敵国魔道士のお人形にされましたが、甘やかされているのでとても幸せです
豪奢な部屋の天蓋付きベッド。
白いシーツに腰かける私の足に頬をすり寄せるのは、ゾッとするほど美しい黒髪の青年だ。
「セレナ、君はなんて美しいんだ。ずっと僕の傍にいておくれ。愛しているよ」
熱で潤んだ赤い瞳で私を見上げ、私の膝にちゅっと音を立てて口づける。
――私も愛しているわ。
そう答えたいのだけれど、”お人形”の私は自らの意思で動くことができないので、ただ彼を見下ろすことしかできない。
もちろんお人形というのはただの比喩。
呪いの中には人間を綿の詰まったただのぬいぐるみに変えるものがあるようだけれど、私がいうお人形とは別だ。
とは言っても、自らの意思で動くことも喋ることもできないという点では同じかもしれない。
目の前にいる男、ラウル・ペリシエールの魔法によって身体の自由を奪われ、彼の命令がなければ指一本動かせないお人形になったのだ。
けれど私は今の状況に全くこれっぽっちも悲観も絶望もしていない。
だって今、私はとーっても幸せなんだもん。
私の人生は彼と出会うまで不幸そのものだった。
幼い頃、父は戦争で死に、母も流行り病で死んだ。
孤児院に引き取られたけど、子供とはいえ魔法の才能がある私を戦争で人手不足な国が放っておくわけがなく、すぐに王国の兵士に徴兵されてしまった。
最初の数ヶ月は文字通り血反吐を吐くほど厳しい訓練を行わされた。
体力が持たず訓練中に命を落とした子供もいたほどだ。
やっと厳しい訓練から解放されたと思ったら、あっさりと戦場に放り込まれる。
昨日まで一緒にご飯を食べた仲間が、翌日にはすぐ隣で頭を吹き飛ばされる。
絶望に絶望を塗りたくる、そんな世界だ。
そんな不幸な世界から私を救い出してくれたのが、悪魔のように妖艶で美しい彼だった。
彼はある日戦場に1人で現れた。
その日の敵兵はいつもよりも人数が少なく、また勢いが弱い気がした。
私達はただ上官の命令に従う駒に過ぎないので異変を感じても退くことはできない。
ただいつにもない違和感に不安を感じていたのは事実だ。
そして突然上空から火の雨が降ってきたのだ。
戦場のあちこちで爆音が轟き、仲間の悲鳴が絶え間なく続いた。
私は魔法で障壁を展開し、なんとか耐え抜くことができたけれど、雨が止んだ後は立っている人影は誰もいなかった。
残ったのはバラバラになり、黒こげの人だった肉片だけだ。
空を見上げると黒い人影がいた。
たった1人であれだけの魔法を使えるなんてと。
空を飛ぶ魔法も火の雨を降らせる魔法も知らなかった私は、桁違いの力の差に抵抗する気力もなくなった。
だけどそれでも死ぬのは怖くて、ガタガタと震えていたのは覚えている。
彼は何を思ったのか私の前に舞い降りた。
鮮血のように鮮やかな赤い目が私を射抜く。
「初めてだよ。僕の魔法を受けて立っている者がいたのは。気に入った。これまでやりたくもない人殺しをやってきたんだ。たまにはご褒美がないとやりがいがなくなるよ」
突然体が硬直した。
指一本動かせず、恐怖に悲鳴をあげることもできない。
目の前の男が私に何らかの魔法をかけたのは明らかだが、初めて見る魔法であるため解除の方法がわからず抵抗すらできない。
「今日から君は僕の物だ。一生を人形として暮らすことになるが、その代わり大切に可愛がってあげるよ」
その日から私は物言わぬ彼の人形としての生活が始まった。
最初はどんなに恐ろしい目に合うのかと怖くてたまらなかった。
もしかしたら死んだ方が楽だと思えるような目にあわされるのではないかと。
だが実際は違っていた。
立派な屋敷につれてこられ、動けない私の代わりにメイドが全て世話をしてくれた。
食事も今まで食べたこともない美味しいものを毎食食べることができた。
綺麗なドレスと高価な宝石をプレゼントしてくれた。
動くことができないのでたまに不自由に感じることがあったけれど、それでも幼い頃に憧れていたお姫様のような生活ができたのだ。
