三人の美女と『さしすせそ』
今の状況に関して言えば、吉岡卓郎の責任はほぼゼロパーセントであると言えよう。
卓郎は今、自分の住む5万円のアパートの部屋の中央で、体中をガムテープで縛られ、床に転がされている。
口はさらに厳重に巻かれ、首を動かすと髪の毛が引っ張られる為、比喩でなく首が回らない状態。
卓郎が熟睡しているところをインターホンで起こされてから、不用意にドアを開け、この無様な姿にされるまでわずか数分の出来事だった。
卓郎は寝起きのぼんやりとした視界の中で、自分をこのような姿にした三人の若い女性を見上げている。
年齢は二十台前半から中盤。
それぞれタイプは違うが、かなりの美人揃いだ。
三人とも下はお揃いのジャージを履き、上は赤・白・黒と色こそ違うが、Tシャツで統一。
なお、靴はサンダル、スニーカー、革靴とバラバラだが、土足で床を汚すことに葛藤が見られない点は統一している。
髪は動きやすいようにまとめられており、バイト求人雑誌に載っている軽作業バイトのお姉さんを思わせた。
彼女達は、ひと仕事終えた満足感でもあるのか、互いの健闘を称えあうようにほっとした表情で顔を見合わせている。
卓郎は、白シャツの肩越しに見える壁掛け時計に焦点を合わす。
――朝の九時か。よく寝たなぁ……。
卓郎は薄く笑う。
昨日は夜9時に仕事から帰宅し、シャワーを軽く浴びてそのまま寝てしまった為、かれこれ10時間以上寝てしまったことになる。
今日は久々の休日だが、特に用事もない為、別に問題はない。
――なのに。
妙に惜しい気持ちになっている自分の心の内を感じ、笑ったのである。
このような奇妙な状況にありながらも卓郎が笑っていられるのは、寝起きだからという理由のほかに、卓郎の置かれている光景が現実味を感じられない為である。
卓郎がこのワンルーム8畳の部屋に引っ越してきてから早十年が経つが、昨日までの女性の訪問者は0であった。
そこに、いきなり美女三人組がやってきて、身動きが出来ないほどに縛られるという謎の展開。
人に話したところで「まさか?」と鼻で笑われるような状況を卓郎が受け止めきれないのは致し方ない。
再び卓郎は彼女達に視線を移す。
彼女達は卓郎を見下ろしながら、何か小声で相談している様子。
ところどころ聞こえてくる「殺す」や「去勢」などの単語に震えつつも、むかし観た映画に、これと似たような場面があった事を思い出した。
題名は不明。
しかし、思春期に観たこともあり、卓郎の心に深く刻み込まれた映画である。
映画の中で男達は鎖でつながれ、ビキニアーマーを装備した屈強な女性たちに『あんなことやこんなこと』をされる。
男たちは、次々と干からびるように朽ちていく事になるのだが、卓郎は胸の内にふつふつと湧き上がる羨望と恐怖に戸惑いを覚えた。
あの不思議な感情を自分なりに整理したいと、思い出したようにネットで検索してみるものの、未だ見つけられていない。
最近では、数日前に検索を行った。
たしかその時、検索中に急に「グー○ルユーザーのあなた、おめでとうございます!当選しました!」と、画面が切り替わり、卓郎は酔った勢いで何が当選したのかも確認せず、言われるままに入力した記憶がある。
思索は続く。
そして、卓郎の中で点と点が繋がり、一つの結論へと収束してく。
――なるほど。
彼女達は当選商品としてサービスを提供しにきたに違いない。
それにプラスして、彼女たちが「ドッキリでしたー!」と、服を脱ぎ、ビキニ姿で踊りだすのでは? ――という期待。
彼女たちはグー○ルから派遣されたに違いないと、卓郎は思った。
「おい、こっち見ろ!」
女性の声で、卓郎は現実の世界に引き戻される。
いつの間にしゃがみ込んだのか、赤シャツの切れ長の目が卓郎の顔を覗き込むようにしていた。
卓郎の緊張感のない態度が気に入らないのか、苛立ちをにじませてにらみつけてくる。
卓郎はここ数年、交通誘導をなりわいとして生きている。
普段からにらみつけられる事には慣れており、この女性が慣れない事を無理にやっているのがすぐわかった。
ゆえに――迫力は感じない。
いくらにらんでも反応を示さない卓郎に、「あんたが山下たけるだな?」と、赤シャツはさらに顔を近づけながら、恫喝するように言った。
「………………」
女性にあまり免疫のない卓郎は、モデルのような整った顔に見惚れてしまい何も反応できないでいた。
さらに2人の顔が接近し、キスするような事になったら……。
などと、いらぬ心配をして卓郎はほんのり頬を染めていた。
「なに無視してんだよ!」
何をしようが反応を示さない卓郎に対し、我慢の限界といった様子で赤シャツの右手が卓郎に振り下ろされる。
視界を覆い隠すように襲い掛かってくる手の平に対し、卓郎はぎゅっと身を固くする。
ドゥッガ!!
