ては後からぼんやりと思い出せたことで、そのとき、エリステスは気づけば冷ややかな目をしたフライハイトに見下されていた。
いつ、足元を払われたのか分からない。
遅れて痛むのは打ち付けた体。
見上げた先でフライハイトがため息混じりに呟く。
「よっわ……」
肩を上下させて出ていくフライハイトの背中に指が伸びかけたのが何故なのか、エリステスは憎悪故だと頑なに信じている。