アレクサンダー静岡に現わる・3a
翌朝、華は寝坊した。
「華、出発五分前だよ。二度寝したでしょ」
枕もとでバタバタ走り回っているユズが声をかけた。電灯が明るすぎて目が眩む。
華は「うそーん」と言って、タオルケットを頭まで被り、寝返りを打った。
「しのぶさんが洗濯してくれてたから、着替えここに置いとくね」
きれいにたたまれた白いシャツとジーンズが目の前に置かれたので、華はタオルケットを跳ねのけて、座ったままパジャマを脱いだ。
「華はしょんなかねえ」と言いながら部屋に入ってきた愛梨紗は、ピンクがかった髪をふんわりと三つ編みにし、花柄のブラウスを着て、ベージュのショートパンツを穿いている。ユズも、昨日と同じボーダーのトップスにサロペットだ。
そうか、着の身着のまま出てきたから、昨日の服をまた着なきゃいけないんだ、どこかで着替えを用意できないかな、お母さんに頼めるかな、などと華が考えているうちに、時計はすでに三時五十七分を差した。
外からは、キャンピングカーが砂を踏む、じゃりじゃりという音が近づいてきている。
「龍之介さんたち、もう来たみたいだよ」
ユズがお湯で濡らしたタオルで華の頭を拭いてくれたので、いくらか寝癖が直った。
「華、歯磨きもちゃんとしときー」
愛梨紗が歯磨き粉の付いた歯ブラシを口に突っ込んできたので、華は大急ぎで歯を磨き、試合中のボクサーのようにうがいをさせてもらって、なんとか身支度ができた。
「ありがとうございます。しばらくあなた方には頭が上がりません」
こんなことになってしまったのも、昨夜興奮し過ぎていつまでも眠れなかったからだ。好事魔多しとはまさにこのこと。人生、うまくいっているときほど、気を引き締めてかからなければならない。この素晴らしい仲間たちがいなかったら、だらしない姿を龍之介に見られて、百年の恋も一時に冷めるところだった。ユズ様、愛梨紗様、ありがたやありがたや、むにゃむにゃむにゃむにゃ……
「華、まだ寝ぼけとーとね」
愛梨紗にほっぺを叩かれて、華はやっと、はっきり目が覚めた。
外に出ると、空がうっすらと明るくなりかけている。キャンピングカーが玄関前に停まり、青と赤のフライトジャケットを着た男二人が降りてきた。健太郎が「やあ、みんな、おはよう!」と爽やかなのに対し、龍之介はぐちゃぐちゃな髪と真っ赤に充血した目をして、フラフラとかろうじて立っていた。
龍之介さん、いけませんよ、私の百年の恋も冷めてしまいます。などと華は思いながらも、なんだかちょっと安心してしまった。
しのぶと、その父・正人が玄関から出てきた。正人は紺の着流しをバシッと着こなし、白髪交じりの豊かな髪をしっかり分けて、苦み走った男ぶりを振りまいている。
しのぶは、太ったハチワレ猫の千恵蔵を抱きかかえている。わあ、とユズが喜んで、千恵蔵の顎を撫でると、ゴロゴロと音が聞こえた。
「ごめんね千恵蔵、しばらくまたお別れだよ」
しのぶは猫なで声を出した。千恵蔵は、しのぶの頬に頭を擦り付けて、名残惜しそうに甘えた。
「帰りにまた寄るんだろ?」と父・正人。
「うん、それまでイ‐6800とクリナスティ号は預けとくから」と、しのぶ。愛梨紗が操縦してきたクリナスティ号は新横浜の空港に預けてあったが、預けっぱなしだとお金がかかるので、千堂家の整備工場まで持ってくることになった。
「あのロシアの貨物機もバラしていいのか?」
しのぶが愛梨紗の顔をうかがうと、愛梨紗は「うん」とうなずいた。
「いいってさ」
「じゃあ、退屈しねえな」
父・正人はウズウズした様子で両手を蠢かせた。
男二人、女四人を乗せて、キャンピングカーは出発した。
ハンドルを握るのは健太郎だ。彼と愛梨紗だけはよく眠れたのか、それとも体質なのか、昨日あれだけの戦いを繰り広げたのに、なぜか元気いっぱいだ。それとは反対に、華と龍之介としのぶとユズは、寝不足と早起きのせいでぼんやりしていた。
「高速に乗ったら一本道だから、到着までゆっくり寝てな」
健太郎は後ろに呼びかけ、自分は愛梨紗と一緒にロシアの歌など歌い始めた。
キャンピングカーの後部には、シングルサイズのベッドが二つ、通路を挟んで置かれている。龍之介はさっそく、さっきまで自分が寝ていたほうのベッドでいびきをかき始めた。
華がそのそばで椅子に座っていると、反対側のベッドでユズと一緒に寝そべっていたしのぶと目が合った。しのぶは華に向かって、龍之介の横で一緒に寝ればいいじゃん、と顎をしゃくってみせた。
「いいの?」
と華が訊くと、しのぶは笑って、
「なにを遠慮する必要があるのさ」と答えた。
華は遠慮なくベッドに横になると、龍之介の隣りにずりずりと身体を寄せていった。
龍之介のいびきを聞き、高速道路の継ぎ目の規則正しい振動を感じながら、華は心地よい眠りに落ちていった。ただ、健太郎と愛梨紗の歌のせいで、華は夢の中でずっとテトリスをプレイしていた。




