青の花束はあなたに
「わぁ、このお家のお庭すっごく広いな〜」
見渡す限りの花畑の真ん中で、黒いフードを被った10歳前後であろう幼い少年がうわぁと感嘆の声を上げながら、興味津々といった様子でウロウロと危うげに歩き回っていた。
「ちょっとトワ! 勝手に動き回ったらダメっていつも言ってるでしょう⁉︎」
「あ、お姉ちゃん!」
トワ、と呼ばれた赤眼白髪の少年は、声の聞こえた方を振り返り見知った女性の姿を見つけると、嬉しそうに目を輝かせながら彼女の元へ駆け寄った。
「見てみて! こんなにたくさんのお花をきれいに咲かせられるって凄いね! ここのお家の人はとってもお金持ちなんだね!」
トワと同じく黒いフードを被った青眼黒髪の女性、オネの元に辿り着くと、その足にギュッとしがみつきながら、楽しそうに辺りを見渡す。
「今日は仕事できてるんだから、あんまり勝手にうろちょろしたらダメよ、トワ」
「えぇ〜、まだ夕日で明るいし、お仕事まで時間あるでしょ? こんなに季節関係なくお花が咲いてるなんてなかなか見られないもん、夜になるまでここで遊んでちゃダメ?」
うるうるとワザとらしく目を潤ませて見上げてくるトワに、オネは一瞬グッと息をつまらせるも、唸りながらトワの手を引いて歩き出す。
「だ、ダメなものはダメ。誰かに見つかったらどうするつもりよ」
「ヤダァ〜! 見つかんないように出来るもん! もっと見たい〜!」
ずるずると反発するように足を引きずらせるトワに、オネは大きなため息を吐いて手を離してやる。
「じゃあ、私がボスに電話してる間だけね。ほんと、絶対に見つからないようにしてよ?」
「ヤッタァ! ありがとう! お姉ちゃんだ〜い好き!」
オネの言葉にパァッと顔を輝かせると、トワはパタパタと軽い足音を鳴らしながら花壇の奥へと走っていった。
「全く……あの子本当に大丈夫なのかしら。暗殺者には全然向いてないように見えるけど……」
走り去るトワの背を見送りながらぽそりと呟くと、オネは腰に差していた通信機を取り出して口元に寄せる。
「ボス。遅くなりました。こちらone。無事三澤財閥の屋敷に潜入できました。どうぞ」
オネが通信機のボタンを押しながらそう呟くと、ザザッと耳障りな音が聞こえ、彼女たちのボスである人物からの返答が返ってきた。
「one、予定通り決行できそうか」
「問題ありません。事前の調べ通り、他の親族の方は今夜屋敷を出て旅行へ行く模様。屋敷に残るのはターゲットである三澤重吾と使用人数名のみです」
「了解。ターゲットさえ殺害できれば使用人はどう処理しても構わん。お前に任せる」
「はっ、かしこまりました」
「ただし、何度も言うが、お前たちの存在を世に知られぬためにも、姿を見られた場合は誰であろうと殺せ。検討を祈る」
その会話を最後に、もう一度耳障りなノイズが耳に走る。どうやらこれ以上の通話は無用のようだ。
オネは大きく息を吐くと、ガシガシとフードの中の髪を乱暴にかきあげる。
「ターゲット以外を殺したくないなら見つかるなってことね〜? ほんっと腹立つ〜。私があんま無闇やたらと人を殺すのは嫌いだっての知ってるくせに!」
大きな声を出さないように声を押し殺しながら怒りを発散しているオネの元に、テコテコと青い花をたくさん抱えたトワが歩み寄ってきた。
「お姉ちゃん、お話終わった〜?」
「ちょ、トワ⁉︎ あんた何勝手に花摘んでんのよ⁉︎」
トワの抱える花たちを見て、オネは慌てたようにしゃがみ込んでトワの顔を覗き込む。
「お姉ちゃんもお花欲しい? それならね〜、コレあげる!」
怒られているのが理解できているのかいないのか、トワはのんびりとした口調でそう言うと、青い花束の中から一輪、竜胆の花を差し出した。
「いや、そうじゃなくて、っていらないわよ花なんて」
とても今から共に暗殺を企てようなどという仲間とは思えないトワの様子に、オネは呆れたように息を吐いて立ち上がる。
「竜胆のお花だよ〜? 珍しいでしょ! お姉ちゃんにぴったりのお花だよ!」
肩を落とすオネの様子を気にもせず、嬉しそうに竜胆の花を差し出すトワ。その見た目通りの子供らしさに仕方無く差し出された花をオネが受け取ると、トワは更に嬉しそうに目を輝かせる。
「あのねあのね! 竜胆はね、正義のお花なんだよ〜。だから、正義のお仕事をしているお姉ちゃんにぴったりでしょ〜?」
「正義のお仕事って……あんたね、この仕事もう何度もやってるんでしょ? どこが正義のお仕事よ」
事前にボスから経験があるからと今回無理矢理トワと組まされたのだが、出会ってから今までの暗殺者らしからぬ言動に加え、暗殺を正義等と言う彼に、オネは頭痛を覚えて頭を抱えた。
「この国にとって悪い人を倒すお仕事でしょ? ボスがそう言ってた!」
にっこりと良い笑顔でそう言い放つトワに、まだ子供だからそうボスが教え込んでいるのかと合点がいったオネは、そうでしたね、と適当に返事を返すと、空を見上げた。
