アレクサンダー静岡に現わる・4a
アレクサンダーは町長と校長先生の歓待を受けながらも、気持ちは常に妙子と共にあるようだった。彼は群衆の中にまぎれそうになっていた妙子を懸命に追いかけ、その手を捕まえた。
「そんなに乱暴にしなくても、私は逃げたりしません」
妙子は日本語できっぱりとそう言った。その言葉はアレクサンダーのネビュラで英語に変換される。
「ごめんよ、痛かったかい」
アレクサンダーは英語で謝り、すぐに手を離した。
妙子の力をもってすれば、こんなひ弱な男など簡単にひねりつぶせるのだが、それをあえてやらないのは、いろんな人たちへの迷惑を考えてのことだった。彼の権力がどれほどまでの影響力を持っているのか、まだ判断できかねていた。
そこにオットーがすかさず割り込み、もぎ取るようにして妙子の肩を抱き寄せると、アレクサンダーを指さしながらドイツ語で怒鳴った。
「僕の妻に触れるな!」
アレクサンダーも負けない。
「今は君の妻かも知れないが、やがては僕の妻だ!」
二人とも小柄で痩せていて――片方は金髪で丸眼鏡を掛け、もう片方は茶色い髪でひょろひょろと頼りない――そんな両者がにらみ合っても、あまり迫力はない。しかし、その気迫は十分に伝わってくる。
森田町長は柔らかな物腰で間に入った。
「まあまあ、喧嘩は後でゆっくりやっていただくとして、とりあえずは宿に向かわれて、のんびりと旅の疲れを取られてはいかがですか」
町長を間に挟んで、アレクサンダーとオットーは横一列に並び、校門に向けて歩き出した。門の外にはすでに黒塗りのリムジンが待ち構えている。オットーは何度も振り返って、妻の妙子の姿を見失わないようにしていた。
妙子はそのすぐ後ろを、重い足取りで歩いた。疲れと不安と怒りと、それに加えてあまりに未知数な権力者の持つ脅威のために、彼女の心は混乱を極めていた。
その妙子の手を、誰かがさっと捕まえた。握るときの感触が優しかったので、妙子はてっきり、義母のヘレナが手を握ってくれたのかと思ったのだが、振り返ってみたら違っていた。
「妙ちゃん、大丈夫?」
そう心配そうに声を掛けてきたのは、栗色のショートボブで丸い顔をした、大きな目がきれいな女の子だった。その子は白いシャツとジーンズといういでたちで、歳は妙子と同じくらい――というか、華じゃないか。妙子にとって家族と同じくらい大切な仲間の一人、桃井華だ。非現実的な出来事が続いたので、慣れ親しんでいた記憶がすっかり意識の奥に押しやられてしまい、そのせいで華の存在さえ忘れていたのだ。それが一気に蘇った。
「華ちゃん!」
妙子は急にボロボロと涙をこぼして、華に力いっぱい抱きついた。崩れるように倒れこんだ妙子の身体はむやみに重かった。
「どうしたの? 妙ちゃん、落ち着いて」
華はうろたえながらも、妙子の身体をしっかり抱きとめた。長時間のストレスにさらされた後で急に安心したのか、妙子の身体は小刻みに震えていた。まるで生まれたての小鹿のようにはかなげだった。華は、そんな妙子がいじらしくて、かわいくて、たまらなかった。
「大丈夫だよ、私たちがついてるから」
そう声を掛けた華の後ろには、しのぶと愛梨紗とユズもいた。さらには、龍之介や健太郎や、一緒に太平洋を渡ってきた源吾とコウジと守もいる。仲間たちがみんなそろっている。
「ありがとう、みんな、ああ、本当に……」
妙子は涙を拭って、ようやく自分の足で立つことができた。泣いた顔もきれいなのだから、そりゃあ富豪も虜になるわなと、そこにいる男たちは(女たちも)みんな思った。
龍之介は言った。
「天野、何も心配するな。もしも君があの男にさらわれそうにでもなったら、俺たちが全力で救出に向かってやるから」
それから、仲間の男たちを振り返って「なあ?」と確認すると、全員が大きく「おう」と答えた。
妙子は嬉しくて、えへへ、と声が出た。
「おーい、妙子、早く来なさい」
リムジンのほうで義父のペーターが呼んでいる。義母のヘレナもそこにいる。
すっかり自分を取り戻した妙子は、すっと背筋を伸ばすと、敬礼のポーズをとって、仲間たちと向き合った。そして、笑顔で言った。
「天野妙子、がんばってまいります」
「おう、行ってこい」
と、龍之介も敬礼を返した。みんなも一緒に答礼した。
妙子はまた「うふふ」と笑い、背中を向けて駆けていった。
そんな妙子を見送りながら、龍之介はつぶやくように言った。
「あんないい子なのに、どうしてあんな辛い目に遭わなきゃいけないんだろうな」
その龍之介の頭を、しのぶが後ろからこつんと叩いた。
「私を辛い目に遭わせたくせに、わかったようなことを言うな」
龍之介はぎょっとして振り返ったが、しのぶは笑っていた。
「ばーか」
と、しのぶに言われて、龍之介は小さく「すいません」と答えた。
「行くぞ、ロジャー」
しのぶは健太郎を捕まえると、その腕に自分の腕をからませて、わざとらしく身体をすり寄せた。もちろん、健太郎はまんざらでもない。
それを見送る龍之介の腕を、華はぐっと引き寄せた。そして、しのぶと同じように、彼の腕に自分の腕をからませた。痛いくらいに力がこもっていたので、龍之介は思わず「いてて」と声が出た。
「龍之介さん、私たちも行きましょう」
華はなぜか怒っていた。華自身も、なぜ自分が怒っているのかわからなかった。ただ、一人の女として、他の女たちには負けられないという気持ちが沸々と湧いていることだけはわかった。つまりはやきもちだった。
「桃井、君のご家族はどこにいらっしゃるんだい? そろそろ挨拶しなけりゃと思うんだが」
取り繕うように話しかけてくる龍之介に、華は憤然と答えた。
「みんなはホテルで待ってます」




