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六話




 カインにとってエリステスは愉快な存在であった。

 エリステスは凡人だ。

 生まれか育ちか知らないし、知ったことでもないが、不相応に高い自尊心の所為で生きるのが大層下手くそである。

 珍しい人間ではない。

 周囲を見下し、頑なに自身が器に見合わぬ自尊心を持っていることを認められない低俗な人間。

 エリステスもその部類だ。

 己が凡人であることも、見合わぬ自尊心が招いた劣等感も、多少は自覚しているだろう。

 自覚したからといって、認められるかといえばそんなことはない。

 エリステスは苦しんでいる。

 ぐちゃぐちゃと臓腑を食んで燃やすような理不尽な憎悪と、こども染みた八つ当たり。その受け取り手、叩きつけたい相手が目の前にいないことに、それはそれは苦しんでいる。

 カインがエリステスの従者にと望まれたのも、カインがエリステスと対面するより以前からあった某かの問題があってのことだ。

 詳しく聞いたことはないが、聞かなくても分かる。

 なんといっても大事な大事なご主人様のことなのだから、カインはとっくりとそのご尊顔を眺めて嗤って酒のつまみにしている。

 不意に零される憧憬と表裏一体となった憎悪は醜悪で、自覚するからこそ唇を噛み締める姿は惨めだ。

 カインのような不遜そのものの従者を騎士を放逐することも処刑することもできない侯爵様に、哀れみと大笑いが止まらない。

 カインにとってエリステスは可愛いかわいい大事なだいじなご主人様だ。

 それはもう、大切にたいせつにお仕えする所存である。

 エリステス自身にはいまいち信じてもらえていないのか、時折癇癪を起こす彼はカインに物を投げつけながら叫ぶ。


「お前も私を馬鹿にしているんだ! 私を見下して……私があいつの前で無様を晒す瞬間を見たいがために、嘲笑いたいがためだけにここにいるんだろう……! そうして、気が済んだら私などとっとと捨てて……見切りをつけてっ、また傭兵にも戻るんだ!! あいつにも敵わず、騎士にすら見限られたものとして私はさぞかし滑稽だろうな……!!」


 怒鳴って泣いて叫んで、物を投げて掴みかかってめちゃくちゃに腕を振り回して、最後にはその場にしゃがみ込んで固く我が身を抱きながら震えるエリステス。

 エリステスの癇癪は年々酷くなるけれど、カインにとっては大したことではない。

 なんなら、物を投げつけずに凶弾を放ってくれたって構わない。カインにとっては痛くも痒くもない。


「平気ですよ、大丈夫ですよ、俺がご主人様から離れるなんてそんな。ご主人様みたいな貴重なの早々いませんよ。俺には愉快で哀れで無様で滑稽で大事なご主人様しかいませんよ」


 慕わしい友人のように蹲るエリステスを抱いてやり、耳元で何度もなんども「大丈夫」と囁いてやるが、もしも冷静な第三者がいれば「大丈夫な要素がどこにもない」と指摘したことだろう。

 ぐずるこどもそのものの仕草でエリステスが首を振っても、カインは辛抱強く、あるいはちっとも手間になど感じていないような顔でエリステスを抱き上げて、ソファに横たえてやる。

 自分はソファにぺたりと頬を寄せ、赤い目元を絶え間なく濡らすエリステスを見つめるカインは、慈しむのによく似た手つきでエリステスの髪を梳いて、この顔も好きだなぁ、と唇を歪めるのだ。


「ご主人様、人間なんて、生きとし生ける全てのものなんて、まとめて死ぬときは死ぬんです。あっという間、一瞬に燃えて、消えて、美しい汚穢になって、おぞましい幽玄となるのです。有象無象の優劣なんて一切ありません。全て、全てが等しく、それだけが唯一絶対の平等です。

 幾らでも思い煩ってください。幾らでも憂い沈んでください。俺はその稚さがだあぁいすきですよ」


 とびきりやさしい声音で、特別な秘密を明かすように囁くカインを、エリステスの赤くなった目が見つめ返した。


「…………お前の言っている意味が分からない」


 緩くエリステスが首を振る。

 ソファへ頬を押し付け、小さく鼻を鳴らす。


「お前のことが分かったときなんて、一度もない」

「相手のことを理解したなんて、それは九割九分が妄想ですからね」

「……カインヘル」

「はいはい、なんですかぁ? エリスちゃん」


 戸惑い、躊躇に怖じたエリステスの手が、震えながらカインへ伸ばされる。

 カインの気味悪いほど白い手が、エリステスの手を掴んで自身の頬へ押し付ける。

 意外にも、当然ではあるが意外にも。カインの頬は温かい。


「……お前は私の騎士か」

「若い身空で呆けました?」

「…………お前が私の騎士なら、いつまでだ。いつまで、お前は私の騎士でいる」


 手のなかにあるエリステスの手を握りしめながら、カインは猫のように嗤う。


「それって俺が選ぶことでも決めることでもないでしょう? ご主人様は、一体俺がいつまで必要なんでしょうねえぇ?」


 皮肉な声音に反して、手の甲を撫でる指先の優しさにエリステスはソファへ顔を押し付け視界を塞いだ。

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