赤シャツが放った平手は、卓郎のこめかみに掌打のかたちで入ってしまい、勢いそのままに床にも頭を衝突させる。
「んーーー!!」
ガムテープが無ければ町内中に響き渡るであろう悲鳴を上げ、卓郎は勢いよく体をバタバタと暴れさせる。
卓郎は痛みの中で、「思ってたのと違う!?」と思った。
「スゴイ、まぐろみたい」と、白シャツは興奮した様子で言い、丸みのある小柄な体を後ずさりさせた。
黒シャツは赤シャツの肩をつかみ、「ちょっと、何やってんのよ!?」と、姉が妹を叱り付けるように言った。
黒シャツはこの三人の中では一番大人の雰囲気をもっている。
他の二人も黒シャツには一目置いている雰囲気が見られる。
「ごめんなさい。やりすぎたわ。でも、ミカの心の傷に比べたら……」
赤シャツは途中で言葉を詰まらせる。
――誰それ?
ようやく、痛みが和らいできた卓郎は、人違いされている事を悟る。
卓郎は、女性に優しくいじめられることに関しては、やぶさかでない。
しかし三人の……特に赤シャツの先ほどの言動からしても、卓郎の期待しているような事は起きないと納得せざるを得なかった。
――では。
気持ちを切り替え、卓郎は今できることをすることにした。
まず、この体勢ではいろいろと都合が悪い。
首が痛くなってきたし、周囲の状況も見渡せない。
かろうじて動かせる手首を使い、体を起こそうとすると、黒シャツが手を貸してくれる。
黒シャツの髪が卓郎の顔の前で揺れ、シャンプーのいい香りがした。
卓郎は黒シャツの事が少し好きになってしまった。
――俺ってちょろいな。
卓郎は苦笑しつつも、何か使えるものがないか部屋の中を見回す。
赤シャツは先ほどの自分の行為に反省しているのか、先ほどまでの勢いがない。
白シャツは所在なげに卓郎の家の中を物色している。
この中では彼女が危ないやつなのかもしれない。
現に今、彼女は卓郎の財布を手に取ろうとしている。
――ん……財布?そうだ!
卓郎は免許証や診察券で、人違いをわからせることができると考えた
卓郎はすぐに行動を開始する。
「んーんーん、んー!んー!」とうめきながら、白シャツの肩越しに見える、棚の上の財布を顎を突いて指し示す。
うまくいけば、財布の中にある免許証や診察券で、人違いをわからせる事ができる。
「なに?気持ち悪い!」
彼女たちは卓郎から出来るだけ距離をとろうとする。
卓郎は普通に傷ついた。
しかし、続けるしかなかった。
卓郎の努力は無駄ではなかった。
白シャツは「これの事?」と財布を手に取り、卓郎に黒目がちな目を向ける。
卓郎は、ほっとした笑顔で大きくうなずく。
「金で解決しようって事!?」
赤シャツは、上から見下し、嘲るように卓郎に言い放つ。
「んーんーんー」と卓郎は叫びながら首を横に振り続けるが……当然理解されない。
赤シャツの冷たい目にさらされながら、卓郎は他に手はないか考えるが、全く思いつかない。
――お手上げだ、もう好きにしてもらおう。
卓郎は目をつむり無抵抗を表明する。
「急におとなしくなったわね……とりあえず、ミカの受けたのと同程度以上の苦痛になるものを考えましょ」
赤シャツは他の二人に提案する。
「じゃあ部屋の中のもの使って何かするってのはどう?」
黒シャツは部屋を見回しながら言った。
「いいわね、そうしましょう」
赤シャツの号令のもと、三人は家探しを始めた。
あちこちから部屋を散らかす音が卓郎の耳に届いてくる。
出来るだけ、痛くないお仕置きになるよう卓郎は祈った。
「調味料がずいぶん揃ってるわね。調味料の「さしすせそ」を飲ませるってのはどう?」
「軽すぎない?」
黒シャツの提案に赤シャツは否定的なようだ。
「でも、さっきあれだけ強く殴ったんだから、こんなもんでしょ。」
「……わかったわ。それでいきましょ」
赤シャツは渋々ながら同意した。