戦場にいた頃と比べると天と地ほどの差もある生活。
不満など思う筈もなかった。
その上ラウルは仕事が休みの度に私が退屈しないよう綺麗な湖や景色のいい丘の上など色々なところに連れて行ってくれた。
まるで恋人ができたかのような時間に心がとろけそうな思いだった。
なぜ私に対してこんなによくしてくれるのか。
ずっと疑問だったんだけれど、一緒に過ごして1年を過ぎた頃、彼は自分のことを徐々にだが話してくれるようになった。
ラウルは生まれつき強い魔力を宿す赤い目を持っていた。
人間は本能的に彼の目を恐れるようで、両親ですら彼を怖がって近づくことすらしなかった。
愛されるように努力しても、誰も彼を愛してくれない。
ずっと寂しい思いをしていたので、人の温もりを得るために私を操って仮初でもいいから愛されたかったのだという。
私はその話を聞けて嬉しかった。
たまたま偶然だったにしても、その役割を私に与えてくれたのが嬉しかったのだ。
そこで私はいつの間にか彼のことを心から愛していたことに気がついた。
仮初の愛が、私が心から愛することによって本物に変わったのだ。
ずっとラウルの傍にいたい。
たとて操られている状況でも、彼の傍にいられるのならお人形のままでも幸せだった。
だが最近彼の様子がおかしい気がする。
今までは私と一緒にいると幸せそうな笑顔をよく見せてくれたのに、何か思い詰めたように表情を曇らせてばかりいる。
――どうしたの?
――何か嫌なことがあったの?
そう尋ねたいのに、声を出すことができないので理由を聞いて慰めることもできない。
彼が辛そうにしているのは悲しい。
自分だけでなく、彼も一緒に幸せになってほしいのだ。
日に日にラウルは食が細くなり、やつれていった。
それにつれ、いつも私に甘えるように触れていた行動が減っていき、今では手を繋ぐことすらしてくれない。
私は彼の変化に酷く不安になった。
もしかして私のことが嫌いになったのだろうか。
自らの意思で行動できない人形だから、つまらなくなって飽きたのかもしれない。
もともとただの気まぐれに、仮の愛を求めて私を連れて来たのだ。
私よりも魅力的な女性を見つけて、私を捨てようと思っているのかもしれない。
食が細くなっているのも、愛しい人のことを考えるあまりに食欲がなくなっているだけなのかもしれない。
そんなの嫌だ。
私だけを見つめ、私だけを愛してほしい。
私だけがラウルの心を満たすことのできる唯一の人でありたかった。
綺麗な女性とラウルが愛し合う姿を想像するだけで、胸の中にどろどろとした黒い感情が渦巻き、嫉妬で息が苦しくなる。
もし私が彼と同じ魔法を使えるのなら、彼に魔法をかけて私だけのものにするのに。
魔法を解除することすらできない私は、彼を手に入れる術がなかった。
だけど彼は私が想像していないことを思って苦しんでいたようだ。
休日のある日、いつもはどこかに出かけるのに今日は珍しく彼の寝室で過ごしていた。
ラウルと一緒にいられれば幸せだったので、不満は全くなかった。
「ごめんね」
突然泣き出し、そんなことをラウルは口にした。
なぜ泣くのか、なぜ謝るのか、理由がわからなくて頭が混乱した。
「最初から悪いとは思っていたんだ。誰でもいいから愛して欲しくて、ずっと寂しかった。だから戦場で君に一目惚れして、君のことが欲しいと思って無理やり僕の傍にいてほしいと思ったんだ」
一目惚れ。
ということは彼も私のことが好きだったんだ。
ただ愛してくれるだけの人形ではなく、人として好きだったのだ。
嬉しすぎて、彼は泣いているのに私は耳まで熱を帯びるのを自覚した。
「だけど、もうそんなことはやめるよ。これは僕の独りよがりで、君は決して幸せにはなれないと気がついたんだ。君は身体の自由を長い間奪ってきた僕を恨んでいるだろう。だから僕は自殺することにしたんだ」
え? 何を言っているの?
