饗宴(前編)・2b
赤いフライトジャケットを着た三国龍之介は、びくびくしながら廊下を歩いていた。その腕に自分の腕をからませ、彼を逃がさないように捕まえているのは、この日のために人生のすべてを捧げてきた新人宇宙消防士(訓練生)の桃井華だった。
仲居さんに頼んで先を歩いてもらいながら、二人はその後をついて行った。
なぜだかわからないが、華の家族は入り組んだ廊下の先にある、妙にわかりにくい部屋を選んでいた。どうせなら自分たちの並びの部屋を使えばいいのに、と華は思った。そうすれば、こうやって龍之介を逃がさないようにずっと捕まえて歩かなくてもいいのに。
わざわざ日当たりの悪い、眺めもそれほど良くない、いかにも宿代が安く済みそうな、うっそうとした木々の中に埋もれた部屋に、華の家族はいた。
襖の上には「七賢の間」と手書きで書かれた、ものものしい木の表札が掛かっている。
「それでは、わたくしはこれで」
と、仲居さんが一礼して去った後で、いよいよ二人は襖の前に立った。
華は一度、こほんと咳払いしてから、襖の引手に手をそえ、中に声を掛けた。
「あの、華だけど、誰かいる?」
妙なことに、すぐには返事がなく、しばらく間があってから、気の抜けた寝起きのような声が聞こえてきた。
「ああ、いいよ、入っておいで」
「お母さん、寝てたの?」
と言いながら、華は襖を開けた。
ところが、みんなは寝ていたどころか、畳の上にしっかり正座して、並んで待ち構えていた。華の両親を中心に、両脇におじいちゃんとおばあちゃんがいて、その後ろに、見慣れない二人の若い女性がキャップを深く被って顔を伏せて座っていた。
彼らの背後の窓の外には、長く枝を伸ばした木々が部屋を隠すように茂っている。なぜだかみんな、作業着や普段着のままで、浴衣を着てくつろいだりなどはしていなかった。
「ああ、びっくりした」
と声を上げた華の横で、華よりびっくりしたのは、これほど大勢の注目をいきなり浴びるとは思っていなかった龍之介だった。離れようとした彼の身体を、華はぐいっと引き寄せた。
「その人が龍之介さん?」
母・敏江が、妙に上ずった声で尋ねた。
ええい、ままよ、とは、まさにこういうときに使う言葉だろう。龍之介は覚悟を決め、一歩前に出ると、畳の上に正座してみんなと相対した。深く一礼した後、こう挨拶を述べた。
「みなさん、はじめまして、三国龍之介と申します。お嬢さんの華さんとは、来期より同じ小隊で勤務することとなりました。こうしてご挨拶に伺いましたのは、わたくし、このほど、お嬢さんとお付き合いさせていただくことになりまして、そのことをお許しいただきたく思い、参上した次第です」
「わざわざご丁寧にありがとうございます。こちらこそ喜んで娘のことをお願いいたします」
母は両手をついて深々と頭を下げた。
横では父・広志が居心地悪そうに正座したまま、龍之介の顔を正面から見据えている。別に怒っているわけではない。緊張しているのだ。がっしりした幅の広い体格のわりに、意外に気は小さい。母は、父の膝をぴしゃりと叩いた。父はハッとしたように、少し後ずさってから頭を下げた。白髪交じりの大きな角刈り頭だった。それから顔を上げ、慣れない口上を述べた。
「ご立派な青年で安心しました。娘のことをどうかよろしく願います」
「よろしくお願いします」
龍之介はもう一度頭を下げた。彼の身体からすうっと緊張が抜けていくのが、横にいる華にも分かった。さすがは龍之介さん、両親に文句ひとつ言わせず認めてもらえるなんて、私が惚れた男だけのことはある、と鼻高々だった。
おじいちゃんとおばあちゃんは両脇からニコニコしてそれを眺めた。おばあちゃんは「華、やったね」などと言わんばかりにウインクしてきた。
ところで華には一つ気になることがあった。
「後ろの人たちは新人さん?」
と、華は何の気なしに尋ねた。見慣れない二人がずっと気になっていた。帽子を被ったまま、両親の後ろに身を隠すように、ずっとうつむいているからだ。見れば外国の人のようでもある。
すると、急にみんなは慌てだした。
「ああ、この人たちはね」
母は立ち上がり、後ろの二人を前に出すでもなく、後ろに隠すでもなく、迷ったように身体を揺らして右往左往している。
「新人さんだよ新人さん」
と、加勢したつもりの父の言動がかえって怪しい。
赤毛をポニーテールにした、そばかすの多い田舎娘みたいな小柄なほうの女性が、もう一人のしゃっきり背筋を伸ばした陶器みたいな顔の女性の後ろに隠れようとしている。
桃井家の人たちは嘘をつくのが下手なのだ。その正直で素直な血筋を受け継いだ華には、今みんなが何を慌てているのかがよく理解できた。これ以上みんなをうろたえさせないよう、声をひそめて、こう言った。
「あの人たち、アレクサンダーさんと関係ある人たちでしょ」
「よくわかったね」と母。
「私に隠さなくったっていいじゃない」
すると、母はここだけの話だよ、という顔をして、さらに声をひそめて囁いた。
「あの赤い髪のほうの人が、本当の婚約者さんなんだって」
「そうなんだ」
華はまじまじと赤毛の女性を見つめた。彼女は魅力的だった。見た目の印象では誠実そうで、金持ちの婦人の地位を狙う高慢ちきな女性みたいな感じではまったくない。どちらかというと、アレクサンダーの幼馴染みというか、そういう、なんとなく素朴な関係を想像してしまう。
正座で向き合ったまま会話は続いた。
母は華と龍之介に、エリザベス・エリジェンダと会長の秘書のミスティをそれぞれ紹介した。
「押し入れにでも隠れてもらおうかと思ったんだけどさ、とっさに慌てるとそういうこともできないね」
と、母は笑った。根っから正直な性質なのだ。
「どうして、この人との結婚をアレクサンダーさんは嫌がったんだろう?」
疑問に思う華に、母は言った。
「テレビで言ってたじゃないか。アレクサンダーさんはもう会長さんの操り人形でいるのが嫌なんだってさ。だから人から押しつけられた結婚は嫌なんだよ」
それを横で聞いていたエリザベスは、急にわっと泣き出した。彼女の身体をミスティが抱き寄せ、自分の胸に顔をうずめさせた。
「あらあら、ごめんなさいね」
母はエリザベスの背中をさすって慰めた。「あんたのことをなんとかしてあげなくちゃいけないね」
そこで、ずっとおとなしくしていたおじいちゃんの哲志が初めて口を開いた。
「俺が、彼と話をしてみる必要があるようだな」
「当たり前じゃないか、そのためにあなたを連れてきたのよ」
と、小百合おばあちゃんは言った。
「人から説得されて考えを変える人間には見えないがな」
父はそう言って懸念を示すが、おじいちゃんはどこか自信があるようだ。
「広志よ、今こそ愛について語り合うときが来たとは思わんか。愛とは何か、じっくりと突き詰めていけば、あの男が今やろうとしていることがいかに虚しいことかがわかるだろうよ」
「愛の脆さが明らかにならなければいいがね」
と、父は言い返した。