「ところで。さしすせその『せ』ってなんだったっけ」
黒シャツが無知をさらす。
「えーとなんだっけ? せ、せ、せ」
「あー、ぜんっぜん思いだせない。『せ』って言ったら石鹸しか思いつかない」
白シャツは頭を抱える。
「もうじゃあ石鹸でいいよ。」
赤シャツはあまり興味なさそうに言った。
――それはマズイ、と危機を察した卓郎は抵抗をこころみる。
「んーんーんー」と叫びながら首を横に振り続ける。
「あなたわかるの?」
赤シャツは卓郎に問いかける。
卓郎は、強い肯定の意味を込めて何度も首を縦にする。
「じゃあ、言ってみ」と、赤シャツは卓郎はの口からガムテープを外す。
「『せ』は醤油のことです。かつて醤油のことをせうゆと書いていたからです」
「はい、ありがと」と、赤シャツは再びガムテープで卓郎の口をふさぐ。
――よし、うまく伝えられた。これで危機は回避された……。
より大事な事を伝え忘れている卓郎をよそに、黒シャツは台所で『さしすせそ』を作成しながら、「これ、うまく溶けないな。しょうがない、少し沸かすか」と、独り言をつぶやいている。
白シャツは卓郎の後ろに座り込んで「かわいー」などと言いながら、亀とたわむれている。
この亀は3年前、アパートの前で干からびそうになっているのを発見したもの。
両親もすでに他界している卓郎にとって、唯一の家族である。
「ヴーウェ、ゴホッゴホッゴホッ」
突然、黒シャツが盛大にむせ始める。
酢飯をつくったことのある人ならわかると思うが、酢は熱すると粘膜を刺激する匂いを発する。
すでに、部屋いっぱいに酢の匂いが充満している。
この部屋はテラス戸が一つあるのみ。
その為、風が抜けていかないので、魚などを焼くと煙が充満するという欠点があった。
しばらくして、「できたよ」と黒シャツが涙を流しながら、コップを両手で包み込むようにして運んでくる。
『さしすせそ』の色は泥水とほぼ変わらなかった。
「自分で作っといてなんだけど、流石にこれはきつすぎるように思う」と、黒シャツは眉を曇らす。
「私はそうは思わないわ。とっとと飲ませましょ! ミカの苦しみをこいつにも味わせなきゃ!」
赤シャツは強く言い放つ。
黒シャツは、赤シャツの顔を正面から見つめ、ゆっくりと話し出す。
「最初は、別れたからってレギュラーから外すって聞いた時は私も憤ったわ。あの時は私もミカが夜遅くまで努力してるって思ってたから……。実は昨日、ミカと将棋指したのよ。ミカが先手だったんだけど、あの子初手で桂馬を手に取って、飛車と角どっちとろうかなぁだって。散々考えたあげく、香車をとっていったわ。最初は、ミカがふざけてるのかなと思って、わたしも桂馬を持っていきなり玉をとりにいったの。そしたらミカに、『それは反則だよ』って薄笑いで言われたわ。思わず私、『ごめん』って言っちゃった。言った後の心の葛藤が半端なかったわ……。結局飛車をとったわ。どう考えても飛車より桂馬の方が強いのにね。動揺してたのね。」
黒シャツは一瞬にが笑いした後、真剣な眼差しで遠くを見つめる。
「そのあとはさらにカオスだったわ。二歩、三歩はあたりまえ、香車は指で弾いて使うものだと思ってるし……玉を裏返して『五ターン無敵モード入ります』って言って、私の攻撃網を玉で特攻・・・木っ端みじんにしていった事もあったわ。あの時のしたり顔にはほんとうに殺意を覚えたわ。それで、わかったの……夜遅く帰ってきたのはただ遊んでただけって。ミカは努力なんてしていなかったのよ。こいつとただ遊んでただけ」と、黒シャツは卓郎を指差す。
「確かにそんなミカを自分の彼女だってことでレギュラーにして、別れたら外すってのはいいことだとは思わないわ。それに私のかわいい妹を傷つけたのは間違いないし……。でもそこまでの罰を与えるほどのことじゃないと思うわ」
話し終えた黒シャツは、赤シャツの肩に優しく手を触れる。