「僕を殺したいほど憎んでいる君はきっと自分の手で僕を殺したいだろう。けど心が弱い僕は君を解放して君の口から僕を恨む言葉を聞きながら死にたくはなかったんだ。だから目の前で僕が死ぬ様子を見て満足してくれたらいいなって思うよ」
私がラウルを恨んでる?
そんなことありえる訳ないじゃない。
こんなに愛しているのに、死んでほしいなんて思う筈がない。
ずっと私と一緒にいて欲しいだけ。
あなたと一緒にいられるならずっと人形でもよかった。
だけどその考えが間違っていることに気がついた。
口がきけなければ自分の気持ちを伝えられない。
身体を動かすことができなければ、抱きしめることもキスをすることもできない。
魔法を無理にでも解いて愛していると伝えなければ、どんなに私が愛していると思っていても彼にとっては一方通行の独りよがりに過ぎないのだ。
ああ、なんて私は馬鹿なのだろう。
今まで魔法を解くための努力を怠ってきた自分が恨めしい。
楽で幸せな生活に満足しきって、本当に手に入れたいものを見落としていた。
目の前にいる彼は懐から短剣を抜き取り、喉元にあてがった。
「さようなら。君に会えて僕は幸せだったよ。本当に今までごめんね」
短剣を持つ手に力が籠った瞬間、私に奇跡が起こった。
身体が動き、彼の手を両手で握って寸でのところで自殺を止めることができたのだ。
「お願いだから死なないで! 私ラウルのこと恨んでない! ずっとずっと、あなたのことを愛していたの!」
頭に飛びつき、無理やり唇を重ねた。
顔を離すと、ラウルは何が起こったのかわからないというようにぽかんとしていた。
「何で、魔法が解けて……」
「そんなことよりも、もう自殺しないって約束して!」
「それは……」
「私が恨んでいると思って死のうとしたんでしょ! だったら私が恨んでいないって言うんだからもう自殺する理由はないよね」
「本当に僕のこと恨んでいないの?」
「当り前よ」
「でも僕は君を操って、望まないことを無理やりさせていたんだ」
確かに身体は動かせず、何をするにも自分の意思で決めることはできなかった。
でもその代わり、いつ死ぬか分からない状況に怯えなくていいし、美味しいご飯を食べられる。綺麗なドレスや高価なアクセサリーを身につけてお姫様のように着飾ることができた。
今まで訪れたことのない美しい景色を堪能し、穏やかな時間を堪能できた。
ラウルが私をさらってくれなかったら体験できなかった幸福なのだ。
感謝してもしきれないのに、恨む理由はどこにもない。
「私はラウルと一緒にいる時間はすごく幸せだったよ。だからこれからも傍にいさせて欲しい。できればもう二度と私に魔法をかけないで、私の口からあなたに愛してるって言わせて欲しいんだけど、それでもいいかな?」
上目遣いで様子を伺うと、ラウルは真っ赤な顔をして口元に手を当て目を潤ませている。
「信じられない。夢に見ていたことを君の口から聞けるなんて。いや、もしかしたら夢かもしれない。だったら夢から覚めないでこのまま死んでしまいたい」
「死ぬなんて絶対に許さないから。ラウルはこれからずっと私と一緒にいるの。私のこと愛しているんだよね」
「もちろんだよ! 愛してるよセレナ。僕は君のことを心から愛している」
彼の気持ちを確かめるように抱きつくと、彼も答えるかのように私の背中に腕を回してくれた。
自分から抱きしめるのはこんなに心が満たされる行為だと今まで知らなかった。
今までできなかった分、これからはたくさん愛情を伝えていこう。