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饗宴(前編)・1b

「桃井華様のご実家はこちらでしょうか?」

 白いスーツを着た陶器のような肌の女性が言った。

 日が昇りかけているが、外はまだ薄暗い。

「はい、そうですけど」と翼は素直に答える。


 白い服の女性は表情を変えず、淡々と自己紹介を始めた。

「このような時間に突然お訪ねして、大変恐縮です。私どもは、ソラリ・スペースラインから参りました」

「はあ」

「私はミスティと申しまして、ソラリ・スペースライン・グループの会長の秘書を務めております。そして、こちらの女性が――」

 ミスティは、横でうつろな目をしている赤毛の女性を手で示した。「実はこのたび、こちらへ訪問させていただくことになったアレクサンダー・バラード社長の婚約者でいらっしゃる、エリザベス・エリジェンダ様です」


「はあ」

 と、最初のうちの翼の反応はまるで暖簾に腕押しという様子だったが、だんだんと事情が呑み込めてきたのか、みるみるうちに眠気が吹き飛んだ顔になった。「ああ、この人が、あの人の本当の結婚相手の方ですか?」

 ミスティは落ち着いたままで答えた。

「その通りです。それで今回こちらに伺ったのは……」


 翼はもう話など聞いていない。

「待っていてくださいね、今からお母さんを呼んできますから」

 と言うと、翼は家の奥へドタバタと走っていき、「お母さーん」を連呼して回った。

「なんだよ、うるさいね。近所迷惑でしょ」

 母の敏江が、翼に手を引っ張られながら走ってきた。パジャマの上から申し訳程度にエプロンを着けている。

「どちら様ですか?」

 敏江に訊かれて、ミスティは一連の自己紹介を繰り返した。


「なるほど、それであなたたちは、私らに助けを求めてきたってことだね」

 さすが母は話が早い。「いいよ、困った人は放っておけないもの。私らにできることなら、なんでも協力してあげる」

「お礼はいくらでもご用意するとの、会長からの指示を受けております」

「それはよくわからないから、町長さんとでも話をしておくれ。私たちはあくまで善意で力になってあげようと思っているの」

「大変ありがたく、言葉になりません」とミスティ。


 一方、さっきからずっと黙って小刻みに震えているエリザベスのことが、母には気になっていた。ラメ入りの黒いドレスが、皴だらけで肌にへばりついている。赤毛の髪も、もつれて乱れっぱなしだ。

「あなた、その格好のままではいろいろ不便でしょう?」

 エリザベスがうつむいたまま答えないので、ミスティが代わりに答えた。

「何か着替えられるものがございますか?」

「待ってな、私の作業着を貸してあげる」

 それから母は翼の背中を叩いた。「翼、今からさっと行って、お風呂を沸かしてきて」

「うん」

 と、翼は素直に答え、走っていった。


 そこにようやく父が起きてきた。大あくびしながら呑気に歩いてくる。

「お前たち、何を騒いでいるんだ?」

「あんたは昨日車に積んだ荷物を下ろしておいてよ。現場はしばらくお休みでしょ。お客さんが二人増えたの」

「あれ積むの大変だったんだぞ」

「いいから、言う通りにしなさい」

 父・広志はくわしい説明も受けられないまま追い払われた。


 すっかり日が昇り、セミの声も聞こえ始めた。出発の予定時間ギリギリまで、母・敏江は二人の客人の身だしなみにかかりきりになった。

 敏江は、自分の部屋に二人を招き、衣装ダンスから作業着をいくつか引っ張り出した。

 風呂上がりでさっぱりしたエリザベスは、赤毛をしっかり乾かしてもらってから、ぎゅっとポニーテールにまとめた。敏江が用意してくれたのは、白いロングスリーブのTシャツに、作業用に特別頑丈に作られたジーンズ、そして、丈の短い革の液冷ジャケットという、現場用の三点セットだった。茶色いキャップを深めに被り、ポニーテールをキャップの後ろから出せば、もうすっかり現場のお姉さんにしか見えない。


「回ってみせてごらん」

 エリザベスは一回転して、敏江に服の具合を確かめてもらった。

「うん、かわいいかわいい」と敏江。

 風呂に入ってすっぴんになったエリザベスの顔は、そばかすがたくさんあって、最初の印象とはずいぶん違って見えた。

「あなた、こっちのほうがずっと健康的に見えるよ」

 敏江に褒められて、エリザベスはやっと少しだけ笑顔を見せた。はにかんだ顔は、意外にも幼げだった。


 会長の秘書のミスティも、同じく現場作業の服に着替えさせられた。

「私もですか?」

「そうだよ、その格好だと目立つだろう」

 ミスティは、エリザベスとは色違いの、赤をベースとしたジーンズとジャケットに着替えた。インナーのTシャツは黒だ。彼女の髪は濃い褐色なので、キャップを白にして色の対比を出した。同じくポニーテールを後ろから出す。不思議なことに、彼女はエリザベスと一緒に風呂に入ったはずなのに、肌は陶器のようにツルツルのままだった。


 母・敏江は、二人を連れて外に出た。

 二人ともつま先と底に鉄板の入った安全靴を履かされて、ガツガツと地面を踏みしめて歩いた。

「見習い大工の出来上がりだね」

 敏江は満足そうだ。敏江も作業着に着替えたので、三人並ぶと完全に現場の人たちにしか見えない。このほうがあっちで行動しやすいだろうという、母・敏江の判断だった。


「おーい、そろそろ行くぞ」

 父・広志が車庫から車を回してきた。大きなワンボックスだ。彼も作業着に着替えていた。敏江はアコーデオン型の門を大きく開けて、車が通れるようにした。

「じゃあ、行こうかね」

 と言って、敏江は二人の見習いを後部座席に乗せた。


 そこに、翼が見送りにやって来た。まだ寝間着のままだ。

「行ってらっしゃい」と翼。

「ちゃんと学校行くんだよ」と母は念を押した。

「夕方になったらそっちに行くね」

 こちらに手を振っている翼に、ミスティが窓から身を乗り出して言った。

「お迎えの車を用意しておきます」


 家に入っていく翼を見ながら、父は言った。

「翼を温泉に連れて行くなんて、赤ん坊のときぶりじゃないか? 母さん」

「そうだよ」

「あっという間にでっかくなったもんだ」

 ハンドルを握る父は感服してつぶやいた。

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