赤シャツは黒シャツの手を払いのけ、「じゃあ、なんで前もって言ってくれなかったのよ。いう時間はあったじゃない!」と、吐き捨てるように言う。
「言い出したのは私だし、今さらテンション下げるようなことは言いたくなかったの。まさかあなたがここまで過激なことするとは思わなかったし……少しいたずらする程度に考えていたから……」
「なんか、わたしが悪いみたいじゃない!!」
赤シャツは分が悪いと思ったのか、矛先を白シャツに向ける。
「あなたはどう思う?あなたも飲ませるべきじゃないと思う?」
相変わらず『亀吉』と遊んでいた白シャツは、突然の事に目を白黒させ、黙り込む。
「なんか言いなさいよ!」
「それに、あなたここに来て何もやってないじゃない。どういうつもりよ!」
赤シャツは白シャツに詰め寄っていく。
「ちょっと!やめなさいよ!」
「触らないでよ!」
「あんたは一体どうしたいのよ!?」
「や、やめてください」
「あなたミカの幼馴染でしょ? くやしくないの?」
「ちょっと、落ち着きなさいよ」
卓郎は、冷めた目で女性たちを眺めていた。
――はやく帰ってくれないかな。
思ったより、たいした問題でよかったと卓郎は思った。
人違いとはいえ、あまり重たい問題をもってこられると困る。
赤シャツは自己を正当化するためにも一歩も引けない状況。
それに、白シャツの手からこぼれ落ちた亀吉の姿が見えない。
この乱闘の中、踏み潰されはしないかと気が気でない。
女性同士の確執は卓郎としてはどうでもいい。
早く帰ってほしい。
卓郎は現状を打開する方法を考え、『自分が飲めば全て丸く収まる』という結論に至り、そして――行動を開始する。
「んーんーんー」と卓郎は渾身の力を振り絞って叫ぶ。
黒シャツの持つ『さしすせそ』を凝視しながら、――飲ませろ、飲ませろ、飲ませろと、心で叫び続ける。
思いを伝えるのは言葉ではなく、『魂』であると今こそ信じよう。
静寂がおとずれる――。
みな動きを止め、不思議そうに卓郎を見ている。
(飲むんですか?)と、黒シャツの目がそう言っている。
当然と言わんばかりに大きくうなずく卓郎。
(長きにわたる争いに、いま幕を下ろそう)と、卓郎は皆に呼びかける。
(ああ勇者よ……)と、黒シャツの目がそう言っている。
(べ、べつに飲んでくれなくったっていいんだからね!!)と、赤シャツの目がそう言っている。
(す、すてき)と、白シャツの目がそう言っている。
黒シャツを中心に、三人の女性は卓郎を囲むようにしゃがみ込む。
黒シャツはまだ躊躇していているようだったが、卓郎の真剣な眼差しに気圧されるようにコップを差し出す。
黒シャツはコップを鼻下にあて、ゆっくりと傾けていく。
鼻の中に流れゆく『さしすせそ』に卓郎は全ての集中力を投入する。
そして喉に達した瞬間、思い切り喉を鳴らしながら飲み込んでゆく。
「んのっく、んのっく、んのっく」
白シャツは自分も飲んでるかのように喉をならしている。
「うわ!」と赤シャツは顔をしかめる。
卓郎は今この瞬間、この狭い部屋の中で、皆が一つになったと確信していた。
一時はどうなることになるのかと心配したが、これで全て丸く収まる。
三人の女友達ができ、もしかしたらこの中に未来のお嫁さんが……。
『さしすせそ』に頭を侵され、過剰なほどのプラス思考なってしまった卓郎は、この上ない幸福を味わっていた。
しかしそれはながくは続かなかった。
――苦しい、息が……。
呼吸をしようと後ろに体を倒そうとする卓郎に対し、それに合わせて黒シャツもコップを押し出してくる。
卓郎の体は徐々に後ろへと倒れていく。
そのまま勢いよく後ろへ倒れこむ。
ゴッ!という音と共に、強烈な痛みが後頭部を襲う。
卓郎の鼻から『さしすせそ』が豪快に吹き出される。
……………………
卓郎の意識はもうない。