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ガラパゴス・ガーディアンズ  作者: 霧山純
第十六話「アレクサンダー静岡に現わる」
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アレクサンダー静岡に現わる・2b

「天野たちとの合流地点は静岡県清水区西里、時間は0600(マルロクマルマル)(午前六時)だ。出発時間は0400(マルヨンマルマル)(午前四時)とし、陸路で移動する。それまでしっかり睡眠をとっておくように」

 宴もたけなわとなったところで、みんながまだ一か所でまとまって食事している間に、龍之介は明日の段取りを発表した。現在、日本時間の午後九時を過ぎたところだ。


「私、お風呂入りたい。キャンピングカーのシャワー使えますよね」と、ユズが手を上げた。

 龍之介が答える。

「キャンピングカーは男二人で使うから、お前たちはしのぶの家に泊まらせてもらいなさい」

「お風呂なら、今沸かしてるところだよ」

 しのぶは言った。「うちの風呂は広いから、ゆっくり入れるよ」

「わーい、一緒に入ろう」と、ユズははしゃいだ。


 龍之介は、ビール飲料のコップを片手に、みんなの顔を見まわして言った。

「みんな、せっかくの休暇だから、肩ひじ張らずに行こう。旅行気分とまではいかないが、バラード家のお坊ちゃんのわがままにわざわざ付き合ってやるわけだから、向こうの金をじゃぶじゃぶ使って、たっぷり楽しませてもらおうじゃないか。そういうわけで、何回目か忘れたけど、あらためて乾杯!」

 明るく乾杯を叫んで、宴は夜中近くまで続いた。終盤、そろそろ寝なきゃと女性陣は引き上げたが、男たち三人は最後まで飲んで語り合っていた。


 愛梨紗は九時を過ぎた段階ですでにウトウトし始め、ついに一番先にダウンして、華に抱っこされながらお風呂まで運ばれた。

 しのぶに連れられて、華とユズと愛梨紗は広々としたヒノキ風呂に辿り着いた。それは建物の裏手に増築された一角にあった。

「すごいね、しのぶさん」華は感動した。

「私と親父で作ったんだよ。二人とも凝り性だから材料にもこだわったんだ。すごくいい匂いだろ」

「うん、森の中にいるみたい」と華。


「ここに妙子がいたら、五人全員で初めて一緒にお風呂に入ることになったんだけど、まあ、いいか。華、あんたんとこにも温泉あるんだろ?」

「そりゃあ、もう」と華は請け負う。

「じゃあ、そのときを楽しみにしようか」

 華の腕の中で寝ている愛梨紗の鼻を、ユズがこしょこしょとくすぐると、愛梨紗は「くちゅん」とくしゃみして目を覚ました。

「お目覚めですか、お姫様」とユズ。

「なんか、よか匂いのすーごたーね」

 こんな風に仲間同士で裸を見せ合うことは初めてのことで、とても新鮮で、楽しかった。


 一階の客間に、華たちは自分で布団を運んで広げた。部屋の一方に縁側があり、障子を横にずらすとガラス戸になっていて、そこから月を見上げることができた。ここは五年前に、龍之介が一か月間寝泊まりした部屋でもあった。この景色と畳の感触を龍之介も知っているのだと思うと、華は深い感慨に浸った。

 華たちは、しのぶが幼い頃に使っていたパジャマを貸してもらった。しのぶの父は、娘のものをすべて大事に仕舞い込んでいた。


「じゃあ明日、三時半ごろ起こしに来たら間に合うかな」

 襖の横に立つ、しのぶがそう言った。客間はすでに電灯の明かりを消しているので、しのぶは背後から照らされて黒いシルエットになっている。

「ギリギリ出発五分前でもいいよ」と布団の中のユズ。

「あんたはすぐ二度寝するから三時半ごろでちょうどいいでしょ」と華。

 愛梨紗はすでにスヤスヤ眠っている。

 しのぶはクスクス笑い、「じゃあ、明日」と言って、襖を閉めて去っていった。客間は真っ暗になった。


 月明かりの下、夜の虫の声が聞こえてくる。

 それから一時間、華は布団の中で何度も寝返りを打つが、どうしても気になることが一つだけあって、そのせいで眠ることができなかった。気にしないようにするのだが、気にしないようにすればするほど気になって、目がギンギンに開いてくる。

 ユズと愛梨紗はしっかりと寝息を立てている。


 一か八か、やるしかない。布団からそっと身体を抜き出した華は、パジャマの裾を畳でこすりながら、そっと襖を開け、幸い真っ暗になっていた廊下をペタペタと裸足で歩き、細心の注意を払って玄関の引き戸を開けると、夜の滑走路に向けて駆け出していった。


 目指すは龍之介と健太郎が寝ているはずの、廃車置き場の奥に隠してあるキャンピングカーだ。滑走路の照明は落とされて、月明かりだけが足元を照らしている。月が明るくて、星がほとんど見えない。空は昼からずっと澄み切ったままで、雲はまったく浮かんでいない。磨き抜かれた滑走路を踏む靴音と、草むらの虫の声が辺りを満たしている。こうやって歩いていると、なんだか現実感が失われてくる。自分がここにいるのが不思議に思えた。