「大分暗くなってきたわね。……そろそろ動くか」
「お仕事開始? りょうか〜い!」
オネの言葉に、トワは嬉しそうに笑うと、自分が抱えている青い花束の中から一輪抜き出してくるくると楽しそうに回して遊び始める。
「その花いい加減置いてきなさいよ」
「このお花はね〜、デルフィニウム! お仕事楽しみだな〜と思って!」
聞く気のない様子にまた一つため息を溢せば、オネは自身のガーターから拳銃を一丁取り出した。
「ルートは朝説明した通りよ。あんた本当に着いて来れるんでしょうね?」
今回のペアも大人だと思っていたため、オネは自分の運動神経に合わせたルートの組み方をしてしまったのだが、そのルート説明に何も問題がないとトワが朝方言ってのけたので、それならこのまま行くのがベストだとルートを確定したが、今思い返せばかなり子供の背格好では厳しいのではないかと思い返す。
「全然大丈夫! その道が一番安全だもんね! まっかせて〜♪」
オネの心配を余所に、ルンルンと弾むような声音で答えると、トワは流石に手が使えないと思ったのか、両手に抱えていた花束から数本の花を厳選すると、片手にその束を握った。
「行こっか、お姉ちゃん!」
まるで遊園地にでも向かうかのようなトワの様子に、オネは本日何度目かわからないため息を溢すと、気を取り直すようにグッとフードを被り直して屋敷の壁に手をかけた。
朝方の宣言通り、168あるオネの身長で手を伸ばしてやっと届くような高さの塀でも、トワは軽々と着いてきていた。
「なんだ、本当に大丈夫そうね。体の使い方がうまいのね、ただのお荷物じゃ無くて安心したわ」
「お姉ちゃん酷い! 僕はボスに二番の称号を貰うくらい、お仕事ができる子なんだからね!」
「はいはい、そうね。だからtwoからもじったトワ……なんだものね」
そうして軽口を叩き合っている間に、どうやら目的の部屋の天井裏に辿り着いたらしい。
オネがクイっと指で合図をする。
その合図を見ると、トワは天井裏から部屋の中、三澤重吾の目の前へと転げ落ちた。
「うわぁぁ、イッタタタ〜」
ワザとらしいトワの芝居に三澤が驚きを隠せず困惑している間に、素早くオネが天井裏から三澤の後頭部に向けて銃を放つ。
パンッ、と言う一発の銃声音が響くと、三澤の体はゆっくりと揺らぎ、地面に倒れた。
「お姉ちゃんすっご〜い! 一発だ!」
倒れた三澤の頭の銃痕を食い入るように見ると、トワは面白そうにオネを見上げて褒め称えた。
「なんでもいいから、早く戻るわよ」
灰色の煙をあげる銃口を軽く吹くと、オネは天井裏から飛び降りてきて、貫通して床に転がった銃の弾を拾い上げる。
「ん〜、でも、他にもお客さん来ちゃったみたい?」
コテンと首を傾げてそう告げるトワの言葉に、オネは廊下から聞こえてくる足音に気づき、反射的に手袋をはめた手で部屋のドアの鍵を閉めた。
「そう簡単に開けられることはないでしょ。今のうちに行くよ」
ドアを叩く音を背に、オネは急いで天井裏へと昇る。
「でも、この悪いおじさんの仲間なんだよね?」
戻る様子のないトワにオネが眉を寄せると、あろうことかトワはドアの鍵をカチャリと開けた。
「っ……!」
距離がありすぎてその行動を止められずにオネは天井裏で息を潜める。
ドアを開けて入ってきた使用人たちは、目の前に花を持って佇むトワに、困惑の表情を浮かべた。
「初めまして! 僕はトワ。このお花は、ハナニラって言うんだよ。おじさんたちにあげるね!」
後ろの死体などまるで無いかのようにニコッと笑顔でそう告げながら花を差し出すトワに、使用人が一歩近づく。
それと同時に、部屋に三発の銃声が鳴り響いた。
「え?」
様子を伺っていたオネは、バタバタと倒れる使用人たちを見ると、おどいた素振りを見せながら天井裏から降りてきた。
「銃、ちゃんと持ってたんだ」
綺麗に貫通した銃の弾を拾い集めながらオネが尋ねると、トワは血で染まったハナニラの花を悲しそうに見つめていた。
「せっかくあげたのに、受け取ってもらえなかった……お別れは悲しいねっていう僕からの気持ちだったのに〜」
話を聞かずしょんぼりと肩を落とすトワに、オネは慰めるように頭をぽんと乗せた。
「別に殺す必要なかっただろ、使用人なんて」
「ううん。悪い人の仲間は悪い人だもん、みんな殺さなきゃ」
「……あんたとは気が合わなそうだわ」
トワが素手で触ったドアの鍵を綺麗に拭き取ると、オネは天井裏へと昇りロープを垂らしてトワを呼んだ。
「あんた、紫陽花まで摘んでたの? って、それだけは青じゃ無くて紫なのね。庭に捨てたりしないでよ?」
トワを天井裏に引き上げると、手に握られた花を見て、証拠残さないでよ、と伝えれば元来た道をオネは進んでいった。
「これは人にあげないから青くなくていいの……紫の紫陽花は、僕の花だから」
そう一人でぽつりと呟けば、トワは冷たい目で紫陽花を握り潰すと、オネの後を追って行った。
終わり




