四話
「ご主人様が出世……後継いだって出世でいいのかしら? まあ、儀礼称号とやらではなく立派な爵位持ちになって、ぼかぁ涙が出るほど嬉しいですよ。くすん」
叙爵にあたって様々な挨拶やお披露目やらを終えたエリステスは、ようやくひと息ついたところでかけられたカインの小馬鹿にしたような言い回しの祝いに眉間へ皺を寄せる。
カインは出てもいない涙をハンカチで拭っており、口で「くすんくすん」と繰り返している。
「……素直に祝うことができないのか」
「幾らくれます?」
「私が馬鹿だった」
カインに自分を祝う気持ちがあるわけなどなかった、とエリステスは顔を顰める。
エリステスが侯爵となり、カインはその騎士となった。
公の場に伴って立つこともあるというのに、今から頭が痛い。
カインはいつもエリステスを、エリステスに限らず周囲を小馬鹿にしたような言動を繰り返す。
いや、正確には道化のような言動が際立っているだけであって、真実相手を馬鹿にしているのかといわれると……そんな気もしてくるのでエリステスはなんとも言えない。
カインの噂を聞いたとき、エリステスは複雑な気持ちになったのを覚えている。
行く行くは騎士となる従者、己の手足、手駒として欲しくて、でもそんなものが必要ないと言い切ってしまいたくて。
結局、エリステスの複雑な心は、不出来な息子を補いたい実父によって汲み取られることがなかったのだけれど。
じくじくと膿んだように痛む胸を強く押さえて、エリステスは俯く。
「あら、心臓でも痛いのかしら? お医者さん呼ぶ?」
「いらん」
「あらそう。必要だったらいつでも呼んでね? 俺はご主人様の忠実な騎士ですから」
胡散臭いことこの上ない台詞を胡散臭い笑顔で吐いて、カインはその場でくるりと踊った。
登城するエリステスに伴って歩いていたカインは、前方からやってきた貴族の厭らしい視線に一歩エリステスの前に立った。
思わぬカインの騎士、護衛らしい姿にエリステスは瞠目したが、相手が貴族である故に手で制して自身の前に立つ貴族と相対する。
「あのアベルカムが個人の騎士になるなどと驚きですな」
しみじみと言う貴族が誰であるか、カインは知らない。
貴族の間で名の知れているカインであるが、カインにとっては金さえ払ってくれれば誰でもいい。支払いを渋るような輩、相場を理解しない輩はブラックリストに明記して覚えるが、特筆事項もないお客様は特に覚える必要もなかった。
相手が貴族であろうが、国であろうが、覚えなくとも問題ないだけのものが、カインにはあったのだ。
「ラストベル侯爵も人が悪い。アベルカムの独占など……どれだけの損失かご理解いただけないわけではないでしょう?」
「私が求め、彼が応じた。主人と騎士の関係には口を挟まないでいただこう」
「ははは、貴族と騎士の関係でしたらもちろんですとも。しかし、アベルカムですよ? 無色透明とも呼ばれる彼の価値を、ラストベル侯爵……あなたはほんとうにご理解していらっしゃるのか」
エリステスは冷ややかな面を保っているが、その内心が苛立ちと怒りに染まっていることがカインにはよく分かった。ご主人様はなかなかの癇癪持ちなのだ。貴族でなければ今頃怒鳴って杖の一つも床へ叩きつけていることだろう。教育とは素晴らしくも哀れである。
「アベルカム、お前も戦場が恋しいのではないか? 個人の騎士に収まって、安穏とした日々を送るなど……常に戦場を渡り歩いていたお前には些か物足りないではないかと心配だ」
「度が過ぎるぞ」
「おっと、これは失礼しました」
はっきりと不愉快を滲ませてエリステスが言えば、貴族はおどけたように謝罪する。
エリステスを舐めきった態度に彼は拳を握ろうとして堪える。
カインを従者としたときから、こういった出来事は何度かあった。
貴族でもないカインがエリステスに仕えることが不相応なのではなく、エリステスではカインの主人として不相応だと、そう嘲られるのだ。
カインが騎士となって表に出ることで、これからは益々増えるだろう。
忌々しいけれど、自業自得だと思う部分がエリステスにないわけではない。
あのとき、いまも、自分が、と噛み締める苦いものがエリステスには常にある。
「ご主人様ぁ、このボールって城の飾りかなにかっすか? 王侯貴族のトレンドにカインくん大分ついていけないんですけど」
「お前はなにを言い出している」
「え、ご主人様もこのボールがいけてる派……?」
「馬鹿なことを言うんじゃない」
「ですよね! 安心したー……となると、やっぱりこれって趣味悪いのか……城内の調度品担当者クビにしたほうがいいんじゃねぇの……」
エリステスは突然王城の人事に口出ししだしたカインに真顔になる。いや、一介の騎士が王城の人事に口出しは確かにまずいが、それよりももっと差し迫った問題がある。
目の前で「ボール」と罵られた貴族が唖然とした後、ボールのように丸い顔を真っ赤にし始めた。
「ぶ、無礼なッ!」
「生まれつきだよ。自分ではどうにもならない生まれ持ったものを攻撃するとか、どんな神経してるんだよ。育ちが知れるわ」
生まれつきの無礼をまるで先天性疾患が如く当然の顔をして押し通すカインに、貴族は一瞬納得しかけた。エリステスも事前に調べたカインの両親を鑑みるに、カインの性根はサラブレッドなのかもしれないと思ってしまい、すぐに我に返る。
「しゅ、主人が主人なら騎士も騎士だな!!」
「やったじゃん、ご主人。ウルトラスペシャルパーフェクトこの世に生まれ落ちた奇跡の存在だってよ」
「……それはお前が自分をそう認識しているということか?」
「え? 他になにかあんの?」
主人が主人なら騎士も騎士。
つまりは片方がウルトラスペシャルパーフェクトこの世に生まれ落ちた奇跡の存在なら、もう片方もウルトラスペシャルパーフェクトこの世に生まれ落ちた奇跡の存在なのだ、とカインは輝く笑顔を見せる。病的に白い顔に浮かぶ笑顔は気味が悪い。
「主人なら騎士の管理もしておくべきではっ? 気分が悪い、失礼する!」
カインの弄言に付き合っていればろくなことにならないと察したか、足取り荒く貴族去っていき、エリステスはその背中に呟く。
「管理できるなら、とっくにしている……」