 夏のこの日に、しのぶの実家にいて、真夜中の飛行場を歩き、龍之介を探すためにキャンピングカーを目指しているのだ。どういう巡り合わせで、自分はこんなところにいるのだろうかと、華は思った。ともかく、自分は幸せではあるのだろう。


 目当てのキャンピングカーには辿り着いたが、ドアの前で華は立ち尽くした。こうなる予想はしていたが、やはりその通りになった。ノックする勇気が湧いてこないのだ。

 華はどうしても確認したいことがあってここにやって来た。しかし、それを大きな声で堂々と言えるほど、自分の中で固まっているわけではない。

 左右と正面にそびえ立つ、つぶれた廃車の山が、華の心の圧迫感を増幅した。やっぱり時期尚早だったかもしれない。静岡に帰ってから確認しても間に合うかもしれない。今はもう遅いし、明日は早起きだし、こんな時間に龍之介を起こしたら迷惑になるだけだと、華は自分を無理やり納得させた。


 そうして、踵を返して廃車置き場から出ていこうと歩き出したのだが、向こうの角から、誰かの足音が近づいてくるのが華の耳に届いた。

 月の光を受けて、長く伸びた影が、廃車の山の向こうから現れた。それはTシャツと短パン姿の龍之介だった。

「あれ、桃井、ここにいたのか」

 驚いて見開かれた龍之介の目に月が写って、やけに白目が目立った。

「龍之介さん?」

 華も驚いたが、不思議と脈拍は跳ね上がらず、気持ちは落ち着いていた。

 もしかしたら、龍之介も華に会いに、しのぶの家のほうへ行っていたのかもしれない。華はそんな気がしたが、それをはっきりと確かめることはできなかった。


「眠れなかったのか?」

 龍之介の問いに、華は「うん」と答えた。

「俺も実は、気になることがあって、君を探していたんだ」

 やっぱりそうだ、と華は確信して、龍之介のほうへ手を伸ばした。

「龍之介さん、あっちでゆっくりお話しましょ」


 龍之介と華は、手を貸し合いながら廃車の山の上に登った。ピックアップトラックの荷台が、ちょうど二人が並んで月を眺められるベストな位置にあった。

 その荷台に、華と龍之介は肩をくっつけ合って座った。お互いの匂いを感じられる距離でもあった。二人とも風呂上がりの石鹸の匂いがした。


「龍之介さん、気になることって、なんですか?」

「君が考えていることと同じならいいんだが……」

「私が気になっていることは、たった一つなんですよ」

「それはなんだい?」

「さあ、なんでしょう」

 華は、からかうように龍之介の顔を見た。龍之介の顔があまりに真剣だったので、華はどきりとした。


「はっきり言うよ」

 龍之介は、華から目を離さずに言った。「俺はあのとき、クロノ・シティで、君から言われたよね。ずーっとずーっと前から俺のことが好きだったって」

「はい、確かに言いました」

「だけどあのとき、俺ははっきり返事を言っていなかった」

 華は当時のことを思い返していた。龍之介が「俺も……」とこちらに手を伸ばしたところで、仲間たちがやって来て、続きはうやむやになっていたのだ。


 龍之介は言った。

「だから言うよ」

「はい」

 華は龍之介の真剣な眼差しに釘付けにされて、目が離せなかった。ここで初めて、リラックスした気分の中に緊張が流れ込んできて、心臓がバクバクと暴れ始めた。龍之介さん、早く言ってくれないと、私、心臓が爆発して死んでしまいます。


「俺も君のことを愛している」

 龍之介ははっきりと言った。

「はい」と華は答えた。

「君のご家族には、俺と君はそういう関係だと、はっきり紹介してくれるかい?」

「もちろんです」

「よろしく」

 そこまで言うと、緊張の糸が一気に切れて、二人は呼吸を整えるためにいったん顔を離した。

 実は華から見えないところで龍之介は、「よし、言えた」と、こぶしを握り締めていた。実は華も、反対側で同じことをしていた。


 しかし、華は幸せな気分に頬を赤く染めながらも、そこからもう一歩進むことに躊躇を覚えていた。

 それは龍之介も同じだった。

 二人はそのとき同じことを考えていた。お互いにお互いの気持ちを察し合って、手を出しあぐねていた。双方とも相手の気持ちが痛いほどわかった。ついに華のほうが、先にそれを言葉に出した。


「龍之介さん、ここでキスをしようかどうか迷ってます?」

 龍之介はうっと一瞬詰まりながらも、正直に「うん」と答えた。それがけじめだと思い、迷いに迷っていた。

 華は微笑んだ。

「いいんですよ。今日はここまでにしておきましょう。ここは龍之介さんとしのぶさんの思い出がいっぱい詰まった場所だから、そこに私が割り込むのは嫌なんです」

 龍之介の目に、かすかに涙が浮かんだ。

「ありがとう。一生恩に着るよ」

 龍之介は、華の肩を優しく抱き寄せ、その頭を撫でた。

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